ジェシカの章・その1 第一話 干されたジェシカ、配属決まる
鏡を見ながら、くせっ毛の金髪に櫛を通した。
母譲りのこの髪は好きだ。他の同僚からは良く言われないが、それは羨ましいからだと自分に言い聞かせている。生意気な目つきと言われるつり上がった目は、凛としたクールな目だと自分に言い聞かせている。
母の遺影に目を移して、私は紺の制服に着替えた。
私は外部行動員たちの指揮官だ。
外部行動とは主にシェルター内に液体空気を運搬する活動のことを主に指す。
地球は千年以上前に巨大な自由浮遊惑星の通過によって、太陽系から弾き飛ばされてしまった。
深淵のような暗い宇宙空間に一人放り出された地球の大気は凍り付き、外はマイナス二一〇度の真空地帯となった。
人類は事前に地熱の利用できる箇所にシェルターを建設し、ノアの箱舟と名付けてそこで暮らすことにした。
あまりにも低い外気温のため、外に存在している空気はほぼ全てが液体に変化してしまった。空気が必要なときにはシェルター外部に出て、回収に行かなければならない。
「ジェシカがさ、また外部行動員を死なせたらしいよ。無能すぎて、ジェシカのことはみんな無視して外部行動してるんだって」
部屋から出て早々、悪口が聞こえてきた。
他の軍人の子たちは少佐と私を慕うが、陰では悪口を言う。
正直この暮らしは疲れた。
外部行動の指揮官としての成績はもちろん奮わない。
前に所属していた部隊・チームラグナロクの外部行動員たちは私の指揮で八人が死亡してしまった。部隊は二十から三十人で編成されるから、私はチームの三割を死亡させてしまったことになる。
息を引き取ったメンバーを見て、
「これからは自分たちの経験と勘でやっていく」
とチームラグナロクの隊長は、私の指揮を無視して外部行動を続けた。
その後もチームラグナロクは指揮官なしで外部行動を続け、少数の死者を出しながらも成果を上げているという。
私は完全にお払い箱になった。
私の価値も居場所もない。
あるのは少佐という階級によって与えられた微力な権力と机だけであって、ジェシカ・サラヴァンティアという人間ではない。
通常ならば大尉から少佐に上がるには大きな壁が立ちはだかっているが、私の父が中将であったためにコネと力業で少佐になれた。
それ自体がそもそも大きな間違いだった。
少佐になったら馬鹿にされず、虐められず、慕われるに違いない。
父に言われるがまま、気軽な気持ちでなってしまったら、降りかかる重圧と責務に私の精神と肉体の疲労はピークに達していた。あまりの適性のなさに軍の中でも不満は上がり始めているらしい。
「辞めたいだと? このままだと俺の責任になるだろうが。何か一つでも功績を挙げろ!」
早いうちに手を打とうと提出した退役届は父の手で紙くずにされてしまった。
致命的に八方塞がりだ。
「ジェシカ少佐、おはよう」
私に笑顔で話しかけてくれたのはレベッカ大尉だった。
レベッカは幼なじみで、気さくに話しかけてくれる。
かけてくれるが、陰では私の悪口を言っていてるらしい。
私に取り繕えば佐官に上がれると思っているのだろうか。
「レベッカおはよう」
私も笑顔をレベッカに返した。
ねえ、レベッカ。どっちが先に少佐になれるか勝負しようよ。
幼き頃に誓った言葉も、今では悪夢のようにフラッシュバックして、私の胸に突き刺さる。
私はコネで少佐になった。ずるをして、私より優秀であろうレベッカを差し置いて昇進したのだ。
私はレベッカの前に立つたびに自責感を感じ、泣きたくなる。
「今日は髪に櫛を通したみたいね。女の子は綺麗でいなきゃ」
男勝りのレベッカはいつも通り明るく笑っている。
レベッカは私のくせっ毛の髪を触り、
「いいなぁ、ブロンド」
と物欲しそうに口を尖らせていた。
「そうだね。魅力的にならないと」
笑い返してみるが、私はレベッカが、
「さっさと妊娠して退役しないかな」
と私のことを他の軍人たちと話しているのを聞いてしまった。
全てが虚構、虚無。
会話ではなくただ私たちは音を発しているに過ぎない。
司令部の前で私たちは別れた。
最後まで笑顔のレベッカに私は恐怖を感じながら、やけに重い司令部のドアを開けた。
私が入ると、鋭い視線がいくつも私に飛び込んでくる。
痛いほど心臓が高鳴り、吐き気がしてきた。
司令部には二つあり、白人のみで構成される軍人を統括する司令部と、有色人種で構成される外部行動員を統括する司令部がある。
私が所属するのは外部行動員を統括する司令部だ。
司令室の中に居た左官達は視線を戻し、みんな忙しそうに書類に目を配っている。
気持ちを落ち着けようと深呼吸をしながら私は席に着いた。
「ジェシカ少佐。お願いがある」
