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狂信者、異世界に降り立つ

主人公の精神状態:メッシに一日一万回リフティングするように言われたサッカー少年

 大きな女神像の噴水を中心に、ぐるりと取り囲むように長椅子が据えられている。

 女神が持っているのは水瓶か。滾々と冷たい水が流れ出る。

 女神の足元には硬貨がいくつも沈んでいる。甘く愛を囁きあう恋人たちの、永遠不滅の逢瀬を誓って投げ入れられた硬貨である。

 今もまた、長椅子に座る一組の男女――エルフ耳の男女――の手からコインが放たれた。その放物線を目で追って、黒須譲二は己の身に託された使命を反芻する。


 布教。布教だ。布教をせねば。

 にわかには信じがたいが、これは神命である。神の御業である。であればそこに疑念などあろうはずもなし。


 男は燃えていた。思い出すのは天使の姿。


 消えゆく際に混乱されていたようにも見えたが、なに、些細なことだろう。空飛ぶスパゲッティ・モンスター様の御使いであらせられる以上、間違いなど起ころう道理なし。

 しかしなぜ天使の姿で現れたのか。私ならばいざ知らず、あれではまるで十字教の使いと勘違いさせてしまうのではなかろうか。

 いや、神のご意思に間違いはない。あれにはあれで意味があったのだ。人の身で神意を推し量ろうなどと不敬である。

 為すべきことを為す。

 この身は布教の先兵、神の光の代理人。


 黒須譲二は猛然と立ち上がって女神像を睨みつけた。


「見ているがいい、異教の神よ。偉大なるヌードル様の威光で、貴様の冒涜ことごとくを根絶やしにしてくれる」


 そうして猛禽類に似た笑みを浮かべる男に、一組の男女はそそくさと席を離れたのだった。



 エルフの男女が去って暫く。一先ず黒須譲二は自分の体を触って確認してみる 。


 硬い手触り、みなぎる活力。なるほど自分の体は随分と若く再構築されたらしいことがわかる。

 今際の際は五十手前。大規模な海賊掃討作戦により多数の銃弾に全身を蜂の巣にされた記憶がある。

 であればこれも神の御業であろう。

 若々しい肉体には覚えがある。意気軒昂、滾る血潮。全盛期の、つまり海賊としての全盛期の感覚が懐かしい。

 対して心は凪ぎのように穏やかだ。晩年の精神性そのままに、体をそっくり入れ替えたようだ。

 驚き喜びそれより何より感謝が勝る。

 神への感謝。この体と心で布教に邁進せよと、他ならぬヌードル様が仰っておいでなのだ。


 黒須譲二の目頭に熱いものがこみ上げる。慌てて手の甲で目元を拭った後、次に噴水を覗き込む。


 水面に映るのは見知った顔。これにもやはりに見覚えがある。思った通り、若い時分の顔立ちであった。

 荒波に揉まれ幾多の死線をくぐり抜けた兵の顔つきに、左目には眼帯。めくって確認すると、きちんと薄茶色の虹彩が確認できる。

 眼帯はいわゆるファッションでつけているもので、眼球の機能には何ら問題はない。

 海賊といえば眼帯、教義にも記されている正装なのだ。ちなみに上下に着込んだ海賊服も空飛ぶスパゲッティ・モンスター教の礼装である。むやみやたらとコスプレをしているわけではないのだ。もっとも、そんなことは周囲には終ぞ理解されなかったが。


 続いて持ち物の確認に移る。ポケットには麻の袋が一つ。小気味よい金属の擦れる音。開いてみれば金貨がぎっしりと詰まっていた。これも天使が持たせてくれた恩寵なのだろう。

 金がなければ何もできない、それはこの異世界でも変わらないらしい。


 浅ましいことだが、ほんの少し安心したのもまた事実。これで当面の活動費は問題ないだろう。

 信仰は心を満たせるが腹を満たすことができない。

 今更ながら空腹でも死なない様な恩寵を下賜されなかったことを悔やんだ。食わずとも生きていけるのであれば食費を布教に回せるというのに。

 いや、天使様は何やら焦っておいでであった。不測の事態というものだ。やはり御使い様は正しい。


 しかし、さて。

 金があるとわかると途端に空腹を覚えた。現金なものだ。


 街を見て回るついでになにか腹に詰められる物でも探そうと、黒須譲二はのっそりと歩き始めた。



 噴水広場を中心にして、東西南北に通りが伸びる。

 黒須譲二は南通りを歩いていた。

 広場を歩いていた適当な人間の後をついてきただけなのだが、幸運にも南通りは正門通りとも呼ばれる王都一番の繁華街であり、人通りも群を抜いて多かった。通り一杯に人間族やら精霊亜人族やらがごった返して、騒々しくも賑やかに行き交っている。

