悪役令嬢(仮)が穏便に婚約破棄を望んだ結果 ~どうしてこうなった~
以前、配布同人誌に載せていた話を手直ししました。
データ整理と消去のため、供養目的で載せます。
*R15は保険です。
グッドウィン公爵家次女として生を受けたカテリーナは、物心がつく前から理由の分からない違和感を抱いていた。
時折自分が自分でなくなるような妙な感覚。
例えば、神学の授業後に参考書を読んで自主勉強をしている時は、「私が本当に読みたい本はこんな神学の本じゃない」と思ってしまったり、家族で食事をしている時は「こんな綺麗な料理じゃなくて焼き肉丼を食べたいな」という思いが浮かんでくるのだ。
普段では考えたことがない思いが突然、頭の奥から浮かぶ度にこれは一体どういうことかと、首を傾げていた。
その違和感の理由が分かったのは、十三歳になった頃。
次期王太子と目されている、第一王子様の婚約者に自分が決定して両親と一緒に登城した時だった。
幼い頃から、何度も王子様と顔を合わせて会話していたが、前回のお茶会は体調を崩して欠席したため国王夫妻と王子の兄弟には一年以上も顔を合わせていない。
久し振りにお会いする王子様は素敵になられたのかと、カテリーナは期待に胸を膨らまして廊下を歩いていた。
緊張の面持ちで両親に続き上座に座る国王と王妃へ挨拶をし、国王夫妻の隣に立つ婚約者となったばかりの王子様へ視線を移す。
光の加減によって輝く銀色にも見える淡い金髪、青空を切り取ったような青色の瞳をした、年頃の令嬢達が憧れる、物語の王子様そのものという美少年と目が合った瞬間……カテリーナの全身を電流が走り抜けた。
「カテリーナ、どうした? ランドルフ殿下にご挨拶しなさい」
「あ、失礼しました。お久しぶりです、ランドルフ殿下。カテリーナでございます」
父親に促され我に返ったカテリーナは慌ててドレスの裾を持ち、引きつった笑みを作り挨拶をする。
カラカラに乾いた喉から絞り出した声は掠れていて、自分でも恥ずかしくなるくらいみっともないものとなった。
“ずっと抱いていた違和感は前世の記憶が断片的に蘇っていたから”
王城から公爵家の屋敷へ戻って直ぐに倒れたカテリーナは、その後高熱を出して丸一日寝込むことになった。
目覚めた後、体の怠さをあったものの今まで胸につかえていたものが取れて、気分だけはスッキリしていた。
今の自分と前世の自分、分かれていた意識が混ざり合って落ち着いたのだろう。
前世のカテリーナは今世のカテリーナよりずっと大人で、彼女の記憶から異世界転生、ヒロイン、悪役令嬢、お決まりの婚約破棄される展開という言葉と知識を得ることが出来た。
この世界が前世の記憶にある、ヒロインが見目麗しい男子達から好かれるシナリオとなるのか、シナリオは漫画なのか小説なのかゲームなのか。それすらカテリーナには分からない。
けれども、魔法がある世界、公爵家令嬢で王子の婚約者という立ち位置、赤みを帯びた金髪に吊り目も相まってキツイ性格に見える外見から、自分が『悪役令嬢』の立ち位置なのは間違いないと確信した。
手鏡に映る自分の顔を見詰めながら、蘇ったばかりの前世の記憶を手繰り寄せる。
毛先に行くにつれオレンジ色になり、毛先がくるんとカールしている漫画アニメ仕様の髪型、キツイ印象を与える吊り目、高い鼻に紅をさしていないのに紅い唇……誰が見ても文句なしの美少女が鏡の中にいる。
(“わたくし”は“私”と全く違う。今まで通り、カテリーナをやっていけるのかしら?)
