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♯4『It requires more courage to suffer than to die.』

 息を切らせながら走り、たどり着いた村はひどい有様だった。海に近い家には火が放たれ、そこらじゅうから怒号や悲鳴が聞こえてくる。夜明け前の薄暗い村には、騒乱の気配が蔓延していた。


 しかし、フリッツにとってはアンジェラの安否が最優先だ。転がる死体の横を駆け抜けて宿へと向かう。


「――くそッ!」


 目に入った宿は、扉が蹴破られていた。明らかに襲撃の後だ。なんとか走りきって、暗く穴を開ける入り口にそっと足を踏み入れる。


 宿の中には、三人の男達がたむろしていた。日焼けした肌と粗野な格好からして、こいつらが海賊の一味だろう。


 男達は隅の暗がりで何かを囲んでいた。一体何をしているのか。それを確かめようと一歩踏み込んだ時、割れたグラスの破片を踏んで大きな音が響く。


 まずい、と思ったが今更隠れることもできない。音で振り返った男達が、フリッツの姿を確かめる。


「なんだァ……? ガキか?」


「はっ、一丁前に剣なんか下げやがって、生意気なガキだな」


 男達は黄ばんだ歯を見せて、卑しく笑った。その姿を見て生理的な嫌悪感を覚えるが、今はもっと大事な問題がある。


「オラ! 見逃してやるからとっとと失せろ! 俺たちは今取り込み中なんだよ」


 一体何をしているのだ、この男達は。


 ――一体何故、床に倒れたアンジェラの上に跨っているのだ。


 男が乱暴に蹴り飛ばした椅子がフリッツの側を掠めるが、まったく反応することができなかった。それほどに、フリッツは目の前の光景に呑み込まれていたのだ。


「オイオイ、興味津々みたいだぜアイツ」


「なんだ、混ざるか? ガキ」


 男達が笑い声を上げる。その時、男達の隙間から、横たわるアンジェラと目があった。苦悶の表情を浮かべていたアンジェラだったが、突然の来訪者がフリッツだと気づくと大きく目が見開かれる。


「フリッツくん! 来ちゃダメ! 逃げて!」


 アンジェラが、男達に床に押さえつけられながらも精一杯叫ぶ。


「お前は黙ってろ!」


 怒鳴り声と共に、アンジェラに跨っている男が彼女の頬を殴りつけた。アンジェラは声にならない悲鳴をあげ、体を悶えさせる。


「こいつら知り合いかよ、おもしれ〜。おいガキ、お前も混ぜてやるよ。俺らが使い終わったら好きにしていいぜ」


 男が何を言っているのか理解できない。理解したくない。こんな人間の存在を認めたくない。今まで色々な悪党を見てきたが、ここまで醜悪な人間は見たことがない。怒りよりも絶望が、フリッツの思考を支配した。


 殴られたアンジェラが涙と鼻血を流しながらフリッツを見る。そして言葉にはならずとも、唇の動きだけで確かに伝えた。


 ――たすけて、と。


 それを見た瞬間、フリッツの心臓で何かが燃えた。夕陽よりも赤く、炎天の太陽よりも熱い何かが、フリッツの五臓六腑に染み渡るのを感じる。


 思考を介さず、体が勝手に動き出した。音もなく、三歩で距離を詰めて、剣を鞘走らせると共に、アンジェラに跨っていた男の首を斬り落とす。


 続いて、ゴトリと血を吹き出しながら転がる首にあっけをとられた男の喉を突き刺す。驚愕の色を浮かべる瞳がグルリと回って白くなり、糸の切れた人形のように倒れる。


 そこまで経って、ようやく状況を理解した最後の一人が腰のカットラスに手を伸ばすが、抜刀の前に腕ごと斬り落とした。自らの腕の断面を見て目を見開く男の首を捕まえて、床に引き倒す。


