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♯3『The sorrows of young Fritz.』

 貸切状態の宿で、バッカスとブレストは昔話に花を咲かせていた。その話に加われないフリッツとアンジェラは、自然と二人で話をし始める。


 アンジェラが用意してくれた干し魚をつまみながら、二人は二人で会話に花を咲かせるのだった。


「それじゃあ、フリッツくんは色々なところへ旅してるんだ! いいなぁ〜、わたしも遠くへ行ってみたい……」


 頬杖をついたアンジェラが、夢想をするように瞳を閉じながら言った。この村で生まれ育った彼女にとって、フリッツが話す異国譚はたいそう刺激的なことだろう。


「良い事ばかりじゃないよ。暑かったり、寒かったり」


「ええ〜、それもいいじゃない。この村なんて、一年中じめじめしてるんだよ? あつーい砂漠とか、さむーい山とか行ってみたい!」


「大人になったら、どこへだって行けるよ」


 そうだ、大人になれば。どこへでも行けるし、どんなことでも出来る。だからフリッツは、早く大人にならなければならないのだ。


「ふふっ、連れて行ってね! フリッツくん!」


「えっ? あ……うん。分かった」


 アンジェラの急な提案におどろいたフリッツだったが、彼女の屈託無い笑みを見てこくこくと頷く。アンジェラはそんなフリッツの様子を見て嬉しそうに小指を突き出した。


「はい、約束の儀式〜」


「ギ、ギシキ?」


「うん。こうやって……小指同士を結ぶの!」


 アンジェラはそう言うと、フリッツの手を広げて二人の小指を絡めさせた。その時、フリッツは触れ合った指の柔らかさに思わずドキッと胸が高鳴る。


 女の子の指って、こんなに柔らかいんだ。剣を握るせいで硬くなったフリッツの指とは大違いだ。


「ゆーびきーりげーんまーん、うーそつーいーたらはーりせーんぼーんのーますっ! ゆーびきったっ!」


 掛け声と共に、二人の小指が離れる。途中なにやら物騒な文言が聞こえた気はするが、アンジェラが楽しそうなので良しとしよう。


「これで約束完了! いつか絶対に連れて行ってね」


「うん、絶対。アンジェラが行きたいところに連れて行ってあげる」


 やった、とアンジェラが手を叩く。

 今はまだ無理だが、いつか叶えてみせよう。フリッツもどんどん大人になっていっているのだ。あと五年もすれば、きっとアンジェラとの約束も果たせるだろう。


「フリッツくんは、夢とかないの?」


「夢? うーん……」


 夢、というものは今まで考えたことがなかった。こういうことがしたいとか、こういう人になりたいとか、そういうことを考える余裕がなかったのだ。ただ漠然と、大人になりたかっただけだ。


 だがアンジェラに問われて初めて、年頃の子供なら誰しも抱いているであろう夢が自分にはないことに気がついた。


「……ないかも」


「えー! 夢がないと立派な大人になれないんだよ? 今からでも何か考えようよ!」


「何か……何か、か」


 やりたいこと、なりたい人。剣の修行は続けたいけど、夢という感じではない。他は……同年代の友達が欲しい、ということだ。しかし、そのことをアンジェラに言うのはどうにも恥ずかしくて、とりあえず当たり障りのないことを言っておくことにした。


「……バッカスみたいな大人になること、かな」


「どうせなら、バッカスさんよりずーっとつよくなる、とかにしとこうよ!」


「え、えー? 無理だよ……バッカスはすごく強いから」


「無理かどうかはまだまだ分からないでしょ? 十年後とかには龍狩りの三英雄みたいな有名人になってるかもしれないし」


 聖女、騎士、賢者の三英雄は子供達の間でも大人気のヒーローだ。それに憧れる子供は数え切れないが、自分もそこに並ぼうと思っているのはかなり少数派だろう。

 フリッツも彼らの英雄譚は大好きだが、彼らのようになろうとは思わない。いや、なれないことを知っている。


「もっと無理だよ〜!」


 フリッツの嘆きを聞いて、アンジェラがころころと笑う。


 とにかく対女の子へのコミュニケーション経験のないフリッツ少年は、アンジェラの言動にいちいち釘付けになっていた。ゆらゆらと揺れるおさげや、柔らかそうに歪む頬もなにもかも、フリッツには縁遠きものだ。


 フリッツもお年頃。もちろん異性に興味を持っているのだが、触れ合う機会のなさゆえに自覚していなかった心が、ここにきて強く揺らぎ始めていた。

 むず痒いけど、手放したくない。不思議な感情だった。




 翌朝、言うよりは翌日の深夜。フリッツとバッカスは漁村から離れた山の中で剣の稽古をしていた。可能な限り、毎朝欠かさず行っている稽古はもはや生活の一部と言っても良い。


 この頃、急速に成長している体のおかげもあり、バッカスともらかなり剣のやりとりができるようになってきていた。無論、バッカスがかなり手を抜いているのは承知の上だ。


「ふっ!」


 バッカスの突きを躱し、腰からひねった横払いを繰り出す。難なく避けられるが、そこから縦斬り、二連突きと畳み掛ける。


 しかし、攻め気が乗りすぎて前のめりになりつつあったフリッツの足をバッカスが払う。なんとか受け身をとるが、一対一の戦いで地面に手をつくことは死を意味する。これが実戦なら、フリッツは死んでいた。