私を呼んだのはスティーブン大佐だ。
大佐に呼ばれ、私は大佐の机の前に立った。
非常に不愉快そうな顔をしながら大佐は一枚の紙を渡してきた。
「最後通告だ。君は少佐としての適性から著しく外れている。会議で君をチーム・ファーストエスケーパーを指揮する事が決まった」
「ファーストエスケーパー、ですか?」
「正式名称はチーム・アポカリプスだ。逃げるのが得意な三人の部隊だからしっかり調教してやれ。上手くいかなければ罷免だ」
罷免。つまりクビと言うことだ。
本当なら今すぐクビにして欲しいくらいだが、恐らくお父さんが頼み込んだのだろう。
次の配属先が決まった私は、動悸がしてきた。
ファーストエスケーパー……聞いたことがある。回収する空気の量はサンプルにしかならない程度の最低な量で、現在は未踏の区域の地図を書いているとの噂だ。
彼らに付いていったアヌビス乗りは相次いで不慮の事故死を遂げているという曰く付きの部隊でもある。
無能の部隊と、無能の指揮官の組み合わせ。ずいぶん粋な計らいだ。
「分かりました大佐」
「護衛を付ける。上の階層まで行って、挨拶してこい」
「……はい」
このシェルターはカースト制度が設けられている。
上から順に軍人、白人市民、外部行動員、有色人種市民、奴隷となっている。
少佐という階級の者が、カーストにおいて白人市民よりも下に位置する外部行動員に挨拶しに行くのは異例中の異例だ。
恐らく、どうにか最後のチャンスを与えられないかと父さんが話を擦り合わせてくれたのかもしれない。
「少佐。ただいま参りました」
護衛の隊員は中年の男性だった。
彼の名はジャックだ。
階級は少尉で外部行動員のいる階層で治安維持に努めている。要は揉め事処理班の隊長だ。今回は私が上の階層に行くということで護衛役を買ってくれたようだ。
護衛の隊員に連れられて、私はエレベーターホールに向かった。
「ねえねえ。ジェシカがファーストエスケーパーを指揮するらしいよ」
「無能のとこでしょ。お似合いよね」
途中でたまたま一室の前を通ると、扉の奥から悪口が聞こえてきた。
「うぅ」
心臓が高鳴り、目眩がしてきた。
「少佐。気にしてはいけません」
ジャック少尉がぼそっと呟いた。
顔は無表情。彼は仕事を黙々行うタイプの顔つきだった。
「わ、わかってます」
ジャック少尉は私のことを気遣ってくれているのだろう。
それでも悔しくて、恥ずかしくて、私は語気を強めてしまった。
エレベーターホールに着くと、私は深呼吸をした。
次のチームは私を受け入れてくれるだろうか。
きっと私の悪評は何処までも広がっていることだろう。
お飾りにでもなれれば幸いだ。
それほど私には価値がない。
エレベーター内に入りF3のボタンを押して、上に向かった。
気分は晴れない。どうしたら円満に退役できるだろうか。いや、退役したとしても次の仕事はどうしよう。シェルター内で飼っている家畜の世話でもすれば良いのだろうか。
「少佐。次も上手くいかないんじゃないかって考えてませんか」
「はぃえっ?」
心でも覗かれたのか、的を射た発言に私は変な声を出してしまった。
ジャック少尉は優しく微笑んで私の顔を見ていた。
「失敗することばかり考えると、本当に失敗しますよ。ジェシカ少佐の散々な評判は聞いてます。この状況下でも受け入れてくれるとはまだまだ捨てたものじゃないですよ」
「そう、ですか?」
ジャック少尉に昇進欲求はないと聞いたことがある。
放し飼いにされた犬に餌をやってニコニコ笑っている評判の良いおじさんだ。彼は相手が誰であっても絶対に媚びないという噂がある。
彼が言う事なら本当かもしれない。
エレベーターが地下三階に着き、ドアが開くと冷気が私の体を包み込んだ。
思わず私は両腕を抱えた。肌が粟立ち、体の筋肉が萎縮していく。
こんな環境に居住する外部行動員達に申し訳ないと思った。
「着てください。少佐の分も持ってきましたよ」
分厚いガウンを少尉は被せてくれた。
本来ならばこれくらいの齢を重ね、統率力と配慮を兼ね備えた逸材がエリートの道を歩むはずだ。なのに私は……
「少佐。苦しくても今は笑顔でいてください。人間の印象は最初で決まります。是非、笑顔を」
少尉は笑顔を薦めてきた。
こんな心境で笑顔になれるわけないでしょう。
喉まで声が出かけたが、ここはぐっと我慢した。
狭い廊下をジャック少尉と歩き、隊長居住区に進んだ。
外部行動員の隊長がこの区域に暮らしている。
私は表札にチーム・アポカリプスと書かれた部屋の前に立った。
ノックをしてみると、反応はない。
「おかしいな。居るって約束だったんだが」
ジャック少尉はドアをゆっくりと開けた。