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追放聖女は真の自由を手に入れて幸せを謳歌する

作者: 原雷火

「マリア。貴様のような低レベルな聖女には正直うんざりだ。この第二十三教区から追放する!!」


 教会前の広場にある簡易ステージの上で、私ーーマリア・グレイスは宣告された。

 相手は先日、当主の座に就いたばかりのダミアン・ブラッド伯爵。

 冴えない貴族のボンボンだ。


 私を指差し青年はニンマリ笑う。


 広場を領民たちが埋め尽くす。みんなよく知っている顔ばかり。ダミアンがわざわざ集めたみたい。


 父親から家督を継いだばかりの若い当主には、目に見える新しい「成果」が必要ってことね。


 はぁ……なんでこうなっちゃったのかしら。


 ここは悲壮感たっぷりに。


「どうして私が追放されなければいけないのですか!?」


 ダミアンが鼻高々で胸を張る。


「言っただろう! 低レベルだと。聞けば貴様は他の教区の聖女と違って、小治癒や小祈祷しか使えないというではないか?」


 事実だった。私は聖女だけど、使えるのは初級レベルの奇跡ばかり。

 ダミアンは続ける。


「ここに集いし、我が愛すべき領民たちから苦情が届いているのだ! 貴様では治癒の力が弱くて痛みが取れないとな! 解呪だって無駄に何日もかかる! それに話もろくに聞いてもらえないと! 優しさの欠片もない冷血女め!」


 それも事実。だから反論の余地もない。


 集まった領民からは「やっぱりそうか」「低レベルな祝福しかできないくせにお高くとまりやがって」「苦しいわたしたちに、もう少し寄り添ってくれてもいいのに」「昔は丁寧に祈りの言葉を紡いでいたのに怠慢しやがって」と、口々に私への不満が噴出した。


 全部、みんなが言う通り。

 けど、私がいなくなったら、この教区の聖女の仕事はどうなるのかしら?


「私を追放したら大変なことになりますよ?」


 ダミアンは腰に手を当て笑う。


「ハッハッハ! 脅しのつもりか? 貴様はもう用済みだ。新しい聖女を任命したからな! 第二十三教区の聖女を決める権利は俺にある! 領地をより良くしていくのも領主の務めだ! わかったかポンコツ聖女!」


 いちいちムカつく。けど、ああ、やっぱりか……って気持ちもあった。


 今年のフィオーレ聖女学園の卒業生に、すごい才能がいるって噂だったし……。


「それでも、いきなり追放なんてあんまりです」


 青年は人差し指を立ててチッチッチと左右に振る。


「同じ教区内に聖女が二人いれば、派閥ができていずれ対立を引き起こすからな。これが聖女によって繁栄してきたセラフィナ聖王国の絶対的なルール。つまり……貴様の居場所はもう無いのだ」


 後任人事は決定済みってことね。


 ダミアンは壇上に新しい聖女を上げた。


 金髪碧眼。清楚が純白のローブに身を包み、しゃなりしゃなりと登壇する。


 その美しさに領民たちから「おお~!」「なんと美しい金髪!」「月とすっぽんだ」と声が上がった。


 どうせ私は栗毛のへちゃむくれですよ。すっぽんの方ですよ。


 新任聖女は領民に一礼した。


「お初にお目にかかります。ルーシア・エメリッヒと申します」


 声まで透き通っていて、非の打ち所がない。


 ダミアンが領民にルーシアの略歴を紹介した。


「聞け民よ! ルーシアはフィオーレ聖女学院を首席で卒業した優秀な聖女だ! しかもあの伝説の大聖女リディア様の子孫! どこかの低レベルと違って、大治癒の奇跡を使うことができるのだ!」


 領民たちは温かい拍手と声援で新たな聖女を歓待した。

 伝説の偉人の末裔なんて、とんでもない才能ね。

 大聖女リディア様と言えば、癒やせない者はほとんど無い。


 唯一、癒やせなかったのは自分自身くらいなものだ……って。


 献身と自己犠牲の化身の子孫――ルーシアが私に向き直る。


「第二十三教区はあたしが引き継ぎます。それにしても……かわいそう」

「は、はい?」

「孤児院出身でどこの馬の骨ともわからず、たまたま才能が欠片ほどあったからお情けで聖女学園に入学できたけど、ギリギリの成績で卒業。治癒も解呪も祝福も低級のものしかできないなんて、哀れです。領民が気の毒よ。聖女としてどうなのかしら?」


