サイモンの章・その3 第一話 バター犬
今日は奴隷ちゃんがバターを貰ってきた。
俺が勇気隊長の世話をするお礼として、どうやら俺にも手料理を振る舞ってくれるそうだ。 奴隷ちゃんの美味い飯が食えるとはとても楽しみだ。
だがこの前、俺が死なせてしまった訓練生の親族にぶん殴られた。その際に出来た口の中の傷が痛むのが唯一の懸念だ。
奴隷ちゃんの料理を食べればすぐに痛みなんか消えるだろう。
バターだなんて名前しか聞いた事のない代物だ。あ、この前、ホットケーキの上に乗ってたな。それ以外は聞いた事しかない。
外部行動員たちが食べられるのはマーガリンまでだ。
カースト制がなくなるにつれて、俺たちも普通にバターが食えるようになるのだろうか。
そんなことを考えながら俺は廊下を奴隷ちゃんと手をつないで歩いていた。
奴隷ちゃんは食材調達のための同伴として俺を指名した。
売店は奴隷が行くことが出来ないのは、未だ撤廃されていない。
もともと犯罪者の家族ということで、店側も万引きを警戒しているのだろう。
勇気隊長専属の奴隷ではあるが、それでも奴隷を嫌う奴はいる。
俺自身も、俺が死なせてしまった訓練生たちの身内が外部行動員として働いているので、奴隷ちゃんにとばっちりが行かないように手を握ってしっかり守っていた。
「今日はね、凄い料理を作るよ!」
と、いつもとは違う希望に満ちた顔を奴隷ちゃんは俺に見せてきた。
楽しみだ。奴隷ちゃんの料理はおいしくて栄養満点だ。俺も奴隷ちゃんの料理を食べて大きくなった。育つのは主に下っ腹の方だが、増えた分は筋トレで解消している。
「今日はね、いつもとね、違う食材使うの」
「ほう、どんな食材だ?」
俺は廊下を歩きながら、奴隷ちゃんと会話していた。
良い笑顔だ。よほど隊長のことが好きなんだろうな。
俺は、ほっこりした気分になっていた。
「あ、ジャック少尉こんにちは」
奴隷ちゃんは何故かジャック少尉に会いに来たようだ。
ジャック少尉は犬を撫でて、よしよし、よしよし、と呟いているところだった。
ジャック少尉が食材を融通してくれるというのか? 何を持ってるって言うんだ。キャンディーくらいだろう。
「こんにちは、奴隷ちゃん。サイモンくんもこんにちは」
「お疲れ様です、ジャック少尉。この前はありがとうございます」
俺はジャック少尉に頭を下げた。
「私は公正に判断したまでです。無理はダメですよ」
ジャック少尉は静かに笑っている。
奴隷ちゃんは意味も分からずにニコニコしているが、俺は肝を冷やしていた。
ジャック少尉は昇進出来ないのではなく、昇進しないだけだ。少尉になる前は、軍人として地下通路で侵略してくる外部の人間を一方的に殺したとして「烈火王」と呼ばれることもあったらしい。つまり怒らせると怖いし、敵に回すと厄介な人間だ。
「あのね、あのね、ジャック少尉にお願いがあるの」
奴隷ちゃんは目を光らせてジャック少尉にお願いしている。
「なんだい奴隷ちゃん。今日も可愛いね」
「え、そう?」
ジャック少尉は奴隷ちゃんの頭を、よしよし、よしよし、と言いながら撫でている。
犬の扱いと同じな気がするが、可愛い生き物にする行動だと俺は自分に言い聞かせた。
「お願いっていうのはね、犬ちょうだい」
奴隷ちゃんはお金をジャック少尉に差し出した。
「飼いたいの? それなら先日、子犬が生まれたんだ。引き取り手を探していたから無料で良いよ」
「おっきいのが良い。その方が肉が多いからいっぱい食べられる」
「!?」
犬好きのジャック少尉は衝撃を受けている。
「犬は……思っているほどおいしい物じゃないよ」
「バター乗せて食べるって聞いたよ。バター犬って言うんだって」
「!」「!?」
卑猥な言語に俺とジャック少尉は戸惑った。
どこでそんな言葉を覚えてきた。ああ畜生、ジャック少尉がこっちをニコニコしながら見ている。
「サイモンくん……」
「ジャック少尉、安心してくれ。教えたのは俺じゃない」
俺はジャック少尉に向かって首を横に振り、俺の意思を示したつもりだ。
「う~ん、そうですね奴隷ちゃん。パスタの方がおいしいと思いますよ。これは私が可愛がるための犬なので食用として渡すことは出来ません」
ジャック少尉は足下にいる犬に視線を向けた。