 悶える男の胸を踏みつけ、腹に剣尖を差し込んだ。男の絶叫を聴きながら、はらわたを抉る。抉る。泡を吹いて痙攣する男が動かなくなるまで、抉り続けた。


「フリッツくん……」


 案ずるようなアンジェラの声を聞いて、ハッとなった。彼女の声に、恐怖の色が滲み出ていたからだ。それは紛れもなく、フリッツに向けられたものだった。


 事切れた男の腹から剣を引き抜いて、アンジェラの方を振り向く。


 痛々しく切り裂かれた服と、腫れた頬。それらを直視できなくて、床に目を落とした。そこには三人分の死体が転がっていて、またしても激情が湧き上がる。


「ありがとう、助けてくれて……私は平気だから、ここから逃げよう?」


 アンジェラがなんとか立ち上がろうとするが、腰が抜けてしまったようでうまく立ち上がれないでいた。スカートに血が染み込んで、ベチャリと濡れた音を立てる。


「アンジェラはここに隠れてて、すぐ迎えに来るから」


「そんな……フリッツくんは?」


 アンジェラが震える手をフリッツに伸ばす。しかし、フリッツがその手を握ることはなく、アンジェラに背を向ける。そして、そのまま出口に足を進めながら言った。


「僕は……あいつらを"皆殺し"にしないと」


 フリッツは村へ駆け出す。海賊がまだ多く残っているであろう、村の中心部へ向けて。アンジェラを置き去りにして。




 家族を守ろうとする父親に斧を振り下ろそうとする男の首を刎ね。

 老人を痛めつける男の両腕を奪い。

 女を犯そうとする男の腹を切り裂く。


 目についた海賊すべてに斬りかかったせいで、とうとう血にまみれた剣が折れた。


 剣を捨て、素手で海賊に襲いかかる。村人を磔にしようとしていた男の目を潰し、その剣を奪った。奪った剣で別の男の心臓を突き刺し、さらに迫ってくる海賊たちを次々と斬り伏せていく。


 何度も何度も剣は折れ、その度に相手の剣を奪い取った。


(なんだこいつらは。弱い、弱すぎる。バッカスの足元にも及ばない、群れることしか能のない蛆虫ども。全員殺してやる。一匹だって逃がしてやるものか。)


 全身に血や臓物を浴びながら、ついに浜辺へとたどり着いた。昨日まで穏やかだった浜辺には何隻もの海賊船が浜に乗り上げていて、何十人もの男たちが奪ったものや村の女達を船に乗せているところだった。


 その中の一人が、血みどろのフリッツに気づき指を指す。たちまち武装した男達がフリッツを囲むが、恐怖はなかった。


 白み始めた空の下で、殺戮が始まった。




 太陽が水平線から顔を覗かせるのを眺めながら、フリッツは浜辺に立ち尽くしていた。


 口の中に蔓延する血の味を感じながら、太陽を見つめる。薄いオレンジの光はありとあらゆるものを照らし出す。見えないもの、見たくないもの。


 フリッツの手から半ば折れた剣が滑り落ちる。粘着質な音を立てて、砂浜へ。


 手が血で濡れていたから、適当に服で拭ったが、さらに汚れが重なるだけだった。顔も体も、返り血を浴びていない部分はない。


 数多の死体から流れる血が、浜辺に幾筋もの流れを作る。その流れは海に繋がって、一面を血の色に染め上げた。


 血の浜辺に、血の海。そして血のように赤く輝く太陽の前で、他の何よりも血に塗れたフリッツが立ちすくんでいる。ここは地獄だ。


 ボーッとした頭で感じることができるのは、自らの生命だけだった。ドクドクと脈打つ心臓と共に、フリッツの腹から血が溢れ出ている。ドクドク、ドクドクと。


 紛れもない自分の血が流れ出ることに対して、恐怖も感傷も抱くことはできなかった。ただただ、生命が流れ出ていくのを感じる。


 この血も海へと流れ、そして溶ける。


 人間とはそういうものだろう。経緯に多少の違いはあっても、皆いつか海へと還るのだ。十年前に消えていてもおかしくなかった生命だ。最後の最後で、役に立っただろうか。


 海へ向かって一歩踏み出そうとした所で、膝から崩れ落ちる。頬に血を吸った砂の感触を感じたのを最後に、意識が途絶えた。

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