第三話 私、婚約します
三日後。
中途半端に引きちぎれたブロンド、青く腫れた右目。
私の部屋に置いてある鏡には無様な顔をした少女の顔が映った。
これが私なのか。視界不良だが、気分は快晴だ。
綺麗な顔なんだから、少しは化粧をしなさい。
レベッカの言ってくれた言葉を思い出して、裂けた唇に慰め程度のクリームを塗って私は唸った。
父と殴り合いの喧嘩をし、青痣だらけになった。
それからというもの、変な噂が立っている。
「ジョナサン大佐が以前殴られて重傷を負ったが、それはジェシカと決闘をしたからだ。その後、ジェシカはジョナサン大佐のリベンジマッチを受けたらジェシカは大佐にボコボコにされた。ジョナサン大佐に負けた腹いせに、父親のサラヴァンティア元中将をボコボコにした」
そんな噂が立っている。
私は狂犬か何かか?
あえて言おう。ジョナサン大佐をボコボコにしたのは私じゃない、レベッカだ。
いつもなら根も葉もない噂話に気を落としていただろう。
だが私はなんだか、晴れ晴れとした気分でいた。
父、いやサラヴァンティア元中将には愛想が尽きた。
これからは誰の事も気にせず、生きて行こうと思う。私はもう少し、自分のために生きていいんだ。そうじゃないと一方的に搾取されるだけだ。
「……」
では今から奴隷ちゃんと隊長さんに今の気持ちを伝えるとして、自分の意見を通すとしよう。通しても良いのだろうか。
おそらくは程度問題なんだろうな。
「程度か。程度?」
そもそも程度問題って何だろうか? 程度ってどの程度考えれば良いのだろう。
思案に耽り、ブスな顔になっていると、扉をノックする音が聞こえた。
「ジェシカ、寝てないでしょうね。返事の時間よ」
「大丈夫だよレベッカ。起きてる」
私は鏡から離れて、部屋のドアを開けた。
「レベッカ、よろしくね」
「任せないさい。それにしても酷い顔ね」
私は震える手でレベッカと手をつなぎ、部屋を出た。
「ふぅ~」
外部行動員層に到着し、私は勇気隊長の部屋の前に来た。
心臓が高鳴る。結婚をした人たちは皆この心臓の高鳴りを越えて来たのだろうか。
「ここから先はジェシカが頑張るのよ。私は帰るからあとは頑張りなさい」
レベッカは真剣な顔をして私を見つめている。
「一緒に来てくれないの?」
「行かないわ。あなたが勇気隊長と結婚するのよ。さあ、勇気を出して」
「……うん」
私は意を決して、ドアをノックした。
「私は帰るわ。あとで結果を教えてね?」
レベッカは手を振って帰ってしまった。
孤独感を感じながらも、逆に私は勇気に満ちあふれた。
逆境こそ人が命を燃やして踏ん張れるときだ。
今、私はこの時に、勇気を出して立ち向かうべきだ。
「どうぞ」
勇気隊長の声が聞こえて、私は中に入った。
凄く緊張する。心臓が張り裂けそうだ。
私は視線を落とし、息を整えた。
視界にベッドから垂れた足とその隣に立つ痩せた足を捉えた。
視線を上に向けるとそこには勇気隊長と奴隷ちゃんがいた。
勇気隊長はベッドの端に座り、ベッド柵に手を付いて、体を支えている。
奴隷ちゃんは笑みを浮かべているが、どこかぎこちない。
その傍にはサイモンがニコニコしながら立っていた。
だが三人は私の顔を見て、一瞬で顔色を変えた。
「ジェシカどうした? 誰にやられた?」
「ひでえことしやがる。猫と喧嘩でもしてきたのか?」
「お姉ちゃん大丈夫?」
サイモンと奴隷ちゃんが驚いて、私のそばに足早にやってきた。
「大丈夫ですよ」
「隊長、話を聞く前に医者に連れて行くのが先じゃないか?」
「サイモンさん、行ってきましたよ。折れてないって言われました」
サイモンは私が結婚の話をしに来ている事を知ってか知らずか、今から雑談でも始めそうだった。
このままでは茶番で終わってしまう。
サイモンが主導している話の流れを断ち切らねばならないだろう。
「勇気隊長、三日間お待たせしました。私の思いを聞いて貰っても良いですか」
「ああ」
私の言葉に隊長さんは頷いてくれた。
サイモンも穏やかな笑顔で私を見ているのを視界の端で捉えた。
私は祝福されているのだろうか。
うん、きっとそうだ。
私はかなり不器用だけど、それでも少しくらいは祝福されても良いんじゃないかなって、今では自分の事を少しだけ認められる気がする。
私は少し空気を多めに吸った。
よし、言うぞ!
