第三話 液体空気の行方
俺と尾羽はサバイバルウェアからチューブを引っ張り出して、液体空気の湖に投げ入れた。
チューブは数十メートル飛んでいき、着水した。
吸入ボタンを押すと、サバイバルウェアが勝手に液体空気を吸入してくれる優れものだ。
液体空気は主に酸素と窒素で生成されている。
二酸化炭素など融点の高い液体は凍った状態で液体空気の下に沈んでいる。
酸素と窒素は重さが違うので上が液体窒素の層、その下に液体酸素の層。その下に固体空気の層が出来ている。
液体空気を適当に回収すると、窒素が多すぎたり、酸素が多すぎたりとバランスが悪くなる。
測定器が必要量を教えてくれるとはいえ、適量を取るには少し練習が必要だ。
「一、二、三は窒素を。四、五、六は見張りを。残りは酸素を」
尾羽の指示で部隊員たちは液体空気にチューブを投げ込んだ。
「その指示はどういう意味だ?」
勇気隊長の時はそんな指示を受けなかったから、俺は尾羽の意味が分からなかった。
「酸素と窒素の比重を調整するのは面倒だ。だから酸素を重点的に回収する役と窒素を回収する役に分けてるんだ。一人がチューブをムチのように波打たせて液体空気を吸い込むのは非効率と思ってた。だからうちの部隊は部隊員に番号を振って役割を決めている」
「頭が良いな」
「アヌビスがいれば吸引力が凄いからある程度適当なところに管を投げ入れれば良いんだが、目立つからな」
「確かに言えてる」
ルルルカは俺たちの会話を聞いているのかと思ったが、思い詰めたような険しい顔をしている。
「ルルルカ。初めてだからとりあえず吸ってみろ。酸素が八割、窒素が二割で意識するんだ」
「……はい」
ルルルカの表情は冴えない。
ルルルカは乱暴に、チューブを液体空気の湖に放り投げた。
他の外部行動員のチューブの先よりも遙か先にルルルカのチューブは飛んでいった。
「ルルルカ、ちょっとやり過ぎだ」
「……すみません」
「気持ちは分かる。俺もそうだ」
俺はルルルカになんて言葉を掛けてやったら良いか分からなくなっていた。
「なあサイモン。ルルルカちゃんは良い参謀になるんじゃないか?」
そんなとき尾羽がルルルカを褒め始めた。
ルルルカの異変に気付き始めたのかもしれない。
訓練生にとって、隊長に褒めて貰うことはとてもモチベーションが上がる出来事だ。
所属してもいない他の部隊の人間から褒めて貰うという機会はなかなかないことだ。
「俺もルルルカがいい参謀になる予感はするが、まだまだひよっこだ。それにしても尾羽、どうしてそう思う?」
俺は尾羽にその理由を尋ねた。
「そりゃあ静かだし、今も何か考え事をしているように見えるからな」
それはお前が失言をしたからだ。
こんなことになるのなら事前に打ち合わせをしておくべきだった。
元沼地は近場で他の場所よりも安全だと聞いていたから、女の子の訓練生を連れて行く。 その程度しか伝えていなかった。
報連相がなってないなんてジェシカのことを笑えねえ。
「そうか。尾羽はルルルカのことが思慮深く見えるんだな」
「ああそうだ。それに男は女の頼み事に弱い。こうして欲しいと言ったら喜んで聞くさ。なあ、お前ら」
「「「そのとおり!」」」
部隊員たちが歓喜の声を上げてルルルカを勧誘している。
ルルルカはどうするのだろうか。
「ルルルカちゃん、チーム・ラグナロクはいつでも歓迎するぜ」
「えーっと……」
ルルルカは返答に困っているようだった。
訓練生は部隊の人間が死傷したり退職した際に繰り上げで昇格する。
もしくは他の部隊から引き抜かれて正規隊員となる。
ルルルカは現在、チーム・カリユガに所属しているが、行く当てもなく俺と一緒に外部行動を行っている。
そんなルルルカに、現在行われているのは引き抜きだ。
ルルルカが首を縦に振れば、ルルルカはその時点で、壊滅したチーム・カリユガの教育分隊からチーム・ラグナロクに移籍することになる。
基本的に部隊の移籍は部隊ごとに一回目だけは自由だからチーム・カリユガの本隊からは何も言われないだろう。
確かに教育部隊が壊滅したが、俺も教育隊長の任を解かれたし、知らぬ存ぜぬを突き通すだけだ。これ以上ぶん殴られるのもごめんだからな。
尾羽のような部隊長から勧誘が行われた場合、訓練生が拒否しなければ、入隊が確定する。
