元公爵家執事の俺は婚約破棄されたお嬢様を守りたい 第2章(6)風の精霊王
何だろう。
俺はシスターラビットのお店の店長に対して妙な感覚を抱いていた。
どこかで会ったような、いやそれどころか昔から知っているかのようなそんな感じだ。
だが、そんなはずがなかった。
俺はこの人と会うのは初めてだ。
「初めまして。シスターラビットです」
ウサギの仮面をしているのに彼女が微笑んでいるのがわかった。しかもかなり可愛い。
あれだ、これはきっと素顔はお嬢様とどっこいレベルの可愛さだぞ。
「ど、どうも」
動揺してしまい、俺はつい淡泊に返してしまう。
それを気にするようでもなくシスターラビットは俺からイアナ嬢へと顔を向けた。
イアナ嬢はまだ何を注文しようか迷っている。まあ、ポテチとジャムパンは確定のようだが。
「もし良ければホットケーキはいかがですか? 甘くて美味しいですよ」
「甘くて美味しい……」
ゴクリ。
「……」
おいおい。
イアナ嬢、そんな聞こえるほど喉を鳴らすなよ。
一緒にいる俺が恥ずかしくなるだろ。
しかし、そんな俺の心の声など届く訳もなく。
「えっと、じゃあホットケーキをください。それとポテチとジャムパンも」
「はい、ありがとうございます。お幾つになさいますか」
シスターラビットの質問にイアナ嬢が即答する。
「ポテチはこのお皿に。ジャムパンとホットケーキはそれぞれ五十で」
「……」
俺は軽い目眩を覚えた。
イアナ嬢。
どんだけ食う気だよ。
つーかポテチも数量制限がなければ何皿頼むつもりだった?
太るぞ。
とか思ったら足を踏まれた。口に出してないのに何故だ。
「申し訳ありません。沢山のお客様に当店の商品を味わっていただきたいのでお一人当たりの販売数を限っているんです。ジャムパンなら五個まで、ホットケーキなら三枚までとなっています」
「あ、そうなんですか。ならそれでお願いします。」
やや恥ずかしそうにイアナ嬢がそう応えるとシスターラビットがにっこりとした……ように俺には思えた。まあ仮面のせいで表情はわからないけど。
「はい、ありがとうございます。ご用意いたしますので少々お待ちくださいね」
シスターラビットが奥に引っ込んだ。
二人のやりとりを見ていた俺にアンゴラが尋ねてくる。
「そちらのお客様は何になさいますかぴょん?」
「え、俺は別に」
要らない、と答えようとしたらまた足を踏まれた。痛い。
犯人がめっちゃいい笑顔で言った。
「彼のもあたしと同じ物で。あ、皿はないです」
「……」
これ、後で全部没収されそうだなぁ。まあいいけど。
*
アンゴラが奥に引っ込むタイミングでシスターラビットがカウンターに戻ってきた。手にはポテチの分の布袋とジャムパンとホットケーキの分の布袋。あぁ、この売り方だと分けるしかないよな。
イアナ嬢が支払いを済ませているのを聞きながら俺は何となく店の左側の客席に目を向けた。
オロシーたちの騒ぎのせいで一時は空気も悪くなっていたが今は皆楽しそうに食事をしている。
その大半はポテチだがジャムパンを食べている者もいた。もちろんクッキーの類を摘まんでいる者もいる。
つーか、あの円盤みたいなパンがホットケーキか。あれ、前にお嬢様が焼いてくれた物と似ているな。
「ホットケーキ美味い!」とか叫んでる客のおかげで判別できたよ。
「……」
ん?
客の中に何人か侍女服姿の人がいるのだがそのうちの一人をじっと見ている男がいるぞ。
ローブを着た魔導師風の男だ。何やら小さく口を動かしている。
男が片手を上げると中空にうっすらと青白い魔方陣が浮かび……。
「はいはい、そこまでですよぉ」
コンコンと何かを叩く音とともに男の動きが止まった。
俺が音のした方を見るとシスターラビットが2本の黒い棒を交差させるように叩いている。
え?
何これ?
「あ、これはただの防犯用の止めまスティックです。改良版なので指向性に優れているんですよぉ」
説明をするシスターラビットはとても楽しそうだ。
まるで自分の魔道具について話すときのお嬢様のようだがシスターラビットはお嬢様ではない。何となくだがそう思えるのだ。雰囲気とかそっくりなんだけどね。
おっと、今はそれどころじゃないな。
俺は無詠唱で結界を張った。
まだ浮かび上がっている魔方陣ごと魔導師風の男を結界の内に封じ込める。こうしておけば男が何かしようとしても結界の外に影響はないだろう。逆に男の方に被害が出るがな。
「えっ、えっ?」
「イアナ嬢、騎士団の人間を呼んできてくれ」
「あ、その必要はないですよぉ」
シスターラビットが二本の黒い棒を修道服の袖口に仕舞うとカウンターの下に手を伸ばした。
て。
おい、あの棒って袖口に仕舞えるサイズじゃないぞ。
あれか、最近の服は袖口にマジックバッグが標準装備されているのか?
