第一話 スキルの神髄
「でも、信じられないよ。昔は魔物もダンジョンも空想だったなんて」
仁は俺の一歩先で通路の奥を見据えていた。
「スキルとか、魔法とかもな」
「そうそう」
凸凹した岩肌の地面に足を取られないように注意する。
「ちょっと? ここがどこだかわかってんの? いつどこから魔物が降って湧くかわからないダンジョンなのよ、ダンジョン」
「わかってるよ。ね?」
「あぁ、重々承知してる」
「まったくもう」
亜紀の声はため息交じりだった。
「まぁ、いいじゃんいいじゃん。リラックスしてる証拠でしょ」
「とはいえ、ダンジョン初挑戦とは思えない緩さだわ。すこしは引き締めて」
「はいよ、二人とも」
翔流と絵美に姿勢を正され、しっかりと前を向く。
「俺のスキルがなんなのかわかるまでは死ねないからな」
「存在してるはずなのに名称も不明って可笑しな話だよなぁ」
「まぁ……そのうちわかるわよ。きっと、たぶん、恐らく」
「どんどん自信がなくなっていくじゃねーか」
お互いに笑みを浮かべながら、俺たちはダンジョンの奥へと進んでいく。
この日のために靴を新調した。使い慣れた剣を磨き上げたし、防具もピカピカに磨き上げたし、俺たちだけのギルドも立ち上げた。
冒険者としての一歩を踏み出すのに十分な準備が出来ている。
勇敢にも魔物を相手に剣を振るい、生活に必要な資源を持ち帰り、人々から感謝と声援を送られる冒険者。
最高の職業。
それは子供がヒーローに憧れるように、俺たちに夢を見せるのに十分な姿だった。
今日、俺たちは冒険者となり、ダンジョンに挑んでいる。
これから先に待ち受ける困難も、仲間となら乗り越えられるはずだ。
そう信じて疑わなかった。
実際、上手く行っていたと思う。
「な、なんとかなるな」
「えぇ、そうね」
冒険者として初めて遭遇した魔物。
それを討伐して命を奪う経験も全員で共有した。
鮮血が滴る得物を握り締めて、新たな絆が生まれたような気さえする。
「ん?」
不意に妙な音が聞こえた。
「どうしたの? 総也」
「いや、なんか電子音みたいなのが聞こえたような」
「電子音?」
「いや、なんでもない。先に進もう」
「そう? じゃ、行こっか」
滑り出しは上々だった。
なにもかもが上手くいくような、根拠のない希望的観測をしていられるほどに。
でも、現実は決して甘くはなかった。
「――不味い、不味い、不味い! どうしてこんな!」
目の前の事実ははたやすく何もかもを打ち砕く。
「しゃべるより足を動かしなさい! すぐそこまで来てる!」
将来の展望も。
「なんでゴブリンの大群なんかにっ」
根拠のない自身も。
「おい! 総也がやられてんぞ! 酷い出血だ! 手を貸してくれ、助けないと!」
手を伸ばし続けた夢も。
「……もう、無理だ。置いていこう」
友情さえも。
「待て……待って、くれ」
脇腹に当てた手の平がぬるりと滑る。
引き裂けた防具には赤いシミが広がって止まらない。
刻一刻と命の残量が減っていく。
視界がかすむ、足下もおぼつかない、痛みでなにも考えられない。
「悪い、ごめん……総也」
朧気な視界の中、仲間が――仲間だと思っていた連中が去って行く。
「戻ってこい! 俺を見捨てるのか! おい!」
叫んでもその歩みは止まらない。
連中は俺を囮にして自分たちだけが助かる道を選んだ。
「くそッ!」
力任せに剣の柄を壁に叩き付ける。
衝撃が骨を伝って傷口に響き、痛みを伴う。
けれど、そんなことは些細なことだと思えるほどに、心の中は怒りでいっぱいだった。
「ギャギャギャギャッ!」
