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*異世界恋愛*

前世の知識でお弁当屋を開きましたが、仕事仲間の第二王子から溺愛されるなんて聞いてません

 



Q.婚約破棄に必要なものは何でしょう?

A.婚約していることです。




「あああ、いいな~。冷徹な婚約者から婚約破棄を突き付けられて絶望する主人公の前に現れる、婚約者よりもハイスペックなヒーロー!」


 ぼろぼろになるまで読み込んだ、訳あり令嬢の恋物語をぱたんと閉じる。

 ……というか新しいものを買えないからぼろぼろになってしまったんだけど。


 そう、わたしはあまり裕福ではない伯爵家の令嬢。名前をアドリエンヌ・アドルワンという。

 お父様譲りの金髪と、お母様譲りのエメラルドのような瞳で、見た目だけならザ・貴族。

 だけど着るものはすべてお母様のおさがり。ほつれたところは繕いながら使っている。

 贅沢なんて夢のまた夢。流行は遠い遠い彼方。夜会、何それおいしいの?


 そんなわたしには誰にも言えない秘密がある。


 前世でのわたしは日本人女性。

 実家がお弁当屋で、お店は古くから地域の人々から愛されていた。

 OLとして働いているけれど、いつかは実家を継ごうと思っていた。


 前世の記憶が蘇ったのは5歳のときだった。

 領民と一緒になって汗水垂らすお父様に連れられて、訪れた領地内の田園。

 田んぼに水が張られている光景を目にしたとき、ぶわーっと頭のなかに流れ込んできた、もうひとりの人生。

 何が何だか分からずパニックになって泣き喚いたけれど、それが、前世のわたしだと気づいたとき、わたしは決めたのだ。


 前世の知識を活かそう!

 貧乏な我が家を、我が領地をなんとか盛り立てよう! ……と。


 ラッキーなことに我が伯爵領の特産品は『米』。

 わたしはお弁当を領地の名物にしようと決意して、なんやかんやしている内に――気づけばイケメンの貴族令息から婚約を申し込まれることもなく、19歳になっていた。


 明日はわたしの20歳の誕生日。

 そして、お弁当屋の開店日なのだ。


「アドリエンヌ。明日が開店日だというのに、まだ寝ていないのかい?」


 部屋から明かりが漏れていることに気づいたお父様が、扉の外から声をかけてくれた。


「お父様、お気遣いありがとうございます。もう明かりを消しますわ」


 貴族令嬢としての婚期を逃した今、結婚は諦めた。


「わたしにできることは前世の知識でチート人生よ……ふふ……ふふふふふ……!」




§




 いよいよ、ついに!

 お弁当屋がオープンする。

 店名は『ホカベン』。場所は、領地でいちばん景色のいい湖畔にした。

 湖は、向こうが見えないくらいの大きな湖は立派な水源でもある。


 三角巾に割烹着で、わたしは気合を入れる。これがわたしの戦闘着だ。


「よしっ」


 令嬢らしからぬ気合を入れてしまったけれど、仕方ない。だってわたしの前世はワーカホリックな日本人。


 まずは領地内でお弁当文化を広めて、ゆくゆくは、領地外からの観光客を見込んでいる。

 伯爵令嬢自ら手売りする謎の食事ことお弁当のラインナップは、3つに絞った。


 まずは『ノリベン』。

 ほかほかの白いご飯の上にはつやつやとした海苔。その間には、しょうゆおかかが隠れている。

 具材はちくわの磯辺揚げと白身魚のフライ、それから甘辛いきんぴらごぼう。

 柴漬けもちょこんと添える。


 ふたつめは『シャケベン』。

 これは白いご飯じゃなくて、お揚げさんとにんじんの炊き込みご飯にした。

 焼き鮭の切り身に海老フライ。きんぴらごぼうと柴漬けは『ノリベン』とお揃いだ。


 みっつめはスペシャルメニュー『カラアゲベン』。

 たっぷりのから揚げが堂々たるメイン。

 ほかほか白いご飯には梅干し。もちろん、きんぴらごぼうと柴漬けも添える。


 ……いや、自分でも感心する。よくこれだけ日本のお弁当を再現できたものだと。

 それは5歳から現在に至るまでの血のにじむような努力の賜物といえる。偉いぞ、わたし。

 貧乏貧乏と言っているものの、なんだかんだ、領主の力もすごい。ありがとう、お父様。

 だからこそわたしはこのお弁当プロジェクトを成功に導かねばならないのである!