前世の“私”は地方都市の平均的な家庭に生まれ育ち、真面目な外見と性格から小学校高学年から高校三年生までほぼ毎年、クラスメイトからの推薦でクラス委員をやっていた。
真面目な性格ゆえに、求められれば親教師友人の期待を裏切ることは出来ず、しょっちゅうお腹が痛くなっていた。
勉強が趣味なのでは、と影で嘲笑されていた地味で真面目な“私”。
ストレス発散方法はイラストや漫画を描くこと。そう、所謂創作女子だったのだ。
創作活動で得た、悪役令嬢はヒロインに嫉妬して婚約者から婚約破棄されるというテンプレな知識。
婚約破棄されるのも修道院行きはいいとして、処刑されるのと実家が没落するのは絶対に避けなければならない。
鏡の中の自分とにらめっこをしながら、カテリーナは今後の人生展開を何度もシミュレーションして組み立てる。
すでにランドルフとの婚約は成立してしまった。
婚約前なら兎も角、今更「婚約者を辞退したい」とは言えない。
これから先は婚約者の役割を最低限こなしていき、何時でも婚約が解消出来るように万全の準備をしておかなければならない。
(目指すは、お父様から領地の一角、出来るだけ王都から離れた辺境の地を譲り受けてスローライフすることね。王子様は眩し過ぎて好きにはなれないもの。よくある悪役令嬢ものの舞台になるのは学園でしょう。私と王子様が王立学園へ入学するまであと二年あるわ。王子様と交流するのはほどほどにしておこう)
息を吐いたカテリーナはテーブルの上へ手鏡を置いた。
決断してしまえば、それからの行動は早かった。
普段の勉強の合間に、父親について領地の視察へ行き領地経営を見て学んだ。
王子様との交流は、少なすぎて周囲を心配させないために二週間に一度は顔を見せに行き、婚約者の義務は果たした。
上辺だけの会話では仲良くなれるはずも無く、王子様もカテリーナ同様義務だけで交流しているという雰囲気を隠そうとしないため、お互い必要以上に仲良くはなれない。
騎士団員と剣術の稽古をしている姿を見ても、キラキラした正装姿の王子様を見ても格好良いとは思っても観賞用、俳優や物語のヒーローを見ている気分で彼に接していた。
時期が来れば婚約破棄される相手だと割り切っていたからか、王子様へ憧れや恋慕といった甘い感情を抱くことは全くなかった。
***
二年後、十五歳になったカテリーナは他の貴族子息令嬢と同様に王立学園へ入学した。
二年間で、父親から領地経営の知識とスローライフのための知識、農業や牧畜を学び、武術魔法学薬草学を学び冒険者となった場合に備えた。
さらに、森や山奥へ棄てられた場合を考えてサバイバル術を学び、婚約破棄後の準備を整えた。
公女らしからぬことを学びだす娘に、母親は泣いていたらしいが気にしている余裕は無い。
成長期を迎えたカテリーナ自身も女性らしい体型となり、出るとこは出て引っ込むところは引き締まっているという体型の彼女へ、同年代の女子達から羨望の眼差しを向けられていた。
いつ“ヒロイン”と邂逅するのかと緊張している本人だけが周囲の視線には気が付かない。
培った淑女教育の賜物、社交辞令で微笑めば大輪の薔薇のように艶やかな美貌と発育の良い胸で多くの者達を惹き付け、隣に座った男子の視線は動く度に揺れる胸へ釘付けとなっていた。
周囲からの視線をよそにカテリーナは、テンプレヒロインにつきものの身分の低い目立つ女子、パステルカラーの髪色をした女子を探す。
ふと、壇上で新入生代表の挨拶をしている王子様と目が合う。
目が合ったのは一瞬だけで直ぐに彼の視線は違う方へと移った。
(確実に目が合ったのに嫌そうに逸らすだなんて。いくら私が嫌いでもあれは無いでしょう)
親しみを抱いていない名ばかりの婚約者だとしても、彼の態度はカテリーナに対して失礼だ。
同じ学園へ通うのも、近くに居るのも嫌だと思われていそう。
入学式でなければ、此処が自室だったら溜息を吐いていた。
入学式を終えた新一年生達は、担任に先導されて各々の教室へ向かう。
入学式ではヒロインと思われる女子生徒を見付けられなかった。
テンプレな展開では、入学式は新入生代表の王子様の存在を知り、サポートキャラと出会う。
その後の展開は、教室内か廊下で見目麗しい攻略対象キャラとヒロインが出会うか、ヒロインと悪役令嬢が出会うことになるのか。
楽しそうに談笑する生徒達を横目に、カテリーナは学園生活への不安を拭えないでいた。
「カテリーナ様!」
「え?」
顔見知りの伯爵令嬢の声が聞こえ、教室へ入ろうしたカテリーナは顔を上げる。
今後の立ち振る舞いについて考えて俯いていたカテリーナは、完全に前方不注意で“彼女”の存在に気が付いた時はもう衝突する寸前だった。
ドンッ!