……いやいや、そんな訳ないよなぁ。
カウンターの陰でポチッと音がし、シスターラビットが微笑んだ……ような気がした。
ウサギの仮面で素顔が見えないからね。
「すぐに近くの詰め所から騎士様が来ますので」
「はぁ」
どうやらカウンターの下に騎士団の詰め所に連絡できるような魔道具が仕込んであるらしい。
……って、ここそんなもんが隠してあるのかよ。
そこらの貴族の屋敷にだってそんなもの設置されてないぞ。
あっ、ライドナウ公爵邸にはあるな。以前お嬢様が「防犯は大事ですからねぇ」とか言って取り付けていたっけ。
少し騒然となった店内にパアンパアンと手を叩く音が響いた。
「お客様、お騒がせして申し訳ありません」
シスターラビットが頭を下げた。
「ですが、ご覧の通り暴漢は捕まえました。今後はこのようなことが起こらないよう注意いたします」
「いやいや、悪いのは暴漢の方でしょ」
「シスターラビットさんが謝ることなんてないわよ」
「むしろこの店の方が被害者なんだし」
「私たちだって無傷だしね」
「それにこんな奴がいるのに放っておく騎士団の連中がどうかしてるんだよ」
「そうそう、この前だって離宮の侍女さんが仕立屋さんで襲われたって言うし」
「物騒だよね」
「シスターラビットさんも気を付けてね」
「何なら俺が護衛に付こうか?」
「あ、そう言ってシスターラビットさんとお近付きになりたいんでしょ?」
「こらこら、シスターラビットさんは皆狙ってるんだから抜け駆けは許さんぞ」
口々にお客たちが言ってくる。そのほとんどがシスターラビットに対して同情的だ。
というか好意的?
「……」
何だろう。
シスターラビットが好かれていることを嬉しく思う気持ちと彼女はやたらな奴に渡さないぞって気持ちがこうむくむくと。
これ、お嬢様に対する気持ちとすげぇ似てる。
何でだ?
*
俺たちは魔導師風の男が騎士に連行されるのを見送ってから店を後にした。
立場上いろいろあって騎士につっこまれたくなかったのだが幸いなことに店でのことを訊かれただけで済んだ。
騎士がいる間ずっとイアナ嬢がにらめっこでもしているかのような変な顔をし続けていたのは笑えたがな。まあ、めっちゃ我慢したから声を上げて笑いはしなかったけど。
でも、あの顔。
ぷぷっ。
城の部屋に戻って思い出し笑いをしていると鋭い視線が飛んできた。
イアナ嬢だ。
早くもソファーに座ってポテチを食べ始めている。ローテーブルの上にはポテチの盛られた深皿が二枚とジャムパンが十個載った平皿一枚、それにホットケーキが三枚ずつ重なった平皿が二枚並べられていた。俺の買った分も混じっているからね。
ついでのように置かれたティーセットは俺たちが帰ってきた時にはもう用意されていて、それが何だか行動を把握されているような感じで気持ち悪い。
ひょっとしたら本当に誰か隠密に優れた監視でもついているのか?
ちなみにイアナ嬢は片手でポゥを抱っこしてもう一方の手でポテチを摘まんでいる。あれか、ポゥはもうイアナ嬢の付属品みたいになっているのか?
俺は自分とイアナ嬢のカップに紅茶を注いだ。
気持ち悪くてもまあ毒がある訳でもないだろう。少なくともメラニアに会うまではワルツもそんなことはしないと思う。
イアナ嬢の方へとカップの載ったソーサーを移す。
「そんな恐い顔をするなよ」
「恐い顔で悪うございましたね。あんたのせいでしょ」
「いやいや、仕方ないだろ。イアナ嬢が変な顔をしてたんだから」
「やっぱり思い出し笑いしてたんだ」
「あの顔はないからな。ぷぷっ」
「ジェイてば酷い」
「ポゥ」
「ポゥちゃんだけだわ、あたしに優しいのは」
「そんな拗ねなくてもいいだろ。悪かったよ。だから、あの店のおやつを全部くれてやったじゃないか」
そう。
このローテーブルの上のおやつは全てイアナ嬢の物だ。
とはいえ、これ平らげたら間違いなく太るけどな。
ふふっ、それでも食えるかな?
