樟木勇気の章・その1 第一話 やるしかないとき
ベッドの上で横になり、ただ俺は時が過ぎるのを待っていた。
サイモンもジェシカも外部遠征に向かい、俺は一人、ベッドの上で暇を持て余していた。
すでにサイモンたちが出発して何時間も経っている。
何度か眠って時間を潰そうとしたが、とうとう眠るのにも飽きてしまった。
腰が痛い。
上半身の力を使って、重たい体を動かした。
全くもって自由がきかない。
「勇気隊長。サイモンが戻ってきましたよ」
不意にジャック少尉の声が聞こえた。
「やっとか。報告はサイモンたちの口から聞きたい」
「分かりました」
声のする方に視線を移したがやはり姿は見えない。
「ジャック少尉、裸だな」
「ええ。見苦しいですか?」
「見えないさ。それにこうなってから誰かの訪問があるだけでもうれしく思えてな。レベッカの命令か?」
「そうですよ。私は今日は休みを貰って部屋で休んでいるふりをして、伝令役を務めています。他の者はサイモンたちに危害が加わらぬように見張っています」
「助かるよ。「インビンジブル」の皆さんにもよろしく伝えてくれ」
「はい」
扉が勝手に開き、そして閉まった。
ジャック少尉が部屋から出て行ったようだ。
「ふう」
俺はすべてを受け入れる準備をしていた。
下手をしたら誰かがこの世にいないかもしれない。
一度覚悟をしたが、それでも俺の心は揺れていた。
パタパタパタ。
廊下を駆ける音が聞こえ、俺は入り口のドアをじっと見つめた。
心臓の音が高鳴って、耳が痛くなってきた。
ぎぃっ……
ドアノブが回り、扉を開けてきたのは、
「隊長さん、帰ってきたよ」
「帰ってきました!」
小さな外部行動員と、くせっ毛の金髪が俺の視界に入った。
「奴隷ちゃん、ジェシカ。お帰り」
奴隷ちゃんはベッドの上に飛び乗り、俺に抱きついてきた。
「帰って来れたよ。サイモンとジェシカお姉ちゃんが助けてくれたの」
「良かった。心配したぞ」
あふれる涙を堪えられず俺は奴隷ちゃんの小さな胸に顔を押しつけた。
「隊長さん、ごめんなさい。心配させてごめんなさい」
奴隷ちゃんもぽろぽろと涙を流し始めた。
「隊長さんが泣くの初めて見た」
「いいんだ。帰ってきただけで十分だ。ジェシカ、ありがとう。ジェシカのお陰だ」
「いいんです。私も隊長さんに救われましたから」
ジェシカが少し元気がなく見える。長旅で疲れたのだろうか。
「ジェシカ、サイモンは?」
「問題事を片付けてくると言ってました」
「そうか、無事ならいい。十分だ」
俺は満足して微笑んだ。
「あの……薬ですが、すべて大佐に取られてしまいました。組成式も持ってきたので、薬が大量生成できれば勇気隊長のところにもお届けできると思います」
「そうか。それが奴隷ちゃんを無罪放免する条件だな」
「はい」
その場にしんみりとした空気が流れ込んだ。
俺としては十分満足なんだが、ジェシカは気負っているような気がする。
「あの、これからもお世話させてください。隊長さんには返しきれないほどの恩があります。薬が出来るまで毎日来ます」
やっぱりな。ジェシカは不安を感じやすいようだ。
「ありがとう、心強いよ。だがそんな肩肘を張るな。奴隷ちゃんみたいに倒れるぞ」
「だ、大丈夫だよ。もう無理しないもん」
俺の言葉に反応したのは奴隷ちゃんだった。
奴隷ちゃんは俺の胸に顔をぐりぐりとこすりつけてきた。
その様子を見て俺とジェシカは笑いあった。
「あ! そうだ。あのね、あのね……」
急に奴隷ちゃんがもぞもぞと動き始めた。
奴隷ちゃんは褐色の瓶を取り出して俺に差し出してきた。
「リモハノールだよ!」
「「……」」
俺もジェシカもまさかの事態に顔を見合わせた。
「どうやって持ってきたんだ?」
俺にはそれが疑問だった。
まさかスリの技術でも会得していたのだろうか。
「大佐が私の荷物はチェックしなかったんだよ」
俺は奴隷ちゃんの説明を聞いて、考えを巡らせた。
最近、慎重すぎると有名なジョナサン大佐が? あえて見逃したとしか考えられない。
「大健闘だ。奴隷ちゃん、本当にありがとう」
俺は奴隷ちゃんの額にキスをした。
「あ、ああ……私、そろそろ行きますね」
おっと。ジェシカのいる前ではしたないことをしてしまった。
ジェシカがとても気まずそうに、俺たちに背を向けて部屋を出て行こうとしている。
「ねえ、ジェシカお姉ちゃん」
奴隷ちゃんはそんなジェシカに語りかけた。
「な、なに。奴隷ちゃん」
ジェシカは振り向かずに応答している。
「ジェシカお姉ちゃんも隊長さんにキスして貰ったら?」
奴隷ちゃんの一言にジェシカは体をびくりと震わせた。
俺は何を言ってるのか分からず、奴隷ちゃんと、震えるジェシカの背中を交互に見た。
何かとてつもないことが起きていることに気付き、俺の頭はショート寸前だった。
「わ、私は……私は……」
ジェシカは背を向けたまま、しどろもどろになっている。
「キス……する。したい!」
顔を真っ赤にして涙を流したジェシカが俺のそばに寄ってきた。
「え?」
ジェシカの腕が俺の顔を絡め取り、ジェシカの紅潮した顔が近づいてきた。
頬を伝う涙を見て、俺は心底ジェシカが綺麗だと思った。
絵になる少女が、俺に口づけをしたいというのだ。
待て、そんなのは奴隷ちゃんが許さない。いや、でも許された。え、なんで?