「きゃあっ!」
「うっぷっ!?」
胸部への強烈な衝撃に、カテリーナは一瞬息が詰まり目の前が暗くなる。
体当たりされた勢いで後ろへ押されたカテリーナは、尻もちをついて教室の床に強か尻を打ち付けてしまった。
「ルル!?」
痛みと衝撃でうっすら涙が浮かんだ視界に、悲鳴に似た声を上げて教室の後ろから必死の形相で走って来る男子生徒の姿が見えた。
尻もちをつくカテリーナの上へ、うつ伏せで胸の間に顔を埋めた小柄な女子生徒は小さく「おっぱい」と呻く。
埋めた顔を起こさず、手を伸ばした女子生徒はカテリーナの右胸をむんずと掴み、むにゅむにゅと弄り出した。
「な、なんですか? ひゃあんっ!?」
想定外の展開に動けずにいたカテリーナは、胸を揉まれて変な声を出してしまい慌てて女子生徒の手を押さえ口を噤む。誰かに胸を揉まれるという、前世今世合わせても初めての経験にカテリーナの全身は真っ赤に染まってしまった。
「すごい、マシュマロ胸」
「ル、ルル! 何やっているんだ! 早く離れろ!!」
鼻息を荒くして胸を揉む女子生徒、ルルの首根っこを摑まえた男子生徒は眉を吊り上げて彼女をカテリーナの上から引き剥がした。
当事者のカテリーナは勿論、見た目は美少女なルルが鼻息を荒くしてカテリーナの胸を揉むという衝撃的な光景を目撃してしまったクラスメイト達は、弾かれたように全員目を逸らす。
入学式後の期待と緊張が入り混じった雰囲気ではなく、放課後になるまでの間、クラス内には妙な気まずい雰囲気が流れることとなった。
強烈な印象を与えてくれた女子生徒、ルル・トレントはトレント男爵令嬢の長女で、明るい栗色の髪とピンク色の大きな瞳を持つ小柄で見た目も動きも可愛らしい小動物を彷彿させる少女だった。
ルルの可愛らしい外見と物怖じせず常識に囚われない性格を知り、カテリーナは彼女がヒロインだと確信する。
入学式の翌日こそ遠巻きにされていたルルだったが、その天真爛漫な性格から直ぐにクラスの中心的存在、愛玩動物のような皆から愛されるポジションを確立していった。
詰めが甘いのか生来のドジッ子らしく、何もないところでもよく転ぶルルはお決まりの様に近くに居るカテリーナの胸へダイブする。
理科の実験前に転ばれ、ビーカーに入った水をかけられた時はブラウスが濡れて下着が透けてしまい、さすがのカテリーナも困ってしまった。
何を考えているのか自分の運動着を手渡してきたルルに、カテリーナは怒りよりも面白いという感情が勝り笑って許してしまった。
運動着のサイズは胸の辺りが小さくて丁重に断ったが。
伸び伸びと学園生活を謳歌しているルルとは違い、気苦労が絶えないのは彼女と幼馴染だという子爵家の次男、ケビン。
周りの生徒がルルを叱る前に、走ってやって来た彼が叱るという流れが定番となり、ケビンは幼馴染というより彼女の母親の様だった。
二人のやり取りはまるでコメディの芝居を見ているようで、周囲の者達は面白くて笑ってしまう。
一応男爵令嬢のルルは「淑女、何それ?」な言動を繰り返し、時には女子として恥じらいが足りないような行動をするため、上級生の女子からカテリーナが注意を受けることもあった。
時折、見かねてルルの言動を窘めはしても、上級生達のように意地悪な事を言ったり嫌がらせをするのはカテリーナの良心が痛んで出来ない。
天真爛漫なルルのおかげでクラスの雰囲気が良くなり、他のクラスよりも生徒達の結束が固いのは確かなのだ。
ヒロインとカテリーナが友好関係を築く一方、隣のクラスに所属する王子様は学園内でも目立っていた。
同級生上級生問わず女子生徒達の憧れを集めて、王子の身分で優遇されていると陰口を叩いていた上級生男子達もいたが、上級生に劣らない運動能力を発揮して全校体育大会でクラスを優勝に導き、定期テストでは常にトップ3以内の結果を出す等の実力を見せつけて、完全に黙らせた。
彼の勤勉さを知っているカテリーナは、これらの結果は生まれ持った才能もあるかもしれないが、彼の努力の賜物だということを知っていた。
知っていても王子様が公表していない以上、何も言うつもりは無い。
学園へ入学してからというもの、常に側近候補や高位貴族令嬢に囲まれている王子様へ近付く機会は減り、廊下で擦り違っても会釈のみでほとんど会話はしていない。
正直、王子様や側近の方々は眩し過ぎて、彼らとクラスが違ってカテリーナはホッとしていたくらいだ。
婚約者という関係のみで繋がっている相手よりも、クラスメイトやルルと話している方が楽しくて、完全に王子様の御機嫌伺いは後回しになっていた。
職員室へ向かう途中、上級生が苦々しい顔をしてルルが何かをやらかして偶然通りがかった騎士団長子息や宰相子息に助けられたと話していた時も、木登りをしていてランドルフの上に落ちたという話を聞いても嫉妬など抱かず、ルルが怪我をしていないかを心配した。
(木登りしていて殿下の上に落ちるとか、ルルは何をやっていたのよ。学園じゃなければ不敬罪とか傷害罪とかで処罰されるわよ)
木の上から落ちて来たルルのせいで、葉っぱまみれになったであろうランドルフの姿を想像すると笑いが込み上げてきて、カテリーナはクスリと笑う。
(うーん、完璧王子と天真爛漫なルル、ある意味お似合いね。ランドルフ殿下と距離をとって二人の仲を応援しよう。嫌いな私とは早く婚約解消してルルを婚約者にしてもらえばいいのよ。万が一断罪されたら領地の端へ引きこもればいいし、公爵家の武力なら国軍相手にしても十分やっていけるわ。万が一のことがあれば隣国へ嫁がれたお姉様を頼ればいいし)
決意を新たにしたカテリーナは、職員室へ持って行くノートを抱き締めながら決意を固めた。
***
学園の授業が休業となる週末、王子妃教育を受けに登城しているカテリーナは王妃との勉強を終えると、婚約者の義務としてランドルフの執務室へ顔を出していた。
貴重な休業日に自分のために予定を空けてもらうのは申し訳ないと、ランドルフの元へ行くのは二週間に一回へ減らす。
