11.クリスマスイブの幸運(十二月)
クリスマスイブは一年のうちでも一番嫌な日だ。理由は単純で、街中は幸せそうなカップルだらけなのに、オレは一緒に過ごす相手もなく、自分のアパートの暗い部屋で一人寂しく過ごさなければならないからだ。
だったらいっそのことアルバイトでもした方がましだと思い、大学の学生課のアルバイト斡旋コーナーへ行ってみた。するとちょうど、クリスマスイブの日のみの単発のアルバイトがあり、時給も結構よかったので、申し込むことにした。仕事はクリスマスケーキの店頭販売だ。
クリスマスイブの当日、指定された午後一時に店に行った。駅前の商店街にあるおしゃれな洋菓子店だ。カフェも併設していて、カップルや家族連れでにぎわっている。
店長から仕事の説明を聞き、オレはトナカイの着ぐるみを着せられ、もう一人のサンタの格好をした若い女性のバイトといっしょに店頭に立って、ケーキを売ることになった。
「宇多田珠代といいます。普段はパティシエの専門学校に通ってて、土日と祝日だけここでアルバイトしてるの。よろしくね」
女性はそうあいさつした。オレよりちょっと年上だろうか。背は低く、色白で全体的にぽっちゃりしていて、なんとなく子豚を連想させる。丸顔でショートカットで、目も鼻も口も丸くて大きめで、美人というわけではないが、愛嬌のある顔立ちだ。
「あっ、ど、どうも、モテナイといいます。名前の通りモテない男です。よろしくお願いします」
オレがあいさつを返すと、彼女はクスリと笑った。オレはその笑顔にちょっとドキリとした。
さっそくオレは珠代さんと店頭に立って、道行く人たちに「クリスマスケーキはいかがですかー」と声をかけた。ときどきガキどもが「わあ、トナカイさんだあ」と近づいてきて、着ぐるみを引っ張ったり、手を伸ばして角をつかんだりした。オレがイテテ、イテテと大げさに反応すると、バイバーイと言って去っていった。
「モテナイくんて、子どもに人気があるのね」
となりで様子を見ていた珠代さんは感心したように言った。
「でも好かれるのは子どもにだけで、女性には全然モテないんです。クリスマスイブだというのに、一緒に過ごす相手もいないから、こうしてバイトしてるんですよ」
「あら、私だってそうよ。背も低いし太っててブスだから、ちっともモテないの。高校まで男の子たちからは宇多田じゃなくてブタダって呼ばれてたんだから。名前だってタマヨなんて、いやになるわ」
「そんなことないですよ。珠代さんはかわいいし、とても魅力的です」
「まあ、お世辞が上手なのね」
珠代さんはそう言うと顔を赤らめて、オレの背中をポンと叩いた。
その店のケーキは人気があるようで次々と売れていき、夕方になると行列ができるほどで忙しかった。夜七時前には用意した分がすべて売り切れてしまい、オレは珠代さんとハイタッチをした。
後片付けをして給料を受け取り、店を出て帰ろうとしたとき、オレの腹がグウと鳴った。珠代さんはオレの顔を見て、笑いながら言った。
「よかったら、これから一緒に夕食でもどう?」
「いいですね。でもクリスマスイブだし、レストランはどこもいっぱいじゃないですか?」
「そうねえ。じゃあ、私のうちに来ない? スパゲッティとか、ちょっとしたものなら作れるわよ」
突然の申し出に、オレは自分の耳を疑った。
「い、いいんですか?」
「ええ、私もせっかくのクリスマスイブを一人で過ごすのはつまらないもの。途中に酒屋さんがあるから、ワインでも買っていきましょう」
信じられない気持ちで、オレは彼女について行った。
珠代さんのマンションは1DKで、本棚には料理関係の本がいっぱい入っていて、キッチンにはいろんな調理道具が置いてあった。
彼女はエプロンを着けると手際よく野菜を刻み、スパゲッティをゆで始めた。二十分ほどすると、ベーコンにキノコと野菜が入ったスパゲッティができあがった。
買ってきた赤ワインを開け、金魚鉢のような大きなワイングラスに注ぐと、乾杯をした。スパゲッティを食べると、専門店で食べるのと同じぐらいおいしかった。オレはすっかり感心した。
「すごくおいしいです。まるでプロが作ったみたいですね」
「私も調理師免許いちおうもってるんだ。今はパティシエの勉強をしていて、将来は自分のカフェを持つのが夢なのよ」
そういうと彼女は冷蔵庫からマドレーヌのような洋菓子を持ってきた。
「これ、私が作ったお菓子なんだけど、味見してみて」
食べてみると、これもまたお店で売っているものと同じくらいおいしかった。
「これもすごくおいしいです。もう今すぐにでもお店を開けますよ」
「モテナイくんって、本当にお世辞が上手なのね。さっきだって、私のことかわいいなんて言ったりして」
「いや、お世辞じゃないです。料理もお菓子も本当においしいし、珠代さんもとってもかわいいです」
「ありがとう。お世辞でもうれしいわ」
彼女はそう言うと、照れくさそうに笑った。
それからオレたちはワインを飲みながら話をした。珠代さんは二十三歳で、北海道の出身なのだそうだ。今はお菓子作りの勉強で忙しく、付き合っている人もいないという。だんだんいい雰囲気になってきて、オレはその後の展開のことを考え始めた。するとそのとき、彼女はふと壁に掛かった時計の方を見た。
「あら、もうこんな時間。私、明日もバイトだから、もう寝なくちゃ」
「あっ、そ、そうですね。オレもそろそろ失礼します」
ちょっと残念ではあったが、オレはおとなしく帰ることにした。まあいいや、ゴム製のあれも持ってきてないし、部屋に入れてもらえただけでも、ものすごい進歩だ。
「それじゃあ、今日はどうもありがとうございました。今度お礼に夕食でもごちそうさせてください」
「あら、それじゃあ私ちょうど行きたいお店があるの。女一人じゃちょっと入りにくいから、一緒に行ってもらえたらうれしいわ」
「ええ、ぜひ一緒に行きましょう」
そう言ってオレは彼女に別れを告げ、マンションを出た。
夜の道は人通りも少なく静かだったが、オレの心の中ではジングルベルが賑やかに鳴り響いていた。こうして今年の十二月二十四日は、これまでの人生で最高に幸運なクリスマスイブとなったのだった。