4.こどもの日の厄災(五月)
それからオレは忙しくなった。何で忙しくなったかというと、もちろん部屋の片付けである。友人も彼女もいないオレの部屋を訪れる人などなく、そのため中は惨憺たるありさまだった。
ゴールデンウィークの前半を使って、まず部屋の中に散乱していたカップ麺の容器や割り箸、コンビニ弁当の空箱、使用済みのティッシュペーパー、バナナやリンゴの皮、スナック菓子の空袋などを集めてポリ袋に入れた。それから本やCD、DVDを整理した。それも大量に散乱していたのだが、中には少なからぬアダルトDVDも含まれていたのだ。これらは見つからないように、紙袋に入れて本棚の一番上に置いた。
掃除機は持っていないので箒で掃き、雑巾がけをしたら、まあまあキレイになった。あとは幾子ちゃんが来るのを待つばかりだ。
そしていよいよ五月五日こどもの日がやってきた。午前中にオレはまた簡単に箒で掃いて雑巾がけをし、花瓶と花を買った。それから忘れてはならないのが、薄いゴムでできたアレで、これはコンビニで他の商品に紛れこませて買った。店員が若い女だったので、ちょっと気まずかった。だが、これでいい雰囲気になっても大丈夫だ。幾子ちゃんが来るのは昼の十二時だが、ヴァーグナーのオペラのDVDを一緒に見てれば、あっという間に夜になるさ。
そんなよからぬことを考えながら待っていると、幾子ちゃんはちょうど正午にやってきた。
「あら、思ったよりきれいに片付いているんですね。男の人の部屋って、もっと散らかってるかと思ってました」
オレはギクリとしたが、平静を装った。
「いやあ、オレってこう見えて案外、清潔好きなんだよね。掃除も洗濯もちゃんとやってるし、風呂だってもちろん毎日入ってるしね」
実はここは風呂なしアパートなので、風呂に行くのは夏でも一日おき、冬場は三日に一度、ひどいときは週に一回というときもあるのだが。すると幾子ちゃんが床の隅に何かを見つけた。
「あら、こんなところに昆布が落ちてるわ」
えっ、昆布なんてこの部屋にあるはずはないのだが。不思議に思って手に取ると、それはバナナの皮が黒く干からびているのだった。
「ああっ、いや、昨日ちょっとね、味噌汁の出汁を取ろうと思ってさ、つい落っことしちゃったんだよね。オレってさ、凝り性だから粉末の出汁の素なんて使わないんだよ。あはは」
そう言って何とかごまかし、昆布、いや黒く干からびたバナナの皮をあわててゴミ箱に捨てた。
「あら、モテナイ先輩もですか。わたしもですよ。化学調味料なんてとても使えません」
幾子ちゃんは気がつかなかったようだったので、ほっとした。
「ねえ、先輩。お弁当作ってきたから一緒に食べましょ」
幾子ちゃんが持ってきてくれた弁当は、女の子らしくかわいらしいものだった。カニやタコのように切り込みをいれたウインナー、ウサギの耳の形に切ったリンゴ、オムレツの上にはケチャップで小さいハートが描かれている。小さいハンバーグもハート型だ。
さっそくそのハート型のハンバーグを食べてみた。ん? こ、これは……。とんでもないまずい味だった。オレは絶句した。
「あ、あら、お口に合わなかったかしら?」
幾子ちゃんは心配そうにオレの方を見た。オレは慌ててむりやり笑顔をつくった。
「い、いや、と、とっても、おいしい、よ。すごくおいしい。あはは、あはは」
「まあ、よかったわ。遠慮せずにたくさん召し上がってくださいね」
それからはほとんど拷問だった。およそこの世のものとは思えない超マズイ料理を、作り笑いしながら、おいしいおいしいと言ってなんとか食べた。幾子ちゃんは無邪気な顔でうれしそうにそれを見ていた。
死ぬような思いでようやく食べ終わると、オレはヴァーグナーのCDやDVDの解説を始めた。幾子ちゃんは、まあ、とか、へえ、とか感心しながら聞いていた。だがその解説は、実はほとんど父親からの受け売りである。
そのうちオレは、さっき食べたもののせいで胸焼けがするようになり、共同トイレに駆け込んで胃の中のものをすべて吐いた。ふらふらになりながら部屋に戻ると、足下がよろめき、本棚にぶつかってしまった。するとその拍子に、本棚の一番上に載せておいた紙袋が床に落ちて、中に入っていたDVDが散らばった。
「あら大変!」
幾子ちゃんはそう言って、散らばったDVDを集めようとして手に取ると、凍り付いたように動きを止めた。
「こ、これは……」
それは隠しておいたアダルトDVDで、パッケージには「貧乳美少女イキまくり」というタイトルが書かれ、幾子ちゃんに似た感じのメガネをかけた貧乳の少女の裸の写真が載っていた。床にはさらに、同じく紙袋に入れて隠しておいた薄いゴム製のアレも落ちている。
やがてDVDを持つ幾子ちゃんの手がわなわなと震えはじめた。
「せ、先輩、いつもこんなものを見てるんですか。ふ、不潔です!」
「い、いや、これは、その、友人に頼まれて、あ、預かってるだけなんだ」
取って付けたような言い訳をしたが、もちろん通用するはずはない。幾子ちゃんは怖い顔をしながら立ち上がると、ドアの方へ歩いていった。
「最低!」
そういってドアをバタンと閉めると、そのまま出て行ってしまった。
部屋の中に一人取り残されたオレは、その晩はとても悲しい気持ちで「貧乳美少女イキまくり」のDVDを鑑賞したのである。
注:黒く干からびたバナナの皮が昆布そっくりになるのは本当です。ただし、出汁は取れません。