ランドルフはカテリーナのために空けていた時間を他の事、ルルとの交流時間へと変えられるのだ。
お互いに良いことづくめだと思う。
ランドルフの元へ行こうとしないカテリーナに対して、息子と喧嘩をしたのかと心配していた王妃も一月が過ぎる頃には何かを察したのか、グッドウィン公爵家へ帰るのを笑顔で見送ってくれるようになった。
(あっ……)
放課後、社会科の課題で出された調べ物をするため向かった図書館で、ランドルフの侍従の姿を見かけてカテリーナの足が止まった。
彼が此処に居るということは、ランドルフも図書館に居るのだ。
一応婚約者として挨拶ぐらいはしなければならないのか、とげんなりとした気分になる。
課題の参考図書だけ借りて早く出ようと足早に通路を進んでいくと、学習スペースに設置された机に王子様とルルが向かい合わせで椅子に座り勉強をしているのが目に入った。
直ぐに離れようとしたカテリーナだったが、ルルと目が合い慌てて彼女に背を向ける。
「あー! カテリーナ様だー。こんにちはっ!!」
「ちょっ、図書館で大声は出しては駄目、でしょ」
窘めるカテリーナの声を無視して、ガタンッと大きな音を立てて椅子から起ち上がったルルは嬉しそうに手を振る。
「……カテリーナ」
ペンを机に置き、ゆっくりと顔を上げた王子様、ランドルフは眉間に皺を寄せた。
(放課後二人でお勉強会か。折角の良い雰囲気だったのに、私なんかに邪魔をされて嫌なんだろうな)
思いっきり顔を顰めたかったのを堪え、妃教育で培った本心を隠した表向きの表情、唇を動かして笑みを作り微笑んだカテリーナは、王子様へ頭を下げた。
「殿下、邪魔をしてしまい申し訳ありません。課題図書を借りに来ただけですから、直ぐに居なくなります。わたくしのことはお気になさらず勉強を続けてください」
邪魔者は直ぐに居なくなると伝えたのに、何故か王子様の眉間の皺は深くなっていく。
「私の隣に座ってカテリーナ様も一緒に勉強しましょうよ」
「ありがとう。でも、お勉強の先約があるの」
明るい声で誘うルルの空気の読めなさに、王子様の前では不敬だと分かっていても、溜息を吐きたくなった。
(はいはい、そんなに睨まなくても邪魔者は直ぐに消えるわよ)
「では、わたくしはこれで失礼します」
見付けることが出来なかった課題図書は後で自室へ届けてもらえばいい。
二人のお勉強会を邪魔するつもりなど全く無いし、むしろ早く恋仲になってくれと応援しているのに、王子様から睨まれるなんて理不尽だ。
苛立つ感情を隠してカテリーナは頭を下げ、図書館を後にした。
「ふふっ、君はお気楽でいいわね」
人気の無くなった中庭で、ベンチの中央を占領して寝転がる猫の腹をカテリーナは撫でる。
学園へ入学して直ぐに偶然出会った金色の毛並みと青い瞳を持つ猫は、放課後になり人気の無くなった中庭にカテリーナが行くとどこからともなく姿を現すのだ。
いつしか、猫の体を撫でて読書をするのがカテリーナの日課となっていた。
さくり、芝生を踏む音が聞こえカテリーナは本へ落としていた視線を上げる。
「先約とは、此方の方ですか?」
誰も居ないと思っていた中庭で、突然現れて話しかけてきたのは、スーツを着て前髪を後ろに流した穏やかな雰囲気を持つ黒髪の青年だった。
「貴方は、図書室に居たのでは……?」
つい先程、図書館で見かけた侍従の青年が中庭に居ることに驚き、カテリーナは目を瞬かせる。
「これを、落とされていましたよ。先程は殿下が失礼な態度をしてしまい、申し訳ありません」
背筋を伸ばして頭を下げた青年は、ジャケットの内ポケットからカードを取り出しカテリーナへ手渡す。
「利用カードを落としていたのね、ありがとう。殿下のお勉強の邪魔してしまったのですから仕方ありませんわ。それに、この子もいるしたまには外で読書するのもいいわ。ふふっ、貴方も大変ね」
「まぁ、殿下は本当に、どうしようもない方ですからね」
顔を上げて侍従を見上げる猫とカテリーナを交互に見て、彼は苦笑いを浮かべて肩を竦めた。
「にゃあ」と猫が一鳴きして、中庭を冷たい風が吹き抜ける。
「……ちっ」
頭上から舌打ちの音が聞こえた気がして、カテリーナは侍従を見上げた。
「カテリーナ様、風が冷たくなる前にお帰りください。では、失礼します」
空耳だったのかと思うくらい、何時も通り穏やかな顔をした侍従はにこやかに言い去っていた。
王子様と顔を合わせる回数を減らしてから三か月、図書館でのお勉強会を目撃してから一か月経った。
王子様とルルが親しくしている、という噂話は何故かカテリーナの耳に入ってこず、最近では騎士団長子息と仲良く鍛錬をしている話を聞くようになった。
「お嬢様、殿下からの贈り物でございます」
「また? 今日は何なの?」
「プルートミエコのフルーツタルトです」
王子様から贈られたのは、有名店の並ばなければ買えないというミニサイズのフルーツタルト。
メイドがケーキ箱の口を開けば甘い香りが部屋中へ広がり、カテリーナはゴクリと唾を飲み込む。
試験期間と軽い風邪をひいたのが重なり、ここ一か月近くの間は学園でもあまり顔を合わせず、執務室の訪問もしないでいたのだ。
一応婚約者の体調を心配したのか、王子様名義で花やお菓子が贈られてくるようになった。
実際品物を選んで用意しているのは侍従だろうけれど、相手が誰であろうと花や美味しいお菓子を頂くのは嬉しい。
贈り物を受け取った後はお礼状を書き、数日後に王子様からの返事を受け取る。
王子様からの手紙は便箋一枚に満たない程度の文だが、内容は体調を気遣うものや好みのお菓子や装飾品を問うもので、不幸の手紙ではないのには安心した。
顔を合わせずとも、婚約者となった当初よりも手紙のやり取りを多くしているという微妙な関係を保ったまま、カテリーナは学園生活を送っていた。
(そういえば、学園祭の準備期間へ入るわ。学園祭では何か大きなイベントが起きるのかしら?)
