表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

桃太郎と優しい鬼【前篇】

 後頭部に、鈍い痛みが奔った。

 

 桃太郎が背後を振り返ると、少し離れた位置から、村の子供達が様子を窺っている。

 

 足元には子供達が投げたと思われる石が転がっていた。


「ッ……こんのガキ共……!!」


 桃太郎の額に青筋が浮かぶ。


「桃から生まれた妖怪ー!」


「妖怪はこの村から出て行けよ!」


 子供達は怯むことなく、桃太郎に石を投げつける。降り注ぐ石を左手で払いながら、桃太郎は拳を振り上げた。


「うるせえ!! 黙れ!!」


「うわー妖怪が怒ったー!」


 ようやく子供達は石を投げる手を止め、蜘蛛の子を散らすように退散した。


 桃太郎はそれを追うことはせず、代わりに深いため息を吐いた。







 ――『桃』から生まれた桃太郎は『妖怪』とさげすまれ、村人から恐れられていた。今日のようなことは日常茶飯事である。


 黄昏の中、桃太郎は家へ続くあぜ道を歩いていた。道の左右には、黄金の稲穂が広がっている。もうそろそろ収穫の時期である。


 そんなことを思いながら桃太郎は足を止めた。沈み往く太陽が、ひとつの大きな影をつくり出している。


 影の正体は、小山と見間違うほどの巨体だった。


「鬼さん、今日もありがとう。助かったよ。きみには足りないかもしれないが……良かったら食べてくれ」


 村人はそう言って、小さな包みを差し出した。


 巨体が揺れる。


「そんな! 悪いです! 今年は不作だと言っていたじゃないですか」


「いいんだよ、こんな老いぼれの話相手になってくれるのはあんただけだ。持っていってくれ」


 しばらくそんなやりとりを繰り返した後、鬼は包みを大切そうに大きな二本の指でつまんだ。


「それでは、また明日来ますね」


 鬼はそう言うと、畑から、あぜ道へと上がる。


「ああ、桃太郎さん、お疲れ様です。もうすぐ桃太郎さんのところの畑も収穫の時期ですね。ぼくで良かったら手伝うので……」


「どけ」


「あ……す、すみません!」


 鬼は慌てて道の端に寄った。


 すれ違いながら、桃太郎は横目で鬼を観察する。


 桃太郎の三倍ほどはある巨大な身体が、今は道の端で小さくなっていた。


 人と似た姿をしているとはいえ、その頭に生えた二本の角は、やはり人間にはないものだ。この鬼が少し力を入れれば、桃太郎など、枯れ枝のように折られてしまうのだろう。さらに赤茶けた分厚い肌は、どんな攻撃も武器も通さないらしい。まさに歩く要塞である。


 この村にやって来た頃は腰布を巻いただけの格好だったはずだが、今は質素ながら、きちんとした着物姿だ。村人達が鬼に合う着物をこしらえたのだろう。今ではすっかり村の景色に溶け込んでいる。


