そして今に至る
「………さて、そろそろお暇させて頂きますわね」
「え、もうですか? てっきり夜までいてくれるものだとばかり」
食器を洗い終えたマリンが、前掛けで手を拭きながらフォースィの元に駆け寄り、寂しそうに眉を下げる。
「ごめんなさいね。ギルドの依頼が入っているの」
本当は何も予定は入っていない。
単純にフォースィは、これから戻って来る人と顔を合わせてしまうのが怖かったのだ。
もちろん記憶の書き換えをしている為、彼は四年前に助けた少女とフォースィが同一人物だという認識はできない。だがここに長く居続ければ、また何日もここに留まってしまうのではないか。フォースィは過去の経験を追体験する事を恐れた。
その代わり、短い時間だけなら訪れても良い、そう自分に枷をはめている。
「………また来て下さいね」
「もちろんよ。タイサさんによろしく」
フォースィはマリンと両手で握手を交わすと、歯磨きをしている子ども達に気付かれないように、足音を立てずに外に続く扉の前まで移動する。
そして革鞄の中から金貨の入った麻袋を取り出すと、入口にある棚の上に置いていき、フォースィは静かに出ていった。
――――――――――
「―――こうして私は、彼と顔を合わせないまま何年も時が過ぎ、ついに初めて顔を合わせたのがあの洞窟の………」
フォースィが指を立てながら語っていたが、当のイリーナは既に寝息を立てて丸くなっていた。
「困った子ね。その格好じゃ鎧は脱がせられないのに」
フォースィはせめて、とイリーナの籠手と靴、そして羽兜を丁寧に外し、ベット代わりに敷いてある幌の上に寝かせる。
寝顔を見る限りでは、孤児院教会にいる年相応の子どもと変わらない。とても素手で人を殺せる顔には見えなかった。
羽兜を脱いだ彼女の髪は白く、うっすらと茶色い髪が混ざっている。フォースィは彼女の髪を何度も何度も軽く撫でた。
「いつか、髪の色が戻ると良いわね」
あの計画で育てられた子ども達は、余りにも過酷な訓練により、髪色が全て落ちてしまう。その苦しみから解放された今でも、彼女の色は殆ど戻っていない。
一人なったフォースィも、ついに口が大きく開き、肩の力が抜けた。
「母も、こうやって私を寝かしつけたのかしら」
二百年近く前の母の記憶。もう殆ど顔も声も思い出せなくなってきているが、共に過ごした時の温かさや安心感、楽しさは今でも覚えている。
フォースィは小さくなった焚火に枯れ木を放り投げながら、長い夜を古書と共に過ごした。