タルトを食べながら目に入った机上のカレンダー。
学園の恋愛をテーマにした小説や漫画では学園祭の恋愛イベントはその後の展開に大いに影響する。
ルルの行動を観察していれば、誰の好感度が高いのか分かるかもしれない。
丁度、担任から実行委員をやらないかと誘われていたのもあり、実行委員として積極的に関わればルルが誰狙いなのか分かり、イベントにも巻き込まれなくても済むかもしれない。
翌日、カテリーナは担任に実行委員を引き受ける旨を伝え、その日のうちにクラスでの話し合いの司会者を任された。
「学園祭と言ったら、メイドカフェをやるのが正義だと思うの!」
学園祭でのクラスの出し物を決める話し合いが始まって直ぐに、手を上げたルルは満面の笑みで突拍子の無いことを言い出した。
もう一人の実行委員と共に黒板の前に立つカテリーナは、痛くなってきたこめかみへ人差し指を当てる。
「メイド、カフェ?」
「正義ってどういうこと?」
「メイドの格好をして接客するの? へぇ面白そうね」
「それでいいじゃん」
「じゃあさ、男子はどんな服装なんだ?」
次々にクラスメイト達から興味津々な声が上がり、嫌な予感を感じ取ったカテリーナの背中を冷や汗が流れ落ちた。
「男子はねシェフみたいな恰好で、そうだっ! カテリーナ様もメイドになりましょうよー」
「え、わたくしは、そういうのはちょっと」
ルルから話を振られたらカテリーナは、口元を引きつらせて一歩後ろへ下がる。
「カテリーナ様のメイド姿は絶対にウケますよ! 男子は絶対見たいと思いますし! 女子も見たいし、私も物凄く見たいです!!」
両手を握って椅子から立ち上がったルルは特に最後の方を強調して力説する。
「えと、メイドカフェでいいのかという、た、多数決を行ってみないと。わたくし、多数決の結果に従うわ」
挙手での多数決の結果、司会の二人以外の全員が賛成に手を上げた。
(うそー、メイドカフェになるなんて……)
お約束通りの展開になってしまったと、カテリーナは内心頭を抱えてしまった。
前世では一度は憧れたメイドさんのコスプレ。例えお楽しみ会でも、ミニスカートとニーハイソックスを履く勇気が持てずメイド服を着ることは無かった。
本音ではメイドのコスプレは少し、否、もの凄く興味がある。
しかし、カテリーナには公爵令嬢であり、王子様の婚約者という立場もあるのだ。
「決まったからには、早速採寸しましょう!!」
「ハッ!? 待って、今、この場で?」
ブレザーのポケットからルルはメジャーを取り出しニンマリを笑う。
決定するかは分からないのに、ルルがメジャーを用意していたことへ恐怖を抱く。
「勿論、教室でカテリーナ様の採寸はしません。こんなこともあろうかと、カーテンで目隠し出来る指導室をお借りしてあります」
「カテリーナ様、部屋の前には私達が立ちますのでご安心ください」
(ひえー! 何この女子の連携!?)
