上司の横暴に疲れた僕は気が付くと異世界に居た。青い木々は美しかった。僕はそこで大量の糞と小便に驚きつつ、この世界の真理に辿り着くのだった。
※縦読みの方が読みやすいと思いますが、横読みでも読めると思います。
じゃあ、覚悟を決めてから読み始めてください!
空は青い。僕はその青さに飲み込まれてしまいそうになった。日本の淡い水色のそれではなく、まるでサファイアの様に真っ青な蒼天であった。背丈の低い青々とした木々が天から差す澄みきった優しい日差しを受けて美しく輝いている。
それと比べて僕は薄汚れた灰色だった。毎日無能上司から理解不能な根性論を叩き付けられ、仕舞いには「お前の生活が駄目だからこんなことも出来ないんだ」と鼻で笑われる。僕は何も出来ない人間だ。いつしか無意識にそう思ってしまう様になった。ますます仕事が出来なくなっていった。
僕は天を仰いだ。木々から漏れるダイヤモンドの光がその灰色を浄化してくれる様に感じられた。僕は目を瞑り耳に神経を集中させる。風が葉を揺らす音がゆったりと流れ、数年振りにリラックスする事が出来た。
そう云えばここは何処だろう? 僕は思った。善く善く考えてみたら全くもって身に覚えの無い場所であり、ここに来るまでの記憶が存在していなかった。でも、もうどうでも良い事なのかもしれない。僕はその場に寝転んだ。日差しが優しく包み込み、直ぐに微睡みの中へ追い込まれてしまう。今判っている事は今日は仕事に行かなくても良いという事だった。
何かに揺らされて目を覚ました。辺りは黄昏ていた。僕を揺らした本人を確認しようと身体を起こしたが辺りは薄暗く、僕はその人物の姿を確認することが出来なかった。僕は「誰そ彼」と問うた。その人は「貴方こそ何をしている? ここで寝るなんて自殺行為だぞ」と返した。その人は女性の様だった。言葉こそ勇ましいが余りにも可愛らしい声で威勢を感じることが出来なかった。僕は「ここは何処だ」と質問を質問で返されたのを、また質問で返した。すると彼女は考え込む素振りを見せ、六十秒程黙り込むと「ここだと危ない、取り敢えず着いて来い」とまた可愛らしい声で云った。僕は少し迷ったが着いて行く事にした。
僕はこの時のその行動が本当に正しかったのか未だに悩んでいるのだが、あの時はこうするのが一番正しい事だと本気で思っていた。僕にはそれ以外の行動は存在していなかったのだ。もう一度同じ事を繰り返す事に成ったとしてもまた同じ行動を行うだろうと僕は思う。
彼女がここが危ないと言っていた意味は案外直ぐに解った。黒板に爪を立てた様な奇声が鼓膜を揺らしたかと思うと叢から影が飛び出し、僕達の方へ襲い掛かってきたのだ。そいつは二足歩行の痩せ細った豚の様な姿をしていた。『餓鬼?』と瞬きを一つ、そいつの頭が無くなっていた。一瞬遅れて公園にある水飲み用の水道を限界まで回した時の様に血が吹き出してきた。僕はここで初めて横に居る女性をじっくりと見た。闇に紛れて色の判らない髪を腰の辺りまで伸ばし、引き締まった印象がある小顔に大きな目を見開かせ、小さな口を愉しそうに歪ませていた。自分よりも遥かに小さな右手には先が鋭い剣をしっかりと握り、その剣からは黒色の液体を滴せていた。僕は彼女の事が急に怖くなった。彼女の顔は襲われるから仕方無く闘うと云った顔ではない、生物を殺すことによって快感を得ている者の顔である。
「さあ、行くぞ」僕は天使の声にしかし、怯えきった子羊の様に首を小刻みに上下させる事しか出来なかった。そして、その事実に僕はまた恐怖したのだった。
