第1章|空の目、止まらぬ銃口
与論島西方、標高86m・城山南斜面。
陽が昇りきる前の7時43分。海から吹き上げる湿った南風が断続的に海霧を運び、島の亜熱帯林は白く沈殿する蒸気で覆われていた。葉の裏に付着した水滴が、風の揺れとともにパラパラと落ちる。その音さえ、緊張した兵士の耳には銃声にも似た衝撃を与えた。
木々の間には、倒木と火山岩を利用した即席の塹壕が点在している。兵士たちは散開配置でその中に潜み、射線を確保しつつ、上空からの視認を避けるよう身を縮めていた。だが、敵はそれを許さなかった。
頭上には、薄雲の切れ間をすり抜けるように、プロペラ音が断続的に響いていた。見えない。しかし聞こえる。そして、確実にそこにいる。非武装の民生型ドローン。赤外線カメラとレーザー測距を備え、リアルタイムで観測情報を敵狙撃手に送信する。
「空にいる……ずっとだ」
伍長・伊地知誠が、濡れた木の根に寄りかかりながら低く呟いた。額には汗と泥が混じり、頬を伝って滴っている。視認不能なはずの存在に対する、生理的嫌悪。兵士として訓練されてきた彼らにとって、姿の見えない敵との戦いは、それだけで恐怖だった。
突如、甲高い破裂音。
第3班の西田陸士が双眼鏡を掲げたその瞬間、眉間に鋭い衝撃を受け、そのまま斜面を転げ落ちた。頭部後方から噴き上がる血煙。狙撃手は既に照準を合わせていたのだ。敵ドローンが「そこに人がいる」と判断した瞬間、座標が送信され、トリガーが引かれた。
「煙幕展開! 第1班、左45度にスモーク!」
小隊長の叫びで、兵士が白煙弾を投擲した。だが、敵は煙が流れる方向すら読んでいた。観測は止まらない。煙の背後を回り込むように、さらなる銃声。火器の射点は特定できない。発射音と着弾が0.7秒未満で連続し、敵狙撃手の位置を特定するための時間的猶予もなかった。
「動けば、死ぬ。止まれば、意味がない」
斜面下、標高差30mを隔てた谷間のブッシュ地帯に、敵は“非存在”のまま潜伏している。兵士たちには見えない敵、見えている自分。自衛隊員が普段の演習で経験してきた「視て撃つ」戦闘理論は、ここでは逆転していた。