 うわ、なに、この人。初対面なのにずいぶんな言われようね。


 全部、事実だけど。


 私はうなずいた。


「そうね、私は聖女失格だわ」


 ルーシアは真っ直ぐな眼差しで射貫くように見つめると――


「あなた、もっと努力して自分の力を伸ばさないから追い出されるのよ」


 仰る通りで。


 ダミアンが締めくくった。


「では、マリアよ。どこにでも行くが良い。もうその仏頂面を見ることもないだろう。二度と我が第二十三教区に足を踏み入れるんじゃないぞ!」


 犬を追い払うみたいに、手でシッシと追い払われた。


 領民たちはすっかり新しい聖女に夢中。彼女の声に「マリアってやっぱダメ聖女だったんだ」とか「努力を怠ってわたしたちに手抜きをしてたのよ!」なんて、言いたい放題。


 誰も私を惜しまない。引き留めようともしない。


 ……ヨシ。


 私は一同に礼をする。


「これまで良くしていただいて、ありがとうございました」


 領民の一部からは「出て行け!」だの「二度と顔を見せるな!」だの。ブーイングまで上がる始末。


 私はステージを降りた。聖女という仕事からも。


 階段を下りながら密かに手をぐっと握り込む。


 幸い、ルーシアはものすごい才能をもった聖女みたい。


 彼女が後釜に座ってくれて一安心。これでもう、心置きなく、今日から好きなことをして生きていける。


 ありがとうみんな。さようなら第二十三教区。



 少ない荷物をまとめて私は旅に出た。

 路銀はたっぷりある。なにせ、この教区にやってきてからずっと、一日として自分のお金を使う機会が無かったのだもの。


 衣食住は教会で事足りるし、お金を使おうにも休日そのものが無かったから。


 毎日毎日、教会に救いを求める人々と向き合ってきた。


 給金に手を付けるのは、これが初めてだ。


 第二十三教区を出て、南に向かった。ずっとずっと南へと馬車を乗り継いだ。


 ついに沿岸都市アクアリスに到着。


 このセラフィナ聖王国でも一、二を争う貿易港のある、大きな町。


 しかも景勝地としても有名で、海の向こうから観光客が集まっていた。


 白い砂のビーチはあるし、街路脇には南国っぽい椰子の木なんかも生えてるし。


 海産物は新鮮で美味しいし、気候も穏やか。みんなどことなく開放的だ。


 どの商店も活気に満ちて、市場には色とりどりの果物がずらりと並んだ。


 私は――


 甘い物を食べた。フルーツをふんだんに用いたスイーツを満喫した。


 美容マッサージも受けた。全身の筋肉が解きほぐされて疲れが消えてなくなる感じ。ずっと背負っていた重たい荷物を降ろしたみたい。


 もし、自分に治癒の力を使えたらって、いつも思ってた。


 そう、ダメなの。聖女って、癒しの力を自分に向けられない。これは私だけじゃなく、どの聖女も一緒。


 神様が私利私欲のために、奇跡を起こさないようにって、そういうルールにしたみたいに。


 スッキリしたところで、海を見に行った。白い砂浜に裸足になって、波打ち際でぼーっと立つ。


 波が足首まで海を運んでくる。


 引き潮に魂ごと水平線の向こうへと連れて行かれるような、不思議な感覚。


 観光客向けのちょっと良いホテルに部屋を借りた。夕食は町でも評判のシーフードレストランにしようと思ったけど、向こう三ヶ月予約でいっぱいだった。


 市場通りの屋台で食べ歩き。これはこれで良かった。串焼きのお肉が香ばしくてジューシーで、質素な教会の食事にはないワイルドさ。お肉にかぶりつくなんてはしたないけど、この食べ方が一番美味しい。


 ホテルに戻ると、明日は一日中部屋でゴロゴロしてやろう。



 何日かアクアリスで過ごすうちに、聖女の務めが無いと一日が退屈するくらい長いと気づいた。


 毎日、港を見に行く。旅立つ人と見送る人々が手を振り合う姿を見て、ため息が漏れた。


 貿易港を持つアクアリスからは、毎日、どこか別の町に向けて旅客貨物船が運航している。


 気まぐれに、何も調べないで乗船券を買っても……と、思ったけど。


 私を見送る人はいない。


「帰ろう」


 仮の住処のホテルに足を向ける。最初は感動した椰子の木の街路道も、すっかり見慣れてしまった。


 やりたいことが見つからない。

 ただ、ダラダラと過ごす日々。


 お金にはまだまだ余裕があった。好きに暮らしても一年。切り詰めれば三年くらいは、何もしなくてもなんとかなりそう。


 だけど――


 私って……独りぼっち。

 フィオーレ聖女学園時代の知人を訪ねたくても、聖女の仕事をしていれば会うこと自体、はばかられる。


 こっちがいくら元聖女でも、相手に迷惑を掛けてしまうかもしれない。

 友人もいなかった。出身の孤児院にも良い思い出はないし。


 働き続けて、それ以外何も無い人生だった。今から変えられるかと思ったけど、思いつくやりたいことをやってみたら、もう息切れ。


 夢があれば違ったのかもしれない。


 ホテルの前の噴水広場。大聖女リディア様が水瓶を抱え、民に慈悲を与える彫像が噴水の中心に建っていた。


 広場のベンチに一人、膝を揃えて座るとぼんやり行き交う人々を眺める。


 いつの間にか夕方だ。


 今日も一日、何も無いまま終わろうとしていた。毎日、夕食を食べ歩いていたけれど、美味しいものってたまに食べるから美味しいのだと思った。


 と――


 ちっちゃな男の子が噴水の周りをぐるぐる走り回っている。石畳につまずいて、私の目の前でベタンと転ぶ。


「うわあああああああん痛いよおおおおおおお!」


 母親が慌ててやってきた。痛いのは生きてる証拠ね。私には関係ないもの。


「痛いよおおおおおおおおおお……うっぐ……ひっぐ……」


 足をすりむいていた。血が出てる。母親は観光客みたいで、どうしていいかうろたえていた。


 町ゆくだれもが、みんな見ない振り。


 私が視線を背けると――


 噴水の中央で人々を見守り続ける大聖女像と目が合った。


 ……。


 はいはい、わかりました。ベンチから腰を上げて母親に声を掛ける。


「お困りのようですね。坊やの怪我を診させてもらえますか?」

「え、ええ……けど……」

「すぐ済みます」


 しゃっくりしながら泣き止まない男の子の膝に、そっと手を当てる。

 小治癒の力で傷口を綺麗にした。一撫でするくらいで十分ね。


「うう、痛いよぉ」


 まだ男の子は半べそだ。私は微笑む。


「転ぶと痛いの。だから人混みの多いところや、石畳で走り回ると危ないのよ。これからはちゃんとお母さんのいうことを聞いてね」

「う、うん。ありがとうお姉ちゃん」

「どういたしまして」


 母親が「ありがとうございます。あの、お礼を」と、財布を取り出そうとした。


「構いません。私が勝手にしたことですから。良い旅を」


 親子そろって頭を下げる。

 私は二人が去るのを見送った。と、そんな一部始終を見ていた噴水広場の人々が、私の元に集まってくる。


「おお! 聖女様だ!」

「けどアクアリスの聖女様ってもう、お婆ちゃんだったよな」

「きっと新しい聖女様だべ」


 ここの領民も一緒か。ああ、もう、私ってば何やってるんだろう。


 自分でもバカだと思う。けど、放っておけなかった。


 それにしても――


 みんな期待の眼差しで私を見つめる。新しいものが良いものとは限らないじゃない。


「落ち着いてください。私はもう聖女じゃないんです」


 と、説得しようにも、ベンチの前に行列ができてしまった。


「腰が痛くてのぉ」「最近左腕がしびれてしまって」「肩こりが酷くて」「なんでもいいから励まして」「別に調子悪くないけどいい感じに祝福よろ」「明日彼氏とデートだから肌つやつやにして」