ここが地球ではない事に気が付いたのは、この辺りで一番大きな町という場所の入り口を通り抜けた時だった。生暖かい空気と共に下水道管が壊れたのを三乗した様な臭いが頭を貫いたのだ。まるで糞と小便をグチャグチャに混ぜた物を無理矢理食べさせられ続けているかの様に口の中が臭い。僕は思わず吐いた。しかし胃液しか出てこなかった。僕は一日何も食べていない事に気が付いた。隣から「どうしたんだ?」という言葉遣いとは正反対のピンク色の声が不思議そうに消えていった。
この町で一番大きな酒屋という只木で出来た屋根があるだけの外から丸見えで剥き出しの室内に、これも木で出来たいつ壊れても可笑しくない黒ずんだ椅子と机が置かれていて、薄汚い服を着た人達が──ここに住んでいるのだろう──黒色に変色した木のジョッキを手にワーワーギャーギャーゲラゲラピーピー騒いでいた。その集団から少し離れた建物の端に気配を消しながら座った僕達は、目付きの悪い男が面倒臭そうに持ってきた麦酒──普段飲まないから違うかもしれないが──を一口だけ飲み──それは有り得ない位に酷い味だった──「今夜は私の奢りだ」とパン、スープを先の男に二つずつ頼んだ。
男が去ると彼女は「お前の名前は」と聞いた。「鈴木太郎」僕は嘘を付いた。「スズキ……何処の出身だ」「日本」「聞いたこと無いな」「極東に位置する小さな島だよ」「じゃあ何であんな所に倒れていたんだ?」「さぁ、気が付いたらあそこに居た」「ふむ、全くもって謎なのだな」「ああ、貴女の名前は?」「一方的に聞いたままだったな……私の名前はファイラだ、この近くに在る教会に預けられた孤児で今はここを拠点に冒険者をしている」「冒険者?」僕がそう呟いた瞬間、真横から男が面倒臭そうに料理を置いた。どうやらこれで話は終わりの様で、「これを食べたら教会に行くぞ」と一言、彼女は固そうなパンを小さく千切りスープに浸けて食べ始めた。見よう見まねで僕もパンを手に取った。パンは自分が想像していたよりも固く、僕にはパンの形をした石の様に感じられた。しかし思ったより簡単に小さくする事が出来、それを温かいスープで柔らかくすると素朴な味で意外に美味しく、次々に運んで行く手を止めることは出来なかった。
僕達は歩いていた。目の前には悪臭を放つ物体がそこら中に転がっており、しかし誰もそれを疑問に思う事がないようで軽々しくブツを避けながら平然と進んでいた。横の建物から何かが落ちてきたかと思うと糞や小便だった。どうやら中世のヨーロッパに似た文化を持っているらしい。いや、もしかしたら中世のヨーロッパに来ているのかもしれない。僕は吐きながらそう思った。隣からは「大丈夫か?」と心配そうな声が聞こえてきた。僕は「この国の名所は」と聞いた。「エス・プランテウス王国」と彼女は困惑しながらも答えた。如何にも在りそうな名前で僕は判断に迷った。「教会へ行こう」僕は少し強めに云った。然しブツを通り抜けなければならないと知ると急に嫌に成った。僕は「君はここに落ちている糞より美しい」と云った。彼女は何も云わなかった。渡りきろう、僕は決意を固めた。
一歩目さえ踏み出せば案外簡単だったなとブツを振り返りながら思った。糞というものは近付くと近付くほど臭くなくなるのだという事実を二十五年間生きて初めて知った。彼女は「ここだ」と一際立派な石で出来た建物の中に入っていった。僕は慌てて着いていった。
中には何もない空間が広がっていた。強いていうならば正面に木で出来た十字架が有るくらいか。「おや、」嗄れた声だった。彼は神父の様だった。しかし服はボロボロに成っており、彼本人もまた、ボロボロに成っていた。「貴方は」「佐藤広」僕は嘘を付いた。隣にいた彼女が「鈴木太郎じゃないのか……?」と消え去りそうな声で呟いていた。老人はボロ雑巾の様な声で云った「貴方は嘘を付いておるの?」僕は云った「はい」「嘘は嘘を生む、ここで全て吐き出して置いた方が良い」老人はあくまで優しそうな口調で云った。「僕の本当の名前は斎藤尚です」僕は嘘を付いた。老人は納得した表情で偉そうに頷いた。どうやらこの世界にも奇跡も魔法も無いらしい。
