第4話 公園の夜と奇妙な共感
夜の公園は静けさに包まれていた。秋の夜風が木々を揺らし、地面に散らばった枯れ葉がサラサラと音を立てる。ベンチに座る魔堂零士は、ネクタイを緩め、スーツの襟を軽く開けていた。昼間の業務の疲れが、その顔に色濃く浮かび上がっている。
零士が見上げた夜空には、都会の明かりに隠れて星がいくつか瞬いていた。その穏やかな光景は、異世界の終わりなき戦場とは対照的だった。
(この世界では、戦場の轟音に代わって、理不尽な声が私を攻め立てる……)
今日のオフィスでのやり取りが脳裏をよぎる。理不尽な顧客の怒声。部下を守るために冷静を保とうとする自分。それでも押し寄せる疲労感――この世界では「正解」があまりに曖昧だった。
「……静寂とは、贅沢なものだ」
零士は缶コーヒーを一口飲み、夜風に視線を投げかけた。その時、遠くから聞こえる足音に気がつく。軽く振り返ると、公園の小道から一人の男が近づいてきた。
「……ゼルドリス?」
聞き覚えのある声に、零士は眉をひそめた。声の主は山田歩だった。彼の膝には風紀委員会の報告書が抱えられている。
「アルヴィンか」
零士は静かに答えた。その声には驚きもなく、ただ運命に身を任せるような冷静さがあった。
歩は零士に向かって数歩踏み出すと、険しい顔で声を張り上げた。
「貴様、なぜこんなところにいる!」
零士は缶コーヒーを軽く揺らしながら、肩をすくめる。
「理不尽に疲れた者が静寂を求めるのは、不自然なことか?」
「静寂だと? 平和を乱すお前にそんな資格があるとでも言うのか!」
歩が報告書をベンチに叩きつけるように置いた瞬間、その紙が風に煽られて舞い上がった。
「あっ……!」
報告書の一枚が風に乗って飛んでいく。歩は慌てて追いかけるが、零士も同時に腰を浮かせて紙を掴もうとした。二人の手がぶつかり合い――さらにタイミング悪く、零士の頭が歩の額にゴツンと当たった。
「痛っ……貴様、わざとか!」
歩が額を押さえながら怒鳴る。
「お前が鈍いだけだ」
零士も頭を軽くさすりつつ、紙を拾い上げる。異世界での威厳が完全に吹き飛んだ零士の姿に、歩は思わず息を呑む。
報告書を拾い集める二人の動作は、どこかぎこちなく滑稽だった。ベンチの周りで秋風に煽られる紙を追いかける姿は、互いにとって屈辱的でしかない。
ようやく報告書を回収し終えた二人は、同じベンチに腰を下ろした。秋風が吹き抜け、二人の間に微妙な沈黙が訪れる。
「……私の学校では、SNSを使ったトラブルが絶えない」
先に口を開いたのは歩だった。その声には、勇者らしい熱さとは違う、弱さと迷いが滲んでいた。
「注意しても、生徒たちは反発するばかりだ。“魔王”などと呼ばれ、距離を置かれている」
零士は缶コーヒーを置き、隣に座る歩をじっと見た。かつて敵対した宿敵――勇者アルヴィンの顔には、今は疲労が色濃く浮かび、肩はわずかに落ちている。
「私の職場でも似たようなものだ」
零士が静かに口を開いた。
「部下を守ろうとすればするほど、理不尽な要求が降りかかる。この世界は、力ではなく言葉で戦わなければならない」
「力で解決できた頃が懐かしいな……」
歩がぽつりと呟く。
「お前もか。力のない平和というのは、どうにもやりづらいものだ」
零士が短く笑う。その笑顔には疲労と、わずかな共感が宿っていた。
その時、零士の手に持っていた缶コーヒーが突然「プシュー!」と音を立て、中身が勢いよく噴き出した。零士の手がコーヒーまみれになると同時に、歩の膝にも飛び散る。
「ゼルドリス……!」
歩が濡れた膝を見下ろしながら声を上げる。
「これは罠か?」
零士は真顔で呟き、ポケットからハンカチを取り出して歩に差し出した。
「罠なわけあるか! ……お前、本当に魔王だったのか?」
歩が膝を拭きながら問いかける。
「お前こそ、勇者の名に相応しい威厳をどこかに置き忘れているのではないか?」
零士が淡々と返す。その言葉に、歩は思わず吹き出した。
二人はしばらく互いをからかい合いながらも、不思議な温かさが漂う空気を感じていた。