プロローグ
校舎の廊下に、日の光が細い帯のように差し込んでいる。放課後に近づき、空気はどこか気怠い。それでもこの時間の廊下には、制服姿の生徒たちが忙しなく行き交っていた。友人と笑いながら話す者。スマホを片手にゲームに興じる者。彼らの表情はみな緩やかで、この学校の平和そのものを象徴しているかのようだった。
だが、その平和の中心に、山田歩の存在があった――と、本人は思っていた。
「君! その靴下の柄、校則違反だろう!」
突然の鋭い声が、廊下の喧騒を切り裂いた。周囲の生徒たちは驚いたように立ち止まり、声の主に視線を向ける。その中心には、風紀委員長の山田歩が立っていた。黒髪をきっちりと整え、制服のブレザーの襟も完璧な位置に収めている。胸元には赤い腕章が巻かれ、その文字は堂々たる「風紀委員長」を示している。
彼の視線の先には、ピンク色の柄が入った靴下を履いた女子生徒がいた。彼女は一瞬怯えたような表情を浮かべたが、すぐに苦笑しながら軽い調子で答えた。
「あの……別に、ちょっとくらいいいじゃないですか。これくらい誰も気にしてませんよ」
その言葉に、歩の眉間にシワが深く刻まれる。
「『ちょっとくらい』が平和を脅かすのだ。規律とは、細部に宿るもの。君はそれを軽視しているのではないか?」
彼の声は低く、まるで戦場の指揮官が部下に命令を下すかのような迫力を帯びている。だが、女子生徒――1年生の高田は、どこか呆れたように肩をすくめた。
「いやいや、先生でもないのに、そんな大げさに言わなくてもいいでしょ?」
歩の表情がさらに険しくなる。その目は彼女を通り越し、何かもっと大きな存在――この学校全体を見据えているようだった。
「かつて私は異世界で、規律を軽視した帝国が滅びゆく様を目の当たりにした。小さな油断が崩壊を招くのだ!」
「……異世界?」
女子生徒はその単語に首を傾げたが、すぐに「また山田さんの謎発言が始まった」と理解した。彼女は投げやりな態度で、「わかりました」とだけ言ってその場を立ち去った。
歩は深く息を吐き、赤い腕章を撫でながら自らを鼓舞するように呟いた。
「ふむ。これでまた、平和が守られたな」
歩は廊下を巡回しながら、自分の役割について思いを巡らせていた。異世界で「勇者アルヴィン」として活躍していた彼にとって、規律を守ることは正義の象徴だった。乱れた世界を正し、民を導くために必要なもの。それが「規律」であり、「秩序」であり、そして「自分の存在意義」そのものだった。
だが、この現代社会ではどうだろう? 学校の規則を守ることは、「ただの堅物」と見なされる程度のことでしかない。
(誰も規則の重要性を理解していない。いや、理解しようとしていないだけか……)
彼はふと足を止め、窓越しに校庭を見下ろした。そこではサッカー部が楽しそうにボールを蹴り合っている。夕日を浴びて輝くその光景は、歩にとってどこか眩しすぎた。
(こんな平和な世界に、俺の存在意義はあるのか?)
胸の奥に小さな違和感が生まれる。それは、異世界で魔王と戦い、多くの命を救った自分が、今は「スカート丈」や「靴下の柄」と戦っているという現実に対する戸惑いだった。
「山田さん、またスカート丈注意したんですか?」
放課後、風紀委員室に戻ると、副委員長の真島エリカが半分呆れたような声で歩に話しかけた。彼女は小柄で整った顔立ちをしているが、その表情にはいつも少し冷静な皮肉が混じる。彼女こそが、風紀委員会の実務を支える「影のリーダー」と言っても過言ではない存在だ。
「規律を乱す行動を見逃すわけにはいかない」
歩は真剣に答えるが、エリカは肩をすくめた。
「いや、わかりますけど。スカート丈くらいで帝国が崩壊するわけないですよ?」
その言葉に、歩は眉をひそめた。エリカは歩の「異世界感」を笑い飛ばすことが多かったが、彼の内面を完全には理解していなかった。
「君にはわからない。規律を軽視した者たちが、いかに悲惨な結末を迎えるかを……」
「はいはい、異世界のお話ですね。でも、ここは普通の日本の高校ですよ」
エリカは面倒くさそうに書類を整理しながら言う。その態度に歩は少し不満を覚えたが、それ以上言葉を重ねることはしなかった。
日が沈みかけた校舎の廊下を歩きながら、歩は再び自問する。
(俺の正義は、この世界でも意味を持つのか?)
だが、そんな考えに答えを出す間もなく、遠くの教室から生徒たちの声が聞こえてくる。
「おい! 廊下で走るな!」
思わず声を張り上げる。その瞬間、自分の胸にわずかな充足感が広がった。たとえ周囲に理解されなくとも、自分の行動が正しいと信じる限り、それを続けることに意味がある――そう思えた。
彼の足音は、静まりかけた廊下に力強く響き渡っていた。
はじめまして、この作品を読んでいただきありがとうございます!
「魔王と勇者が馴染めない!」は、私にとって初めての小説です。異世界と現代のギャップ、そして個性豊かなキャラクターたちのドタバタ劇を楽しんでいただけたなら幸いです。
この作品を通して、読者の皆さまに少しでもクスッと笑ってもらったり、「次の話も読みたい!」と思っていただけるようなストーリーを目指しました。
処女作ということもあり、まだまだ至らない点が多いかもしれませんが、ぜひご感想やレビューで率直なご意見をいただけると嬉しいです!お褒めの言葉はもちろん、改善点も大歓迎です。お気に入り登録や応援メッセージも励みになりますので、どうぞよろしくお願いします!
また、物語の今後についても、勇者の不器用な奮闘や魔王のシュールな活躍をさらに深く描いていく予定です。新たなエピソードを楽しみにしていただければと思います。
最後に、この作品を読んでくださった皆さま、本当にありがとうございます。次回もぜひ覗きに来てくださいね!