迫り来る女子生徒達から逃れようと、後退ったカテリーナの背中に黒板が当たる。
笑顔の女子生徒達に両手を握られ、カテリーナは逃げられずに採寸場所の指導室へ連れていかれたのだった。
学園祭までの準備期間、男子は実家がレストラン経営をしている生徒の口利きでシェフに協力をしてもらい調理の指導を受け、接客係の女子達は何故かルルの指導の元、メイドとしての立ち振る舞いを学んだ。
出来上がったメイドの衣装を手に取ったカテリーナは、自分の衣装だけ胸元が開いていることに若干引きつつ、メイドの立ち振る舞いを学んだ。
「動きのチェックが出来るから」と頬を紅潮させて言い、記録用魔道具でカテリーナの姿を撮るルルの言葉に疑問を抱きつつ、前日は下校時間直前まで教室の飾り付けをして学園祭当日を迎えた。
***
校舎前に貼りだしたメイド姿の女子生徒のポスター効果もあってか、学園祭開始直後からメイドカフェには多くの来校者が訪れて、順番待ちの整理券を配るほどの盛況ぶりだった。
「大変お待たせいたしました、ご主人様。此方のお席へどうぞ」
「……ああ」
待たされたせいで不機嫌な王子様は、侍従の青年と同じクラスの騎士団長子息と一緒にパステルカラーで彩られた席に座り、大きく目を見開いた。
「カ、カテリーナ!?」
王子様の視線の先には、笑顔で接客をしているメイド服を着たカテリーナ。
彼女の大きく開いた胸元から覗く深い谷間と、膝上十五センチのミニスカートから覗く太股を交互に見て王子様は絶句する。
「いらっしゃいませ、ランドルフ殿下」
営業スマイルを向けられた王子様は、弾かれたように開いたままだった口元へ手を当てた。
「メイドの格好をするとは聞いていたが、そんなに足を出して、胸も見せて、その、破廉恥ではないか」
「申し訳ありません。直ぐに着替えて参ります」
眉尻を下げて俯くカテリーナは普段のしっかり者のイメージとは違い可愛らしく見えて、庇護欲を掻き立てられた周囲の客から王子様へ、非難の視線が集中する。
「いや、着替えて来いといつもりは無い。ただ、その、肌を出し過ぎだと」
珍しく焦った表情になった王子様は、席を離れようとしたカテリーナの手を掴んだ。
「破廉恥だなんてひどい! ミニスカートもツインテールも凄く可愛いじゃないですか! カテリーナ様目当てで、来てくれるお客様もいっぱいいるんですよぉ」
「カテリーナ目当て、だと?」
頬を膨らませて登場したルルの言葉を聞き、王子様の顔から表情が消えていき無表情となった。
「……いくらクラスの出し物でも、君は私の婚約者だということを考えてくれ」
「申し訳ありません。殿下の目に触れないように、調理の手伝いへ入ります」
衝立で囲んだ調理スペースへ行こうとしてカテリーナは掴まれた手を引くが、彼女の手を握ったままの王子様は動かない。
「そこまでしなくてもいい。ただ、私がいる間は他の接客をしないでくれ」
視線を逸らした王子様がほんのり頬を染めている気がして、カテリーナは彼は一体どうしたのかと困惑する。
微妙な空気になる二人と、溜息を吐く侍従と呆れた目で王子様を見る騎士団長子息をよそに、ルルだけは瞳を輝かせた。
「ランドルフ様! メイドを独占するとなると、別料金を支払って頂くことになりまーす」
エプロンのポケットから小さなバインダーを取り出したルルは、とてもいい笑顔で王子様へバインダーに挟んだ料金一覧表を差し出した。
***
終了時間までメイドカフェの接客が忙しかったせいで、ルルの恋愛イベントらしいものを確認することは出来なかった。
一時間毎に王子様の侍従が“差し入れ”を持ってやって来て、クラスメイト達は花の香りがする汗拭きシートや体力回復ドリンクを貰えて喜んでいたが、カテリーナは監視されている気分で学園祭の終わりを告げる打ち上げ花火を見上げた。
学園祭後、生徒達の間で王子様とルルが放課後のカフェで密会していた。
図書館で密着して話していたという噂話が面白おかしく囁かれるようになった。
(やっぱり、ルルの本命はランドルフ殿下だったのね。婚約破棄後のことを考えなければならないわ)
王子様にどのタイミングで婚約破棄を言い渡されるかは分からない。
実家と自分の未来を守るためには、穏便に婚約解消を進めていくのが一番の良策だといえる。
贈り物を貰ったお礼状の返事は遅くなり、王子様の執務室へ向かう足は更に遠退いていった。
「カテリーナ様」
「あら、貴方は……」
王子妃教育を終えて部屋から出て来たカテリーナを待っていたのは、王子様の侍従の青年だった。
護衛騎士を従え、侍従の青年はカテリーナへ一礼する。
「殿下がお待ちでございます」
物腰は柔らかでも、有無を言わせない口調の侍従の青年を振り切ることは出来ず、カテリーナは王子様の執務室へ連行されていった。
執務室へカテリーナが入るのを確認し、護衛騎士は扉を閉めて執務室の外に立つ。
「殿下、カテリーナ様をお連れしました」
「ああ、下がっていろ」
「はい」と返事をして侍従の青年は壁際へ下がる。
