♯1『Everyday is a new day.』
――19,Autumn.
よく晴れた朝、フリッツは団本部の外で大きく伸びをしていた。突き抜けるような高さを感じさせる空に、細切れの雲が流されている。
邪龍の討伐、それに伴う叙名式から半年ほど経ち、フリッツが組織した傭兵団『夕霧』も軌道に乗ってきていた。
『夕霧』の団長であるフリッツの主な仕事は書類仕事になり、昨日も仕事中に机に突っ伏して眠ってしまった。起きた直後は身動きができないほど体が固まっていたので、こうして体操などをしてほぐしているという次第である。
まだまだこなさなければ仕事はたくさんある。今はフリッツの『龍狩りの騎士』としてのネームバリューもあり、もの珍しさで仕事を貰えているが、しっかりとした成果を出し続けなければすぐにでも立ち行かなくなる。
フリッツを信じて付いて来てくれている仲間もいるのだ、休んでいる暇はない。
夏の終わり、秋めいてきた空気を肺いっぱいに吸い込んでから、気持ちを切り替えて本部に戻ろうとした時、入り口でなにやら揉め事が起きていることに気がついた。
「だーかーら! オレを傭兵団に入れてくれよ!」
「だからダメだって言ってんだろ小僧! そんなちっせーのに傭兵なんかになったら死んじまうぞ!」
守衛を任せていた団員と、十歳くらいの男の子がいがみあっていた。どうやら、男の子の方は『夕霧』に入りたがっているらしい。
自分が作り上げた組織に憧れてくれているのは有り難いが、子供を戦場に送り出すわけにもいかないし、可哀想だが断るしかない。
「あっ、フリッツさ〜ん。このガキになんとか言ってやってくださいよ〜」
フリッツの姿を見つけた守衛が、体躯に似合わない情けない声で縋ってくる。むさい大男にそんな声を出されても嬉しくないのだが、放っておくわけにもいかない。
「君、気持ちは嬉しいんだけど……って、あれ?」
フリッツが男の子の前にしゃがみ込んで、諦めるように説得をしようとした時。その男の子に見覚えがあることに気がついた。
えっと、この子は確か……。
「あっ、兄ちゃん! 憶えてる? オレ、央都が邪龍に襲われた時に助けてもらったコレット!」
少年――コレットが、自分の顔を指差しながらフリッツにまくし立てる。コレットの言葉を聞いて、記憶の糸を辿っていくと……。
「……ああ! あの時の!」
そうだ。邪龍襲来の夜に、ウィルベルと共に助け出した男の子だ。あれ以来会えていなかったが、無事に暮らしているようでなによりだ。
「オレ……助けてもらってから、ずっと兄ちゃんみたいになりたいと思ってるんだ! だからオレを傭兵団に入れてよ! 雑巾がけでもなんでもするからさ!」
コレットがフリッツに懇願する。
フリッツも自分が助けた少年が元気そうで嬉しくなったが、それとこれとは話が別だ。薄く色づいた健康そうな頬からして、特に不自由なく暮らしているだろうに、傭兵なんてものに身を落とさせてはいけないだろう。
「なあ、コレット。傭兵っていうのは正義の味方とかじゃないんだ。誰かにとっては、悪いことをする人になってしまうかもしれない。それに、いつ死んでもおかしくないんだ。コレットが死んだら、お父さんとお母さんが悲しむだろ?」
コレットの前にしゃがみ込んで、目線を合わせる。しっかりと目を見ながら、誠意を持って説明した。しかしフリッツの話を聞いても、コレットの方は見るからに諦めていない様子だ。
「とーちゃんは行ってこいって! かーちゃんは心配してたけど、とーちゃんはが『男にはやらないといけない時があるんだ』って」
なんとかして諭すつもりだったが、コレットの意思はフリッツの思う以上に固いようだ。とはいえ、こんな子供を傭兵の道に連れ込むなんて倫理的にどうなんだ。いつか後悔させてしまうんじゃないだろうか。やはり、両親にも話して断ろうと思った時――。
「良いんじゃねーの。元はと言えば、お前も似たようなモンだろうが」
突然、本部から出てきた男が口を出してきた。
浅黒い肌、大きな傷のある顔に太い腕、いかにも歴戦の傭兵といった風貌の男だ。
「親父……」
フリッツの育ての親、バッカスである。彼もまた、フリッツの協力者として『夕霧』の初期から支えてくれているメンバーの一人だ。
「ガキだろうが、男は男だ。やるっつってんだから、やらせてやれよ」
「そんな無責任な……」
フリッツがバッカスに反論する。しかし、バッカスの方はまったく意に介さない。
「お前は立派に育っただろ。コイツも良い線いくかもしんねーぞ」
「頼むよ、兄ちゃん! 一生のお願い!」
コレットがフリッツを拝むように頼みこんだ。その様子を見て、フリッツは大きなため息をつく。
もういい、分かった。ここはフリッツが折れることにしよう。
バッカスもああ言っていることだし。彼も口出しした以上は、コレットの面倒を見るつもりがあるのだろう。
「分かった、でも三つだけ約束だ。……まずひとつ、"僕が認めるまで絶対に一人で戦わないこと"。ふたつめ、"自分のためだけに戦わないこと"。いいね?」
フリッツが念を押すと、コレットはこくこくと頷く。
フリッツにもこんな時期があったのだろうか。このくらいの年齢の頃はただがむしゃらに生きていただけで、自分を客観的に見ることなんてできなかったが、バッカスから見たフリッツは、フリッツが見るコレットのような子供だったのだろうか。
良い機会だ。少し、昔のことでも思い出してみよう。
「最後のひとつは――」
◆◆◆
――4,Spring.