ついにゴブリンどもに追いつかれ、下卑た声が響く。
振り返れば幾つもの濁った瞳が俺を見据え、負傷して弱っていると見るや否や、一斉に飛びかかってくる。
「くッ――」
怒りを込めて力任せに剣を振るい、飛びかかってきたゴブリンを斬り伏せる。
血飛沫が舞い、骨を断つ硬い感触が手に伝わった。
だが、それもすぐに吹き飛んでしまう。
「ギャギャギャギャッ!」
左腕に噛み付かれ、鈍い牙が皮膚を裂いて骨にまで達したのが感じ取れた。
脳を貫くような痛みがほとばしり、即座に剣を逆手に持ち替えて、噛み付いたゴブリンを突き殺す。
「はぁ……はぁ……」
腕から牙が抜けて、ゴブリンがだらりと地面に伏した。
左腕も、剣も、装備も、互いの血で赤く染まり、命の残量に底が見えてくる。
ゴブリンはまだ数え切れないほどいて、その誰もが俺の命を狙う狩人だ。
ここで死ぬことは、もはや避けられそうにない。
「上等……だ」
痛みに耐えながら剣を握り締め、歯を食い縛る。
「道連れにしてやる! 死にたい奴からかかってこい!」
裏切られた怒り、崩壊した友情の悲しみ、すべてを込めて叫ぶ。
それに呼応するようにゴブリンたちも叫び、一斉に襲いかかってくる。
覚悟を決め、こちらからも一歩を踏み出し、ゴブリンを斬りつけた。
「――」
描いた剣閃がゴブリンの首を刎ね、背中に短剣が突き立てられる。
痛みに狂いそうになりながらも後ろ手にゴブリンの腕を掴み、近くの岩に叩き付けた。
骨が砕けた鈍い音が響き、死を確信するがゴブリンはまだ山ほどいる。
「ぐっ――」
近くに転がる死体は今ので十体目。
だが、体はすでに限界で体が重く、立っていられない。
膝をつき、息を荒げ、いよいよ命の残量が底を尽きてきた。
「ギャギャギャギャ!」
それを好機に思ったのだろう。
ゴブリンの群れは容赦なく武器を掲げて迫り来る。
次に剣を振るった次の瞬間には、俺は殺されているだろう。
でも、それでも。
「一匹でもッ」
剣を握り締め、重い体を引きずるように立ち上がった。
その瞬間、またしてもあの不可解な電子音が鳴る。
しかも、今回は更に不可解な文字が目の前に浮かんだ。
立体映像のプレートのような枠に収まったそれを、俺は無意識に読み上げていた。
「ミッション、達成?」
直後、すべてを理解する。
人が生まれながらに呼吸や歩行の方法を知っているように、本能によって自分のスキルを理解した。
課せられた使命を遂行し、報酬を得るスキル。
ゴブリンキラー。
達成条件はゴブリンの十体討伐。
報酬にはゴブリン特攻+1とあった。
つまり、こんなボロボロの状態でも、ゴブリンが相手なら優位に立てる。
「これならッ」
剣を握り締め、迫り来るゴブリンの群れに挑む。
互いに間合いに踏み込み、剣と剣が振るわれた刹那。
俺には次にゴブリンたちがどう動くか、完全に理解できていた。
来ると思った場所に攻撃が来る。タイミングも、力加減も、ゴブリンの思惑すらも手に取るように探知できた。
相手の数に包囲されようと、それは変わらない。
群れの最中ですべてを掌握し、剣を振るうたびゴブリンの数が減る。
それから幾度となく剣を振るい、気づけばゴブリンは最後の一体になっていた。
「ギャギャギャギャギャッ!」
振り下ろされた剣を弾き飛ばし、翻した剣で袈裟斬りに命を絶つ。
剣を振り下ろすと共にゴブリンは血の海に倒れ、すべてに決着がついた。
最後に立っていたのは俺だ。
「はぁ……はぁ……はぁ……見たか、くそったれ!」
俺はようやくスキルの神髄を知ることができた。
よければブックマークと評価をしてもらえると嬉しいです。