執務机に手をついて椅子から立ち上がった王子様は、睡眠不足なのか目の下にどす黒いクマを作り、数日前に学園ですれ違った時より明らかに窶れて、どこか虚ろな瞳をしていた。異様な雰囲気の彼に圧倒されて、カテリーナは挨拶も忘れて立ち竦んだ。
瞳に暗い光を宿した王子様は、硬直するカテリーナ前まで歩み寄り彼女の両肩を掴む。
「何故、私を避けるのだ」
「避けてなど、いません」
関わりたくなくて避けていたのです。とは言えず、カテリーナは首を横に振る。
「では、このところ全く私のところへ顔を出さず、学校でも顔を合わなせないようにして、手紙も明らかに自筆ではない。何故そのようなことをするのだ?」
「それは、殿下とルルさんとの仲の邪魔をしてはいけないと思いまして。学園にはご親切にも、殿下とルルさんが懇意にされていると教えてくださる方がいるのです。ご安心ください。時期をみて婚約解消の手続きを」
「嫌だ」
最後までカテリーナが言い終わらないうちに、王子様は拒否の言葉を被せる。
「婚約解消など、しない」
絞り出すような声で言う王子様の手に力が入り、掴まれた肩へ指が食い込む。肩の痛みでカテリーナは顔を歪めた。
「わたくしとの婚約を解消すれば、堂々とルルさんとお付き合い出来ますよ」
「違う!! 私が好きなのはルル嬢ではない!」
声を荒げた王子様は、驚くカテリーナの肩を数回揺さぶった。
「殿下」
壁際に控える侍従の青年から窘められ、ハッとした王子様は「すまない」とカテリーナの肩から手を放した。
「……婚約者はカテリーナがいいと、父上に頼んで君と婚約したのに何故解消しなければならないのだ」
「え?」
一変して眉尻を下げた王子様は、今にも泣き出しそうな表情になる。
普段は無表情か睨んで来る王子様の弱弱しい顔を初めて見て、カテリーナは唖然と目と口を大きく開いた。
「初めて会った時、淡い水色のドレスを着ていたカテリーナが可愛くて天使かと思ったんだ。自分より勉強も運動も出来る男が好きだと話していたのを聞き、必死で勉強をした。婚約者になったのに、他人行儀なカテリーナに興味を持ってもらいたくて剣術の稽古を見せても、君はちゃんと私を見てくれない。学園に入学してカテリーナと別のクラスとなってしまい、私以外の男と仲良く話しているのを見ていられなかった。君を避けて他の女子と親しくしようと考えた時期もあったが、無理だった。どうしてもカテリーナを探してしまう」
目元を赤くして一気に吐き出す王子様は、聞き間違えでなければカテリーナのことが大好きだと言っているような気がする。ならば、何故勘違いさせる言動をとったのか。
「あの、わたくしのことがお嫌いでなければ、顔を合わせる度に睨んできたのは何故ですか?」
「あれは……カテリーナの周りにいる男を牽制するためだ。今日こそはカテリーナの目を見て、ちゃんと話そうと思っていても、緊張してしまい、上手く話せなくなるのだ。嫌いなど思ったことは一度も無い!」
苦しそうに下唇を噛みしどろもどろになって話す王子様は、カテリーナ限定でコミュニケーション不能に陥ってしまうらしい。
「学園祭ではメイドの衣装を破廉恥だと、とても嫌そうでしたわ」
「あんなに可愛い、扇情的な姿を他の男にも見せるなんて、許せるわけはないだろう。あの後、私が何度も様子を見に行くわけにはいかないから、カテリーナに危険は無いか何度も見に行かせた」
やはり、何度も差し入れを持って来た侍従の青年は、王子様の指示でカテリーナの様子を見に来ていたのか。
「で、では、ルルさんと何度も密会されていたのは?」
「あれは、密会していたわけじゃない。図書館の時は偶然会い、勉強を教えて欲しいとルル嬢から頼まれただけだ。事あるごとにカテリーナに近付き、体に触れているあの女に私が好意を抱くなどありえん。最近、ルル嬢と会っていたのは、その、写真を買い取っていただけで」
歯切れの悪い王子様の言葉の最後の方は尻つぼみとなる。
「写真?」
どういうことかと首を傾げたカテリーナへ、王子様はジャケットの胸ポケットから手帳を取り出す。
「ルル嬢が、採寸時や接客練習時に記録魔道具で撮った写真を、カテリーナのファンに売ると言い出したから、私が全て彼女の言い値で買い取っていただけだ」
全身を赤く染めた王子様が手帳を捲れば、そこにあったのはメジャーを持つルルの手とカテリーナのブラジャーに包まれた胸のアップ写真だった。
採寸時に「デザインの参考に」とルルが写真を撮っていたと、遠退きかけた意識の中でカテリーナは思い出す。
「こんな姿を他の男に見せるわけにはいかないだろう」
次に王子様が捲ったページには、メイドの衣装に着替える途中のブラウスの釦を外している写真や、ニーハイソックスを履いている写真が張り付けられていた。
「「お小遣い稼ぎさせてください」とあの女、買い取ると言った私に高額な値段をふっかけてきて、カテリーナ?聞いているか?」
仕方なかったという体で話すわりには、手帳に貼り付けてある写真は丁寧に仕分けされており、何故か劣化と破れるのを防止する保護魔法までかかっていた。
手を伸ばした王子様の指がカテリーナへ触れる直前、彼女は大きく体を揺らした。
「きゃあああー!! 変態ぃ!!」
「カテリーナ!? ぶっ!」
ばちーん!!