 厨房から美味しい香りが漂ってきた。

 あぁ。今この瞬間、わたしがいちばん嬉しいと思う……。


「皆さま、大変お待たせしました。『ホカベン』、開店いたしますわ!」


 事前告知もしっかりとしておいたおかげで、店には行列ができていた。


「開店おめでとうございます、お嬢さま」

「どれもふしぎな見た目ですね」

「だけど、いいにおい~。どんどんお腹が空いてきちゃいます」

「とりあえずひとつずつください!」


 次々とお客さんがお弁当を買い求めてくれる。

 負けじとわたしも声を張り上げた。


「美しい湖を眺めながら、美味しいお弁当はいかがですか~!」


 うんうん、順調な滑り出し!

 キッチンでは従業員の皆さんががんばって調理にあたってくれている。

 お弁当屋が繁盛すれば雇用も生まれる。ゆくゆくはチェーン展開していきたいというのは密かな野望だ。


「いらっしゃいませ!」

「お待たせしました!」

「ありがとうございます!」


 お客さんはひっきりなしに訪れた。

 おかげで予定していたよりも早く、初日は完売してしまった。


 湖畔には狙い通りお弁当を楽しむ人々が溢れている。やったね!


「ありがとうございましたー!」


 最後のお客さんを見送ったところで、突然、目の前に箱馬車が現れた。

 箱馬車ということは他の領地のお偉いさんだろうか。

 初日から噂を聞きつけてやって来たとはなかなかな情報通だ。


「ここが『ホカベン』か?」


 ひげをたくわえた御者がわたしを見下ろした。


「はい。すみません、ですが、今日はもう完売してしまって……」


 キッチンへちらりと視線を向けると、従業員の皆さんはぐったりしながら清掃作業に取り掛かっていた。

 いくら位の高い方が来店されたとはいえ、今からお弁当を作るには時間がかかりそうだ。


「……残念だ」


 箱馬車の窓が開いた。そして、低い声が聞こえてきた。

 中の御方と視線が合う。


 烏の濡れ羽のような美しい黒髪に、海よりも深い青色の瞳。そして、右目の下には、泣きボクロ。


「ベントウというものがどんなものか見てみたかったのだが」

「あ、あわわわわわ」


 待って。

 黒髪といえばこの国では王族の証なのだ。と、いうこと、は。


 口をぱくぱくさせている間に、中の御方が降りてきた。

 黒地に金を基調とした装いの襟についている紋章は間違いなく王家の鷹。

 すらりと背が高く、肩幅が広い男性は、薄い笑みを浮かべた。


「私の名はフェルディナン」

「アドルワン伯爵令嬢、アドリエンヌと申します」


 しまった! 割烹着だとカーテシーがしづらい!


「そうかしこまる必要はない。今日は公務ではなく、興味本位で訪れただけだ」


 はー……美形はどんな表情でも絵になる……じゃなくて。

 フェルディナン、ということは、間違いなくこの国の第二王子様だ。


 興味本位でわざわざここまで?

 という疑問はわたしの表情にばっちり現れていたらしい。


「私は経営に興味があり、各地の新店や新業態を視察して回っている」


 興味本位とおっしゃっていたけれど、それってやっぱり公務の一環では。


「明日、共に店頭へ立たせてもらえるだろうか」

「えっ!? 殿下自ら、で、すか……?」

「それ以外に誰が?」


 御者が後ろで首を横に振った。

 そして当然ながら、誰でも王族の申し出を拒否することなんてできない。


「か、かしこまりました……」


 わたしは震える声で、なんとか了承した。




§




 翌日。

 宣言通り、殿下は開店前に姿を現した。


「……以上が『ノリベン』、『シャケベン』、『カラアゲベン』の説明ですわ」

「分かった」


 しかも自ら進んで割烹着と三角巾を身に着けた。

 え、いいの? わたし、これ、不敬罪に問われない?


