第十八話 真夜中の相談
それから医者に診せたところ、すぐに医療スキルが施された。
噛み傷は瞬く間に治癒され、普段道理に歩けるようにまで回復した。
「はい、終わり。痕も残らないわ」
先生のその言葉で安堵する。
「とはいえ、まだ治り切ってはいないから、今日一日は安静にね。包帯も巻いたままよ」
「はい。ありがとうございました」
病院を出て帰路につく。
自分の足で歩く朝陽は、今朝よりも表情が暗い。
なにか勇気づけられないかとも思ったが、なにも思いつかずにギルドまで来てしまった。
「今日はすみません。私のせいで迷惑を」
「気にするなって言ったろ? とりあえず、安静にしてな」
「はい。ありがとうございます」
相変わらず浮かない表情のまま。
心も体も元気になってくれるといいが。
「はい、朝陽ちゃんの好きなココアだよ」
「バニラアイスもありますよ」
「わぁ、ありがとう。二人とも」
まぁ、それは伊吹と小杖に任せておいたほうがいいかもな。
「ん?」
そうこうしていると来客を知らせるベルが鳴る。
本日三回目とあって、誰が来たのかは察しがついた。
軋む床を踏んで玄関へと向かうと、扉の先にいたのはやはり朝陽の姉の美月だった。
「こんにちは。朝陽に会いたいのだけど」
「悪いが今はタイミングが悪い。明日にしてくれ」
「すぐ済むわ」
「あ、おい」
彼女はすり抜けるようにギルドへと入る。
床木を軋ませて向かった先で朝陽を見ると、彼女は深いため息を吐いた。
「だから言ったのよ。こんなところに任せてはおけないって」
こんなところ?
「ち、違うの。この怪我は私の不注意で」
「朝陽一人でダンジョンに行ったの?」
「それは……そうじゃないけど」
「なら、あなたの監督責任。そうでしょ?」
くるりと振り返って、見据えられる。
「あぁ」
「ほらね」
彼女の言う通り、俺の落ち度だ。
「今朝言った通り、うちのギルドに来なさい。私が朝陽を鍛えてあげるから。いいわね?」
朝陽は返事をしなかった。
せめてもの抵抗のように。
「明日の夕方また来るから。それまでに支度をしておいて。それじゃあ」
一方的にそう告げて、彼女は踵を返す。
帰り際に俺を一瞥し、そのままギルドを出て行った。
「な、なんなのあの人!」
「朝陽さん。あの人の言うことを真に受ける必要はありません」
「そうそう、決めるのは朝陽ちゃんであの人じゃないんだから!」
二人はそう言うが、事実彼女の言うことは間違ってはいない。
おんぼろギルドに、妹の怪我。
冒険者に負傷は付きものとはいえ、任せておけないと思うのは自然なことだ。
だからこそ、自分の不甲斐なさが頭にくる。
「ありがとう、二人とも。ちょっと疲れちゃった、休むね」
そう言って朝陽は自室に入っていく。
俺たちはそれを見ていることしかできなかった。
§
夜中、不意に目が覚めてベッドから起き上がる。
水でも飲もうとキッチンに向かうと、明かりが付いているのが見えた。
不思議に思いつつもキッチンに向かうと、朝陽が一人でココアを飲んでいた。
「朝陽」
「あぁ、総也さん」
「どうしたんだ? こんな夜中に」
「すこし眠れなくて」
「そっか。足のほうはどうだ?」
「はい、もう痛みもなくて普段と変わりません」
「よかった」
短い会話。でも、本題からは逸れた言葉だ。
本当に話したいことは別にある。
俺も朝陽もそれを切り出すタイミングを見計らっていた。
そう思いつつコップを手に取り水を汲む。
「……あの」
「ん?」
一口水を含むと、朝陽のほうから切り出した。
「すこしお話してもいいですか? 聞いて欲しいんです」
「あぁ、聞くよ。話してくれ」
コップを置いて朝陽の正面に腰掛けた。
「私はこれまでずっと姉の言う通りに生きて来ました。冒険者になったのも、姉に言われたから」
俺は黙って聞き役に徹する。
「でも、それが嫌だった訳じゃないんです。お陰で伊吹と小杖と友達になれたし、姉の言う通りにしていれば間違いはないはずだと思っていましたから。でも……」
そこで言葉を句切り、また話し出す。
「でも、私はこのギルドで伊吹と小杖と、それから総也さんと冒険者をしていたいんです。今が楽しくて、この生活を手放したくない。だけど、姉はいつも正しい」
絞り出すように発した声音に偽りの色はない。
そう聞こえた。
「迷ってるんだな。これまで通り姉の言う通りに生きるか、自分を貫くのか」
「はい……私はいったいどうすれば」
「そうだな……」
正しいと信じて疑わなかった姉の言葉に、朝陽の感情が異を唱えている。
その感情の処理の仕方によっては、このギルドを離れることになるだろう。
迂闊なことは言えない。言えないけれど。
朝陽がどうするにせよ、俺の言えることと言えば――
「重要なのは」
自分の中で考えをまとめつつ、それを言葉にする。
「重要なのは流されずに自分で選択することだと思う」
「自分で……」
「自分で決めたことなら誰のせいにも出来ないからな」
うつむいていた朝陽と目が合う。
「誰かの言いなりになる人生は楽でいい。自分でなにも決めなくていいし、失敗した時は責任を押しつけられる。俺だってそうしたい。でも、そう都合良くいかないのが現実だ」
人生は甘くないって誰が最初に言ったんだろうな。
「いつか必ず自分で決めて、自分で責任を取らなくちゃならない時がくる。朝陽にとってそれが今なんだ」
「今……」
「だから、思う存分悩めばいい。悩んで悩んで最後に下した結論がきっと正解だよ」
相談に乗れていたかどうかはわからないが、これが俺の精一杯だ。
どれだけ時間をかけてもこれ以上のものは出てこない。
そうわかっていたから、俺はそっと席を立った。
「じゃあ、お休み」
「……はい、お休みなさい」
別れを告げて寝室へと向かう。
「あの、最後にもう一つだけ」
「あぁ、なんだ?」
「総也さんは……その……」
「残ってほしいよ」
そう言って自室へと戻った。
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