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渡水師  作者: 里崎
1/3

前編 渡水師の少年と荷運び屋の男

#深夜の真剣物書き120分一本勝負 参加作品

お題「鮫」、「合図」

構想2週間、執筆1時間オーバー

磯辺の大岩を荒波と潮風がひっきりなしに打つ。波間に飛び跳ねる小さなエビたちを、銀の魚が一瞬で食らう。飛沫をあげて黒い海の中へ落ちると、飲まれるように消えていく。

渦紋かもんの描かれた手織りの胴衣が一着、青空に大きく広がり——

どぷん。

黒髪の少年の耳元で、重い水音がした。ひんやりとした感触の中、少年は一糸纏わぬ四肢をめいっぱい伸ばす。深い海にゆっくりと沈んでいく身体をなすがままにして、少年は両目を閉じる。ごうごうと唸る岩場の海水の流れが耳をくすぐる。

潮の流れに揺さぶられるその不安定な身体を、ぐいと下方から持ち上げてくる、黒い鼻先。その柔らかな感触と浮遊感に、少年の口元がふと緩み、弾みで口から洩れた小さな気泡がいくつか空に昇っていく。猛烈な推進力であっという間に海面まで押し戻された少年は、青空に向けてぶはと息を吐き、


「今日はお前ひとりかぁ」


日焼け顔を人懐っこい笑顔に崩した。尾ヒレを小さく振る一頭のシャチの、つやつやの丸い頭部を、少年の手が乱暴に撫でる。流れ落ちる水滴は黒い背中を伝って、真っ白な背ビレへ。

と。

沖から岬に吹き上げるようにして、ひときわ大きな潮風が通り抜けた。思わず片目をすがめた少年の視線の先で、石積みの堤防の上に座っていた人影の手元から何かが飛んだ。海面に落ちた『何か』の位置を見るなり、少年はすぐさま右手の甲を鯱に向けようとして、


「なんだ、同業か」


人影の手の甲が日差しにきらきらと光ったのを見つけ、手を下ろす。

数羽の海鳥が飛び去る。人懐っこい海洋生物と一緒に波に揺られてしばらく経ってから、なおもまったく動こうとしない人影を見つめ、少年は首をひねる。濡れた髪から雫が垂れる。少年の手が再び持ち上がる。手の甲に刻まれた精緻な三角形の幾何学模様——胡粉ごふんで描かれた白い刺青——が日差しに煌めくと、何かに呼ばれたように鯱が水面から顔をあげる。その背ビレを左手で掴んだ少年が、右手の人差し指で堤防の手前を、人影が何かを落とした位置を指さす。鯱が、一目散にそちらへ泳いでいく。

瞬く間に堤防の近くまで辿り着いた少年が、波の中でもみくちゃにされている黒手袋を掴んで、


「はい、どうぞ」


堤防の上に立つ、鳶色の髪の男に差し出した。村の住人ではない、見慣れない顔。


「助かった」


膝を落としてそれを受け取った男の手の甲に、少年は目を落とす。怪我でもしたのか、黒の髪帯ダイアデムを巻きつけている。


「なんで呼ばないの。いない海域?」


小指の先を親指の腹に付けて、そのまま手首を3回振る——鯱に向けて感謝の動作をしながら、少年が問う。

男の落ち着いた表情の中で、珊瑚色の瞳がすうと右に滑る。


「ああ」


ざあざあと波が堤防に当たる音。旅装と思しき見慣れない形の上衣の裾から、作りたての荷札の束が乾いた音を立てる。この人、荷運び屋か、と少年が呟く。


「練習しないなら早く上がったほうがいい、泥魚の多い海域だろう」


男の手が、崩れかけの廃屋の漁師小屋と、その脇にある数個の墓標を示す。


「最近少ないんだよね」濡れた前髪を掻き上げながら少年が目を輝かせ。「おにーさん、もしかして見回ってくれてたの」


男は黙ったまま、近くに立ててある釣竿に顔を向けた。


あっそう、と肩をすくめた少年が指笛を吹くなり、波間から鯱が俊敏に顔を出す。刺青に覆われた少年の手が握り拳を作るとすぐさま、白い背ビレの海獣は従順に沖のほうへと泳いでいく。


あーあ、と少年が呟く。「サメの1匹でも来てくれれば、泥魚も寄り付かなくなるのに」


「今後はそのサメに食い荒らされるだろう」


「『黒鱗乗り』を招けばいいよ」


黙る男。黙る少年。ざあざあと波の音。


通常、その存在は忌むべき対象だ。サメを操る渡水師の蔑称。

渡水師は、従える海獣を選べない。腕に刻まれる刺青の模様は海神わだつみの導きで決まり、その模様によって、操れる種が決まる。賢く大人しい海獣を従えるのが通常の渡水師。サメなどという凶暴な害魚を操る者など——さぞかし性根のひん曲がった悪人か狂人に違いない、などと、人々は言うのだ。


「雪鯱か」まっすぐに戻ってくる白い背ビレを見ながら、男が呟く。「安定してるな」


「本当? 州都の競技会、目指してるんだ」目を輝かせた少年はすぐに唇を尖らせて。「ま、泥魚の被害が収まらないと、オレら、村、離れらんないけどね」


飛沫を上げて直近の海面から顔を出した鯱の頭に、少年の手がぽんと乗る。


「ていうかさ、こいつだって、その気になれば人間とかサメ食うって聞いたよ」


なんとも言えない顔をして黙る男を見上げ、


「あ、本当なんだコレ」なぜか嬉しそうに呟く少年。


二人と一頭の頭上で、翼を広げてゆっくりと旋回する海鳥。

あのね、と少年が言う。


「さっきの話、怒りも笑いもしなかったのは、あんたで二人目」


遥か遠くの水平線を見つめる緑色の双眸。健康的な肌色の、少年の胸がゆっくりと上下する。

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