 わたしの横に立つ両親も同じ気持ちのようで戦々恐々としている。

 ちなみに昨晩は湖畔の向こうにある別荘に宿泊されたそうだ。


「おおお、恐れ入ります、殿下。本当によろしいのでしょうか」

「私がいいと言っている。それに何か問題が?」


 両親は縮こまって何も言えなくなってしまった。無理もない。

 まさか、開店当日に王族が視察に来るなんて夢にも思わないだろう。しかも翌日、共に働きたいと言われてしまうだなんて。


 わたしは腹を括って殿下へ進言する。


「よろしければ、ご試食はいかがでしょうか」

「ありがたい。やはり商品の中身を知っていなければ、販売員として説明に不足が出かねないからな」


 ほかほかと湯気の立つ、三種類のお弁当。

 従業員の皆さんの視線が痛い。

 大丈夫です。味はわたしが保証しますから……王族の舌に合うかは、知らんけど……!


「変わった見た目だ」


 フォークを使って、ひとくち。


 周囲が固唾を飲んで見守るなか、殿下は黙々とノリベンを食べ進める。

 ぱくぱく。もぐもぐ。

 食べる所作も美しい。


「揚げ物の衣はカツレツよりも軽いのだな。元は液体なのか? ふむ。魚の切り身もこうやって揚げるとまた違った味わいだ。それにこの甘辛い副菜は、初めて口にする味付けだ」

「きんぴらごぼうといいます」

「これは是非とも広めていきたい味わいだ。食感もいい。それに、添え物の野菜も面白い」

「漬物といいます。ピクルスのアレンジと捉えていただければ」

「……はっ!」


 殿下の瞳が大きく見開かれた。周囲に緊張が走る。


「この揚げた鶏肉……これはいったい何なのだ……とてもジューシーで、噛めば噛むほど口のなかに広がる旨味が食欲をさらに増進させる……!」


 新発見。王族でもから揚げは美味しく感じるらしい。


「美味い!」


 初めて、殿下が美味しいという表現を使った。瞳がきらきらと輝いている。


「美味すぎる! どうして今まで知らなかったのか後悔するレベルだ!」


 分かります、殿下。から揚げって美味しいですよね……。

 しかも殿下は20代前半。から揚げを一番美味しく食べられるお年頃のはず。


 そしてあっという間にみっつのお弁当は空になった。


「どれもいい味わいだった」


 わぁっ、と歓声が上がる。中には泣いている従業員さんもいる。

 かくいうわたしもなんだか泣きそうだ。


「これは繁盛するだろうな」

「ありがとうございます!!」


 感謝の声を上げたのはお父様だ。


「さぁ、開店の準備をしよう。今日も行列ができている」


 殿下の視線に気づいて外を見ると、昨日より行列が長くなっている。

 これは……気合を入れなければ……!




§




 殿下はわたしたちがびっくりするくらいよく働かれた。

 陣頭指揮を取ってくれて、てきぱきとさばいていくその様はとても鮮やか。


 そしてお弁当は、初日よりも早い時間に完売してしまった。


「皆、ご苦労だった。ゆっくり休むといい」


 ぐったりとした空気のなか、殿下だけが疲れひとつ見せずに立っている。

 汗ひとつかいておらず、涼しい顔をしている。

 わたしなんてなけなしの化粧が全部落ちてしまったというのに。ちょっとうらやましい。


 皆が割烹着を脱ぎはじめるなか、殿下がキッチンへ足を踏み入れた。


「どうなさいましたか?」

「仕込みをする。明日は日中に完売させぬよう、今日の三倍は仕込みをしておいた方がいいだろう」


 まさか、殿下はまだ働くつもりだというのか。

 信じられない! というかそんなことさせる訳にはいかない!