「はぁ……」


 思わず溜息が漏れる。

 フリッツもかなり成長してきているのだ。しかし、いつも詰めが甘い。そしてバッカスはその甘さを見逃したりはしない。いつもいつも、フリッツが予想できないような手段でフリッツを負かすのだ。埋めようもない経験の違いを感じて、自分の弱さに落胆する。


「お前やっぱりセンスあるわ。もうその辺の剣士よりは良い腕してると思うぞ。だからそう落ち込むなって」


「……バッカスに全然敵わないんじゃ意味ないよ。せめて十回に一回くらい勝てるようにならないと」


「ハハッ、そりゃ無理だろ! オレはまじでサイキョーだからな。百年早いぞ坊主」


「うわー、むかつく!」


 バッカスがフリッツに向けて手を差し出す。その手を握って体を起こす。もう何度も繰り返したこの動作が、バッカスの愛を感じさせる。分厚くて大きな手が、フリッツにとって超えるべき象徴でもあるのだ。


「あ、そうだ。今日の赤熊討伐なんだけどよ、お前留守番な」


「はあ!? 赤熊くらいなら僕も戦えるって!」


「いや〜、それが話を聞くと赤熊じゃないっぽいんだよな。もしかしたら、ボス格の黒熊かもしれん。そうだとしたら危ねえから留守番だ」


 黒熊――獣系の魔物の中ではかなり上位の存在だ。本来なら、正式な討伐隊が組織されるべき存在でもある。


「そんな……」


 確かに、黒熊だとしたらフリッツ一人では手に負えない。むしろ足手まといになってしまう可能性もある。しかし、置いていかれるというのはフリッツにとって一番の苦痛だった。否が応でも、フリッツがまだ"守られる存在"なのだということを意識させられるからだ。フリッツはバッカスと並びたいと思っているのに。


「そう焦んな。あと五年もしたら、お前もオレくらいサイキョーになってるだろうよ」


 そう言ってバッカスがフリッツの肩を叩く。

 ここでワガママを言ってもバッカスを困らせるだけだ。煮え切らない思いを抱えながらも、黙って頷いた。


 バッカスはフリッツの様子を確かめると、軽い荷物を持って山への道を歩き始める。残されたフリッツは剣を鞘に収めて、バッカスとは逆、村へ続く道をトボトボと歩き始めた。


 ため息を吐きながら三十分ほど歩いて、村の近くの道まで戻ってきた時だった。着の身着のままといった様子の女がぬかるんだ道を走ってきた。腕には赤子を抱き、幼い男の子の手を引いている。


 女はフリッツの姿を認めるとギョッと目を見開き、子供達をかばうように抱きしめた。その様子にただならぬものを感じ、声をかけようとするフリッツだったが、その前に女が懇願の悲鳴を上げた。


「どうか……どうかこの子達だけはッ! お許しくださいぃ!」


 嗚咽混じりで頭を地面に擦り付ける様はあまりにも必死で、フリッツの方が怯んでしまいそうだった。なんとか平静を保って、女の側へ駆け寄る。


「どうしたんですか!? 村で何かあったんですか!?」


「あぁ……あ、あなたは?」


 女の肩を持って、フリッツが問いかける。フリッツの態度で女の誤解が解けたのか、少なくとも命乞いをされることはなくなった。

 ともかく今は何が起きたのかを知らなければ。女の様子は明らかに尋常ではない。


「昨日から村に泊まっている傭兵です! どうしたんですか、話してください!」


「か、海賊が……村に」


「海賊!?」


「うぅ……村人が次々に殺されて、家も焼かれて……なんとか逃げてきたんです」


 女が震える声でそう告げた。

 バッと村の方を振り向くと、空に煙が立ち上っていた。どう見ても暖炉から昇る煙ではない。


 しかし、それを知ったところでどうすればいい!?


 相手は船を相手にするような小規模な海賊団ではなく、村ひとつを襲おうと考えるほどの規模なのだろう。対してフリッツはたった一人。今からバッカスを呼びに行こうにも、村に戻るまで何時間かかるか分からない。そんなことをしているうちに、村人が皆殺しにされてしまうだろう。


 それに――。


「……アンジェラ」


 昨日話したあの子はどうなった。フリッツにささやかな夢を語ったあの子は……。


「この道をまっすぐ進んで、隣の村まで逃げてください」


 フリッツはそう言うと、懐から革の小包を取り出して女に握らせる。大した額は入っていないが、ないよりはマシだろう。

 受け取った母親は、涙をこぼしながら感謝の言葉を述べる。


「あなたは……あなたはどうするのですか?!」


「僕は……助けに行かないと」


 フリッツは村へと駆け出す。呼び止めようとする女の声を無視して、矢のように走った。腰に帯びた剣の重みを意識しながら。


 理性では分かっている。フリッツが行ったところでなにも変わりはしないと。せいぜい死体がひとつ増えるだけだ。


 しかし、ここで逃げることは出来ない。そんなことをしたら、自分が自分でなくなってしまう。そしてなにより――。


「アンジェラ、無事でいてくれ……!!」


 守りたいと、思ってしまった。

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