「やっぱり私は勇気隊長と結婚したいです。三人で結婚しようとも構いません。いや、むしろ奴隷ちゃんとなら、上手くいきそうな気がします」
私は自信満々に奴隷ちゃんの方に目を向けた。
不安そうな表情は見せてはいけない。恐怖は人に感染する。
幾ら将来が不安だろうと、悲観的な未来が待っている予感がしても、私は笑顔を見せ続けた。
これが私の奴隷ちゃんに対する最大の礼儀だ。予感など嘘っぱち、まやかしに過ぎない。
奴隷ちゃんは、恥ずかしかったのか頬を赤らめていた。
「ジェシカお姉ちゃん。私とも結婚してくれるの?」
奴隷ちゃんの問いに私は私は頷いた。
これから三人で未来を切り開いていくんだ。
隊長さんは何も言わなかったが、優しく微笑んで頷いてくれた。
一方、その隣でサイモンが、
「すげえ、三人で結婚か」
と一言だけ言って目を大きく見開いていた。
「じぇあ、ジェシカお姉ちゃん。私とちゅーしよう」
奴隷ちゃんが満面の笑みで私に寄ってきた。
「ちゅ、ちゅー?」
「三人で結婚するからジェシカお姉ちゃんは私の奥さんだよね。私もジェシカお姉ちゃんの奥さんになるから誓いのちゅーしよ!」
私にその提案は違和感があったが、奴隷ちゃんとしては私の緊張を感じ取ったのかもしれない。
隊長さんも困惑してるのか、
「俺より先に?」
と言っている。
奴隷ちゃんは私の事を試しているのか。それとも、どうにか緊張を和らげようと肉体的接触を図ろうとしているのかもしれない。
本で見た、ボノボ同士がお互いの陰部を舐め合うことによって、群れの中の緊張をほぐす行動と似た本能的な行動だろうか。
ひとまず今の奴隷ちゃんは口づけを所望している。
女の子とキスだなんて、レベッカと「王子様とお姫様ごっこ」をして以来だから十年以上前になる。
「じゃあお姉ちゃん屈んで」
「こ、こう?」
うれしそうに声のトーンを高くする奴隷ちゃんに、私は戸惑いながら姿勢を低くした。
キス……かぁ。大人になった今では少し抵抗がある。
「そんな感じでいいよ。行くよ」
奴隷ちゃんが目をつむって顔を近づけてきた。
私にそういう趣味は無いが、ここは奴隷ちゃんの心意気を無碍にしないように……
ちゅっ、と奴隷ちゃんの唇が音を立てた。
「ん!?」
や、わ、ら、かっ!