「ひでぇな、こりゃあ」
バッカスの目の前に広がる村は――すでに村と言っていい状態ではないが――無惨にも破壊され尽くしていた。ありとあらゆる建物が壊され、焼かれている。人の暮らしが焦げる悪臭に、戦場に慣れたバッカスでさえ顔を顰める。
この様子では、生存者はいないだろう。ここ数ヶ月で突如現れた不死の邪龍はあちらこちらでこのような破壊をもたらし、ヴァイスランドは今、邪龍の話題でもちきりだ。
バッカスも噂を耳にはしていたが、こうして被害を実際に見たのは初めてだ。この破壊跡、まさに別次元の力といえる。人間と人間が争ったのでは、いくら荒れてもこうはならない。龍の力とはここまでのものなのか。
しかし、傭兵として生き、人の悪意に敏感なバッカスは別のことが気になっていた。
力は確かに人外のそれなのにも関わらず、破壊の傾向が人間臭いと感じたのだ。執拗に家屋を破壊する様は、まるで人間に憎しみを抱いているかのようだ。いや、家畜すら一匹残らず殺しているところからして、人間というよりは『生命』に向けられた憎しみだろうか。
金策のための瓦礫漁りをする気にもなれず、立ち去ろうとした時。足の踏み場もないような道をとことこ歩く子供の姿が目に入った。あまりにも予想外かつ不似合いな光景に、一瞬、魔物の類かと思ったが、どうやら本当にただの子供らしい。
とにかくここに放っておくわけにはいかない。深く考えずに、子供の元に駆け寄った。
「おい! 坊主、ケガしてねぇか!?」
バッカスが駆け寄っても、少年は反応を示さない。虚ろな瞳が向けられて、バッカスの影を映すだけだ。
こんな災禍を目の当たりにしたのだ。ショックで放心状態になっていたとしてもおかしくはない。
バッカスは少年の肩を持ちながら辺りを見渡す。
「両親は……生きてるわけねぇよな」
可哀想なことだが、この惨状で少年の家族が生きているとは思えない。この少年も不幸中の幸い、間一髪で生きていただけだ。
こんな状況なら死んじまってた方が楽だったかもな、とバッカスは思ったが、そんな考えはすぐに振り払った。生きている人間が死を語るのは、すべての死者に対する冒涜だ。
「おい、坊主。名前は?」
「…………」
少年は唇を噛んで黙りこくっている。しかし、バッカスの言葉が耳に入っていないわけではないようだ。
「もう怖い奴はいねぇよ。だから名前ぐらい教えろ」
「……フリッツ。フリッツ・ローエン」
やっと少年――フリッツが口を開いた。
「フリッツか……よし、よく聞けフリッツ。俺の名前はバッカスだ。お前が一人前になるまで、俺がお前の面倒を見てやる」
「バッカス……?」
「そうだ。今日から俺がお前の父親だ」
なぜこんなことを言ったのだろうか。それは自分でも不思議だ。これまでバッカスは傭兵として働き、血も涙もない振る舞いをしてきた。時には女や子供を傷つけることもあった。
その罪滅ぼしのつもりなのか、この無惨な光景に感傷的になったからなのか。目の前の哀れな少年を放っておけなくなったのだ。教会に預けるでもなく、自分の手で育てようなど普段のバッカスなら考えもしなかっただろう。
「とーちゃん……うっ」
父親と聞いて、本当の両親のことを思い出したのだろう。フリッツが涙を溢れさせた。透き通る青い瞳からぽろぽろと雫が落ちる。
バッカスはそんなフリッツをしっかりと抱きしめた。バッカスの体温を感じて、フリッツもおずおずと腕を伸ばす。
今は涙を流した方がいい。男だろうが、女の前以外では泣いてもいいんだ。見栄を張って心が壊れるよりもはるかに健全だ。
この瞬間から、バッカスはフリッツの父親となった。
ろくでなしであるという自覚はあるが、フリッツを育てることだけは、命をかけてもやり遂げてみせよう。いつかこの子が、自分の力で本当の家族を作れるように。