**
「……」
ローテーブルの上の皿は全て空っぽだ。
そして、今一つ満足できていない様子のイアナ嬢。
こ、こいつ完食しやがった。
それなのにまだ食い足りないのかよ。
あれか、イアナ嬢の胃袋はマジックバッグなのか?
それとも、大食の精霊でも宿しているのか?
あーでもこいつ前にお嬢様のジャムパンを食いまくってるんだよな。そうでなくてもポテチとか沢山食べるし。
てことはこれって平常運転?
こいつ、王都の教会にいた頃はどうしてたんだ?
教会の食事って粗食で量も少ないイメージなんだけど。
それとも貴族出身とかだと待遇も変わってくるのか?
お嬢様が修道女としてノーゼアの教会に入った後に食事のことを訊いたら「贅沢ではありませんがそれなりだと思いますよ」とか言われたんだよなぁ。それから二年経って教会の懐具合も改善されたから大分良くなってるらしいけど。
ま、まあお嬢様とイアナ嬢では違うからなぁ。そもそもお嬢様は大食いじゃないし。
……とか思ったらイアナ嬢に睨まれたよ。ギロリ、とか音が聞こえそうなくらい鋭いし。怖い。
「あんた、あたしの悪口考えてたでしょ」
「いや、考えてないぞ」
「嘘ついてもあたしにはわかるんだからね。今日の分の上位鑑定まだ残ってるんだから」
「……」
イアナ嬢。
まさか、こんなくだらないことで上位鑑定しようとしたりしないよな?
わぁ、こいつやりそうで怖ぇ。
……て、ん?
どうしてポゥが天井を見つめながら震えてるんだ?
俺はポゥの視線を追った。
それに気付いたのかむっとしながらもイアナ嬢も天井に目を向ける。
「……」
「……」
「……ポ、ポゥ」
えっと。
誰?
天井に腰まで伸ばした黒髪の若い女が浮かんでいた。
二十歳くらいの色白美女だ。
イアナ嬢の側に頭を向けくつろぐような姿勢で横になっている。
横になって浮かんでいるのに髪とか身に纏っている白い衣とかは下に垂れていないし捲れてもいない。重力の影響は皆無のようだ。何この非常識。
あ、そういやこの衣お嬢様から教わったことがあるぞ。
そうだ、着物だ。腰に帯も巻いてるし。
それにしても随分と太い帯だな。コルセットみたいじゃないか。
「何じゃ、痴話げんかはもう終いか? つまらんのう」
「……」
どうしよう。
話しかけられちゃったよ。
うわぁ、相手したくねぇ。
よ、よし、ここは見なかったことにしよう。
無視無視。
……とか思ってたのに。
「べべべ別に痴話げんかなんてしてないんだからねっ」
イアナ嬢が顔を真っ赤にして言い返した。
わぁ、やめろやめろ。
そんな怒ることないだろ。
ややこしくなるからやめてくれ。
「そうか、ならそれはもう良い。で、お主がジェイ・ハミルトンじゃな?」
「……」
ううっ、応えたくねぇ。
これ認めたら絶対に面倒に巻き込まれるパターンだ。
「ぬ? 違うのか? お主の左腕に填まっているのは間違いなくマジンガの腕輪だと思うのじゃがのう」
「……」
どうしよう。
これ、逃げられない。
つーかこいつ腕輪のこと知ってるよ。
あれか、お嬢様絡みか?
俺が黙っていると着物の美女がこくんと首を傾けた。
でも髪の毛は重力を無視しまくってるんだよね。どうなってるの?
「うーむ、こ奴には妾の声が聞こえぬのか? そんなふうには見えんのじゃがのう」
「あのさ」
イアナ嬢。
「あんた誰?」
「……」
おお、よくぞ訊いてくれた。
イアナ嬢、ぐっジョブ。
て、ぐっジョブって言葉の使い方これで合ってるよな?
前にお嬢様から教わった言葉なんだけど。
着物の美女が吃驚したように目を丸くした。
「妾のことを知らぬとは。何とまあ愚かな」
「いや本当に知らないし」
「お主それでよくウィル教の僧侶などと名乗れるな。まして次代の聖女とは……実に嘆かわしい」
「そういうのはいいから、あんた誰?」
「……」
あーあ、とうとう相手を黙らせちゃったよ。
イアナ嬢、強いな。
しかしまあ、ウィル教のことまで引き合いに出すとは、こいつそっちの絡みもあるのか。
「……」
ん?
ちょい待て。
お嬢様とウィル教の絡みでこの手の奴って……。
あ、あれ?
