7
「聞いたわよ。昨日大変だったんだってね」
箒片手にジェナがニヤニヤと近づいてくる。
本日は渡り廊下の掃除担当だ。
侍女長の監視が無い為にジェナは昨日の事を話したくて仕方ないようだ。
私は顔をしかめながら頷いた。
「大変だったわよ。すべては馬鹿なトリスタンのせいよ」
「あいつが馬鹿なのはみんな知っているけれど、そのおかげでユリウス様の面白い行動が見られたって噂の的よ」
箒の柄に顎を乗せて面白そうにジェナは言う。
どんな噂になっているのかと想像すると気が重くなってくる。
「ユリウス様が可愛そうだわ。変な噂を立てられて」
「あの後ユリウス様に送ってもらったんでしょ?なにかあった?」
ワクワクしながら着てくるが私は首を振る。
「ある訳ないでしょ。あの後正常に戻ってかなり落ち込んでいたわ」
「まぁ、いつもの自分とかけ離れて可笑しな行動をしてしまっているんだもの。そりゃ落ち込むわよね」
ジェナは同情しているが私は首を傾げる。
「ねぇ、一体何が原因だと思う?」
「ミレイユが毒薬を入れたんでしょう?」
「入れるわけないでしょう!もう、何度も言わせないでよ」
「ミレイユが聖女説もあるらしいけれどね。ミレイユが聖女だったらご実家の事業が傾いたりしないわよね」
笑うように言われて私は渋々頷いた。
「そうね。私が家を出てからあれよあれよという間に落ちぶれてしまったわ。謎の不作で微妙に食物が取れないのよ」
「ワインが産地なんでしょ?良い葡萄が出来ないってことはミレイユ聖女説は無いわね。でも、一応すべての可能性を考えて聖女姫に手紙を送っているらしいわよ」
聖女姫と聞いて思い浮かべるのは聖女を沢山保護しているセラフィア帝国だ。
聖女を保護し、育てて全世界に派遣しているらしい。
我が国も数年前に聖女が来たと聞いたことがある。
「確か、マリアンヌ姫様だっけ?ルーク様が言っていたわね、その姫様にも騎士が居るって……」
「言っていたわね。うちの旦那は出張であの国にった時見たらしいわよ。本当に一人の騎士が姫様の傍に居るんですって。その光景とユリウス様が重なるようよ」
「マリアンヌ姫様は聖女の力で騎士を操っているのかしら?」
おかしくなったユリウス様のような人が他にも居るとしたら人権はどうなっているのだろうか。
妙な顔をしている私にジェナは肩をすくめる。
「さぁ?聖女の力が人の意識まで操れるとしたらヤバイからそれは無いと思うけれど。今度聞いてみたら?今手紙のやり取りをしているらしいわよ」
「そうするわ」
騎士団長に早速掛け合ってみようと決心したところでまた後ろから嫌な奴が声を掛けてきた。
「ミレイユ。昨日は大変だったよ」
甘ったるい声を出して気さくに話しかけてくるのはトリスタンだ。
騎士服を着崩して少し長めの自慢の金髪の髪の毛をかき上げながらキザっぽく言う。
「もう話しかけないでって言わなかったかしら?」
冷たく言う私の声が聞こえないのかトリスタンは私にウィンクをしてくる。
ゾゾッと体が嫌悪感を感じて身震いをしてしまう。
「つれないなぁ。僕の事が好きだって心の底では思っているくせに」
「ちっとも思っていないわよ!あなたほどこの世で嫌いな人は居ないわ」
はっきりという私を見てジェナはぽつりつ呟いた。
「聖女ではないわね。酷い事を人に言えるなんて……」
確かに聖女のイメージは清く正しく美しくを兼ねそろえたような女性だろう。
聖女とはどのような人にも慈愛の精神をもって接しているだろうが、私にそんな心は持ち合わせていない。
「僕が婚約破棄だって言ったらショックだったんだろう?あの時は悪かったよ」
「全く言葉が通じなくてビックリするわ!何度も言うけれど、婚約破棄をしたのは私の方よ!あなたにお金が無いからウチから出してくれとか、その上数人いる恋人に子供が出来たからそっちと過ごすとか勝手に言ってきただけでしょう?あなたに子供が出来る前からこちらは婚約を破棄する予定でした!」
怒りのあまり声を張り上げる私にジェナは興味無さそうに頷いている。
「何度もその言葉をトリスタンに言っているのを聞いているけれど、馬鹿だから理解できないのよ」
「馬鹿すぎるでしょう」
息を荒くしている私にトリスタンはニヤニヤと笑いながら近づいてくる。