 わたしもキッチンに入って、殿下の前に立った。


「殿下おひとりに作業していただく訳にはいきません。わたしも手伝いますわ」

「キッチンの様子も見ていたから、私ひとりでも問題ないが?」


 要は、自分は力不足ではないと言いたいらしい。いやそうじゃなくて。


「そういう問題ではございません」


 わたしは拳をぎゅっと握った。


「わたしはこの店の主です。わたしも責任をもって、明日こそ途中で売り切れないようにします!」

「いい心意気だ」

「……!」


 待ってください、殿下。今の微笑みは反則です。心臓が止まるかと思いました。

 動いてる? 動いてるね、心臓。うん。

 すーはーすーはー。深呼吸してから、わたしは殿下を見上げた。


「恐れながら、殿下にはきんぴらごぼうをお願いしていいでしょうか」

「いいだろう。ちょうど、味付けを知りたいと思っていたところだ」


 しゃしゃしゃしゃっ。

 あぁ……。慣れた手つきでこの国の第二王子がごぼうをささがきにしているなんて誰が信じられよう。


「これは変わった香りのする油だな」

「ごま油といいます」

「この黒い液体は……?」

「しょうゆです。小麦と大豆で仕込んだ調味料です」

「とろりとして甘い酒だ」

「みりんといいます」


 わたしが10年以上かけて揃えた調味料を、殿下は物珍しそうに眺める。

 ごま油、しょうゆ、みりん。

 今では全部、領地内で製造できる。これもわたしの雇用創出のひとつだ。


「そういえば、米の調理方法も変わっている。ふっくらとして、とても美味い。よく研究したな」

「ありがとうございます」


 ……その辺に関しては、前世の知識とは絶対に言えない。

 これぞチート経営っていうことでご容赦願いたい。


 わたしは居住まいを正した。


「アドルワン領は他に比べると産業に乏しく、皆が豊かになれるような方法を模索している間に見つけたものばかりです。働きたい者が働けるようにすること。皆が不自由ない生活を送れること。それがわたしの願いですの」


 それはわたしの本当の気持ちだ。


「なるほど。是非、私にもそのレシピを教えてくれるか」

「もちろんです。殿下がご希望ならば、工場もご案内いたします」


 じゅわー。

 美味しい香りと音がキッチンに響き渡る。

 あっという間に、かぐわしい香りとともにたっぷりのきんぴらごぼうが出来上がった。


「お味見、どうぞ」


 ひと口分を取り分けて殿下へ差し出す。


「うん。美味い」


 すると殿下はフォークを使うことなく、お行儀悪く指でつまんで口に放り入れた。

 満足そうに咀嚼した後、ぺろりと指を舐める。


「明日も宜しく頼む」


 お行儀が悪いのに、美しい所作だ。

 ドキドキしていることは気づかれないように、わたしは目を閉じた。




§




「は~~~~~つかれた」


 ベッドに飛び込むと、ぎしっという情けない音がした。


「それにしても、殿下はいつまでいらっしゃるおつもりなのかしら……」


 正直、心臓に悪いので、早く王都へ戻ってほしいと思わなくもない。

 なお本日も殿下と御者さんは別荘に泊まっている。

 護衛がいる気配もないし(いや、気配がしないから護衛なのかもしれない)色々と謎に包まれている。


 ……一期一会のことだろうし、わたしが色々と想いを巡らせても意味はない。

 疲労もあって、わたしはすぐに眠りに落ちてしまった。




§




「あ、あの、殿下?」

「何だ」

「距離が近くありませんか?」

「そんなことはないだろう」


 いやいやいやいや、そんなことはありますって!