「すぐに回答を貰いたいわけじゃない。頭の片隅にでも置いといてくれ」
尾羽は待つスタンスをルルルカに見せた。
女性訓練生の場合、どの部隊も欲しいことが多々あるので勧誘する際には優しくすることが絶対条件となっている。
「はい。まだ訓練生の身なので考えさせていただきます」
ルルルカは尾羽の配慮に頷いて見せた。
ルルルカが最終的にどのような判断をするのかは知らないが、俺は勇気隊長の部隊でルルルカと一緒にやっていきたいと思っている。
あくまで隊長が全快すればの話だが、そうでなければ隊長共々尾羽のところに世話になりたい。尾羽は嫌かも知れないけどな。
色々考えているうちに液体空気の回収が終わり、俺はチューブを収納した。
ルルルカも終わったようだ。
俺はチューブ回収のボタンを教えて、ルルルカにチューブの回収をさせた。
「総員、帰還する」
尾羽の指示で部隊員たちは帰還の準備を始めた。
「観測者、異常は無いか?」
「も、問題ないです。たぶん」
観測者はしどろもどろだった。
観測者はとても重要な役割を果たす外部行動員だ。周囲の状況を観測し、的確に伝える必要がある。観測者はチームの安全性の要となる存在だ。
それなのに、しどろもどろの返事をすると言うことは、周囲の状況を把握してなかったのではないかと勘ぐられても不思議ではない。観測者はハキハキと返事をし、分からなければ応援を呼んだり、注意を促せるような判断力のある人間が就くポストだ。
他の部隊から応援が来ている中で、このような失態をすれば、部隊長からめちゃくちゃ怒られる。
他の部隊から練度が低い部隊だと、舐められるからだ。
とは言え尾羽のことだから、訓練という意味合いも含めて実施させているのかも知れない。応援部隊である俺としては肝の冷える思いだ。
「帰還しろ」
観測手の帰還を確認してから尾羽は部隊を撤収させ始めた。
帰り道もチーム・ラグナロクの部隊員たちは談笑しながら、帰って行く。
未踏の岩山地帯と比べたら、かなり気楽な仕事だ。
これで同じ報酬がもらえるとしたらこちらの方が割が良いのかもしれない。
だがチーム・アポカリプスはシェルターの付近に土地を持っていないので回収は不可能だ。もし近くで回収をしたいならその土地の権利を持つ部隊と交渉をする必要が出てくる。
「なあサイモン」
突然尾羽が俺に話を振ってきた。
「なんだよ」
元沼地は気楽なもんだなあと思いながら、俺は渋々返事をした。
「俺たちの仕事は割の良い仕事に見えるかもしれないが、最近、液体空気が戻ってこない話がいくつかの貯留地から聞こえる」
「なんだって?」
大昔は液体空気は回収すればするほどその貯留量が減っていくと考えられていた。
だが、実際は液体空気の貯留地にはどこからともなく液体空気が流れ、溜まっていくのがここ数十年の研究で明らかになっている。
今までは漏れ出た空気が真空下で液体となり、流れ着く最終地点が現在、液体空気の貯留地になっていると考えられてきた。
事実はどうかは知らないが、液体空気がなくなってきているというのは死活問題だ。
俺たちが生きるための空気の量が減っているということを意味する。
「実は他の貯留地も戻りが悪くて困っているらしいな」
「マジかよ。液体空気はどこに行った?」
「分からないよ」
尾羽のいらつきを見て、自分は愚問を投げかけたことに気付いた。
そりゃあそうだ。消えた液体空気の行方を知っているということは、同時に大量の液体空気の貯留地も分かると言っているようなものだ。
分からないと返ってくるのは当たり前だろう。
「たまに液体空気が泡立っているときがあるんだ。もしかしたら地下深くに吸い込まれているのかもしれない」
「そんなことになったら手の施しようがねえ。こんな固い地面を掘り出すのは不可能だ」
俺は背筋を凍らせながら、シェルターに続く道を歩いた。
固くなった地面の感触を足で感じ、俺は苦虫を噛み潰したような顔をした。
凍って固くなった地面はアヌビスで砕くのも一苦労だ。
「ま、あくまで可能性さ。なくなったら他の場所を探すよ。少し経ったら戻ってくるかもしれないし」
「そうだな。それに期待しよう」
俺はしんみりした気持ちになりながら帰路についた。