 あーもう。聖女とみるやこれだ。


 そのうち広場で「せーいじょ! せーいじょ!」とコールまで始まった。


 ホテルに避難すれば……仮住まいを特定される。


 私は走って逃げることにした。夕闇に向かって駆けだした。


 町の路地に飛び込み、裏路地の奥の奥へ。ゾンビの群れみたいに人々が追ってくる。そのうち「俺が最初だ!」「横入りすんな!」「なんだてめぇやんのか!」と、乱闘が起こって勝手に足の引っ張り合いになった。


 その怪我だけは、絶対に治したくない。


 本当に、うかつに聖女の力は使えないみたい。教区の外なら聖女がいない地域もあるけど、そこで同じことをすれば……きっと新しい教区が出来てしまうのよね。


 聖女の元に人々が集まり、教義が広まる。


 セラフィナ聖王国は、そうして大きくなってきた。


 うう、どこに逃げても聖女に祭り上げられる。


 結局、どれだけ目を背けても、逃げてみても聖女の力と私という人間は不可分なんだ。


 裏路地を逃げ続ける。


 角を曲がったところで――


 物陰から、にゅっと腕が伸びた。


「こちらへ」


 若い男だった。落ち着いた声色で、追ってくる領民たちとは雰囲気が違う。


 この手を安易に取っていいのか迷ったけど――


 私は導かれるように身を委ねた。そのまま背の高い青年にぎゅっと抱きしめられ、壁際に押しつけられた。


 銀髪に紅の瞳。服装も貴族風。だけど、常闇色のマントをしていた。それで私の小さな身体がほとんど覆い隠される。


 男の人の匂いに包まれて、心音が自分の耳に届くくらいドキドキする。


 夕闇の降り始めた薄暗い裏通り。


 まさか聖女が物陰で男と抱き合っているなんて、思いもしないのか、私を追ってきた集団は気づかずそのまま路地裏にちりぢりに溶けていった。


「行ったみたいだね」


 私を解放して青年は優しく微笑む。


「あ、ありがとうございます」


 礼をして顔を上げて改めて見る。イケメンだ。整った目鼻立ち。物腰も柔らかい。きっと高貴な生まれなんだろう。


 同じ貴族でも虚栄心しかない下品なダミアンとは大違いね。


 けど、どのみち私を誰かが庇う理由なんて一つしかない。


「貴男も聖女にお願いですか?」


 青年はそっと首を左右に振る。さらさらの前髪が小さく揺れた。


「君が聖女だというのは、先ほどの広場で見させてもらった。けど、僕は別に祝福が必要ではないからね。至って健康体だよ」

「じゃあ、どうして庇ってくれたんです?」

「人々に追われて困っているようだったから。こちらに逃げてくると思って、先回りさせてもらった」


 逆に怪しい。怪我か病気か呪いの一つでも、小さな祝福で症状を軽くして「はいさようなら」だと思ってたのに。


 私に何も要求しないなんて、変な人。


 青年は「はっ」とすると一礼した。


「まだ名乗ってなかった。僕はリュカ。一人旅の途中さ」

「旅人にしては身綺麗ですね」

「まあね。親からは道楽と言われているよ。幸い、家督を継ぐ立場ではないから、自由にさせてもらっているんだ」


 本当でも嘘でも、詐欺師みたい。

 いつも私の心の片隅には、相手がこちらを利用しようとしてるんじゃないか……っていう、疑念があった。


 普段は耳を貸さないんだけど――


 旅の青年――リュカの声は耳に優しくてどこかホッとする。


 たぶん独りで寂しかったからなんだと思う。


 リュカは黙って私の言葉を待っていた。


「え、ええと……私はマリア。マリア・グレイスと申します。ついこの間まで、第二十三教区で聖女をしていました」

「へえ! あの二十三教区でかい?」


 ああ、やっぱり悪い噂が流れてるのね。あそこの聖女は小治癒しか使えないって。


「はい。このたび、後任ができたのでお暇をいただくことになったんです」

「じゃあ今はマリアさんはどこの教区にも?」

「ええと……見ての通り、独りです」


 聖女の引退にも色々あるけど、大きく分けると二つ。


 生涯現役。お婆ちゃんになって天寿を迎えるまで務めを全うするパターン。アクアリスの聖女はそっちみたい。


 もう一つは、見初められて婚姻。結婚して家庭に入る。


 私みたいに追放されるなんて、たぶん前代未聞ね。


 リュカの紅瞳がじっと私をのぞき込んだ。


「信じられない。君のように心優しく慎ましやかな聖女に代わりを用意するなんて」

「私の力が及ばなかったんです」

「第二十三教区の領民はとてもワガママだと噂に聞いていたけど……どうやら本当だったみたいだ」


 青年は眉尻を下げた。

 アレってワガママだったんだ。他を知らないから普通だと思ってた。


 と、リュカが笑顔になる。


「マリアさんは小治癒しか使えないんじゃなくて、使わないんじゃないかな?」

「え?」

「違うのかい?」


 この人、もしかして気づいてるの? 使えないというのは本当だけど――


「残念ですけど、本当に小治癒までが限度なんです」

「あれ、そうなんだ。男の子の治癒があまりに見事で迅速だったものだから」


 なんとかごまかせた……かしら?