いやいや、まさかな。
うん、考えすぎ考えすぎ。
「こ、これでも妾は十天使とか精霊王の一柱として名を連ねておるのじゃぞ。それなのに、それなのに……」
「へ?」
「……」
あちゃあ、やっぱそうか。
なーんか最近の流れからしてそんな感じがしてたんだよ。
そっかあ、こいつ精霊王かぁ。
あははは、もう笑うしかないな。
相手が精霊王だと知ってイアナ嬢の顔が真っ青になった。付属品のポゥ共々震え上がる。まあ、ポゥは既に震えていたけど。
「ああああの、あなた様は一体どなたですか?」
あ、言葉遣いが変わってる。
ふん、と着物姿の精霊王が鼻を鳴らした。
「妾が精霊王と知って態度を改めるとはまだまだ修行が足りぬようじゃのう。まあ良い。妾は風のファスト。二度とこの名を忘れぬよう魂に刻んでおくが良い」
「は、はい」
「ポ、ポゥ」
あらら、ポゥまで変じしてるよ。
「で、その風の精霊王が何しに来たんだ?」
仕方ないので俺は尋ねた。だってもうイアナ嬢は役に立たなそうだし。ポゥもアテにならないだろうし。ならないよな?
「モスからお主のことを聞いたのでな。どんな奴かと思って会いに来てやったのじゃ」
「……」
どんな奴かと思って会いに来てやった?
わぁ、迷惑!
そんな興味本位で来るんじゃねぇよ。
あとモスもこんな奴に俺のこと話すなよな。
「おや、嬉しさのあまり声も出ぬか。それも仕方ないかのう。何しろ妾で出会った精霊王は四柱になるようじゃからのう。人間にとっては大層名誉なことじゃろうな」
「……ん?」
いや待て。
このファストで四柱目?
あれ?
ウェンディ、モス、そしてファスト。
三柱だよな?
「ふむ、気付かぬか。ならばそれもまた一興」
ファストがニヤリとした。何とも悪そうな笑みである。
「それにしてもこ奴らと関わりを持ちながらも己の力を感じさせぬとは。あ奴も慎重になったものよのう」
「……?」
何のことだ?
訊いてみた。
「何の話だ?」
「いや、こちらの話じゃ。それよりマジンガの腕輪の使い勝手はどうじゃ?」
「……」
こいつ露骨にはぐらかしてきやがったよ。
まあ、この分だと正直に話してはくれないだろうな。
俺はやむなく質問に答えることにした。
「別に問題はないと思うぞ。マジックパンチを撃つと左拳が発射されるのはなかなかに衝撃的だったけどな」
「そうか。見たところ魔力消費がまだ大きそうじゃな」
「確かに連発すると後半きつくなるな。あと発射の前にタメが必要なのも」
「お主、問題がないと言う割には文句があるようじゃのう」
「そんなつもりはないが」
「まあ良い。基礎魔力消費量と発射までのチャージ時間の短縮程度なら妾でも調整できる。ちとその腕輪をかざすが良い」
俺はファストの指示に従った。
一応、こいつも精霊王らしいしな。精霊王と言えば神格持ちな訳だし魔道具である腕輪の調整が出来てもおかしくはないだろう。
お嬢様の作った腕輪をいじられることに多少の抵抗がない訳でもないがそれによってさらに使い勝手が良くなるのであればきっとお嬢様も喜ぶはずだ。
ファストが中空で横になったまま俺に手を向けた。
腕輪のすぐ近くに銀色と青色の二重の光の魔方陣が浮かび上がる。
それらは少しの間発光すると腕輪に吸い込まれるように消えた。
どこからかあの中性的な声が聞こえてくる。
『確認しました!』
『「マジンガの腕輪(L)」のマイナーアップグレードが完了しました』
『これにより以降のマジックパンチの基礎魔力消費量が50%減少します』
『さらにマジックパンチの発射に必要なチャージ時間が30%短縮されました』
『なお、マジックパンチの連射には本式のアップグレードが必要です。今回のアップグレードでは連射可能とはなりませんのでご注意ください』
「これでそのマジンガの腕輪の改良は終いじゃ」
「……」
腕輪にこれといった変化は見当たらない。少なくとも見た目はこれまでと同じだった。
試しに腕輪に魔力を流してみる。
「……っ!」
おおっ、これは凄い。
以前の半分の魔力でマジックパンチが発射可能になったぞ。チャージ時間も前より短くなってる。
**
「さて」
ファストが目を細めながら告げた。
「どうせまた会うことになるのじゃからここらでお暇するとしようかのう」
「そ、そうか。腕輪のことありがとうな」
一応礼を言っておいた。
「良い良い、挨拶代わりのようなものじゃ。それに妾もマジンガの腕輪には少なからず関わりがあるのでな。あのお方はオールレンジ攻撃とやらに興味があるようじゃが今のお主の技量ではそれも難しいやも知れぬ。その場合の代替案を考えねばならぬじゃろうのう」
「……」
えっと。
今一つよくわからないけど、あれだよな。
マジンガの腕輪のアップグレードのことだよな?
