12.成人の日の失望(一月)
オレはクリスマスイブの日に知り合った宇多田珠代さんこそ運命の相手だと思うようになった。
一般的には美人だとは言えないだろうが、愛嬌のある顔立ちで、不思議と惹かれるものを感じるのだ。それになりよりも、一緒にいると何となくくつろいだ安らかな気分になる。
年末年始はオレも彼女も実家に帰省したりしていたので会えなかったが、メールやケータイでときどき連絡を取り合っていた。そうして、一月八日の成人の日にまた会えることになった。
今度は彼女が新作の料理を作るので、その味見をしてほしいという。また彼女の部屋へ行けると思うと、待ち遠しくてたまらなくなった。
そこで今回は、オレも準備を万端に整えることにした。薄いゴム製のアレは、以前に後輩の西田幾子ちゃんが部屋に遊びに来たときに(第六話参照)使い損ねたものが、机の引き出しの中に残っている。
パンツも普段は百均で買ったのものを使っているのだが、もうちょっとはまともなものにしようと思い、デパートまで行って一枚千円もするブランド品を買った。ついでにシャツやセーターなども買いそろえたら、十二月に稼いだバイト代がすべて消えてしまったが、まあとりあえずこれで事前の準備はオーケーだ。
そしていよいよ、成人式当日がやってきた。オレ自身は成人式は去年済ませたのだが、誕生日は二月十四日のバレンタインデーの日なので、そのときはまだ未成年だったのだ。だから、今年の成人式こそ、オレにとって本当に大人の男になる日なのだ。大人の男とは当然、女を知っている男ということだ。
そんなわけでオレは、今日こそ本当の意味での成人式を迎えるつもりで気合いを入れ、夕方前には銭湯へ行き、時間をかけて体中を洗った。それから家に戻るとしっかりと歯を磨き、爪を切ったり髭を剃ったり、髪を整えたりし、さらには鏡で自分の顔を入念にチェックした。そうして下着を新しいものに着替え、服も新たにデパートで購入したものを取り出した。よし、これで完璧だ。
約束の時間は夕方六時だったので、オレは五時前に自分のアパートを出て、まずは酒屋でシャンパンを買った。安物のスパークリングワインではなくて、いちおうはシャンパーニュ地方産のちゃんとしたシャンパンだ。そのあとは花屋に立ち寄って、赤いバラの花束を買ったら、結構な値段だった。
彼女のマンションには十分ほど早く着いたので、少しあたりを歩き回り、六時ちょうどに玄関のベルを鳴らすと、「はーい」という声とともに珠代さんがドアを開けて姿を現した。
「こっ、こっ、こっ、こっ、これっ、どうぞ!」
オレはバラの花束を渡すのに、緊張のあまりどもってしまった。
「まあ、すてきな花束。どうもありがとう。さあ、中へどうぞ」
ダイニングへ通されると、テーブルの上には彩り豊かに盛り付けられたサラダとオードブルが用意されている。
「すっ、すごいですね。とってもおいしそうです」
「そういってもらえると、うれしいわ。遠慮せずに食べてね」
オレはさっそく買ってきたシャンパンを開けて、グラスに注いだ。
「それじゃあ、カンパーイ!」
彼女はそう言って自分のグラスをオレのグラスに軽く当てると、オレの目を見てにっこりと微笑んだ。オレは思わずドキリとした。
珠代さんの料理はどれもすばらしかった。見かけもきれいだったし、味もものすごくおいしかった。シャンパンで酔いも回ってきたし、そろそろ愛の告白をするタイミングだ。
「珠代さん、とてもおいしかったです。もう今すぐにでも料理店を始められますよ。オレも珠代さんの夢を応援したいです。だからオレ……」
「ありがとう。弟もいつもそう言ってくれたわ」
「えっ、弟って?」
「あなたと同い年の弟がいたの。ちょうど一年前に交通事故で亡くなっちゃったんだけどね」
「そうだったんですか……」
何だかしんみりとしてきて、愛の告白どころではなくなってしまい、ちょっととまどった。同時にオレは、珠代さんの亡くなった弟というのに興味が出てきた。
「弟は不器用で要領が悪くてブサイクで、勉強もできないし女の子にもさっぱりモテないし、どうしようもないダメな子だったけど、私とはとても仲がよくって、私のことをいつも応援してくれてたの」
珠代さんの話を聞いていて、オレはなんだかその弟が他人とは思えなくなってきた。
「去年が弟の成人式だったんだけど、そのお祝いに私の部屋でごちそうを作って用意していたのよ。弟も楽しみにしてたわ。それなのに、成人式が終わってこちらに来る途中で交通事故に遭ってしまったの。新成人の酒気帯び運転の車にはねられて、ほとんど即死だったわ……」
話しているうちに、珠代さんの目から涙がこぼれてきた。
「モテナイくんを初めて見たとき、弟にとてもよく似た人だと思った。だからあなたを弟だと思って、あの日にできなかったことをやってあげたかったの。ごめんなさい……」
弟の代わりだと聞いて、オレはちょっと複雑な気持ちになったが、珠代さんにすっかり同情してしまった。
「いいんですよ。オレを弟だと思ってください。オレも珠代さんのことを自分の姉だと思って、応援しますから」
「ありがとう、モテナイくん。私、がんばるわ」
珠代さんは感謝の眼差しでオレの顔を見て微笑んだ。それから一時間ほど自分の夢を語り続けたあとで、掛け時計を見ながら言った。
「あら、もうこんな時間だわ。明日もバイトがあるから、そろそろ寝なくちゃ」
「あ、ああ、そ、そうですね。じゃあオレ、そろそろ失礼します」
こうして前回と同じく何事もなく、オレは珠代さんのマンションを後にしたのだった。
人通りも少なくなった帰り道を一人でとぼとぼと歩きながら、珠代さんにとってオレは恋愛対象ではなくて弟の代わりだったんだと思うと、ちょっと寂しい気持ちになった。
でもまあいいや、彼女のことは弟として応援してあげよう。そうして、オレもまた自分の目標に向かってがんばろう。そう決意を新たにした。
するとそこでふと、オレは去年のバレンタインデーの日に立てた目標を思い出した。そうだ、オレは次の誕生日、つまりバレンタインデーまでには、超カワイイ彼女を作って童貞を卒業しようと決意したのだ。
残り期間はあと一ヶ月ちょっとしかない。それまでにオレはその目標を達成できるだろうかと考えると、暗澹たる気持ちになった。