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渡水師  作者: 里崎
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後編 渡水師の少年と黒鱗乗りの男

白む空。たちこめる霧の中に頂上を隠す、白い石灰質の岩山。

そこから小さな漁村へと伸びる岩山の尾根道の中腹に、点々と見える茶色い『ウサギ』——藁蓑に身を包んだ旅人たちの姿が見える。

物音を立てず宿屋から出た鱗模様のサンダルが、岩山に続く道の砂利を踏みしめた。その背に、


「荷物届くの、まだ先でしょ。出てっていいの」


少年の声がかかった。男のサンダルがぴたりと止まる。


「代わりの人間は手配した。数日で来る」


荷物を担ぎ直した男がそう答えながら振り向くのに、


「オレ、見たことあるんだ、それ」


手袋返した時に少し見えた、と少年が言いながら、黒手袋に覆われた男の右腕を指さした。

押し黙ったまま手袋の端をぐいと引き上げる男。

少年は小指の先を親指の腹に付けて、そのまま手首を3回振る。


「これも、ありがとう」


少年の手元で揺れるのは、組紐の先にぶら下がる、鋭い歯の欠片。漁師小屋の軒先に下げられていたものだ。

サメの匂いがあれば、泥魚は寄り付かない。


あのね、と少年が言った。「この村にも昔、ひとり住んでた。漂着孤児だったオレのこと、家族だって言ってくれた人」


黙ったままの男の左手が、自身の右手を——手袋の下の刺青をゆっくりと撫でる。


「だけど、養殖の小魚が全滅したときに、漁協の長老たちが大して調べもせずに『サメの仕業だ』って決めつけて、その人は村を追い出された。オレは何もできなかった。だから、その日に、絶対達成するって決めたんだ」


少年の親指が、トンと鎖骨の下、胸の中央あたりを叩く。渡水師や漁師たちの間で、約束を取り付けたり何かを宣言したりするときの仕草。


「何年先になるか分からないけど、競技会で一位になって、そしたら渡水師の種族制限を撤廃する。もしさ、オレがこれ達成できたら——次の年の競技会で会おうよ」


少年に背を向けたまま立っていた男は、そのまま、ゆっくりと歩き出した。

黙って見送る少年の口元は、かすかな苦笑に歪む。明るくなってくる空を見上げながら、


べたつく潮風を肺いっぱいに吸い込んで、ゆるゆると吐ききって——

曲がりくねった道の先から、かすかに聞こえた指笛の音。海に顔を向けた男が、片手を振り上げたのが見えた。


途端。


なんの前触れもなく海面から真っ直ぐに飛び上がった黒い影が、ひどく綺麗な弧を描いて、それでいてぞっとするような牙を光らせて、信じられないほど高く飛び上がった空の中で、軽やかに三回転。三日月型の尾ビレを振り回しながら、するりと海面に消える。


「……はは、なにあれ」少年が、沸き立つ興奮を抑えるかのように、自身の右手の甲を掴んで、小さく笑う。「あんなの、優勝、間違いなし」


***


数年後。

州都の臨海広場。


色鮮やかな異国情緒の花冠がひとつ、雲一つない青空の中に飛ぶ。

国じゅうから集まったすしづめの観衆たちの、楽しげな談笑の声と歓声。広場を囲むようにずらりと並ぶ屋台の暖簾の下からは、湯気と香りと客引きの声があふれる。


年に一度の最大規模の祭りを待ち侘びる彼らの、ひときわ大きくなる歓声。彼らが見つめる壇上に、緑色の髪を風に散らして、日によく焼けた顔の少年が現れた。群衆に向かって右腕を振り上げる。その手の甲には、大きな三角形を中心に散らばる、白い幾何学模様。同じような三角形の背鰭を持つ数頭のシャチが、彼のすぐ後方に広かる海の中から楽しげに飛び跳ねる。白い飛沫。


「昨年の競技会優勝者・ニルカの権限において——今大会より、渡水師の種族制限の撤廃を宣言します」


お祭り騒ぎのノリで上がる歓声の中、どういうことだと顔を見合わせる民衆たち。その中にチラホラと混じる、拳をふりあげる者、泣き崩れる者。

少年のすぐ横に立っていた州長が一つ頷き、開会の鐘を鳴らす。わっと歓声が上がる。


不意に、群衆を見回していた少年の、緑色の瞳が揺れた。


流線型の黒い影が一つ、特徴的な三日月型の尾ビレを揺らして、少年の遥か頭上を猛烈な勢いで飛び越えた。


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