「……ふん」


 桃太郎がその場を立ち去ろうとしたときだった。


「桃太郎!! 馬鹿息子が!!」


「げ……」


 遠くにはひとりの老人。


「鬼さんに対して、なんだその態度は!!」


 桃太郎の父は、老体を感じさせない勢いで走ってくると、桃太郎の頭を思い切り殴りつけた。


「じじい……!! 何すんだ!!」


「失礼だろうが!! まったく……そんなだからお前は友達がいないのだ」


「う、うるせーよ!!」


 桃太郎は気まずそうにおじいさんから視線を逸らした。


 そんな二人を見ていた鬼が口を開く。


「おじいさん、友達ならいますよ」


「なんだと?」


 怪訝な顔をするおじいさんに、鬼は自信満々に言い放った。


「ぼくはもっと桃太郎さんと仲良くしたいです」


 ……まさか、こんなにも恥ずかしいことを口にする奴がいるとは……。


 桃太郎は言葉を失って、鬼を見つめた。


 おじいさんは目に涙を浮かべて、鬼の手を握る。


「ありがとう……! あんたは素晴らしい人……いや、鬼だよ……。桃太郎と仲良くしてやってくれ……!」


「そんな……それはぼくの台詞ですよ」


 鬼はそう言って柔らかい微笑みを浮かべた。


「待てええええええええええ!!」


 すっかり存在を忘れ去られた桃太郎が、二人の間に割って入った。


「茶番はそこまでだ……!! じーさん! 騙されるな!」


「は、はあ?」


「これがこいつのやり方なんだよ! 油断させといて、俺達を食べるつもりなんだ……!」


「えっ? ぼく、肉は食べないので――」


「あのな、桃太郎。ちょっと落ち着け」


「なあ……!? すでに洗脳されているだと……!? くそッ……! すでに遅かったか……! だが、俺はひとりでもやるからな……」


 三人の間を、冷たい風が通り抜ける。


 桃太郎は鋭い眼光で、鬼を睨んだ。


 そして、ひとり心の中で決意する。


 桃太郎の孤独な『鬼退治』は始まった。







 夜の闇が、まだ色を濃く残している時間。


 このときばかりは、普段迷惑しているおじいさんのいびきに感謝した。


 物音をたてないよう、桃太郎は布団を抜け出す。


「桃太郎」


 突然背後から聞こえた声に、桃太郎は跳び上がった。


「ばーさん! びっくりさせんじゃねーよ……!」


 こっそり桃太郎の後を追いかけてきたらしい。おばあさんは声を潜めて、笑った。


「桃太郎は相変わらず怖がりだねぇ」


 桃太郎は気まずそうに視線を泳がせる。小さな頃はお化けを怖がり、一緒の布団で眠ったものだ。


「夕飯のとき、何か思い詰めた表情だったからね。どこかに行くのかい?」


 おばあさんはとがめるわけでもなく、優しい声音で桃太郎に問うた。


「……ああ」


 桃太郎の横顔に固い決意を感じ取ったのか、おばあさんは何も言わなかった。こういうときの桃太郎には、何を言っても無駄なのだ。


 桃太郎が戸に手を掛ける。


「――桃太郎、これを持っておいき」


「……きびだんご……?」


 おばあさんが桃太郎に握らせた包み。


 中身は、きびだんごだった。


「好きでしょう? お友達と一緒に食べなさい」


「……」


 桃太郎には、友達はおろか、知り合いと呼べる人間すらいない。おばあさんもそれは知っているはずだ。


「あなたは優しい子だからね」


「な……」


 どいつもこいつも、恥ずかしいことを平然と言う。


 今が、昼間でなくて良かった。


 赤くなった頬に気付かれていないことを願いつつ、桃太郎は戸口に立った。


 その腰にはきびだんご。


 おばあさんは何も言わずに、その背中を見送った。







 鬼の住処は古来から『鬼ヶ島』と決まっている。


 しかしあの鬼は鬼ヶ島には住んでいない。鬼ヶ島は、村に通うには遠すぎるのだ。そのため、鬼は村と鬼ヶ島の中間地点に家をつくり、そこで生活していた。


 悲しいことに、村人達は、桃太郎より鬼の味方である。


 村の中に味方がいない以上、鬼がまだ家にいる昼前を狙う必要があった。


「……腹減ったな」


 すでに周囲は明るくなっている。


 お腹が鳴ったことで、朝ご飯を食べていないことに気が付き、桃太郎は木漏れ日に、腰を下ろした。


 きびだんごをひとつ取り出したところで――


「……誰か……誰かぁ……助けてください……ワン……」


 か細い声が、どこからか聞こえた。


 桃太郎の視界の端には、白い物体。


「……犬……?」


 一匹の犬が倒れていた。


「おい……? どうした?」


 桃太郎が声を掛けると、犬は尾を振って応えた。


「お腹がすいて……死にそうなんですワン。どうか、助けてください……ワン……」


 尾がぱたりと地面に落ちる。


 もう動く元気もないのか、犬は倒れたまま、その丸い瞳で桃太郎を見つめた。


 桃太郎は小さく舌打ちをすると、腰の包みに手を掛ける。


「……感謝しろよ」


 犬の鼻先にきびだんごを近付けた。


 ぱくり、と桃太郎の手ごと、犬がきびだんごにかじりつく。


「いだああああああああ!! 俺の手まで喰うな!!」


「もぐもぐ」


 犬は時間を掛け、ゆっくりときびだんごを咀嚼していた。


 そして、


「……おいしかったです、ワン……。ありがとう、あなたは命の恩人ですワン」


「……あ、そ……」


 桃太郎はそっぽを向いて、一言そう呟いた。


 その一瞬の隙が、桃太郎の運命を動かした。


「って、あれ?」


 ふと、腰の重みがなくなったことに気が付いたのだ。


「ワン」


 きびだんごを食べるのにも苦労するほどぼろぼろだった犬が、元気に立ち上がっていた。


「これはもらっていきますね、ワン」


 口には、きびだんごの包みがくわえられている。


「え……」


 桃太郎は何が起こったのかわからず、呆然と犬を見つめ返した。


「ワン!」


 犬はその場から走り去った。


「……」


 そういえば、村でこんな話を聞いたことがある。


 この辺りには盗賊が出没する、と。


 目をこらせば、走り去る犬の背中がまだ視界に捉えられる。


「あんの犬……!!」


 桃太郎は、猛然と走り出した。




【後篇】に続く。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