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絡繰の神鷹たち  作者: 和泉キョーカ
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主鷹司の少女

 思えば、あの事件が起きてからこっち、琥珀様の心からの笑顔ってのを見なくなった気がする。

 この日の都の空は、秋の長雨が去って、吸い込まれそうなほどに蒼く高く澄んでいた。地味な色の服を着た十六歳の少女、鶴喰つるばみは、都の中央を大内裏へと伸びる大通り、陽霊大路ひりょうおおじを、伸びをしながら大内裏へと歩いていた。辺りでは朝市の準備をする商人たちが慌てた様子で荷物を運んでいる。

(仕事少ないといいなぁ……。)

 そんなことを思いながらふと空を見上げた鶴喰の視界に、黒煙と火花を吐き出しながら大内裏の奥へと消えていく、人型の大型絡繰兵器が飛び込んできた。

「……人生楽あり苦あり。」

 苦い顔をしながら、鶴喰は足を速め、大内裏に向かっていった。

 十の月も半ばを過ぎた乾いた風を頬に感じながら走り続けるが、昨夜都の端に住む祖父母の家に遊びに行っていた鶴喰にとって、王宮に近付いているような感触は全くしなかった。

「大陸の王都を真似るのはいいけど、もうちょっと庶民に優しい造りにしてほしいよねっ! それか神鷹を一般化して移動手段にするとかさぁ! あ、それいいじゃん! おばぁさんも喜ぶわそれ!」

 息を荒げながら徐々に増えてくる往来の人々を押しのけ、大内裏の正門である陽霊門を目指す鶴喰。そんな彼女の背後から、ゴトゴトと音を立てて、絡繰式の木製四輪車両が近付いてきた。明らかに鶴喰を追い越す勢いだったのだが、鶴喰が走るそれまで速度を落とすと、車窓の御簾が引き上げられ、齢十やそこらの少女がひょっこりと顔を出した。

「鶴喰じゃない! そんなに急いで、どうしたの? 朝方の門限まではまだまだ余裕があるわよ?」

「琥珀中宮!?」

 それは、『内裏後宮にて妬む者なし』と謳われた史上最年少の皇帝中宮、琥珀紅彩殿中宮こはくくしんでんのちゅうぐうであった。

「な、何故このような時間にこのような場所に!」

「あら、貴方の事だから言わなくても知っているとばかり思っていたわ。少し海の方に外遊していたの。楽しかったわよ! わたくし、海って初めて見たわ! あとで紅彩殿くしんでんにいらっしゃいな、鶴喰! 色々お話したいわ!」

「は、ありがたきお言葉ではございますが、何分私急いでおりまして……。」

「神鷹籠で何かあったの?」

「先程南方の空より手負いの神鷹が一体籠へと消えていったもので……。」

「あら、それは大変! 鶴喰、この車に乗っていきなさい!」

「は、はいぃ!!?」

 突拍子もないことを言われ、一瞬躓く鶴喰。しかし琥珀は同乗していた護衛に命じ、有無を言わせずに鶴喰を車内に引きずり込んでしまった。

「いやいや! いくら私が琥珀様との友誼を結んでいるとは言え、これはさすがに身分の差異というものが……!」

「大丈夫よ鶴喰、わたくしが勝手に貴方を車に乗せたんですもの。貴方を非難する者はいないわ。いたとしてもわたくしが黙らせます。」

(たまに怖いこと言うよなこのおてんば姫……。)

 鶴喰は脂汗まみれの顔で肩身を狭めながら、車室の隅で縮こまっていた。そんな鶴喰の隣にぴょんと腰を下ろし、キラキラした目で鶴喰に話しかける琥珀。

「ねぇねぇ! 貴方は海、見たことある?」

(すっごい良い匂いがする……。)

 『後宮いちの美少女』とも言われる琥珀の笑顔を直視し続け、毎度ながら同性なのにドキドキしてしまう鶴喰。

「い、いえ。生まれも育ちも都の端ですので。」

「すっごく広いのよ! 国外れの大湖とは比べ物にならないくらい! 空と水が果てなくずぅーっと先まで伸びていたわ! また行きたいわ! その時は鶴喰も一緒に行きましょ! 双葉姉さまや桔梗様もご一緒に!」

「あの、えぇまぁ、その。護衛って意味では何も問題はございませんとも。えぇ……ですが琥珀様。私をどういった名目で連れていくおつもりなのですか?」

「もちろん、わたくしの友人よ!」

(天真爛漫娘の弊害――!!)