「では、そろそろ失礼しますね」


 立ち去ろうとすると――


「待ってマリアさん。そろそろお腹が空く時間だ。僕もずっと独りの食事で寂しくてさ。今夜くらいは一緒にどうかな? ごちそうするよ」


 青年はどこか恥ずかしそうに言う。


「それって……ナンパですか?」

「うん、そうだよ」


 即答だった。なんだか不思議な人。本当に彼も寂しいみたいに思えた。

 緊張の面持ちで待つリュカ。


「だ、だめかな?」

「わかりました。その素直さに免じてお付き合いします」

「本当かい!?」


 目を丸くしてリュカは少し興奮気味だ。


「自分で誘っておいてびっくりしないで」

「ありがとうマリアさん。嬉しいな。それじゃあ、今夜は少し奮発しないと。さあ、行こう」


 貴族らしく女性をエスコートするように彼は肘を出す。


「は、恥ずかしいです。初対面なのに腕を組むなんて」

「暗い道を出るまでだよ。それに男と二人で歩いていれば、君が聖女と気づかれないさ」


 自信満々だ。仕方ないか。彼の肘に手を伸ばし私は寄り添って歩き始めた。



 向こう三ヶ月は予約でいっぱいのはずの、町一番のシーフードレストランがいきなり貸し切りになった。


 ええっ……と、嬉しさよりも軽く引いてしまった。


 リュカの顔を見て、今夜の予約客全員をレストラン側が別の店に分散させてしまった。


 海辺のテラス席。魔力灯と月明かりの下で、潮騒を聞きながらコース料理を堪能した。


 デザートのフルーツがたっぷり彩られたタルトまでいただいて、食後の紅茶が出されるまで、リュカは私の話に耳を傾けてくれた。


 思えば、誰かとこうして歓談しながら食事をするのって、いつぶりだろう。学園に入学した頃以来かもしれない。


 私が小祝福しか出来ないと知ると、みんな哀れむようになって、いつの間にか独り。


 だからか、つい、胸の奥に溜まっていたものを私はリュカに全部打ち明けていた。


 今夜、この夕食の席までの関係なのだし。


 私のすべてを彼に話した。


 修道院が運営する孤児院で育って、両親を知らない。

 学園では成績ギリギリ。カーストにすら入れてもらえず、孤立。数えるほどの友人はいたけど、卒業年度までにはすっかり疎遠になってしまった。


 先代のブラッド伯に半ば買われるみたいにスカウトされた。給金は聖王国が定める最低ランク。だけど、それでも独りで生きていく分には十分すぎるくらいもらっていた。


 使う暇もなかったし、衣食住も教会だったからお金は貯まった。

 で、ブラッド家が代替わりして、私の後任が大聖女の末裔になった。


 青年は静かに、時々相づちを挟みながらじっと最後まで聞いてくれた。

 話しきったら少しスッキリした。食事の美味しさよりも、寄り添ってくれた彼に感動した。


 リュカは紅茶で唇を湿らせると。


「本当に大変だったねマリアさん」


 聖女を辞める時、酷い言われようにはなったけど、後任不在みたいなこともなく円満だったと思う。


「私は別に……二十三教区の領民たちだって、大治癒が使える聖女ルーシアの方がきっと嬉しいと思うし」


 私の小治癒と違って、大治癒なら痛みもすべて取り去ることができる。私からすれば、取り去ってしまう……なんだけど。


 リュカは首を左右に振った。


「いいや、そんなことはないよ。ワガママな領民に君がこれ以上付き合う義理も無いけれど」


 言うと青年の紅瞳がじっと私を見る。


「ルーシアが大聖女の子孫でも末裔でも、首席卒業だろうと新人には違いない。なまじ学園で成績優秀だから君に対して生意気な口も利いただろうね」


 話してないのにまるで見てきたみたいにリュカは言い当てた。


「ええと……それだけの実力があるってことなんだと思います」

「どうかな。マリアさんは自分の力を低く見過ぎだよ。だって……」


 低く見ているつもりはない。むしろ他の聖女に劣っていると思ったから、私は私なりに奇跡の力を特化させただけ。


 それを、リュカは見抜いてしまった。


「領民たちの怪我も病気も小回復で十分なんだ。大回復なんて無用の長物。だからマリアさんは小回復の精度を高めた。僕の見立てじゃ、君の小回復は一般的な聖女の平均の中回復に相当するんじゃないかな?」

「え、ええと……わからないです。他と比べることなんてありませんでしたから」

「痛みの緩和についても使い分けをしているよね? 鎮痛が必要な相手には痛みを抑え、怪我なら痛みを残す。そうすることで、次に怪我をしないようにしてきたんだ」


 事実だった。最初は痛みも和らげるようにしていたけど、相手に合わせて使い分けている。


「そう……とも言えます」

「話を聞いていてわかったよ。痛みは身体の危険信号だからね。安易に取り除くことばかりしていると、今度は身体の方が痛みに鈍感になってしまう。身体が本来持つ自然治癒の力が育たない。それもあって、君は小治癒を極めたんだ」

「え、ええと……」


 リュカの早口が止まらない。


「一々、奇跡を起こすために祈りの言葉を唱えなければいけない大治癒では、一人は救えても多くの領民にまで行き渡らない。触れるだけで癒やすなんて、初めて見たよ。びっくりした。君は僕の常識を軽く飛び越えていってしまったんだ」


 小治癒でも二言、三言、祈りの言葉が必要だった。一人二人が相手ならいいけど、日に百人も二百人も相手にするのに、祈っている時間がない。


 反省するなら、寄り添ってあげる言葉を掛けられなかったこと。


 それさえも惜しまないと、全員に治癒も解呪も祝福も出来なかったから。


 誰にも言うつもりはなかったけど、リュカが私の代わりに全部言ってくれた。


 ただの貴族のお坊ちゃんではないみたい。


「貴男……いったい何者なの?」

「旅人……だけど」

「普通じゃないわよ。このお店、三ヶ月は予約でいっぱいなのに突然貸し切りにしちゃうなんて」

「君と二人で話したかったんで……つい」


 つい、で出来ることじゃない。怪しいを通り越して、本当にいったい何が目的なのかさっぱりわからない。


「教えて。貴男の旅の目的を」


 カップをソーサーに置いてリュカは言う。


「詳しいことは言えないけど、各地の聖女の状況を視察しているんだ。前々から、このセラフィナ聖王国と聖女のあり方について考えてきた。ほぼ一巡して……旅の終わり際に君と出会えて、思ったよ。地域差はあるけど、どの聖女にも負担がのしかかっているって」