てか、オールレンジ攻撃?
そう言えば、この腕輪を貰ったときお嬢様が術式がどうのと言っていたような……。
「おっと、妾としたことが忘れるところじゃった」
俺が腕輪をお嬢様から受け取ったときのことを思い出しているとファストが声を上げた。
「何やらつまらぬ者がここらを彷徨いておるようじゃのう。闇のもそれに迷惑しておるようじゃ」
「つまらぬ者?」
俺の頭に浮かんだのはケチャとランバダの顔だった。
ひょっとしてあいつらがまた何かしているのか?
イアナ嬢も王都に来ているし、気を付けるにこしたことはないな。
「そいつらの正体とかはわからないのか?」
「仮に知っていたとして、妾が全てをお主に明かさねばならぬ義務などないぞ」
「……」
そうだった。
こいつらは精霊であって人ではない。人としての道義を求めても意味が無いのだ。
腕輪を改良してくれたのもあくまでも挨拶代わりのようなもの。別に俺と何かの契約を結んでいる訳でもないのだから、俺のために腕輪を改良しなければならぬ理由もない。
こいつがつまらぬ者の情報を俺に教えないとしても、仕方ないことなのだ。つーか責めるだけ無駄。
「とはいえ、じゃ」
ファストが腕組みした。
そうするとお胸がですね、こう強調されると言いますか……はい、なかなかのボリュームですね。ご馳走様です。
あれだ、細身に見えて実はグラマラス……いや、セクシーダイナマイツだっけ? 前にお嬢様から教わってたんだけどなぁ。どっちだ?
じゃなくて。
俺が馬鹿なことを考えている間にファストが悩まし気に溜め息をついた。
「妾がお主に意地悪をしたせいで被害を被ったと闇のに恨まれるのも厄介じゃからのう、ヒントくらいは授けてやっても良いぞ」
「いや、どうしても知りたい訳じゃ」
何故か嫌な予感がして俺はそう応えた。
てか、ここでヒントなんて貰ったら俺がそのつまらぬ者を何とかしなくてはならなくなるのでは?
わぁ、面倒くせぇ。
こっちはただでなくてもいろいろ抱えているんだから、これ以上面倒事が増えるなんて御免だぞ。
……とか思ってたのに。
「精霊姫とか呼ばれておるこの国の王女のまわりを探るのじゃ。さすればあのつまらぬ者へと繋がるじゃろう」
「……」
精霊姫。
つまりはシャルロット第三王女。
その名を聞いたからかイアナ嬢の震えが止まった。
!「えっ、もしかしてシャルロット姫が狙われてるの?」
「……」
おいおい。
イアナ嬢、驚きのせいで言葉遣いが素に戻ってるぞ。
愉快げにファストが片手で口許を隠した。
「さて、それはどうかのう。妾はそこまで断定してはおらぬぞ」
「じ、じゃあまさかシャルロット姫が黒幕とか? 実は病気で伏せっているのは嘘で、本当は何か邪悪な目論見があって離宮に引っ込んでいるだけとか?」
「……」
イアナ嬢。
さすがにそれは飛躍しすぎじゃないか?