 面倒なことになってきたぞぉ、と鶴喰はボサボサの黒髪を左手で掻きむしる。

「良いですか琥珀様、琥珀様は内裏でも大人気の紅彩殿中宮なのです。対して私は内裏において最も格の低い主鷹司にございます。身分の全くかけ離れた者同士が『友人』などと、世間は絶対に許しません。律に触れる可能性だって充分にございます。」

「それがどうしたの?」

「……はい?」

「誰が誰と友達になろうとその人の勝手よ。それを邪魔する律があり、わたくしと貴方の関係がそれに触れて、貴方が刑部ぎょうぶに捕らえられると言うのなら、わたくしはこの髪を切り落とすことだって躊躇しないわ!」

 それまでの愛嬌に満ちた眼とは打って変わって、どこまでも真摯な眼差しを見て、鶴喰は呆れたように溜息をついた。

「……それにしても、いきなりどうしたの? 鶴喰。今までの貴方は、そんなこと全く気にしていなかったじゃない。」

 その言葉に、鶴喰はぎくりとしてしまう。

「……あ。」

 どう答えようか迷っていた鶴喰よりも先に、琥珀は真実に行き着いた。

「璃寛さんね。」

「うぐっ。」

 陰陽寮に勤める実兄の名を出され、鶴喰は変な声を漏らしてしまう。

 この琥珀という姫君、侮ってかかると痛い目を見る、伊達に十一歳で中宮まで上り詰めていないだけの実力を持っているのだ。

「璃寛さんに後宮に通いすぎだ、とか言われたんじゃないかしら?」

「……ご明察であります……。」

「本当に貴方って人はお兄さんに弱いわね、鶴喰。」

 何も言い返せないまま、鶴喰と琥珀を乗せた絡繰車両は、紅彩殿の前に到着した。


 大溜息をつきながら、作業台で設計図を見つめる鶴喰。そんな彼女の元に、ひとりの少女がやってきた。

「な~に深刻な顔してんのさぁ、鶴喰ぃ。」

「あぁ~、もう聞いてよ水柿!」

 鶴喰が水柿みずがきと呼んだ鶴喰と同い年の下級帝都衛士の少女は、鶴喰から事の顛末を聞いて、ケラケラと笑い出した。

「笑い事じゃないよまったく!」

「んでもさぁ~、鶴喰が身分だの階級だの言ってるのって、確かにちょっと違和感あるよねぇ。」

「全部あのクソ兄貴のせいだよクソ兄貴の。」

「んなこと言ってるとぉ~。ほらそのクソ兄貴さん使い魔たくさん持ってるじゃない。どこで見てるかわかんないよ~?」

「妹の生活逐一監視してたらもうそれ兄じゃなくて変質者だよ……。」

「ははは! 違いない。」

 ところで、と水柿は話題を変える。

「それ、『月夜鶫つきよつぐみ』の設計図?」

「ご名答。さっき急患が一人来てなぁ。」

「帝都衛士で月夜鶫使ってるの玉響さんだけじゃない?」

「そ、玉響のオッサンの月夜鶫。何の任務かは聞いてないけど、割と損傷ひどかったわ。多分あと数十分駆動させてたら空中大破してただろうな。」

 鶴喰の官職は、『主鷹司しゅようし』、すなわち、人々に備わった奇跡の力『神指しんし』で動く絡繰でできた人型の兵器、『神鷹』を調整、修理する職務である。

「あの好色オヤジ、旧式の神鷹を使うのはいいけど、せめて設計図くらい万全の状態で保存しやがれよなぁ!!」

 そう嘆く鶴喰の手元の設計図は、左上に書かれた『月夜鶫』の文字こそはっきり読めれど、肝心の図面部分はほとんどの箇所が掠れており、解読するのが困難な状態になっていた。

「こりゃあひどいねぇ。図書寮ずしょりょうでも行ってくればぁ?」

「えぇ……めんどい……。」

「めんどいって、別にそう遠くないでしょ?」

「いや、だって蒼華殿そうかでん通るしかないし……。」

「あぁ、黎明院れいめいいん国母こくも様ね……。」

「あの中宮にしてあの国母様だよ。それに囲まれてる今の皇帝って実はそんなに階級に縛られない人間なのかな……?」

「まぁ、璃寛さんとよく町娘の話題で大笑いしてる辺り、そんなに階級でどうこう言うような人には見えないよね。」

「え、普段そんなこと話し合ってんの、あのクソ兄貴。」

「うん、何度か聞き耳立てたことがある。」

「な~にが『後宮に行き過ぎると首が飛ぶぞ~。』だよ!! 思いっきりお前が権限無視してるんじゃねぇか!!!」

「いやまぁ璃寛さんは陰陽寮だし。そんなに権限逸脱しているわけじゃあなくないかいね?」

「いやしてるよ。寮に籠って六芒でも切ってろってんだ。何を天孫様相手に町娘の話題で盛り上がってるかね。」

 はぁ、と溜息をひとつ、鶴喰は設計図を無造作に細く巻き、内襟の小物入れに差し込むと、水柿を引き連れて、その場を離れた。


 今まで鶴喰がいた場所は、内裏の敷地の端の端にぽつんと建つ小屋を介して地下に広がる神鷹専用の格納庫、『神鷹籠しんようろう』であり、そこから最短距離で古今東西様々な文書が管理・保存されている『校書処こうしょどころ』に行くためには、皇帝の親族が住む蒼華殿の前を通らなくてはならない。