 負担と言えばそうかもしれない。教区に一人が原則だから、交代制にもできないし。


「聖女とはそういうものだと、私は教えられてきました」

「民が聖女に頼りすぎていると感じる一方、聖女無しにこの国の平和と秩序は守れない。今こそ、新しいルールが必要だ」


 と、言い切ったところでリュカはうつむいた。


「ただ歴史上、一つの教区に二人の聖女を置くことで内紛が起こってきたのは事実だから……良い方法はまだ見つからないよ」

「リュカ様が考えなければいけないことなのですか?」

「他にいないんだ。ははは……」


 青年は力なく笑う。彼も彼の居るべき場所で、孤立しているのかもしれない。


 リュカが首を傾げる。


「君はこれからどうするのかなマリアさん?」

「私もリュカ様と同じです。もしかしたら答えなんて探しても用意されていないのかもしれないけれど」


 世の中、正解があることの方が珍しい。


 青年はうなずいた。


「けど、探し続けるしかないんだろうね、僕たちは……生きている限り。今夜はとても有意義だった。ありがとうマリアさん」

「こちらこそ。いい夜でした。ありがとうございますリュカ様」


 予約していた他のお客さんたちには悪いと思うけど、気が引けるなんて言ったら、もてなしてくれたリュカが気を悪くする。


 と、その時――


 黒衣の男たちがテラス席にやってきた。


 リュカの前に並んで膝をつく。


 あれ? 一人旅じゃなかったの? 姿を見せただけで五人も。リュカと一緒にいたのに、人の気配なんてレストランの従業員くらいしかなかった。


 男たちは突然、ふっと湧いて出てきたみたい。


 代表が口を開いた。


「おくつろぎのところ失礼いたします殿下。次の視察先に向かわせた伝令から、報告書が届いております」


 厳つい黒衣の集団。リーダー格が手紙をリュカに差し出す。


 って、今、殿下って呼ばなかったかしら?


 大貴族どころか、ええと……殿下って確か……王族?


