第九話 世界を照らせし栄光の理想郷
「皆さんよく平気で外を歩けますね」
「周りの人間や環境はそう簡単に変えられない。だから自分が変わるしかない、ってよく言うだろ。それと同じで外部の環境を変化させられないなら私たちが変わるしかないんだよ。泳げないなら船を作り、空を飛べないなら飛行機を作った。人類はそうやって地上を闊歩したらしい。今じゃもう神話の領域だが、昔から私のように条理に刃向かうものはたくさん居るんだ。そしてその一部、選ばれし者こそが叡智を獲得する。このようにな」
吉田博士は愛おしそうに自分のいくつもある手の指を眺めていた。
憎んでいるであろうラッシュフォード博士の血の中にいても、吉田博士は気にしないようだった。
「君たちのシェルターについたら、みんなにもこの叡智を与えるつもりだ。その代わりこの手術はまだ四十パーセントの成功率でね。この技術の発展に付き合ってもらうよ」
「進んでそのような醜い体になりたいと思う人は居ません」
どうやら私たちのシェルター住人にも改造を施すつもりのようだ。
そんなことは絶対にさせない。
「醜い? 愚かだな。だからこその擬態だよ。姿が分からなければ、容姿による差別など存在しない。皮膚の色も関係ない。すべてが平等な世界が待っている。人間は表情で人を判断するが、それは相手のことを理解するのに最大限の障害をもたらす。例を挙げてみようか。直接恋人に会って「浮気をしてない」と弁明するよりも、電話で「浮気をしてない」と言った方が浮気がバレやすい。つまり人間は相手の顔ばかりを見ていると嘘を見抜けなくなるんだ。私もこの方法で妻に浮気がバレた。表情は偽りだ。擬態によって、目に見えなくなることによって、世界が真実に照らされる。私たちの世界に来ないか?」
「残念ながら断らせていただきます」
真実に照らされるとは、擬態があれば清らかな生活が出来ると思っているのだろうか。
私には彼の言っていることが理解できないが、いつか理解できる日が来るのだろうか。
「そうか、それなら仕方が無い。私の理想郷に臆病者はいらないと思っていたところだよ」
「マグ・メル? 常世の国の間違いではないですか」
「ふっ、棺桶と大して変わらないシェルターの中で震えながら暮らしているお前たちが、私たちの事を死者の国の住人だと言うか。面白い、ではどちらが死者の国の住人にふさわしいか神判を下してやろう。神たるこの私がお前たちに引導を渡してやる」
神判か。思っていたよりも吉田博士は思い上がっているようだ。
吉田博士を見ているとスティーブン大佐を思い出す。
彼は調子に乗った結果、私に反撃を食らって死亡した。
スティーブン大佐の死亡に関して、他にも大佐に虐げられていた外部行動員や、リリィ少佐の虐殺動画を見て奮起した者、性的虐待を受けていた白人、様々な人たちが軍の体制に反旗を翻して加害者である私は無罪となった。
吉田博士のやっていた実験は果たしてこのシェルターにいた人たちに受け入れられるものだったろうか。
奴隷ちゃんがタコのお姉さんのエセフェルから吉田博士のことを聞いて恐れるということは、みんな怯えながら実験室まで連れて行かれたのだろう。
練習して成功率四十パーセントという確率を勘案すれば、元はもっと成功率が低かったのは容易く想定できる。
大多数の人が犠牲になった中で、彼に忠誠を誓える人間はいかほど居るだろうか。
彼の実験は間違っている。
確かに吉田博士の言うとおり、声だけの方が相手の嘘や真実をあぶり出せるのかもしれない。
だが、裏を返せば相手の表情が分からない以上、文字通り相手の言った言葉がすべてとなる。表情も身振り手振りもない。
あるのは言葉と声の抑揚だけだ。
お互いの「言語に対する理解力」という抽象的な概念の上で聞いた言葉を転がして、なんとなく会話が出来ればまだいい方だろう。
理解できないまま争いになれば、どちらかが死ぬまで殺し合いが起きる。相手がどれほど苦しんでいるか姿なんて見えないから、理解できるまで致命傷を与え続けるだろう。
それどころか、巻き込まれた人が怒って乱闘騒ぎになったら。もはや誰が誰だか分からなくなる。
吉田博士はそこまで考えているだろうか。
「あいつらしっかり付いてきてるだろうな? くそっ、見えねぇ。擬態を習得させたのは失敗だったか」
私は吉田博士のぼやきを聞いて目を覆いたくなっていた。
おそらく吉田博士は何も考えていないだろう。彼の頭は実験の過程と結果だけが詰まっている。この人をシェルターに入れたら最後、みんな一人残らず実験されてしまう。私たちが最後の防波堤だ。
「あなたは見えなくて不安ではないのですか?」
「別に構わない。生体チップで誰がどこに居るかは判別できる。それで十分だ。裏切り者は死んでもらう。さて、大佐補佐殿。そろそろ雑談は終わりだ」
コックピットの強化ガラスに、何かが乗る音がした。
「叩き割れ!」
どんと大きな衝撃音が響いた。
吉田博士の合図とともに、コックピットの強化ガラスが大きく揺れた。
目には見えないが、目の前におそらく吉田博士の施術したシェルターの住人が乗っているのだろう。
何度も衝撃に耐えられるものではないが、そう簡単には叩き割れないのが、強化ガラスだ。
アヌビスは他の部位にも攻撃を受けているようで、モニターに警告が表示されている。
「ジェシカお姉ちゃん。目の前に輪っかが着いたタコのお化けが乗ってるよ!」
「奴隷ちゃん、落ち着いて。Eレバーよ」
Eレバーは引くと、アヌビスの表面に高圧電流が流れるレバーだ。
エイリアンがアヌビスに乗って、攻撃しようとした際に効果がある装置だ。ちなみに体の一部が炭化するほどの電流が流れているので、触れた生物はそのほとんどが即死する。
左官用アヌビス以上のすべてのアヌビスに付いている機能だ。
私は尉官用にしか乗ったことがないので、一度も使ったことがないがこれに賭けてみるしかない。
「行くわよ!」
私はEと書かれたレバーを思いっきり倒した。