僕はここに泊まらせて貰う事となった。この教会には二十五人の子供達が暮らしており、あの可愛らしい声の彼女と老人で主に暮らしの生計を立てている様だった。ここでの只一つの障害と云えば自分の名前じゃない名前の呼び掛けに答えなければ成らない事だった。毎回一拍の間が空いてしまって皆に変な顔をさせた。しかし直に慣れるだろうと気にしない事にした。実際少しづつ慣れていっていた。「サイトウ、サイトウ」与えられた部屋に戻ると、可愛らしい声なのに勇ましいあの女性が石畳のベットに座っていた。僕は彼女の名前を忘れている事に気が付いた。僕は彼女に名前を聞いた。彼女は怒った。体感で五時間程黙った彼女は「ファイラ」とジト目で僕を見つめながら云った。「え、なんて?」僕はわざと聞こえない振りをした。「フ・ア・イ・ラ」彼女は僕に顔を近付けながら、態々一語一語を区切ってゆっくりと云った。彼女の膨らんだ頬が可愛らしい。僕は「そうか、フアイラか」と云いながらその膨らんだ頬に唇を当てた。困惑するかと思われたフアイラは少しだけ嬉しそうな顔をしながら「ファイラだ」と云って今度は僕の唇に当てた。舌が入ってきた。思いの外彼女は接吻が上手く、一瞬で身体の力が抜けるのが分かった。全身が熱く火照り、意識が朦朧とする。「動くなよ」彼女の声が意識の遠くで聞こえてきた。すぐに温かい快感が身を包み、僕を翻弄させた。
目を開けると彼女は居なくなっていた。部屋から出てみると既に人の出す喧騒で包まれており、その中に彼女の姿があった。彼女は僕の目線に気が付き、こっちの方へ近付いてきた。「おはよう、漸く起きたか」彼女は僕の口と触れ合った唇でそう云った。「あぁ、」「そういえば先程私の入っているギルドの方に行って話を付けてきたのだが、内のギルドに入ってくれないか?」「何故だ」僕は聞いた。自分にとって全くもって謎な発言だった。「当たり前だろ、お前は私よりも歳上なんだ、此処で暮らして行くには働かないと駄目なんだ」「そうか」僕は納得した。取り敢えずそのギルドのメンバーが集まる所へ行くことにした。
ギルドの基地はその町の外れにひっそりと存在していた。中に入ると昨日の酒屋の様な光景が広がっていた。ファイラはその集団の中を潜り抜け、奥へ奥へと進んでいく。急に視界が開けた。そこにはスキンヘッドの厳つい男が真っ黒な服を着て静かに佇んでいた。「この方はここのギルドの総長だ」彼女は僕に真剣な表情で紹介した。僕は軽く頭を下げた。総長は僕を軽く一瞥、「じゃあ、今から仕事の方へ入って貰う」と一枚の羊皮紙を差し出した。そこには一日の流れが書いてあった。朝日の出と共に起き、半日荷物引きの仕事をした後、もう半日はギルドに届いた依頼を受ける。夜はギルドに泊まりギルドの護衛に当たると書かれていた。僕が働いて得た給料はギルドの資金となり、僕には一日銀貨一枚──パンとスープを食べた時、ファイラは銀貨八枚を支払っていた──が支給されるとの事だ。やれやれ、僕は思った。多分僕は騙されたのだろう。
”この世界こそが地獄である為、どこに行こうと何も変わらないのである“これこそが今回の教訓であり、この世界の真理であると僕はこの瞬間に理解したのだった。
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