てか、シャルロット姫は病床に伏しているんだろ。そんな状態で悪事を働けるのか……て、まあ誰かに命じれば出来るんだろうけど何か違う気がするなぁ。
「いろいろ推測するのは構わぬが」
ファストがさらに目を細くする。
その目が妖しく赤く光った。
「あまりあの王女を悪く言うのは控えるべきじゃと思うがのう。聞いたのが妾じゃから良かったものの、闇のじゃったらただでは済まぬぞよ」
「……え」
「ポ、ポゥ」
顔を強張らせて固まるイアナ嬢。
そして、震えが止まっているものの可哀想なくらい硬直してしまったポゥ。
見ていられなくなって俺は助け船を出した。
「別にシャルロット姫を悪く言った訳じゃないだろ。あくまでもただの推測。そうだろ?」
俺がイアナ嬢に確認すると彼女はコクコクと首肯した。壊れた人形みたいだな。
ファストに。
「それにさっきから何だ? 闇のって、闇の精霊王のことだよな? そいつがシャルロット姫の悪口を聞いたらまずいのか?」
「まずいで済めば幸運じゃろうなぁ」
「……」
え。
何それ、めっちゃ不穏なんだけど。
「さてさて、ちと長居をしてしもうた」
ファストの身体が急に透けていった。
徐々にその透明度は増していく。
「おい待て、まだ話は終わってない……」
「つまらぬ者の件はお主に任せるのじゃ。では、また会おうぞ」
ファストが消えた。
俺は苦々しく思いながらさっきまでファストが漂っていたあたりの天井を睨みつける。しかし、そんなことをしてもファストが戻ってくるはずもなく……。
「何て奴だ、面倒事を押し付けて行きやがった」
*
俺とイアナ嬢はすぐに行動を開始した。
いや俺的には気乗りしないというかやるにしてももうちょい休憩してから動きたかったのだが、イアナ嬢が妙にやる気になってしまったのだ。
精霊王からの依頼っていうのが大きいんだろうな。
しかし、だ。
俺は早足で離宮へと歩くイアナ嬢を追いかけながら尋ねた。
「そんないきなり押しかけても駄目だと思うぞ」
「駄目かどうかは試してみないとわからないでしょ」
シャルロット王女の居る離宮は幸いなことに王都の中にあった。
王宮からもさして離れておらず位置としては北の貴族街の中程。離宮と呼ぶよりは高位貴族のタウンハウスといった外観の建物だった。
一見すると容易に侵入できそうな低い壁と門の小ささではあるがそれはあくまでも「そう見せているだけ」ということを俺は知っている。たぶんノーゼアに来る前は王都で暮らしていたイアナ嬢も既知のことだろう。
王城や離宮に限らず、ここ王都の重要建造物にはこれでもかってくらい結界が施されている。許可のない者や無関係の者は絶対に侵入できないのだ。
俺とイアナ嬢が王城に転移できたのもメラニア付きの宮廷魔導師のワルツが一緒だったから。もしそうでなかったなら結界に阻まれていただろう。
門番に声をかけ、リアさんに会いたい旨の話をするとしばらく待たされた。
「ジェイさん、それにイアナさん」
侍女服姿のリアさんが小走りに現れた。急に訪ねた挙げ句呼び出しまでしてしまったことに軽い罪悪感が芽生えてくる。
あと、やはりあの左目の泣き黒子は色っぽいな。そそる。
「どうしたんですか? 大事な話だと伺っていますが」
「ええ、とても大事な話です」
イアナ嬢が衛兵をちらりと見た。
それを察したのかリアさんが。
「どうぞこちらへ」
俺たちは離宮の中へと案内された。
談話室のような部屋へと通される。シンプルだが品のある調度品と華美ではないが価値のありそうな美術品が置かれた部屋だ。
向かい合うように俺たちとリアさんがソファーに座った。程なくして別の侍女がお茶と菓子器を運んで来る。
お茶の用意を済ませると侍女は一礼して退室した。
「それで大事なお話とは?」
「あの、何かシャルロット姫の周囲でおかしなことが起こったりしてませんか?」
質問に質問で返すような真似をしてしまっているが俺もイアナ嬢の心情は理解できた。
まあそうだよな。
こちらもろくな情報もないのに乗り込んでしまった訳だし。訊きようもないよな。
まさか「精霊王にヒントを貰ったのでここに来ました」なんて言えないだろうし。
そもそもそんなこと言っても信じてもらえないだろうし。
俺がリアさんの立場だったら信じないぞ、きっと。
「あの、聞いたんですけど離宮の侍女さんが街の仕立屋で襲われたそうですね。リアさんも王城でモンスターに殺されそうになっていたし……あと偶然なんですけど別の侍女さんが襲撃されそうになっていた現場にあたしとジェイが居合わせていたんですよ。その侍女さんってここの人なんじゃないですか?」
「え、ええ。それなら話は聞いています。その現場ってシスターラビットのお店のことですよね」
「……」
俺は黙って二人のやりとりを見ていたが「なるほどな」とは思っていた。
ケチャやランバダの仕業っぽくないが何者かがシャルロット姫の……というか離宮の侍女を狙っているのは確かなようだ。
「誰かに恨まれるような覚えはないですか?」
イアナ嬢が割と直球な質問をする。いや、もうちょい言い方があるだろ。それだとリアさんたちが誰かの恨みを買ってるように聞こえるぞ。
「そうですね」
リアさんが中空を見つめた。
「理由もなくただ王族だからというだけで恨んでくる輩はいます。あとはシャルロット様を危険視するような輩もいますね。ただそれだと直接シャルロット様を襲うのが筋だと思いますので侍女たちを標的にするのはちょっと違う気がします」
「他には思い当たりませんか?」
「うーん……あ」
リアさんがはっとした。
「もしかして、えーでもそれ何だか気持ち悪い」
「……」
おや?