 今日も殿下は割烹着姿から気品を溢れ出させている。

 そして何故だか、わたしのすぐ隣に立っている。

 昨日はきんぴらごぼうで分からなかったけれどいい香りがする。


「アドリエンヌ嬢。今日は最後までやり遂げるぞ」

「は、はい」


 行列の整理は完璧。

 お弁当もすぐに渡せるようになっている。


 殿下の存在にばかり気を取られてはいられない。わたしは両手で自分の頬を叩いた。


「皆さん、今日もがんばっていきましょう!」

「「「おー!」」」




§




 そして宣言通り、3日目にして閉店時間までなんとかお弁当を販売することができた。

 とはいっても残ったのはシャケベンひとつだけ。

 そこまで殿下が読んでいたとしたら恐ろしい。


「皆、よく働いた。ご苦労だった」


 湖畔は黄昏に包まれている。

 淡いピンクとオレンジ、それからほんのわずかのパープルがマーブルのように混ざり合った空。

 湖は空を映して、静かにたゆたう。

 心を揺さぶられるような美しい景色だ。

 わたしがこの領地でいちばん好きな場所。

 どんどんお客さんが増えて、この景色を楽しみながらお弁当を食べるのが日常になってくれたら本望だ。


 そして、明日は定休日。

 わたしは殿下をちら見する。きっと、殿下のお手伝いも今日までだ。

 今日も涼しい顔で立っている殿下。

 これでもうお別れかと思うと、胸がちくんと痛んだ。


「ありがとうございました、殿下。お恥ずかしながら殿下がいなければ今日も不備が多かったと思います。定休日で反省点を洗い出して、また明後日からの営業も頑張りますわ」


 困ったときは、殿下の対応を思い出して、がんばろう。


 すると、殿下はふしぎそうに首を傾げてみせた。

 さながら『お前は何を言っているんだ』風の仕草だ。


「私はしばらくホカベンを手伝うつもりだが?」

「ですが、殿下には殿下で、王都へ戻れば公務がいろいろとあるのでは」

「最初に説明した通り、私の公務こそがこれなのだ。それよりもアドリエンヌ嬢、明日の予定は空いているか」

「セルフ反省会くらいですが……?」


 今度はわたしが首を傾げてみせる番だ。


「それならば連れて行きたい店がある」

「つまり、勉強会ということですね。殿下は本当に勉強熱心で、尊敬します」

「ん? まぁ、そういうことにしておこう」


 殿下はこほんと咳払いをひとつ。

 そして、片づけの終わった従業員の皆さんへもねぎらいの言葉をかける。


「皆、明日はゆっくりと休んでくれ。明後日からまた忙しくなるぞ」

「「「はい!」」」




§




 翌日。ホカベン定休日。

 つぎはぎドレスのなかでも一番まともなものを選んだわたしは、殿下と向かい合って箱馬車に揺られていた。

 どうやら向かっているのは隣の領地らしい。


「あの、殿下……」

「何だ」

「馬車にわたしとふたりきりというのは何か問題がありませんか? その、婚約者の方から、クレームが入ったり……」


 思い切って尋ねたのは、繰り返し読んできた婚約破棄物語が頭にあるからだ。

 その場合殿下を奪ってしまうのはわたしになってしまうが、そんなこと天地がひっくり返ってもある訳がない。

 手にはあかぎれ、ドレスはつぎはぎ。

 両足は地味に筋肉痛。

 なんとかお母様の使っている化粧道具一式を使わせてもらったものの、流行のメイクなんて分からない。


 殿下が咳払いをひとつ。


「婚約者はいない」

「そうでしたか。大変失礼しました」

「気になる女性はいるが、条件面で厳しそうだ」


 ……殿下が求めて、条件面で合わない女性なんているのだろうか?


「まぁ。どんな方か、お聞きしてもよろしいでしょうか」

「そうだな。一言でまとめると、『おもしれー女』だ」

「……」


 コメントしづらいです! 肯定しても否定しても不敬罪!