俺の思考は全く追いつかず、徐々にジェシカの顔が近づいてくる。
ジェシカに頭を押さえられる中、俺はハナカマキリの雄が交尾し終わった雌に食われるDVDの映像を思い出した。
「隊長さん……」
ジェシカの荒い鼻息が頬をくすぐり、思わず困惑の中に幾ばくかの劣情が生まれた。
ゆっくりと。柔らかなジェシカの唇が俺の唇に触れ、俺は硬直した。
なぜ奴隷ちゃんが俺にキスさせたのか、そして何でジェシカが泣いているのか俺は理解できずに事態を受け入れざるを得なかった。
ゆっくりとジェシカは俺から体を離し、にこりと笑った。
次は一体どれほど予想できないを事をされるのか、俺はそれだけしか頭になかった。
「隊長さん、あの……」
ジェシカは目を潤ませて俺に語りかけようとしている。
「ど、どうした?」
「私は虐められてました。干されて仕事も与えられなくて……軍の上層部と父の間に板挟みにあって。最後に与えられた場所はチーム・アポカリプスでした」
ジェシカは突如、暗そうな話をし始めた。
俺は頭の中が半分真っ白になっていたので、聞くという選択肢以外思い付かなかった。
「最初はチーム・アポカリプスのみんなから受け入れられるかどうか、不安でした。でも、隊長さんがみんなと一緒に遺書を書いてくれるか、って言ってくれたときは、私、受け入れてもらってすごくうれしく思ったんです」
ううっ、心が痛い!
あれはジェシカにアヌビスで殺されたときに、少しでも悔いの無いように遺書を書いておこうとしただけだ。
ジェシカが偶然、いつの間にか俺の目の前に居たから誤魔化すために書いてもらったが、ここまで好意的に受け取られているとは思いも寄らなかった。
「あの後、思わず感極まって泣いていた私を隊長さんは優しく抱きしめてくれました」
ちょっと待て。お前が抱きついてきたんじゃなかったか?
妙に視線を感じるので上に視線を移すと、俺の上に乗った奴隷ちゃんが生気の無い目でこちらを見下ろしている。
「奴隷ちゃん。一応言っておくがジェシカが抱きついてきたんだ。サイモンに聞けば分かる」
「そうなの? 分かった」
奴隷ちゃんは納得したようで、頷いている。
危ないところだった。俺が浮気性な人間だと思われるところだった。
「隊長さんは、最初から私の事を拒絶せず、怒鳴るサイモンさんから私を庇ってくれました。奴隷ちゃんをスティーブン大佐とともに白人層に拉致したのに、遭難しても助けてくれましたし、私はあなたに返しきれない恩があります」
「ジェシカ、落ち着け。もう返してもらった。こうやって薬も持ってきてくれたし、奴隷ちゃんも今は居る。気負う事はないんだ」
「私、隊長さんの事が好きなんです。お付き合いしてください!」
「!」
俺は呆気にとられた。
そういえば具合が悪いときに、結婚してください、とジェシカに言われた気がする。
病気による夢か妄想だと思っていたが現実だったのか。
これからはサイモンやジェシカを主要メンバーとしてチーム・アポカリプスの再結成を目指すつもりだったが、その前提が崩れ始めた。
いわゆる男女関係によるチームの崩壊だ。
いや、軟着陸させればチームの崩壊は免れるだろう。問題なのは軟着陸の方法が分からないという事だ。
「もしかして、隊長さん。お付き合いよりお見合いとか結婚の方が良かったですか?」
「……」
ジェシカはトンチンカンだ。
俺の事が好き過ぎるのだろうか。
ジェシカには前に進むか、遙か先に進むかの二つしか選択肢が存在しないようだ。この場において軟着陸という言葉は存在しない。
人間にはやるしかないときが来る。それは、もしかしたら今なのかもしれない。




