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トリスタンに液を掛けられたユリウス様をじっと見守る。
異変は無いか注意深く見るがユリウス様の表情に変化はない。
顔にかかった液体を軽く拭うとトリスタンに向かって剣を構えなおした。
身構えるトリスタンに剣を振り下ろしながらユリウス様は一歩近づいた。
トリスタンはユリウス様の剣を受け止める。
力強いユリウス様の剣の力によろけて地面に叩きつけられた。
トリスタンは地面に転がったまま後退る。
「やっちゃえ、ユリウス様~」
ジェナ達が声援を送る中、ユリウス様は無表情にトリスタンに剣を振り下ろそうと近づくが、グラリと体が揺れて膝をついた。
「やっぱり試合なんて無理ですよ」
ユリウス様の息は荒くなっていき、片膝をついているのも辛いようで剣を地面に立てて体重を預けている。
顔色も悪く冷や汗が額に見えユリウス様の表情は辛そうだ。
「トリスタンがかけた液体だわ!卑怯よ!」
ジェナとナタリーが大声を上げる。
観客たちも立ち上がってトリスタンを非難し始めた。
「卑怯よ!何をかけたのよ!変な液体をかけて!」
「騎士道の精神はないのか!」
観客の非難の声にトリスタンは明らかに狼狽をしている。
ソワソワと落ち着かない様子で観客に視線を向ける。
「ぼ、僕が卑怯だと?何もしていない!」
おろおろしながら言うトリスタンは真正の馬鹿なのだろう。
イラッとした私は声を荒げた。
「見てたわよ!あんたが液体をかけたところ!何をかけたの?毒?」
「み、見ていたのか!一瞬の出来事だっただろう。お前みたいな素人に僕の素早い行動が見えるはずないだろう」
「見えたわよ!どんな馬鹿でもあれは見えるでしょう!」
大声を出す私に続くように観客たちも文句を言う。
「卑怯だぞ!」
トリスタンを避難する観客たちをチラリと見て団長は手を上げた。
「はーい、はい、はい。トリスタン、違反行為により失格!試合は中止だ」
団長の大きな号令によりトリスタンは不満そうに剣を下げた。
「今なら勝てそうなんですよ」
「馬鹿!立てないほど弱っている相手なら子供でも勝てるだろうよ!トリスタンを拘束して何の毒を持っているか調べろ」
団長の命令で騎士団の人達がトリスタンの両手を拘束した。
「液をかけただけなのに!」
「馬鹿が、それが違反なんだよ!水ならなんとかなっただろうがな」
騎士に怒鳴られてさすがのトリスタンも気落ちしたようで黙って下を向いた。
拘束されたトリスタンにルーク様が呆れたように声を掛ける。
「馬鹿と思っていたがここまでとは思わなかったよ。お前は規則違反をした。これは何の液体だ?ただの目くらましだろうが、それにしちゃユリウス、体調悪そうだが」
「言いたくありません」
口を噤んだトリスタンにルーク様は頷いて連れて行くように命令をする。
拘束されて演習場から出て行くトリスタンに観客は罵声を浴びせ続けた。
「卑怯者のトリスタン!騎士の風上にもおけないな!」
予想以上に罵声を浴びてさすがのトリスタンも落ち込んでいる様子だ。
ユリウス様を見ると剣を地面に刺したまま辛そうに荒い息を繰り返している。
顔色も悪く冷や汗をかいているように見えた。
「団長!ユリウス様は一体なにを掛けられたのですか?」
私が聞くと、団長は渋い顔をして手にしていた紙を広げた。
「ただの痺れ薬ってことなんだが……違う気がしないか?」
私に聞かれてもわかるはずがない。
団長が手に持っている紙を覗き込んだ。
「これは?」
「……あのバカが仕入れた毒薬のリストだ」
小声で言う団長に私は驚きすぎて声が出ない。
「どうしたら勝てるかバカなりに考えて、毒を仕入れたんだろうな。多分初めてではない、かなり手馴れているぞ」
観客に聞こえないように言う団長に私も小声で言う。
「それってあのザクレイド王国から毒を仕入れたという事ですか」
