①軌跡を追う者
紅い神官服を着た女性は、目の前の巨大な直方体の遺跡の壁に手を置いた。
長い年月によって朽ちかけた茶色い鉄の骨組み、その間を埋める見た事もない石材で組まれた繋ぎ目のない壁、窓はあるが長年の苔と汚れによって中を見る事ができない。
「扉はあるのに開かない、一体どんな作りなの」
肩にかかる黒髪を後ろに払う。
神官の女性は、薄汚れた木製の扉から生えている金属の丸い出っ張りを押したり、引いたりしてみる。だが扉は一向に開く気配を見せなかった。
まるで悠久の時の中で、戻る事のない主人を待ち続けるかのような、そんな印象を覚える。
女性は肩にかけた革鞄から一冊の古書を取り出すと、栞が挟まれていたページを指先でめくる。
「アリアス南西部の森林地帯。『魔女の森』と呼ばれる中に魔王の生家がある。この遺跡を見る限り、伝承通りという事でいいのかしら」
ウィンフォス王国の西部にあるアリアスの街から離れた周囲には、南部の隣国を境とする山脈の麓まで広がる森が敷き詰められている。その中でも『魔女の森』と呼ばれる南西部は、魔力の源となるクレーテルが異常なほど濃密に集まっており、その余りの濃さから、全ての動物にとって生きる事が困難となる過酷な環境であった。
女性は周囲を見渡す。人の手どころか動物の侵入すらない巨大な大木の原生林、動物による食物連鎖が存在しないこの場所は、まさに植物の楽園だった。
その静かな森の中から、自分の頭を越える程の荷物を背負った少女が走ってくる。
「お師匠様。向こうに小さな湖がありましたが、それ以外に気になる物はありませんでした」
蒼い鎧に羽飾りのついた兜を被った十五、六歳の小さな少女の騎士が報告に戻った。
「そう、ありがとうイリーナ」
優しく、しかし素っ気なく神官の女性が言葉を返す。それでもイリーナと呼ばれた少女は、師匠の役に立てた事が嬉しく、満面の笑みで歯を見せて喜んだ。
「そろそろ時間ね………」
女性は自分の右手首に付けられている角張った腕輪を触る。
この腕輪を付けた者は、魔力の源となるクレーテルの流れを止められ、魔法が使えなくなる。本来は罪を犯した魔法使いを収監する際に使われる拘束用の腕輪だが、この森の中では高濃度のクレーテルが体内に入らないようにする為の安全装置と変わる。
魔女の森を探索する事、既に三時間。魔力中毒になって意識を失っても可笑しくない環境に、二人が無事な理由がここにある。