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熊谷ゆりと彼女  作者: 海豆陽豆
3/8

「この時間だと日向にいるのは堪えるからね。ここに来て正解だったよ。」

 僕と彼女は島の中央、小高い丘の一番上に位置する神社にやってきていた。この付近はたくさんの木々で覆われているため、直射日光が当たることはまずない。

 管理者を失った建物はどこか寂し気に佇んでいる。つい先日まで掃除が行き届いていたはずなのに、とても古く、朽ちかけのように感じた。

 軒に座って一息つく。時折吹く風が心地よかった。

「はあー、懐かしいね。遊び疲れたらこうやって軒に座っておしゃべりしたな……」

 彼女は六年前の出来事を懐かしんでいるようだった。

 当然、僕にだってその光景は容易に思い出すことができる。

 しかし六年前の熊谷ゆりと目の前の彼女が同一人物であることに酷い違和感が生じてしまい、懐かしむことなどできなかった。

「よかったら、これまでの蓮君のこと、聞かせてくれない?」

 小さく伸びをしながら彼女は問いかける。

「これと言って話すことはないよ、本当に。離島の高校生……まあ通信制だけど、そんな生活が聞きたいならいくらでも話すけど。」

「うん、教えて欲しいな。興味ある。」

 想像以上に好感触だったため、戸惑いながらもつらつらと話していく。

 会話の途中途中に何か問いかけてきたり、楽しそうに相槌を打つ姿は昔の彼女そのものだった。

 だからこそ僕の視線は、彼女を視界に入れることを妨げていた。「まあ、僕の方はこんな感じだよ。…………ゆり、は?」

 ずっと気になっていたことを問いかける。彼女の身に起こったことを全て聞いて、自分の頭を巡る疑問を吹き飛ばしたかった。

「私? 私はね……いろいろあったよ。」

 そして彼女は徐に話し始めた。

「蓮君とお別れして、大体二年後くらいかな。左の頬のね、ほくろが気になり始めたの。」

 ちらりと視線を左に向ける。今の彼女の頬にはほくろが一つも見られず、淀みのない宝石のように美しかった。

「最初はこんなところにほくろができるなんて運がないなーくらいにしか思ってなかった。でも日に日にほくろが私の汚点みたいに思えてきて。まわりの人たちが私の左頬を見てあざ笑ってるように思えてきて、父にお願いしたんだ。ほくろをとりたいって。」

 彼女は自身の左頬をそっと撫でる。しかしそれは愛しいものに触れる手つきではなく、醜いものに爪を突き立てんとするものだった。

「お父さんは何て答えたんだ?」

「だめだって言われた。どうしてって聞いたら、神様から頂いた体を自分で傷つけるのは良くないって。」

 至極、一般的な意見だった。

「私はそのとき、とっても悔しくて、何度も泣きじゃくりながらお願いしたんだ。でも全然取り持ってもらえなくて。最終的には、大人になってそのお金を自分で払える歳になったら好きにすればいいって言われたよ。」

 言葉を紡ぐ彼女の視点は遠くの海へ向かっていた。その瞳に怒りの感情が見受けられたことに、僕は理解ができなかった。

「だからね、我慢したよ。中学校はどうにか通ってたかな。休みがちではあったけど。でも高校の頃にね、耐えきれなくなっちゃった。」

 そして彼女は楽しかった記憶を懐かしむように笑う。

「こっそり台所に入ってね、包丁持ちだして、頬切って取り除こうとしたんだよね。まあ、すんでのところで使用人に見つかって止められたんだけど。その頃からかな、人の視線が怖くなって学校に行くどころか部屋からも出ないようになったのは。」

 その言葉とは裏腹に彼女は今、外に出てきている。自分とも何度か目を合わせて話している。浅はかな僕はこのとき、彼女は恐怖を克服したのではないかと愚考した。

「その状態が一ヶ月くらい続いて、碌に食事をしてなかった私は衰弱で倒れて救急搬送。それを見かねた父がようやく、頬のほくろを取る手術を受けさせてくれたよ。」

 頑固な人だよね、ほんと、と言って笑い声を彼女は上げる。それでも目元は冷ややかなままだった。

「嬉しかったなあ。ようやく邪魔なモノが消えたんだもん。楽しかったなあ。私は綺麗だって過信できたんだもん。」

 そのときには、彼女の表情から笑みは消えていた。

「でもさ、犬歯が目立ってるじゃん。ガキっぽいじゃん。鼻が低いじゃん。みっともないじゃん。顔が丸いじゃん。目元がぼやぼやしてるじゃん。……結局、私は全然美しくなかったんだよね。」