「そうだ。薬を密輸している業者と懇意にしているようだ。馬鹿だからすぐに連絡を取り合っていた」
「それって、犯罪ですよね」
驚いて大きな声を出しそうになるのを堪えて言うと団長は渋い顔をして頷く。
「大きな犯罪だ。まず、資格の無いものが毒を所持している。そして禁止されているザクレイド王国から許可なく物を輸入することは禁止されている」
「どうやって手に入れたのかしら」
「闇市場の商人から買ったんだろうな。それも違法だが……。前からタレコミはあったんだが証拠が無かった。今回トリスタンが馬鹿なおかげで証拠が出来て良かった」
団長は満足そうだが、ユリウス様の体調がどんどん悪くなってくるのを見て私は眉を顰める。
「一体何を掛けられたのかしら。ユリウス様かなり体調悪そうだわ」
祈るように両手を合わせて言う私に、団長は首を傾げながら手にしている紙を見つめる。
「情報ではただの痺れ薬をトリスタンが昨日買ったと書いてあるが、どうも違うようだな」
団長はそう言いながらユリウス様の元へと近づいて行く。
私も柵を乗り越えて演習場の中へと降りた。
もとはと言えば私のせいだ。
責任感を感じながら近づくと、ユリウス様は剣を支えにしてなんとか上半身を起している状態だ。
息も荒く、目もうつろ、顔は真っ青だ。
騎士団の後ろから覗き込むようにしている私に気づいて眉をひそめた。
「すまない。ミレイユ。俺はトリスタンを成敗することができなかった」
「そんな、気にしないでください。大丈夫ですか?」
集まっていた騎士が間を開けてくれてユリウス様の傍に行くような雰囲気にされ仕方なく近づく。
興味深そうに騎士団の人達にじっと見られて居心地が悪い。
ユリウス様は軽く首を振った。
「問題ないと言いたいが、体に力はいらない」
「痺れている感じですか?」
「違うな……」
そう言いながら息が荒くなってくる。
ユリウス様は私を見つめると申し訳なさそうに目を細めた。
「すまない。ミレイユ、俺は唯一の騎士といいながら守ることが出ない」
荒く息を繰り返しながら言うユリウス様の顔は青い。
様子を見ていたルーク様が心配しながらも騎士団の人達を振り返った。
「また可笑しなユリウスになったぞ」
「唯一の騎士とか言っているからそうですね。こんなに体調が悪くても、おかしな状態になるんですね」
関心しているルーク様をキッと睨んだ。
「そんなことを言っている場合ではないですよ!ユリウス様の状態がどんどん悪化していますよ」
「今医者が来るよ」
ルーク様が言うとすぐに演習場を白衣を着た白髭の生えた医者が走ってくるのが見えた。
息を切らしてやってくると、ユリウス様の前に座る。
「はぁはぁ、どうしたかな」
「なにか毒を掛けられたようですが、わかりますか?」
ルークが聞くと医者は首を振る。
「んなもん、わかるか!見ただけでなんの毒かわったら天才じゃ」
「そりゃそうだ」
騎士達が頷いているが私は医者とユリウス様の間に座る。
「息が荒くて、どんどん顔色が悪くなってきています。痺れ薬じゃないんですか?」
「痺れ薬ではないだろう。ここまで呼吸困難になることはあまりない。神経系の毒じゃないか?だとしたら厄介だぞ、このまま息が止まる可能性もある。ほれ、目もうつろになってきてる」
「そんな!」
医者言葉に私と騎士団の人達の声が重なる。
トリスタンが持っていた毒はたいしたことが無いと騎士団も思っていたのだろう。
医者はユリウス様の瞼を開いて瞳孔を確認して頷く。
「神経系の毒で間違いないだろうな。瞳孔が開いてきておる、呼吸も間もなく止まるかもしれんな」
「それって、死ぬってことですか!」
さすがのルーク様も驚きながら医者の両肩に手を置いて揺すっている。
「乱暴は止めてくれ。これだから騎士は嫌いなんじゃ」
「どうにか助けてください!」
私が祈るように言うが医者は首を振るばかりだ。
ユリウス様は荒く息をくりかえしながらとうとう地面へと倒れた。