何やら事情がありそうだぞ。
**
イアナ嬢が身を乗り出した。
「何かあるんですね?」
「実は」
リアさんが眉をハの字にした。
チリンチリン。
うん?
何だろう、頭の中で鈴の音がしたような……。
俺が不思議に思っているとリアさんが話し出した。
「先日この離宮で侍女をしていた娘がとある伯爵家に嫁ぎまして」
「それはおめでとうございます? でも、それが何か?」
「あの、お恥ずかしい話その娘と交際していた殿方がいたんです」
「あれまぁ」
「……」
イアナ嬢。
その反応、おばちゃん臭いぞ。
とか思っていたら足を踏まれた。痛い。
俺の足を踏んづけてる癖にイアナ嬢の表情は微塵も怒っていない。むしろにこやかだ。そのギャップが怖いよ。
リアさんが話を進めていく。まあローテーブルの下の暴力事案には気付いていないみたいだし。
なお、ポゥは今回お留守番。
さすがに離宮には連れて行けないからね。
「その娘がいなくなってから少しして彼女と交際していた殿方本人が訪れまして……その時は私は不在で実際には見ていないのですがそれはもう凄い剣幕だったそうです」
「わぁ、最悪」
イアナ嬢が嫌悪感を隠そうともせずに呻いた。
同時に俺の足から彼女の足が離れる。ああ、足がじんじんするよ。
「その殿方って誰ですか?」
「……」
イアナ嬢。
これまたストレートな質問だな。もうちょい様子見ながら訊いてくれよ。
「なかなか答え難い質問ですね」
リアさんが苦笑した。あ、困ってる顔も可愛い。
とか思ったらまた足を踏まれたよ。
「もしかして貴族とかですか? それともまさか王族とか?」
「いえ。王族だなんてとんでもない」
「となるとやはり貴族?」
「ええ」
不承不承といったふうにリアさんがうなずいた。
まあ、あんまりこういう話はしたくないよな。まして俺たちは無関係の人間なんだし。
「その、ネンチャーク男爵が……」
「ああ、すまない。皆まで言わなくても大丈夫だ」
俺は手を振って制した。
ネンチャーク男爵は俺でも知ってる有名人だった。しかも悪い意味で。
女性に対して強い執着を抱き結果何人もの被害者が出ているという。
でもこれまでこれといったお咎め無し。少なくとも俺が王都を離れた二年前までは、の話だけど。
でもきっと今でものうのうとしているんだろうな。
現に被害者もいるみたいだし。
何と、ネンチャーク男爵は宰相の年の離れた弟なのだ。八人兄弟の七番目だそうだけどね。でも実弟なのは事実。
兄弟の恥を宰相が全部握り潰しているって訳だ。
ちなみに宰相は婿に入ってから現在の地位に就いているのでネンチャーク姓ではない。
「よりにもよってとんでもない奴に目を付けられたな」
心の底から同情するよ。
イアナ嬢にもネンチャーク男爵の悪名は届いていたようで、彼女は「うげぇ」とでも言いたげに顔をしかめた。
「あれは女の敵ですよね」
「私もそう思います。許されるのであれば直接裁きを下してやりたいくらいです」
「……」
リアさん。
今、目が赤く妖しく光りませんでした?
それに背後に黒いオーラが漂っていたような……。あとゴゴゴゴゴゴゴゴってむっちゃ不穏な擬音を背負っていませんでしたか?
いやいやいやいや。
そんなはずはないよな。
うん、気のせい気のせい。
俺が自分に言い聞かせているとイアナ嬢がギュッと拳を握った。
ふん、と荒井鼻息を一つ。
「わかりました。ネンチャーク男爵を捕まえればいいんですね」
「……」
「……」
あまりの発言に俺もリアさんもぽかんとしてしまう。
確かにネンチャーク男爵は悪い奴だけど、まだ確証もないのに捕まえようだなんて短絡的過ぎやしないか?