大きく振りかぶったカテリーナの手が王子様の右頬へ当たる音が執務室中に響き、やり取りを見守っていた侍従の青年は床へ倒れたランドルフへ憐みの視線を向けたのだった。
「あーあ、嫌われるのが怖いという理由で大好きな相手と交流を深められず、悶々とした挙句に猫に変身して会いに行くとかヘタレな行動をするからですよ。猫に変身して、腹を撫でられて気持ちよさそうに伸びている姿を目撃した時は、本当にいたたまれなかったです」
侍従の青年の呆れ果てた呟きは、泣きじゃくるカテリーナと右頬を腫らした顔で必死に弁解をするランドルフには聞こえていなかった。
写真を収集していたランドルフに平手を食らわし、そのままの勢いで隠し撮りしていたルルにも悪役令嬢的なお仕置き、もとい、担任に際どい写真の隠し撮りと金銭のやり取りをしていたという事実を訴えて、正当な処分をしてもらった。
その後、教師たちによる事情聴取を行った結果、ルル本人が隠し撮りとランドルフへ高額で写真を売りつけたことを認めたため、停学処分となり処分終了間際に学園を自主退学した。
全く悪びれもせず落ち込むことも無く、王都で新しい生活を始めたとケビンから聞いた時は、安堵よりも転んでもただは起きぬ逞しさに眩暈がしたものだ。
嫌いでは無く、色々拗らせていただけだと分かったランドルフとの関係は、別人ではないかと怖くなるほど王子様は変貌を遂げた。
ツンデレどころじゃない、カテリーナにべったりと甘える姿は、以前の彼を知る者からしたら頭のネジが吹っ飛んで壊れたのかと心配になる。
王子様との婚約は解消出来ないまま、カテリーナは学年度末を迎えた。
長期休業を終えれば学年が上がり二年生になる。
新年度準備と実家への帰省のため、ほとんどの生徒は寮から出ているというのにカテリーナはグッドウィン公爵家へ戻れずにいた。
「殿下、わたくしそろそろ実家へ帰りたいのですが」
首を動かして自分を背中から抱き締めている王子様、ランドルフへ何度目か分からない帰省希望を伝える。
「駄目だ。あの女が図々しくも「遊びに行く」と言っていただろう。学園を退学したとはいえ、あの女にそそのかされてしまったら危険だ。カテリーナは隙だらけだから危ない目にあったらどうするんだ」
学年末の授業最終日、放課後になり昇降口へ向かったカテリーナは、ランドルフに攫われるように王城へ連れて来られた。
用意されていた部屋を見てカテリーナは青ざめた。
王子様の私室と繋がった隣室、王子妃の部屋だったからだ。
それから五日間、ランドルフはカテリーナを自分の側から離そうとしない。
あくまでも、自分の側に置いているのはカテリーナの身の安全ためだと言い張るランドルフが、一番飢えた狼で危険なのだと、喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
「それに、離れてしまったらいつまた婚約解消すると言い出すか不安で、夜も眠れなくなる」
昨夜も、眠れないと甘えたことを言ってベッドへ忍び込んできた王子様は、カテリーナの胸に顔を埋めて眠っていた。
婚前交渉は絶対に駄目だと、言い聞かせて純潔だけは守っているとはいえ、長期休業に入ってから毎日同衾しているのだから、訂正することも出来ないくらい二人の関係は周囲の者から誤解されてしまっている。
こうなってしまうと、カテリーナはランドルフに嫁ぐしかない。
カテリーナの知らぬ間に、ランドルフの強い希望で卒業式の三日後には婚姻を結ぶことが国王と両親の間で決められてしまっていた。
眠っているうちに付けられた首筋の赤い鬱血痕を鏡越しに目にした時は、彼の強い独占欲と執着心を感じて恐怖すら抱いた。
(王子様がここまで初恋を拗らせているとは思ってもいなかったわ。幼い頃、もう少し歩み寄っていたら結果は変わったのかしら?)
王子様のことが好きで堪らないといった態度で彼に媚びればよかったのか。
それとも、メイドや身分が下の者達を虐めて絵に描いたような悪役令嬢を演じていれば婚約破棄されたのか。
婚約破棄されれば、色々と拗らせた王子様から解放されたのかもしれない。
「カテリーナ、また余計な事を考えているな。私以外のことは考えられないように、絶対に新学期までには君を惚れさせてやるから」
「何を言って、きゃあっ」
初恋を拗らせすぎて発酵させてしまったランドルフは、抱き締めるカテリーナの首筋へ軽く歯を立てて彼女の白い肌に自分の痕を増やすのだった。
めでたしめでたし?
拗らせ過ぎて「好きな子に声をかけれらない」ヘタレなランドルフは、婚約破棄の危機にストッパーが壊れてしまいました。
一番の苦労人は、ルルちゃんのお世話をしているケビン君でした。