「僕を好きだからこそ、裏返しに酷いことを言っているだけだろう?そんなこと言って僕の気を引かなくても大丈夫だよ」
「違うってば!」
トリスタンは全く言葉が通じない。
声を荒げて怒る私の腕を掴もうとしてくる。
ジェナが居るのにお構いなしの行動に私は力いっぱいトリスタンの胸を押した。
「止めてって言っているでしょう!」
両手で押されたトリスタンはよろよろとしながらも私を捕まえようとしてくる。
「ミレイユに触れるな」
ユリウス様の声が聞こえたかと思うと私とトリスタンの間に割ってい入って来た。
「ユリウス様?」
風のように現れたユリウス様に驚く私の耳に、騎士団たちの声が聞こえる。
「また飛び出して行ったかと思えば、ミレイユさんの危機だったのか」
「凄い能力を身に着けて隊長が人間じゃ無く思えてきますね。もうこれ超能力でしょう」
息を切らしながら呟く騎士達は、勤務中に駆けつけてきたユリウス様の後をついてきたようだ。
私とトリスタンの間に入っているユリウス様を見て納得しているようだった。
「隊長、また僕達の邪魔をしないでくださいよ。ミレイユと僕がどうしようが関係ないでしょう」
馬鹿なトリスタンが上司に口答えをしている声が聞こえる。
ユリウス様が間に入っているおかげでトリスタンの姿は見えないがかなり不満そうな顔をしているに違いない。
「ミレイユはお前とかかわりを持ちたくないと言っているが。そもそもお前は既婚者だろう」
凛としているユリウス様にトリスタンは馬鹿にしたように鼻で笑った。
「そんなこと無いですよ。ミレイユは照れ屋だから僕と愛人関係を結びたいって思っていますよ」
思っているはずが無いでしょう。
トリスタンに言ってやると意気込んだ私より早くユリウス様が怒りをぶつけた。
「ふざけるな!愛人契約だと?ミレイユを侮辱するな!」
怒りながらユリウス様は剣を抜こうとするのを私は慌て止める。
「わーっ!駄目です!馬鹿でも斬っちゃだめです!」
「コイツは殺さないとわからないだろう!もう我慢ならない」
私の為にそこまで怒ってくれるのは嬉しいが、さすがに殺すのはダメだ。
ユリウス様の腕を掴んで止めている私を騎士の人達は面白そうに眺めているだけだ。
「助けてくださいよ!」
「いや~隊長を止めるのは無理ですよ。返り討ちにされますって」
「トリスタン、お前もう死ぬしかないよ」
無責任なことを言う騎士の方たちに私はもう一度助けを求める。
「誰かユリウス様を止めてください!」
ユリウス様はいまにも斬りかかりそうだ。
そんなユリウス様に後から来たルーク様が呑気に声をかける。
「ユリウス、さすがに怒りに任せて斬るって言うのはダメだろう。決闘でもしたらどうだ?」
「決闘だと?」
怒りながらもユリウス様は呟いてトリスタンを見つめる。
ユリウス様の剣幕に怯えながらもトリスタンは頷いている。
「刃は潰してくれたら決闘を受けて立っても良いですよ」
「何を偉そうに」
私が言うと、ユリウス様も頷いて剣から手を離した。
「いいだろう。トリスタンに決闘を申し込む!」
怒気を孕みながら言うユリウス様に震えながらもトリスタンは頷いた。
「う、受けて立ちますよ。僕だって男で騎士ですからね。隊長には負けませんよ」
「おー良かったなぁ。面白い見世物が出来たぞ」
後ろでルーク様が面白そうにっているのが聞こえてきて私は首を振る。
「決闘なんて、そんな事困りますよ」
「いい機会じゃない。トリスタンの馬鹿がみんなの前でボコボコにされるなんて面白いわよ」
ジェナの言葉に先ほどまで困惑していたが妙に納得してしまう。
トリスタンがユリウス様に殴られる様は見てみたい気もする。
「それもそうかも。でもユリウス様本当に大丈夫ですか?」
もし決闘当日ユリウス様が元に戻ったら間違いなく決闘はやらない気がする。
「問題ない。俺はいま正常だ」
振り返ったユリウス様の目はハッキリしており、可笑しな様子が無い。
元に戻っていると感覚で分かるが、はっきりとユリウス様は私を見つめる。
「正常ですね。それでも決闘を?」
「当然だ。これ以上トリスタンがウロウロするのは許せない」
はっきりというユリウス様の言葉に心から安堵した。