「おい、あくまでもネンチャーク男爵は離宮に押しかけて来たことと伯爵家に嫁いだ侍女さんと付き合っていたってことしかわかってないんだぞ」
「それはそうだけど」
「じゃあ、他の侍女さんが狙われた理由は?」
「うっ」
イアナ嬢が呻いた。
俺は容赦なく指摘する。
「俺たちはリアさんのときやシスターラビットのお店でのときに現場に居合わせたがそこにネンチャーク男爵の姿はあったか?」
「……」
イアナ嬢が黙ってしまった。
でも、俺は続ける。
「俺はネンチャーク男爵の顔を知っているがどちらの現場にもネンチャーク男爵はいなかった。しかも、シスターラビットのお店での一件では暴漢というか犯人がいたよな。あいつはネンチャーク男爵だったか?」
「ち、違うけど……違うけど」
絞り出すように答えたイアナ嬢の声には悔しさがこもっていた。
別に俺はやり込めたくてイアナ嬢に言っている訳ではない。
「ろくな確証も無いのにネンチャーク男爵を断罪しようとしても返り討ちに遭うのがオチだ。あいつは宰相の実弟なんだぞ。自分の兄弟の恥を隠すためなら宰相は平気で俺たちを潰そうとするに決まってる」
それに、仮にネンチャーク男爵が犯人だとしても謎が多すぎる。
「……」
ん?
待てよ。
俺はふと気付いた。
どうしてネンチャーク男爵が犯人って前提になっているんだ?
確かにネンチャーク男爵には前科がある。まあ正式な犯罪歴ではないんだけどそれでも罪は罪だ。
ネンチャーク男爵は女の敵。
けど、何故か釈然としない。
俺たちはリアさんの話を訊いて、ネンチャーク男爵の悪評を知っていて……でも、それだけなんだよな。
それなのに、どうしてこんなにもネンチャーク男爵が一連の事件の犯人だと思えるんだ?
いや俺は少し疑問に思ったがイアナ嬢は犯人だと信じちゃってるよな。もうそれ以外はないとさえ思っているかもしれない。
そして、リアさんも。
「……」
リアさん、も?
俺は彼女を見た。
リアさんが見返してくる。
「あの、何ですか?」
チリンチリン。
また頭の中で鈴の音がした。
何だ?
俺は疑問に思いながらもリアさんとのやりとりに集中しようとする。
「幾つか確認したいんだが」
「はい?」
小首を傾げるリアさん。可愛い。くっ、負けるな俺。
「そもそもどうしてネンチャーク男爵が離宮に押しかけないといけないんだ? 交際相手が他の男と結婚したのなら、その恋人なり結婚相手なりのところに行くのが普通なんじゃないか?」
「ああ、それは前々から話が上がっていたんです。先方の伯爵様がその娘をとても気に入られまして、ぜひにと。それでこちらとしても良い縁談でしたので彼女の実家とも相談した結果離宮の主導で話を進めさせていただきました」
つまりはあれか。
ネンチャーク男爵の知らない所で交際相手の縁談が進められていた、と。しかも主導していたのは彼女の実家ではなく離宮。
ふむふむ、それじゃネンチャーク男爵がその事を知ったら離宮を恨むだろうなぁ。伯爵家も恨まれそうだけど家格は男爵家より伯爵家の方が上。いくら宰相が後ろ盾になってくれるとしてもそう簡単にやたらなことは出来ないだろう。
てことは、これは逆恨みか?
うーん、なーんか引っかかるんだよなぁ。
まるで誰かに誘導されているような、そんな妙な感じがするんだよなぁ。
「むぅ、精神操作がうまくいかない。この人勇者じゃないからチョロいと思ってたのに、何で?」
「はい?」
リアさんがつぶやいた言葉は小さすぎてうまく聞き取れなかった。
「あの、今何て……」
「ねぇ」
聞き返そうとした俺の言葉をイアナ嬢が遮った。
「あたし思ったんだけど、もしネンチャーク男爵が人を雇っていたら? 召喚魔法を仕える人なら魔物を呼び出せるし。シスターラビットさんのお店の時も侍女さんを狙ったのが雇われ魔導師かもしれないじゃない」
「まあ、可能性はなくもないな」
それならネンチャーク男爵がその場に居なくてもいい訳だし。。
けど、やっぱりなーんか引っかかるんだよなぁ。
うーん、もやもやする。
とりあえず後で騎士団の詰め所に寄ってあの暴漢のことを訊くことにしよう。そうすればネンチャーク男爵と関わりがあるかどうかもはっきりするかもしれない。
「あ、これいただきますね」
俺が次の予定を考えていると横で脳天気な声がした。
イアナ嬢だ。
彼女は菓子器に盛られた四角いクッキーを一枚摘まんで囓った。
それはもうこれこの上なく美味しそうに食べている。
「わぁ、これ凄い。甘くてサックサクでほんのりバターの風味があって、幾らでもいけそう。あたしこれ好き♪」
「……」
イアナ嬢。
一応次代の聖女なんだからもうちょいお淑やかに出来ないか?
あとそのクッキー全滅させようとかするなよ。
一緒にいる俺が恥ずかしくなるんだからな。
その後、全滅こそさせなかったものの大部分がイアナ嬢の胃袋に収まりましたとさ(ちゃんちゃん)。