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6.七夕の日の落胆(七月)

 

 六月二十四日の聖ヨハネの日に思わぬ僥倖により、憧れの先輩の三木清香さんの自宅に招かれて資料を借りてから、なんとしても期待に応える発表をしようと思い、オレは必死で資料を読み込んで発表原稿とハンドアウトを作成した。

 その間、おれは授業で三木さんと会ったときに原稿などを見てもらい、助言してもらったりして、どうにか完成させることができた。これほど集中して勉強したことはこれまでの人生でなかったほどだ。


 そしていよいよ、七月七日のゼミの発表の日がやってきた。オレはA4で8ページ、A3の両面印刷で2枚のハンドアウトを配布し、三十分の持ち時間をフルに使って発表した。

 カントの『判断力批判』全体における自然美と芸術美の問題の位置づけ、美と崇高との関連、同時代におけるカントの芸術観の独自性やその現代的意義など、オレは熱弁をふるった。

 発表後の十五分間は質疑応答だった。何人かの学生が質問をしたが、それはあらかじめ想定していた内容だったので、オレもなんとか答えることができた。三木さんもひとつ質問をしてくれて、オレの応答に満足そうに頷いた。

 終わってから教授もほめてくれた。

「モテナイ君、なかなかいい発表だったよ。きみもやればできるじゃないか」

 オレはうれしかった。幾子ちゃんもオレのことをちょっとは見直したような目で見ていた。


 三木さんも終わってからオレのところへやってきて、声をかけてくれた。

「モテナイくん、がんばったじゃない。とてもよかったわよ」

「ありがとうございます。これも三木さんのおかげです」

「約束通り、今日はお祝いをしましょう。夕方六時にうちへ来てね。ごちそう用意しとくから」

 三木さんはそう言うと、手を振ってゼミ室を出て行った。六時まではまだ時間がある。それまでおれは自分の方の準備をすることにした。


 とりあえずアパートにいったん戻り、まずは薄いゴム製のアレがちゃんとあるのを確認した。二ヶ月ほど前に西田幾子ちゃんが部屋に来たときに用意しておいたものの、結局使うことがなかったものだ。それから近くの銭湯へ行って、入念に身体を洗った。まだ四時前だったので、客も少なかった。再びアパートに戻ると、爪を切ったり髭の剃り残しをチェックしたりした。これでばっちりだ。


 五時前にアパートを出て、途中の店で花束とケーキを買った。そして六時ちょうどに、三木さんのマンションのベルを鳴らした。

 十秒ほどして三木さんが中からドアを開けてくれた。

「いらっしゃい。さあ、どうぞ」

 すると中からがやがやと話し声が聞こえてきた。たしか三木さんは二人でお祝いしようと言っていたはずだが、なんだかちょっと様子が違うぞ。

 部屋の中に入ると、同じゼミの学生が六人ぐらい来ていた。

「ようモテナイ、今日の発表よかったぞ。がんばったじゃないか」

 同学年の和辻哲也が声をかけてきた。もうみんなビールを飲みながら盛り上がっている。テーブルの上にはいろいろな料理や並んでいた。


「今日はせっかくの七夕だから、みんなでモテナイくんのゼミ発表成功のお祝いを兼ねて、七夕パーティーをすることにしたのよ。大勢の方が楽しいでしょ?」

 三木さんはあっけらかんとそう言うと、ぼう然として突っ立っているオレにワイングラスを渡した。

「さあ、モテナイくんのすばらしいゼミ発表を祝って、カンパーイ」

 和辻哲也が音頭をとると、みんなが「カンパーイ」と言ってグラスを鳴らした。こんなはずじゃなかったのにと思いながら、オレはもうヤケになって酒を飲んだ。


「モテナイくん、遠慮しないでたくさん食べてね」

 三木さんはそう言ってくれたが、オレは内心うらめしかった。三木さんと二人っきりの夜を期待していたのに。

「モテナイくんは今日が初めてだけど、私わりとよくホームパーティーしてるのよ。他のみんなはもう何度か来てくれてるわ」

 ああ、やはり三木さんはオレのことをただの後輩として親切にしてくれただけだったんだ。オレは落胆した。

 だが、もっと親しくなって、特別な関係になるチャンスはまだまだこれからだ。オレは諦めないぞ。

 しかし三木さんは他の連中との話に熱中し、オレはあまり相手をしてもらえなかった。みんなそれぞれ勝手に盛り上がっている。一人取り残された感じのオレはしかたなく、ただただ黙々と料理を食べ、酒を飲むしかなかった。


 それから二時間ほど経過した頃に、三木さんが言った。

「じゃあそろそろ、お開きにしましょうか」

 他の連中はまだ話に盛り上がっていたので、ちょっと不服そうだった。

「ごめんなさい、もうすぐ彼が来るのよ。このあとは彼と二人で七夕をお祝いするの」

 オレは愕然とした。三木さんには彼氏がいたのか。他の連中はとっくにそんなことは知っているようで、少しも驚いていない。

「モテナイくん、今日は来てくれてありがとう。またホームパーティーするときは招待するわ」

 オレは顔では笑って礼を言ったが、心の中は寂しさでいっぱいだった。


 一人でとぼとぼとアパートへ帰る道すがら、オレは歩道橋の上で叫んだ。

「七夕なんて、大嫌いだあああああ!」

 さらに歩くと、途中の商店街の七夕飾りに「ご自由に短冊に願い事をお書きください」と書いてあったので、オレは「カワイイ彼女ができますように」と短冊に書いて、笹に括り付けて帰ったのだった。

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