第二話 勇気隊長と奴隷ちゃん
中に入ると、あどけなさの残る少女が椅子の上に座って、涎を垂らしながら眠っている。
とても気持ちよさそうだ。隊長の服を着ているこの少女が隊長だろうか。
男三人だとは聞いていたが、新しい隊長が来たのかもしれない。
「あの、隊長さんですか?」
「ん、んがっ!」
少女は目を覚ましたようで、袖で涎を拭いている。
ボサボサの髪の毛先は傷んでいた。頭頂部からそびえ立つアホ毛がゆらゆらと揺れていた。彼女の服はずいぶん袖が余っていて、ぶかぶかの格好だ。年齢は十代前半、いや、もっと幼いか。
さすがにこのような華奢な体格では外部行動は難しいだろう。だが、彼女は隊長の服を着て、仮にも少佐である私が来るにもかかわらず、涎を垂らして眠っているのだ。
肝が据わっていることには間違いない。
そして美しいとは言えない毛先の傷んだ髪も外部行動員の証だ。
外部行動員として生きる上で美しさは必要ない。
この少女は女性としての全てを捨て去る代わりにその熱意を外部行動に向けているのだろう。私もその覚悟で挑まなければ置いて行かれてしまうに違いない。
「ん? お姉ちゃんだれ?」
「今度この部隊に所属することになりました。。少佐のジェシカ・サラヴァンティアです。失礼ですがあなたが隊長さんですね?」
「……え?」
少女は何を言っているのだろうと表情を歪めている。
では隊長の服を着ているあなたは一体誰だというのか。
少女は自分の着ている服に目を遣り、
「あ、いや、違うの。これはちょっと着てみたかったんだよ。洗濯するから……」
何かを一生懸命に否定している。
「奴隷ちゃん。服は洗濯しなくていいって言ったじゃん。パンツもないし……寒いんだから頼むよぉ」
部屋の奥から声が聞こえる。
「よっこらしょっと」
隊長の部屋に付属している脱衣所から全裸の青年が姿を現した。
歳は十代後半から二十代前半くらいだろう。
風呂に入っていたのか、彼の身体は火照っていた。
引き締まった体格や顔の造形よりも、思わず股間に目が行ってしまう。
「よお隊長。いいモノが付いてんな」
ジャック少尉が笑顔で青年に手を上げた。
隊長と思われる青年は、奴隷ちゃんと呼ばれた少女から、私たちの方に視線を移した。
「……はあ。まったく」
隊長はそのまま全裸で室内を歩き始め、タンスから衣服を取り出して私たちの目の前で着替え始めた。
パンツとシャツの上に、ももひきとババシャツを着て奴隷ちゃんの前に仁王立ちした。
「脱げ!」
「は、恥ずかしいですよぉ!」
「俺の服だ。寒いんだよ」
青年は顔を引きつらせながら、奴隷ちゃんが着ている彼の服を脱がしていく。
奴隷ちゃんは恥ずかしい、恥ずかしいと言いながら、とても笑顔だった。
人それぞれ愛の形があるのだろう、と神妙な気持ちになりながら、青年が着替え終えるのを待った。
「見苦しいところをお見せした。隊長の樟木勇気だ。こいつは俺の奴隷だ。奴隷ちゃんと呼んでやってくれ」
濡れた髪のまま勇気隊長は握手を求めてきた。
手を握ると、堅くて大きな手だった。
お母さんは生前に、その人が本当に働き者かを知りたければ手を見ろ、と言っていた。
乾燥して硬くなった彼の手にはクリームを塗ってあげたいほど荒れている。
「寒い寒い」
勇気隊長の隣で、奴隷ちゃんは急ぐように服を着ている。
正直この階は下の階と比べると気温が十度以上低い。
「隊長さん。頭を乾かします」
奴隷ちゃんが団扇で扇ぎながら勇気隊長の頭を乾かしている。
「俺の気を取り直そうなんてしなくて良い。客人も来ている」
「う、ですが……」
「服、あったかいぞ。お前の体温だ」
勇気隊長はにっこりと笑った。
「ほ、本当?」
奴隷ちゃんは量頬に手のひらを当てて、顔を赤らめている。
奴隷ちゃんはどう見ても子供だ。年齢は二桁に到達しているのか怪しい。
それもあってか、勇気隊長は優しい。甘いとも言えるが、他の部隊に所属する奴隷が同じようなことをしたら、血まみれになるまで暴力を振るわれるだろう。
このシェルター、つまりノアの箱舟第三十七区域はカースト制度が施行されている。
白人のみで構成された軍人を頂点とし、その下に白人のみが許された一般市民が存在する。その下に基本的に有色人種で構成される外部行動員、その下に有色人種の市民、最底辺は奴隷だ。
奴隷は犯罪者とその家族が陥るカーストで、奴隷の子が外部行動員の隊長の服を着るなど殺されても文句は言えない所業だ。
隊長の帽子を被った子供の奴隷が、死ぬまで殴られていた光景を私は見たことがある。
「気をつけるんだぞ。他の隊長のとこだったら殺されるかもしれん」
勇気隊長はそう言って、奴隷ちゃんの頭を撫でていた。
この奴隷の子は運がいい。非常に温厚な隊長に当たった。
私も上司に恵まれたかったとつくづく思う。
「隊長さん、大丈夫です。隊長さんに一生付いていきますから」