 一人語り続ける彼女をしり目に、僕は僅かに恐怖し耳を傾けることしかできなかった。

「それでまた、父にお願いしたんだ。歯を削りたい、鼻を高くしたい、顔をすらりとさせたい、目元をはっきりさせたいって。そしたら思いっきり顔をビンタされて怒鳴り散らされたよ。それで怒られた。自分を大切にしなさいって。」

 既に彼女は冷静さを失いつつあった。その証拠に彼女の双眸には憤怒が見え隠れしている。

「そのとき初めて親に殺意を抱いたよ。ひたすらに訳が分からなかった。だって美しくなることはいいことじゃないか。ほくろをとって私は少し美しくなった。でもまだ足りない。何度も何度も繰り返していけばきっと、きっと私は理想の私に近づける。……そう言って何度も説得を試みたけど、その度に酷く怒られた。」

 左頬に添えられていた彼女の真っ白でほっそりとした手は頭の方に移動している。そこで彼女の爪は怒りを発散するように突き立てられていた。

「あのときの恐怖はほくろのときとは比べものにならなかった。鏡とかカメラとか私の姿を映すもの全てが怖かった。窓にも映ることがあって、カーテンを閉めたままにしてた。どうにか抜け出して包丁を盗み出そうにも警戒が増していて無理だった。他の刃物も同様だった。もうどうにもならないって思ったんだ。だから……だから来世に賭けてみる気になったんだ。」

「は?」と僕は意識せずに声を出してしまう。彼女の言葉の意味するところ、それはつまり自殺だろう。けれどそもそも魅力的な容姿を持っていた彼女が何をそんなに思い詰めていたのか、それが全く理解できずに呆気にとられた故の反応だった。

 その声を聞いた彼女はクスリと笑うと左手を膝上に戻し、僕に視線を移して話を続ける。

「でもそれは失敗。案の定止められちゃった。でも父は相当ショックを受けてたみたいで私の言うこと全部聞いてくれるようになった。歯を綺麗にして、鼻を高くして、フェイスリフトして、はっきりとした二重にして。私は美しくなったんだ。なったはずなのに……それなのに周りは私を見て嘲笑ってる。私のどこが悪いのか全く分からない。加えて私は美しいと自分を信じてやまない。なのに自分の醜さに対する恐怖が止まらない。みんなが私を嘲笑してる。…………そこで思い出したんだ。あの頃の醜い私でも愛してくれた人がたった一人だけいたって。」

 怒りに染まっていた彼女の双眸は既に穏やかで、愛おしいものを愛でるような目つきに変わっていた。

「あの頃の私に向かって、声に出して、約束したよね? ……結婚しようって。」

 そう言って彼女は頬を赤らめた。

 対する僕は、どんな表情をしていたのか分からない。

 そのときは、彼女が約束を覚えてくれていたことに対する喜びと、約束の本質的な違いに直面し、悲しみと困惑に暮れていた。

 そして僕は、僕たちは約束を果たせないと、確信に似た何かを抱いた。

「今日再会して確信したんだ。蓮君と目を合わせても怖くない。心がどきどきする。安心する。いつまでも一緒にいたい。」

 いつの間にか太陽は水平線に触れ、空を茜色に染めあげている。

「……蓮君、蓮君はどうかな?」

 彼女は少し首を傾け、不安そうに問いかけてくる。

 眩しかった西日は彼女の顔で覆い隠され、その代わりに彼女の表情が鮮明に映し出された。

 好いた相手へ勇気を振り絞って告白するその態度、視線、表情、六年前に結婚の約束を申し出た彼女と何ら変わらない。

 だからこそ、他人の仮面を被っているような美貌が許せず、愛おしさと同時に嫌悪感を抱いていた。

「……分からなくなった。」

 彼女は確かにここにいる。

 しかし僕の知っている彼女はここにいなかった。

「も、もう日も落ちて夜になるから、今日は帰ろう。」

 あまりに露骨に話を逸らす。けれど強引にでも一人の時間を作りたかった。

「…………」

何も言わずに彼女は見つめてくる。

 そのとき、彼女は何か言いたげではあったが、直前でそれを飲み下したのか、ゆっくりと立ち上がった。

「そうだね。とりあえず帰ろうか。それじゃ、また明日。」

 笑みを浮かべながら後ろ手に手を振り、彼女は去っていく。

 階段を下り、彼女の姿が見えなくなると、僕はゆっくりと横になった。

 草木の揺れる音が聞こえる。普段ならばその重奏に耳を傾けているのだが、今は頭の中を彼女の言葉が反芻しており、認識程度しかできなかった。

 小さくため息をつく。

 熊谷ゆりと彼女と僕の三人が分からなくなっていた。

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