私の口に奴隷ちゃんの唇が当たった瞬間、私は驚いて後ろに飛び跳ねてしまった。
思い出した。子供の頃はレベッカの唇の柔らかさが好きで、よくレベッカにキスをしていたんだ。
あまりの気持ちよさに私は戸惑う一方だが、奴隷ちゃんは呆けた表情で私を見上げている。
「静電気が来た? それとも……ちゅー嫌だった?」
拒絶されたと思ったのか、奴隷ちゃんは体を急に縮め始めた。
眉間に皺を寄せ、眉を下げて、酷く悲しそうな顔をしている。
このままでは勘違いで、三人の結婚生活が危ぶまれてしまう。私がきっかけでこの関係が崩れたら、何のために奴隷ちゃんが譲歩してくれたのか意味がわからなくなる。
「奴隷ちゃん、あのね……」
私は覚悟を決めた。
これは私の責任だ。土壇場で粗相をしたのはこの私だ。
ならば、私が謝るのは当然だ。
「ごめんね。さっき奴隷ちゃんの唇が柔らかすぎて、びっくりしたの」
「私の事が嫌いじゃないの?」
泣きそうに奴隷ちゃんは口をとがらせた。
「違うわ。き、気持ちよすぎたのよ。もう一回するわよ!」
「え?」
私は左手で奴隷ちゃんの右腕を摑み、顎を右手で、くいっと少しあげた。
「あ、う?」
可愛らしい奴隷ちゃんの反応と吐息に、私も劣情と興奮を抱き始めてきた。
そういえば知人が、自分の子供にキスをされるとその唇の柔らかさに驚いたと言っていた。
私はもはや奴隷ちゃんの唇の虜になってしまったようだ。
「ジェシカお姉……」
私は奴隷ちゃんの柔らかな唇に向かって貪るような口づけをした。
「んっ、んんん!」
奴隷ちゃんが少し苦しそうに声を上げていたが、私はお構いなしに「ジェシカ」を表現した。
そう、これが私。いや、これも私なんだ。
「ん、んんん!」
もしかしたら自分が嫌われているのかもしれない。
そんな考えを容易く吹き飛ばしてしまう位に濃厚な愛を私は奴隷ちゃんに注ぎ込んだ。
「ぷはっ」
奴隷ちゃんが炭酸水を開けたような声を出しながら、息をし始めた。
初めての事だったのだろう。
私は奴隷ちゃんからゆっくり離れると、満足した気分で自分の口を拭った。
私のキスで魂が抜けたような奴隷ちゃんは、呆然として私を見つめている。
奴隷ちゃんはどこかうっとりとしたような、恍惚の表情を浮かべていた。
「ねえ、奴隷ちゃん。これからも私の事、信じてくれる?」
「あ、あああ……」
奴隷ちゃんは私の質問に答えなかった。
奴隷ちゃんは私から視線を離し、隊長さんの方に体を向けた。
「た、隊長さん。舌が……舌がね、舌が……」
奴隷ちゃんは生まれたての子牛のように全身を震わせながら隊長さんの方に向かっていった。
一方、隊長さんとサイモンは開いた口が塞がらないようで、呆然としている。
「隊長さん。私、この通り奴隷ちゃんも好きですよ?」
私と奴隷ちゃん。二人の仲は問題ない事を私は隊長さんに伝えた。
隊長さんは私の声にはっとしたのか、そばに寄ってきた奴隷ちゃんを、ぎゅっと抱きしめた。
「じぇっ、ジェシカ! 言っておくが奴隷ちゃんは渡さないからな。絶対にだぞ!」
「隊長、落ち着け。ベッドから落ちるぞ。安心するんだ、二人とも隊長の花嫁だ」
サイモンが怒り始めた隊長に焦って、間に入ってきた。
どうにか隊長さんを宥め賺そうとしているようだ。
「サイモンは甘い! 嫁に嫁を取られたらどうする!」
「はっはっは。そんな事を言えるのはこのシェルターで隊長だけだ。よっ、シェルターで一番のモテ男!」
サイモンは隊長さんの肩をバンバン叩いている。
「もちろん隊長さんの事も好きですから、あまり怒らないでください」
近づいて隊長さんを抱きしめると、ゴツゴツとした筋肉の感触が体に伝わった。
「じぇ、ジェシカ……」
急に抱きしめられて、隊長さんは戸惑っているようだ。
「私は奴隷ちゃんと仲良くします。隊長さんの事も愛すことを誓います。これからもよろしくお願いしますね」
私は隊長さんの顔を見て、茶色い瞳をじっと見つめた。
隊長さんの答えを求めるべく、そして逃さないという意味で、私は隊長さんの顔を見続けた。
「ジェシカ。なんて言ったらいいか。本当に俺で良いのか? 有色人種だぞ。それにまだ動けていない。議長の息子という点で俺は名誉白人には絶対に……」
「私が選んだんです。私の意思で決めて、あなたの下に来ました。二言はありません」
私の目を見たのか、隊長さんは納得したように頷いてくれた。
「ジェシカ、よろしく頼む。これから夫婦生活を三人で頑張っていこう。外部行動はまだ何とも言えないけど、俺は俺なりに努力していく。奴隷ちゃんもおいで」
私たちは三人で抱き合った。
「頑張ろう。例え何が起きてもみんなで解決するんだ」
勇気隊長の言葉に私の頬を涙が伝った。