 リュカは大きなため息で配下らしき男に言う。


「これだから店ごと人払いをしたのに……まったく」


 手紙を受け取り開くと、青年はさっと中身に目を通す。


 いったい何者なの? そういえば名前だけで姓は明かしていなかった。


 リュカは手紙を封筒に戻すと顎に手を当てる。


「なるほど。これは急いだ方がいいね」

「なにかあったのですかリュカ様?」

「君の古巣で暴動になりかけているみたいだ」

「えっ!? 古巣って……第二十三教区でですか?」


 先代ブラッド伯の頃は、暴動なんて一度も起こったことがない。ダミアンが何かやらかしたのかしら。


 リュカはテーブルに身を乗り出すと、私の手を包むように両手で握った。


「マリアさん。君も無関係ではないんだ。こうして出会えたのも女神セラのお導き。今から僕と一緒に二十三教区に来てくれないか?」

「ええええッ!? い、今からですか?」

「途中で馬を換え馬車を夜通し走らせれば明日には着くだろう。揺れがあるからゆっくりは眠れないだろうけど」


 本気なの? と、問うまでも無く部下の一人がレストランの支配人に、たっぷりお金の入った袋を渡していた。


「それに私は教区を追放された身ですし」

「大丈夫だよ。僕がなんとかする」

「なんとかって……ブラッド伯が黙っていませんよ?」

「今のブラッド伯はハナタレのダミアンだからね。大丈夫大丈夫」


 伯爵家の当主をハナタレ扱いする、殿下と呼ばれた青年。


「リュカ様が何者かちゃんと教えてください」


 膝を屈したままの黒衣の男たち。リーダーが「無礼な」と立ち上がろうとするのをリュカは手で制した。


「わかった。話すよ。僕はリュカ・セラフィナ。この国……セラフィナ聖王国の第三王子さ」

「本当に王子様なんですか!?」

「兄二人と違って、父上にはたっぷり甘やかされて育ったからね。あんまり王族っぽくないって、よく言われるよ」


 それならレストランをいきなり貸し切ってもおかしくないし、殿下と呼ばれるのも当然だった。


「わ、わかりました。殿下がおっしゃるのであれば、ご一緒いたします」

「今まで通り、普通に接してくれると嬉しいんだけど。やっぱり僕が王族だと気を遣わせてしまうよね」

「当たりまえです! はうっ……すみません。大きな声を出して」

「ううん。気持ちの良いツッコミだったよ。じゃあ、善は急げだ。第二十三教区の状況は、馬車の中で伝えるよ」


 レストランを出ると店の前には四頭立ての大きな馬車と、黒衣の男たちの駆る馬が用意されていた。


 リュカ曰く、影の騎士団。一人一人が一騎当千。加えて隠密行動にも長けている。聖王国内を社会勉強のために巡り回った第三王子の護衛部隊だった。



 馬車は夜通し走り続けた。何度か休憩を挟み、護衛と馬車馬の交換が大きな宿場で行われる。


 リュカが手紙で知った情報を共有した。


 平たく言えば後任、ルーシアが失敗を繰り返して教会に引きこもり、聖女の職務を放棄してしまったみたい。


 おかしいな。私でも出来たのに。と、少し意地悪な気持ちが芽生えた。


 けど、リュカと話してわかったことがある。


 二十三教区民は、私の「早さ」が標準になってしまっていたみたい。ルーシアはなんなら私よりも、もっと早く治癒してくれると期待していたんだと思う。


 大治癒が効き過ぎてしまって、自然治癒力が低下して体調を崩す人間もいた。


 解呪だって私の小解呪は時間をかけて、何度かに分けて呪いを分解していくのだけど、ルーシアの大解呪は一回で完了する分、受ける側の精神的な負担が大きい。


 しばらく無気力症状に陥った者が出始めた。


 祝福も反動で不幸になったとか、それが全部ルーシアのせいにされてしまったみたい。


 ……自業自得というのは気の毒かも。領民たちがワガママになったのって、私の責任でもあるのだし。


 リュカは「領民の意識を変えないといけないね。マリアさん」と深刻そうだ。


 馬車は暗い夜を行く。


 キャビンでリュカと並んで仮眠を取った。肩を寄せ合い、二人で毛布を共有した。


 疲れていたのかリュカはあっという間に寝息を立てた。最初は私も緊張していたけど、すぐに眠りに落ちた。


 この人の隣は、なんだかとても温かい。


 馬車の揺れが大きくても、不思議とぐっすり眠れてしまった。


 そして――


 朝陽と共に第二十三教区に戻る。旅立ってからちょうど、二週間ぶりだ。


 こんなに早く……ううん、もう二度と足を踏み入れることもないと思っていたから、自分でも驚く。


 馬車は広場から少し離れたところに停車した。


 教会前に区内の領民が集まって、朝から抗議の声を上げていた。その数は太陽が高くなるにつれ、増えていく。


「聖女を出せ!」「早く治療しろ!」「このうすのろ!」「首席卒業が聞いて呆れる!」「本当に大聖女の子孫なのか!」


 確かに暴動一歩手前だ。正直な気持ちを言葉にするなら……うわぁ……である。


 領民たちの呼びかけに、ルーシアは姿を現さない。教会の正面入り口の扉は固く閉ざされ、ダミアン配下の護衛兵士が領民たちに睨みを利かせていた。


 けど、人数差がえぐいことになっている。


 しびれを切らした領民たちが教会になだれ込んでしまいそう。本当に間一髪、間に合った感じね。


「ともかく、今はルールは無視して一旦、私がルーシアのヘルプに入ります。彼女ができないというなら、復帰まで臨時で……」


 馬車を降りようとした私の手を殿下が掴んで首を左右に振る。


「どうやら手遅れだったみたいだ」


 広場に集まった領民を蹴散らすように、軍馬の一団が人混みを斬り裂いた。


 軍馬の中心にダミアンの姿があった。


「解散しろ! 愚民ども! 散れッ! 散れッ!」


 馬の突撃に巻き込まれた領民がいてもお構いなしだ。


 人々がダミアンに声を上げた。


「それが領主のすることか!」「なんで聖女が出てこないのよ!」「お母さんを助けて! お願いです! お母さんを助けてください領主様!」


 罵声罵倒の中に少年の声が溶けて消える。さらなる怒りの声が上書きしてしまった。


 私はリュカを見つめる。


「どうか止めないでください殿下」

「今は双方、気が立っている。危険だ。僕が行こう」

「殿下にも聞こえたはずです。人々の怒りの声の中に、男の子の救いを求める声が……私でないと……いけないんです」


 ああ、やっぱり。どれだけ言われても……私って、この生き方しか知らないんだ。


 リュカの紅瞳が一度揺らいだ。けど、すぐに青年は小さく頷く。


「わかった」


 そっと手を離すと、殿下は馬車を囲む影の騎士団に目配せした。


 私はそっと首を左右に振る。


「領民たちは武力を恐れます。大丈夫……私を信じて」


 一騎当千の騎士たちを連れて出て行けば、火に油を注ぐようなものだ。


 私はキャビンを降りて教会の人混みに向かい、歩みを進める。


 馬車に轢かれて倒れたままの領民に駆け寄ると、小治癒で癒やした。


「あ、あんたは……マリア……様」

「戻ってきちゃいました」


 途端に領民たちから「おおおおお!」やら「奇跡だ!」なんて声が上がり始めた。


 本当にゲンキンな人たち。私を追い出しておいて手のひら返しが早すぎる。


 今は、なんだっていい。


 事態の収拾が最優先ね。これをルール違反といって私を処罰するというなら、してみなさい。


 私は倒れた人々を治癒しながら少しずつ前へ。


 領民たちが左右に割れて道を作った。


 異変に気づいてダミアンが馬を180度ターンさせる。


「な、な、なんだ貴様! マリアではないかッ!! 追放したというのにノコノコと!!」


 挨拶している場合じゃない。


「マリア様! お母さんを助けてください!」


 少年の声が響いた。


 彼の父親が女性を背負っている。ああ、悪い呪いにかかっている。母親は身ごもっていた。お腹の子供を悪いものに狙われているのね。


 悪霊か魔族か。出産に耐えられないし、生まれてくる赤ちゃんが人間ではないかもしれない。


 ダミアンが後ろでギャーギャー騒いでるけど、無視して近づくと身重の母親のお腹に触れた。


 小解呪……一度では解ききれないか。母親は苦しそうだ。


「大丈夫よ。すぐに良くなるから」


 声を掛けながら小治癒で母親を癒やし、再び小解呪。細かく重ねる。祈りをこの手に込めて。どうか、生まれ来る新たな命に祝福を。女神セラの加護がありますように。


 お願い……どうか、がんばって。


 三度、四度、五度目の小解呪で――


「もう、安心ね」


 力を重ねがけするのって、普段は滅多にしないから一気に消耗してしまう。


 こういう時、大治癒とか大解呪が使えればって思う。


 それでも、私なりにベストを尽くした。


 ずっと苦しげだった母親が、まるで子猫のようにすやすやと寝息を立てる。

 少年が涙を浮かべた。


「ありがとう聖女様!」


 彼の父親も深々と頭を下げて「悪かった。あんたに酷いことを言った。許してくれなんてとても言えない。ただ……本当に……ありがとうございます」と、泣き崩れた。


 取り囲んで見ていた領民の誰かが拍手する。それは一気に広がって、私への称賛と謝罪の声とともに注がれた。


「マリアだ」「マリア様って本当はすごい人だったのね」「俺たちなんてことを」「すまねぇ! 本当にすまねぇ!」「マリア様最高だよあんたって人は!」「見捨てられたんじゃなかったんだ!」