 人が集まれば、自然、飲み食いする店も集まる。そこかしこから鼻の奥を突き抜けて腹の中まで染み渡る様ないい匂いがしている。


 あっちへ行ったりこっちを覗いたり、右往左往する海賊服姿の偉丈夫を見ても、ああ、ティルウッドウォーターあたりの田舎から出てきたお上りさんか、と一瞥するくらいで、行きかう人々は総じて無関心だ。

 なにしろ聖王国が王都である。貴族も奴隷も、魔族以外なら何でもいる。海賊だっていてもいい。


 そもそも海軍傭兵と海賊の境は曖昧で、平時は略奪で食いつなぎ、いざ戦となれば傭兵団の一翼を担う、というのが一般的で、恐ろしい海賊は見つけた端から即縛り首という気風でもない。せいぜいが厄介なゴロツキといった扱いだ。

 あるいは商人にとっては金さえ出せば皆お客様、お兄さんちょっと見ていかないかい、と手招きする始末である。

 露店には青白い炎を宿した石であったり、使い古した武具であったり、煎じて飲めばたちどころに万病を癒すという触れ込みの薬草であったりが並べられていて、黒須譲二はその一つ一つを手に取って興味深げに眺めて回った。


 そんな事をしていたものだからすっかり日も暮れて、辺りは夕日で真っ赤に染まっていた。

 王国の住民にとっては巷にあふれる有象無象も、黒須譲二にとっては物珍しい異世界の珍品である。時間と、そして空きっ腹を忘れてしまうのも無理ないことであるが、いい加減に腹の虫も収まりがつかない様子で、先ほどから盛んに存在を主張していた。


 黒須譲二は悩む。

 肉の塊を切り刻んでいた店か、それとも軒下に大きな魚拓を飾っていた店か。今なら何を食べても美味しく感じられるだろう。


 どの酒場に行ったものか頭を悩ませていると、ふと視線を感じた。

 そちらに目をやると、フードを目深にかぶった少女が、ジーっと黒須譲二へ視線を投げかけていた。

 占い師だろうか。床几にちょこんと腰かけて、手には紫色の水晶を握っている。

 何だか気になった黒須譲二は、フラリとそちらに行って声をかけた。


「何か御用かな、小さなまじない人よ」


 努めてにこやかに笑った顔のなんと凶悪なことか。素材からして凶相なのだ、さもありなん。

 しかし少女は気にした風もなく、


「用と言うほどのことではないわ。ただ、少し変わった風を感じたから。気になったの」


 と言った。

 少女は上から下まで視線を上下させる。


「お兄さん、海賊なの?」

「かつてはそうでした。今は一介の宣教師でしかありません」


 怪訝な顔をする少女は少し考えて、


「服装は大切よ。奴隷の服を着れば、王侯貴族だって奴隷に見えるわ」

「しからば何の問題もありませんな。我が教義によれば、この服こそが礼装なのです」

「海賊の格好が?」

「いかにも」


 果たして少女は訳が分からないと言った風に頭を振った。


「変わった信仰を持っているのね。ちょっと面白いわ」

「おや? 我が神に御用がおありかな? よろしい、一つ食事でもしながら説法をして進ぜよう。さあこちらに」

「ちょ、触らないで!」


 不躾に伸ばされた手に少女は反応する。

 一息の内に編まれる魔力。無動作無詠唱の魔術は、無動作無詠唱であるが故に粗悪な精度となるはずであった。

 しかし少女の呼び込んだ一陣の突風は、大の大人を容易に吹き飛ばすだけの威力を誇っていた。その大の大人であるところの黒須譲二は通りを超えて、露店をなぎ倒し、向かいの壁に勢いよく叩きつけられた。


 怒声を上げる露天商に、これはまずいと少女は床几を小脇に抱えて逃げ出した。

 上下逆さまの格好で、風のように走り去る少女を見やった黒須譲二は、


「いかん。事を急いてしまったか」


 悪い癖だ、と己を自戒した。


事案発生。

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