 勿論、遠回りをすれば良いのだが、そうなると今度は選民意識の強い官人が往来する広場を抜けなくてはならない。鶴喰にも水柿にも、自らの職位に劣等感など微塵も持ってはいないのだが、そういった傲慢な官人たちに含み笑いでちらちら瞥見されるのは鼻持ちならない。

 そんな輩共に軽蔑されるくらいなら、普段通い慣れている後宮を通った方が百倍ましという物だ。

「あらあらまぁまぁ!」

 ――ましと最良は大きくかけ離れているわけだが。

「鶴喰ちゃんじゃない! また遊びに来たのかしら?」

「あー、その、国母様……。」

 蒼華殿前庭。御年七十六歳にして、全く老いを感じさせない皇帝の母君、即ち皇太后たる、黎明院嚠喨れいめいいんりゅうりょうに見つかってしまった鶴喰は、顔の下半分を苦い顔に、上半分を取り繕った笑顔という、なんとも器用な芸当をして見せた。

「なぁに? また琥珀ちゃんに会いに来たのかしら! ごめんなさいねぇ、今琥珀ちゃんこっちにいなくてねぇ。」

「その、国母様。」

「あ、そうそう! この前ね、大陸の方に行く用事があったのよ! お土産買ってあるから、鶴喰ちゃんも持っていくと良いわ!」

「国母様ー!」

「それにしても、皇帝って言うのはどこも同じような物なのね。あっちの皇帝さんも稚児好みでねぇ、驚かないでよ、皇后陛下が今年十五歳なんですって!」

「……。」

「それとね、向こうの後宮は、宦官と言って、去勢された男性がお后様達のお世話をするんですって! この国じゃ考えられないわね! 去勢された男に世話されるなんてまっぴらごめんよ! あぁ、この国に生まれてよかった!」

「……聞く耳がないのかな。」

「しっ! ……国母様は若々しいとは言え御年が御年なんだよ。耳も遠くなるさ。」

 水柿と鶴喰がヒソヒソと話し合っていると、黎明院がにっこりと笑って、

「聞こえていますよ。」

 と嫋やかに告げた。その静かな気迫を宿した一声に、身を震わせながら顔を青くする鶴喰と水柿。

「そ、その。申し訳ありません……い、如何様にもご処分を……。」

 涙目で鶴喰が言うと、黎明院はからからと笑い、それじゃあ、と処分を言い渡した。

「ちょうど暇していたのよ、話し相手になってくれないかしら?」

「は、はぁ……。」

「さ、あがってあがって!」

 促され、鶴喰と水柿は、靴を前庭の砂利の上に揃え、黎明院の先導で蒼華殿の中へと入っていった。


 どれだけ時間が経っただろう。下町の流行色、労働者の朝餉、その他諸々、黎明院の興味の赴くまま、鶴喰と水柿が黎明院と談笑していた時だった。

 突然、引き裂くような女性の悲鳴が、屋内に響き渡った。

「何だ!?」

 こういった緊急事態に慣れている水柿が、いつでも立ち上がれる態勢になるも、黎明院の目前で立ち上がるのは無礼と判断したのか、すぐに座ってしまう。

「紅彩殿の方からだわ……!」

 緊迫した語調の黎明院が立ち上がり、次に水柿、最後に呆気にとられていた鶴喰が慌てて立ち上がり、廊下を音高く鳴らしながら紅彩殿の方へと駆けだす。

 紅彩殿の廊下には、大勢の女官と、大勢の後宮の住人たちが、眉をひそめながら人垣を作り出していた。

「退きなさい!」

 黎明院の一声で割れた人の波の中を、突き刺さる軽蔑の視線を無視しながら、鶴喰と水柿はその場所まで走り続けた。

「なッ……!」

 先に到着した水柿が息を呑み、黎明院も真っ青な顔をしている。鶴喰がその場所に辿り着くと、そこにはひとりの少女が倒れていた。

 恐らくは下女であろう。帯の色が紫色であることから、紫水殿しすいでんの召使だろう。腹部がきれいに縦一文字に切り裂かれ、体内の臓物と大量の血液が、木製の廊下に無造作に飛び散っており、その眼は、驚愕と絶望に見開かれていた。そして、その手には。

「これは……どういうことなの……。」

 鮮やかに艶めく、琥珀が握られていた。

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