①アリアスの街
「さて、まずは今日の宿を探しましょう」
鞄から古書を取り出し、フォースィはこの街に着いて書かれているページを開く。だが、魔王が泊まっていたとされる宿の名前までは残されておらず、南の国から移住してきた褐色の肌をもつ人間が営んでいた宿としか記されていない。
「どうしますかお師匠様。取り敢えず一つずつ宿に入ってみますか?」
空の赤みが全体の半分を占め始めた。空気も少しずつ冷たくなり、人の数も少なくなっていく。
「いえ、今日は街の教会に泊まりましょう」
フォースィは本を畳むと即決した。
だが、イリーナは僅かに口を曲げる。
フォースィはその顔を見逃さなかった。
「イリーナ………あなたは教会の一員なのよ? 気持ちは分かるけど聖教騎士団たる者、人前でその顔はしない事ね」
教会の食事は栄養を重視し、味や見た目は二の次。ベッドも石畳みの様に硬く、シーツも絹並みに薄い。教会関係者故に無料同然で利用できるが、宿の方が何倍も心地良いのは誘致の事実である。
フォースィは子どもに言い聞かせるように腰を曲げて微笑むと、イリーナの左頬をつねった。
「ふぁ、ふぁい! ふみません、お師匠様!」
子どもの頬は柔らかく、よく伸びる。フォースィが手を離すと餅のように伸びた頬が張り良く戻り、同時にイリーナが涙目になっていた。
夜になれば酒場やギルドで効率良く情報を集める事ができる。今夜と明日の午前中に神官としての務めを果たし、その後は再び街の調査にあたる。フォースィの頭の中で、今後の予定が美しく組み立てられた。
「何も収穫がなければ、明日の午後にはここを発ちましょう」
「は、はい!」
二人は大通りへと足を進める。
大通りでは、夕方最後の追い込みとばかりに、宿屋や食事処、商店の前で店員が激しく手を叩いて客を呼び寄せていた。街の決まりか、店の人間は店の前でのみ声をかけ続け、決して大通りまで出てこようとはしていない。
フォースィは首を僅かに動かしながら、大きめの酒場や冒険者ギルドの位置を確認する。さらに余裕がある時には宿屋の大きさや古さにも目を光らせるが、さすがに二百年物の建物に焦点を当てて見つける事は困難だった。