「ハッハッハッハッハ……」
ジャック少尉の足下で涎を垂らしている犬は明らかに不味そうだ。
下手をしたら勇気隊長が腹を壊しちまうかもしれねえ。
正直に言うと俺も食いたくねえ。
一方、やんわりと断られた奴隷ちゃんはしょんぼりとした表情になっている。
「隊長さんが痩せて死んじゃうよ。犬でも良いから食べさせたい。犬だったら食べるかも」
奴隷ちゃんの悲痛な訴えを、ジャック少尉はしんみりとした表情で聞いていた。
「凄惨な事件でしたね。彼は救われなければいけません」
ジャック少尉は目をつぶってため息をついた。
「ジャック少尉、薬がないんだ。どうにか融通してくれないか?」
俺はジャック少尉に交渉をかけてみた。
「ありません。供給が途切れました。白人層で供給を待っている方がたくさん居ます。供給元は皆さんの調べているシェルターですよ」
「……俺たちが何をしているか、知ってたのか」
末端のジャック少尉が知っていると言うことは、十中八九、今の外部行動員司令部の大佐であるジョナサン大佐も知っているのだろう。
「一応言っておきますが、この件は私とジェシカ大佐補佐、そして他一名の左官しか知りません。他言しませんのでご安心を」
確かにこの階に居るから耳が早いという可能性もあるが、大佐に知られてはまずい。その左官とは一体誰なのだろう。
「なんで知ってるんだ。誰から聞いた?」
「それは私が私だからです。大丈夫です、ジョナサン大佐は知りません」
ジャック少尉のしたり顔に俺は、困ったような表情を浮かべるほか出来なかった。
つかみ所の無いジャック少尉にぼろを出す前に俺は退散しようと決めた。
「じゃあ悪かったな少尉。俺は今からパスタ作りのための材料を奴隷ちゃんと買いに行ってくる」
「その方が良いですよ」
俺はジャック少尉から離れ、奴隷ちゃんとともに売店に向かい始めた。
「なあ奴隷ちゃん。いつそんな言葉を知ったんだ?」
俺の最大の疑問はそれだ。
「なんかね、ジェシカお姉ちゃんたちが言ってた」
「あのアマ~」
「なに、変な言葉なの?」
「そうだ、使っちゃいけない言葉だ。じつはな……」
俺は奴隷ちゃんに言葉の意味を教えた。
「ええっ!? 汚い。病気になるよ」
「俺もそう思う」
「変な人が居るんだね」
「そうだな。そういえば奴隷ちゃんの部屋に参謀の気持ち悪い写真があるんだろ」
「気持ち悪い写真?」
「ほら、裸の写真があるだろ」
奴隷ちゃんは合点がいったようで、左の手のひらに右手の拳を叩き付けた。
「そうだね。隊長さんが持ってきたんだ」
「そうか。参謀の妹のルルルカに渡してやりたい。遺品なんだ」
「分かった、いいよ。でも参謀さんの写真って気持ち悪いかな?」
「気持ち悪いだろ。だって裸じゃねえか」
「ジャック少尉も裸で勇気隊長の部屋に来てるよ」
「はあっ?」
「前から普通に作戦を聞いてるよね。面白い。寒くないのかな?」
「……」
この子は何を言ってるんだ。
「いつからだよ」
「隊長さんが怪我する前からだよ。たまに居るよ。見えないの?」
「……」
「ジャック少尉面白いよね。お母ちゃんは女の裸は医者と好きな人以外には見せるなって言ってたけど男の人は良いのかな?」
奴隷ちゃんは不思議そうに頭をかしげている。
そういえば、ジェシカの部屋にも裸の女が出るって言ってたな。
病気か、それとも現実か。俺には区別できなかった。
「奴隷ちゃん、今度、ジャック少尉が裸で部屋に居たら教えてくれ。とっ捕まえてやる」
「うん、分かった。約束だよ」
俺は奴隷ちゃんと指切りをした。
折れてしまいそうなか細い指だった。
この手で奴隷ちゃんは怪我をした隊長を守らなければならない。
年齢で言えば、俺の弟とそう変わらないだろう。
「隊長さん、今日は食べてくれるかなぁ」
幸せそうに、そして儚げに咲く花のような笑顔の奴隷ちゃんに、俺は何も言えなかった。
下手に現実を見せれば傷つき、理想を掲げれば現実とのギャップに苛まれるのは目に見えていた。
だから俺は奴隷ちゃんを否定もせず肯定もせず、黙って見ていた。
もちろん気の利いた言葉が思いつかなかったというのも理由の一つだ。
売店で奴隷ちゃんと料理の食材を買うと、俺たちは隊長の部屋に向かった。