 全員一列に並べて端から端までひっぱたいてあげようかしら。


 私は馬上のダミアンに向き直り対峙した。


「聖女がその力を発揮できるよう、環境を整えるのも貴男の役目でしょ?」

「くっ……俺だってそうしたさ! あの女……前評判だけの見かけ倒しの無能じゃないか! 俺は悪くない! この程度でへこたれたルーシアが悪いんだ!」


 この期に及んで聖女を支えるどころか、責任転嫁なんて最低ね。


 ダミアンは馬上で剣を抜いて私に切っ先を向けた。


「この女を捕らえろ。ルールを破って戻ってきた大罪人の魔女だ」


 酷い言われよう。だけど――


 ダミアン配下の兵士も騎士も動こうとしない。


 ボンボンボンクラブラッド伯が悲鳴を上げる。


「な、なにをボーッとしている! とっとと言われた通りにしろ! バカどもが!」


 あっ……まずいかも。


 捕まっちゃう。と、思ったら――


 騎士も兵士もみんな、ダミアンの命令を無視した。


 見れば顔なじみが多かった。訓練中の擦り傷切り傷から、近隣の魔物討伐で重傷になった者まで、私が一度は治療した人ばかりだ。


「命令無視とは良い度胸だ! 全員クビだ! 降格だ!」


 ダミアンが馬を下りて剣を手に私に迫る。


「この場で俺が処断してやる このバカどもめ!」


 どこからか声が上がった。


「バカはどっちだクズ領主!」


 そこからは領民たちのダミアンに対する怒りの声が次々と洪水となって押し寄せた。


 確かにダミアンは救いようが無いけど、あなたたちだって酷いわよ。


 自覚が無いところとか。流されやすいところとか。


 ダミアンが私に切っ先を向ける。


「邪魔するヤツは容赦なく叩き斬るぞ!」


 剣を振り上げたバカ貴族。その時――


 背後から「ごめん遅れた」と、温かい声がした。


 声の主は私の前に出る。背中の常闇色をしたマントを翻してダミアンに立ちはだかる。


「聖女に切っ先を向け、剣を振り上げたなブラッド伯。この状況……領民の皆が証人だ。申し開きはできないと思え」


 颯爽と現れ宣言する銀髪紅瞳の青年は、言うなり剣を抜いた。


 リュカだ。


 本当にヒヤヒヤさせるんだから。必ず、危なくなったら助けてくれるって勝手に信じてたけど。


 剣を抜いた二人。


 リュカとダミアンが対峙する。きっと、ダミアンが決定的な行動に出るギリギリまで殿下は待っていたんだ。


 私はといえば、いつのまにか領民の人混みの中から姿を現した影の騎士団が、四方をがっちり固めて完全護衛状態になっていた。


 ダミアンはこの場で武力を持つのが自分だけとでも思ってたみたい。


 突然現れた銀髪の青年と、それに付き従う屈強な黒装束の男たちに悲鳴を上げた。


「なんだ貴様らはぁッ!?」


 リュカが剣を手に息を吐く。


「しばらく会わないうちに僕の顔を忘れたのかい? ハナタレダミアン」

「し、しし失礼な……って、その呼び名……銀髪に……王家の紅瞳……ま、まさか」


 バカ貴族が口をあんぐり開いて手から剣をこぼした。


「そうだよ。僕さ……リュカ・セラフィナだ。偶然、南の町でマリアと出会ってね。聞けばずいぶんとひどいことをしたようじゃないか」


 セラフィナの家名に領民たちは震え上がった。


 王家の人間だ。王太子や第二王子が公務で人々の目に触れることが多いので、その顔が他二人よりも知られていないこともあって……私も王太子の肖像画をみたことがあるくらいだけど。


 ともかく、王子様が突然、一教区に現れるなんてみんな思ってもみなかったみたい。


 広場が静まりかえった。


 ダミアンが震え声になる。


「こ、ここここれは殿下! い、いやいやいや、このたびは本当にお騒がせいたしました。しかも、この二十三教区の危機にマリアを……聖女マリア様を御身自らお連れいただけるとは! なんたる幸福! これは運命でしょう! 再びマリア様をこの教区の聖女として任命いたします!」


 リュカは切っ先をダミアンに向けた。


「どうやら君は先代のブラッド伯にも及ばないようだ。今回の騒乱の元凶として、きちんと罪を償ってもらうよダミアン」

「ひいいいッ! 俺が悪いんじゃないんです! ルーシアだ! あの小娘が全部悪いんだ! おい出てこいこの卑怯者! お前なんて最初からいらなかったんだ! 追放だ! 追放だ! 追放だ!」


 ダミアンは固く閉ざされた教会の扉に向けて吠え立てた。

 あの扉の向こうに……ルーシアがいるのかもしれない。


 私を哀れんだ彼女だけど、すっかり立場が逆転してしまった。


 リュカが影の騎士団にハンドサインで指示する。


 ダミアンは拘束された。


「おいやめろ! なにをする!」


 黒装束のリーダーは「殿下の御前だ。これ以上醜態をさらすな」とドスの利いた声でバカ貴族を黙らせた。


 私は教会の扉を見つめる。


 集まった人々が再び左右に割れて道を譲った。


 歩み進んで扉の前に立つ。


「そこにいるのかしら……ルーシア」

「…………」

「大変だったでしょう」

「ごめん……なさい。あんなに酷いことを……言ってしまって」


 内側からゆっくり扉が開いた。


 最初に出会った時の清楚で可憐な少女が、目の下にくまをつくって憔悴しきっていた。


「マリア様のようには……なれなかった。聖女の務めがこんなに大変だなんて……思わなくて」

「そうよね。慣れるまではちょっと大変かも」

「な、慣れるまでって……あんな地獄になれるもなにもないわよ」


 ルーシアはルーシアなりに一生懸命やっていたみたいね。だけど、大治癒も大祈祷も大解呪も、一教区で使うには消耗しすぎる。


 私は今にも倒れそうなルーシアを抱き寄せて頭を撫でた。


「うっ……ううっ……うああああああああああああああああん」


 子供みたいに泣き出しちゃった。


 私は彼女を抱きしめながら領民に向き直る。


「みんな聞いて。聖女だって人間なの。そりゃ、女神様の加護を受けて奇跡は起こせるけど、この力を誰かのために使わないといけない。自分には使えないの。だから……みんなは聖女の奇跡に触れることがあったら、感謝をして……少しはねぎらってあげて。いつも聖女様頼りっていうのもね……頼られて嬉しいけど、限界になっちゃう時もあるから」


 領民たちが下を向く。

 みんな少しはわかってくれたのかしら。この一時だけでも、反省して欲しいわね。


「あと、私って他の聖女とは違って、なんとかこなせてしまったけど、偶然そういう適性があっただけだから。これからは、みんなで協力しあってね。ルーシアは大きな力を使うことが得意なの。あんまり細かなことには対応できないの。ちょっとした疲れとかなら、よく食べて、よく寝て、自分たちでなんとかしなさい」