「おや。着いたようだ」


 箱馬車が静かに止まる。

 殿下はさっと降りると、くるりとわたしの方へ体を向けた。


「手を」

「あ、ありがとうございます」 


 殿下の手に触れてしまう。これは貴族仕草として不可避なので、しかたないことだと言い聞かせる。

 思いの外骨ばった大きな手のひらは温かい。


 馬車から降りた目の前にそびえたっていたのは、オートクチュールの服飾店だった。


「殿下……ここは」

「見ての通りだ」

「なるほど。飲食以外の接客も学べということですね!」


 殿下が溜め息を漏らしたような気がするのはきっと気のせいだろう。

 そして、扉が開かれた。


「ようこそお待ちしておりました」


 店長らしき壮年の男性が、恭しくわたしたちを出迎えてくれた。


「今日はアドルワン伯爵令嬢のアフタヌーンドレスを仕立ててほしい」

「ででででんか?????」

「喜んで承ります」


 酸欠の金魚のように口をぱくぱくさせていると、殿下はようやく表情を崩した。

 というか、片目を瞑ってみせた。


「イブニングドレスの方がよかったか?」

「いえ、そういう意味ではなくて。お恥ずかしながらわたしにはこのような店での支払いは」

「支払いは私がするに決まっているだろう」


 早口でまくしたてたら途中で遮られてしまった。

 ちょっと待って。どういうことか説明して、誰か。


「それとも、洗い替え用の割烹着の方が、よかったか?」

「……非常に悩ましい選択肢ですわ……」


 ぶっ、と殿下が吹き出した。

 ツボに入ったようで、顔を背けて、笑いをかみ殺している。


 そこへメジャーを手にした店員さんが新たに現れる。


「アドリエンヌ様でございますね。採寸をいたしますので、どうぞこちらへ」

「は、はいっ」


 されるがままに体のあちらこちらを採寸されたわたしは、言われるがままに殿下の着せ替え人形となった。

 殿下はどんな色のドレスを作るか真剣に悩んでくださっている。


「淡いピンクもいいが、グラデーションのパープルも捨てがたい。いや、しかし、瞳に合わせてエメラルドグリーンも映える」

「……好きにしてください……」


 なんにせよわたしに拒否権はないのだ。

 これで殿下の気が済むなら、問題ない。


 それにしても、オートクチュールの服飾店は、店員さんの対応がどこか違う。

 令嬢だというのに不慣れなわたしを笑ったり馬鹿にすることもなければ、丁寧で親切だ。

 こんな風に、どんなお客さんでも均一で質の高い接客をするように、という殿下の意志が垣間見える。


「うん。エメラルドグリーンが、一番だ」


 殿下は満足げにしている。結論が出たようだ。

 オートクチュールなので仕上がりは数日後になるらしい。

 心の健康のために金額は見たり聞いたりしないことにした。


「ありがとうございました。またのお越しをおまちしております」


 優しい店員さんに見送られて、わたしたちは店を後にした。


「勤務後よりも疲れているように見えるが、大丈夫か」

「……ふふふ……おそらく気のせいではないと思います、殿下……」


 しまった。思わず素のテンションで返してしまった。


「ふっ、ははは!」


 すると今度は、殿下は声を上げて笑った。

 目に涙を浮かべている。


「アドリエンヌ嬢は自然体の方がいいと思う。無理して貴族然と振る舞おうとするときよりも可愛らしくて、愛らしい」

「殿下!?」

「すまない。つい本音が漏れてしまった」


 動揺する私をよそに、殿下は言葉を続けた。


「……私の話をしてもいいだろうか。王位は兄上が継ぐことが決まっている。私は兄上を支えていく上で、特に経済面に力を入れていきたい。そう考えて各地を歴訪するなかで、君の噂を耳にした」


 ――殿下曰く。


 とある領地で、変わった食材を研究開発するふしぎな令嬢がいる。

 そこでは食文化が豊かになるような調味料が次々と生まれている。

 そしてその令嬢自ら、ふしぎな食べ物を販売することが決まった。


 そんな情報を得て、わたしのことを調べて、ホカベンの開店当日に現れたというのだ。


 恥ずかしさのあまりわたしは両手で顔を覆う。

 あぁ、穴があったら入りたいとはまさにこのことか。

 辺りは石畳で、穴なんてどこにもないけれど。


「恥じることはないだろう。君はよくやっている。上に立つ者として、務めを立派に果たそうとしているその姿は立派なものだ」

「お褒めの言葉、身に余る光栄です」

「だからこそドレスを贈りたいのだ。今度、我が父に君を引き合わせたい」

「……国王陛下にですか?! な、何故」


 この国で最も偉い人間に、ふしぎな令嬢として紹介されるのは絶対に避けたい。勘弁してほしい。


「私の婚約者として。既に、君のご両親から許可は頂いている」

「……え?」

「安心してほしい。私もアドルワン領に拠点を移し、共にホカベンを広めていくつもりだ」

「ちょ、ちょっと待ってください!!!!!」

「私は本気だ」


 さーっと血の気が引いていく。


 それって、『おもしれー女』がわたしってこと!?

 信じられない。どうしてこんなことに……。

 気絶しそうになっているわたしの耳元へ、楽しそうに殿下は囁いてくる。


「ということでこれから向かうのは舶来の調味料を取りそろえた食料店だ。原料は大豆が中心らしく、発酵させてペースト状にしたものや、糸を引く変わった大豆、それから、真っ白でやわらかな加工食品があると聞いている」

「みそ、納豆、豆腐!? 行きます!!」

「決まりだな」


 くつくつと笑い、殿下が手を差し出してくる。


「……」


 逡巡ののち、わたしは観念した。


「……よろしくお願いします」


 ぐいっと体を引き寄せられ、わたしは殿下の胸のなかにすっぽりと収まってしまう。


「そういうところがすごく好きだ。アドリエンヌ嬢、結婚してほしい」


 殿下の声が、とっても楽しそうに聞こえる。

 悲鳴を上げなかった自分を褒めたい。

 きっと、わたしはこれから今日のことを振り返る度、そう思うことになるだろう。 






 ――やがてふたりがなんやかんやの苦難を乗り越えて結婚して、お弁当の文化を国じゅうに広めていくのは、遠くない未来の話である――

最後まで読んでくださってありがとうございました。


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