1-1
――東京都心の郊外、緑と灰色のコンクリートが歪に混じる街の中の小高い山の上に建つ大学の名は、泉陵学園大学という。
学生運動の盛んな1960年代初頭に設立された泉陵学園大学は『常識を常に疑い、惟みて、そして自ら行動し時代の先駆者となる』という理念を掲げ、その元に生徒たちは経済学部、理工学部、文学部、法学部、国際学部の五つ学部で勉学に励んでいる。
もちろん自分――冴木明仁も文学部に所属し、二年間奔走してきた。
泉陵学園大学は学業に力を入れる傍ら、自主性、協調性が養われる部活、サークル活動にも力を入れており、その為の資金援助や新設立にもとても積極的だ。だがそれ故に厳しく、毎年成果を挙げることが出来ない部活、サークルは例え開校当初からあった由緒正しきものでも簡単に潰してしまう。
したがって毎年、新入生が入ってくる頃には部活、サークルの顔ぶれは去年とは大分変ったものになってしまうのだ。
潰されては設立され、潰されては設立されていくなかで生き残ってきた部活、サークルは大学内での知名度、人気も非常に高いものとなっている。つまりは生存年数と人気は比例しているのだ。
だがそんな中、たった一つだけ生存年数と人気が比例しない異例のサークルがあった。