 途端に領民たちがざわついた。


 ルーシアよりマリアがいい。みたいな空気になっている。


 泣きすぎて目を真っ赤にしたルーシアがイヤイヤと首を左右に振る。


「どうかマリア様がこの区の聖女になってください。あたしじゃ無理です。追放なら、あたしがされますから」

「ダメよ。貴女が私の後任なの。ほら、元気を出して」


 私は――


 ルーシアに小治癒の奇跡を施した。学園時代に奇跡の実習で、よく生徒同士で奇跡の掛け合いをしていたのを……遠目に見ていたっけ。


 相手、いなかったから。


 ルーシアの顔色が戻り、少しだけ彼女は元気を取り戻した。半ば、強制的にだけど。


「はうっ……これって本当に小治癒なの!? 一瞬でここまで回復させるなんて……すごい……マリア様って。もしかして、この力を磨き続けていたんですか?」

「貴女の大きな才能に比べたら、細やかなものよ」

「そんなことありません! あたし……自分が本当にダメだってよくわかりました」


 聖女は聖女の生き方しか選べない。ここでルーシアが自分の意思で追放を承諾しても、彼女はこの先ずっと、聖女の運命に背を向けて迷いながら生き続けるかもしれない。


 私自身が自由になって、何も見つけられなかったように。


 大聖女リディア様の子孫ともなればなおのこと。


 それに――


 私にざまぁしてくれたのだから、逃げて楽になろうなんて絶対に許さない。


 聖女として一人前になってもらわないと。


 ルーシアの背中を優しくさすってから告げる。


「大丈夫よ。貴女ならきっと上手くできるから。次は領民のみんなも協力してくれる……そうよね?」


 教会前広場に押しかけた人々に私は笑顔で続けた。


「みんなもルーシアに助けられたら、今度はルーシアを助けてあげてね」


 誰もが心の中で胸に手を当て反省し、ぐうの音も出なさそうにしている。


 もう、私の手を煩わせないわよね。


 ルーシアはそっと離れると領民たちに頭を下げた。


「力不足でごめんなさい! これからは心を入れ替えて、マリア様に少しでも近づけるように努力します。よろしくお願いします!」


 人々は――


「ごめんなルーシア様!」「俺らが悪かった!」「こっちこそ迷惑かけちまった!」「追い詰めるようなことばかり言ってごめんなさい!」「あんたに頼りすぎないようにするから、どうかいなくなんないでくれよ!」


 って、本当に手のひらの回転がなめらかなことで。


 ま、いいか。丸く収まったし。


 ホッとしたところに――


「では、この僕……リュカ・セラフィナが更迭したブラッド伯に代わって承認する。第二十三教区の聖女は引き続きルーシア・エメリッヒが務めるものとする」


 王族の宣言で、この騒乱はようやく終幕を迎えた。


 かに見えた。


 リュカが私に訊く。


「マリアはどうするんだい?」

「これから考えます」

「なら、僕から提案があるんだ。たった今、君がルーシアを癒やしたのをみて、やっと見つけることができたよ」

「なにをです?」

「新しい聖女のカタチさ」



 私は旅をするようになった。といっても、拠点は王都にある。というか王城だ。


 最初はリュカの申し出に耳を疑ったけど――


「本気ですか殿下?」

「本気だよ。君の負担が少しでも軽くなるよう、僕がいつでもそばにいてサポートする……だからこれからは、二人で一緒に旅をしよう」


 ということで、リュカの視察の旅に私は同行することになった。


 ま、二人で一緒とはいったけど、リュカは王族なのでいつもどこかで影の騎士団の護衛がついてるのよね。


 で、何をしたかといえば、聖王国内の各教区を回って、問題を抱えているようなら今回の第二十三教区のように、解決のため行動する。


 他にも疲れている聖女には、私が小治癒をして回復させる。


 私は特定の教区にしばられない、まったく新しい役職を与えられた。


 教区に聖女が二人いることで対立が生まれる。その問題解決の一つの解答だ。なにせずっとはいないのだから、派閥が形成されることもない。


 そして――


 聖女は自分を癒やせない。大聖女リディア様でもそうだったので、私が聖女を癒やす専属の聖女になったってわけ。


 聖女のための聖女。自由聖女マリア。いつしかそう呼ばれるようになった。


 それからしばらくして――


 ルーシアは私にならって小治癒の技術を磨くようになったみたい。さすがというか、天才なのね。あれからすぐにモノにしてしまった。


 あとで彼女に聞いたけど「マリア様というお手本があったからです! あたしは真似しただけですから!」なんて、謙遜しちゃって。


 私の時と決定的に違うのは、第二十三教区の領民がちゃんと反省したみたいで、なんでもない時にまで聖女に頼らなくなったこと。


 なんとか上手くやっていけてるみたい。先輩として鼻が高い。後方で腕組みしたい気分ね。


 聖女との関わり合いも、全国的に教会の説法に組み込まれて領民たちが過度に依存しないようにと、教化がされるようになった。


 リュカの行った改革の一つだ。


 で、今回の混乱の元凶だったブラッド伯ことハナタレダミアンは、管理能力の欠如に加えて聖女に刃を向けた罪でブラッド家がお取り潰し。


 ダミアン本人は鉱山で無期労役。同情の余地はないけれど、今度慰問で鉱山を訪れたら、いっぱい働けるようにたっぷり小治癒してあげましょ。


 私はリュカのパートナーとして国中で悩む聖女と領民たちの関係を取り持ち、ほどけそうな絆を結び直していった。



 三年の月日が流れた。


 ルーシアは一人前に成長して、後輩に第二十三教区を任せると、彼女が私の後を継いで自由聖女になった。


 リュカは聖女改革の功績から公爵になった。王家から独立し、新たにルクスヴィルという家名を任された。


 私はといえば――


 ルクスヴィル公爵夫人。リュカと結ばれて聖女を引退。


 だけど、私もリュカも放浪癖というか、旅をするのが日常になってしまったから……。


 家のことは家中の者に任せて、今日も旅をしながら困っている人々や、その土地の聖女たちをこっそり助け続けている。


 船の上から次の目的地の港町が見えた。


 隣でリュカが私に優しく微笑みかける。


「君とならいつまでもこうしていたい。愛してるよマリア」

「リュカ様、人前で恥ずかしいです。それに護衛のみんなも呆れてますよ」

「いいじゃないか。もう騎士団も慣れっこだよ」

「もう! 二人きりのときだけでいいのに」

「赤くなる君が見たいんだ」

「ばか……」


 追い風を帆に受けて船は進み、間もなく入港する。

 子供を授かるまでは、もう少しだけこの旅の時間を楽しんでいたいと、心から願った。

※7/12 文章途切れがあったので加筆修正しました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] >なんとか上手くやっていけてるみたい。先輩として鼻が高い。後方で腕組みしたい気分ね。 ここで「アイドルの彼氏ヅラ応援してるファンじゃないんだからさwww」とニヤニヤしてしまいました。 ルー…
[一言]  聖女のための聖女という一風変わった切り口のお話は他で見ることがなかった(あるのかな?)ので、単に人の助け合いと違う根の深さ(自分を癒せない)を感じる教訓めいたものとしてよくまとまっていると…
[一言] まあ聖女に安易に頼る民衆の意識改革こそが必要だよね そのための第一歩も踏み出せたみたいだし良かったかな ハナタレは最後まで悔い改められなかったんだろうなあ
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