まるで兄が妹に接するような勇気隊長と、思いを伝えたいと健気に頑張る奴隷ちゃんの姿に胸が痛んだ。
軽く咳払いをして、
「申し遅れましたが、私はジェシカ・サラヴァンティアです。年齢は十六歳で、階級は少佐です。サラヴァンティア中将の娘になります」
私は自己紹介にて、自分の利用価値を示したつもりだ。
「よろしく。で、何が出来るんだ?」
「出来る……ですか?」
「サラヴァンティア中将の娘なのは分かった。と言うか知ってる。中将から娘をよろしくと言われたからな」
中将である私のお父さんから直々に言われたのなら嫌でも頷くしかないだろう。絶大な権力で、無理矢理面倒を見せられる勇気隊長に申し訳なく思ってしまった。穴があったら入りたい。
「俺が言った、出来るか、というのは外部行動員とともに行動をするのであれば、何が出来るのか教えて欲しい」
確かにその通りだ。私はあくまで自分の立ち位置を示したに過ぎない。
私の権力を見て欲しいのではなくジェシカ・サラヴァンティアとして見て欲しかったのに、自ら権力を示そうとするとは荒唐無稽だ。
「アヌビスに乗れます。指揮……」
「指揮?」
指揮も出せると言おうとしたが、私は口をつぐんだ。私の指揮で外部行動をした部隊は隊員が三割も死亡した。もはや私は指示を出せる立場にない。
「私を指揮してください。アヌビスに乗って、指示通りに動きます」
「ああ、わかった。軍人はみんな仕切りたがると思っていたが少佐はそうじゃないみたいだな」
「色んな人が居ますよ」
「君はきっと長生きするよ」
隊長の不敵な笑みに、一瞬にして肌が粟立った。
この部隊は対エイリアン用犬型車両であるアヌビスに乗った指揮官たちが次々と死んでいる。
その巨大さと頑丈さから鉄の城とも呼ばれるアヌビス。
その乗り手が死ぬのは通常あり得ない話だ。
あまりにも乗り手が死んでいくので、チーム・アポカリプスにはアヌビスに爆弾で攻撃を仕掛けたのではないか捜査が行われた。
しかし、隊長と隊員の部屋を隅まで探したが、導火線どころか爆薬の粉塵さえなかった。
第一、氷点下二〇〇度以下では普通の爆弾は機能しない上に、ほぼ真空状態である外部での爆発は、ゼロ距離爆破でないと威力が期待できない。
即ち単なる不可解な事故死だと最終的に決定した。
外部行動員はカースト上、軍人の二つ下に位置する。
しかし、外部から液体空気を持ってくるという非常に重要な役割を果たすため、軍もかなり慎重に判断したと考えられる。
そうでなければ難癖を付けられて処刑されていただろう。
事実、外部行動において私もチーム・ラグナロクに置いてけぼりにされたこともある。白人の指揮官と外部行動員の部隊長は外部行動において平等である。
隊長と指揮官二人で意見を合わせて円滑に外部行動を行っていく技術が求められるのだ。
「隊長さん。私が長生きすると思いますか?」
「ああ。この部隊に来た軍人……指揮官は高慢で自滅していった。アヌビスは鉄の城じゃない。鉄の棺桶だ。気をつけてくれ」
「は、はい」
ひたすら私は笑顔を作ることに注力した。
この隊長は上から目線だ。そんな気がする。
しかし、私は彼の威圧感に私は怖じ気づいていて、出来ることなら早く退散したかった。
「あまりビビらせるなよ隊長。ジェシカ少佐が怯えてる。それくらいにしてやれ」
ジャック少尉が、笑いながら間に入ってくれた。
「事故死が多くて捜査が入るのが嫌なんだよ。実力が無く、勝手に喚いて死んで、置き土産の捜査を食らうなんて堪ったもんじゃない」
「そうだな。ジェシカ少佐の事が心配なんだよな、勇気隊長」
「ああ、そうだ」
「じゃあ少佐。挨拶も済みましたし、帰りますか」
私はジャック少尉に頷いて、部屋を後にしようとした。
「帰るの? お茶入れるよ」
奴隷ちゃんが湯飲みを持って慌てている。
それに応じて彼女のアホ毛もゆらゆらと揺れていた。
「大丈夫だよ奴隷ちゃん。また来るね」
「また来てね、お姉ちゃん」
奴隷ちゃんはにっこりと笑って手を振っている。
なんて愛嬌のある子だろうか。勇気隊長が甘くなるのも分かる。
「ジェシカ少佐。明日の九時に隊員たちとの顔合わせをしたい。予定はあるか」
「大丈夫です。行きます。それでは」
私は逃げるように勇気隊長の部屋を出た。
この部隊は怪しいが、仮に今まで死んでいった指揮官が事故死だとしよう。
そんなに事故死の多い区域に行って私が行って無事に帰ってこれるのだろうか。
死亡率の高いはずの外部行動員が生き残り、死亡率の低いはずのアヌビスの乗り手が死ぬ。弱い魂を狙う死神でも徘徊しているのだろうか。
「少佐。あまり根を詰めると老けますよ」
「……そんな険しい顔をしてますか」
「はい」
私は顔に出やすいタイプだ。
直そうとしても雰囲気で分かると言われるし、どうしたら良いんだろう。
私は来た道をジャック少尉とともに歩いた。