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路上の少女

作者: こじひろ

男が歩いていると、炎天下の中、何歳か年下の少女が路上に突っ立っていた。


少女は感情のない顔色で空を見上げていた。手足はだらんとして、汗で学校の夏服が肌に張りついてはいるが、体はちっとも動いていなかった。何か訳あって仁王立ちをしているという様子もなく、か細い少女の両足がそのまま地面に突き刺さっているみたいに見えた。


男は少し心配になって、その少女に声をかけた。


「あの、大丈夫ですか」


「……ちょっと、動けなくなってしまって」


少女はちらりと男の方に目をやると、若干疲れた声色で言った。


「太陽に当てられましたか。それとも足か攣ったとか」


「いいえ、違います。下を見てみてください」


少女は垂れ下がった右手の先を僅かに動かして人差し指を立てると、真下のアスファルトを指差した。男はつられるように少女の足元を覗いた。棒立ちした少女の両足が、どろりとしたアイスクリームのような液体になって地面に溶け出していた。


「大変じゃないですか」


男は驚いたというより、少し困惑気味な表情になって言った。


「そうなんです。昔からぼうっとした性格で」


「そうじゃありません。足、溶けてるじゃないですか」


「……これは、この時期になれば、仕方のないことなんです」


「仕方のないこと?」


「はい。だからいつも気をつけていたのですが……つい油断してしまって」


少女は淡々と喋りながら、空をぼんやりと眺めていた。別に困っている風でも、助けを求めている風でもなかった。まるでこのまま、体が溶けてなくなってしまうのをじっと待ってるかのようだった。暑い日差しに照らされて、少女の瞳だけが忙しなくまばたきを繰り返し続けていた。


見かねて男は言った。


「脱水症を起こしているのかもしれません。すぐ日陰へ移動しましょう」


「……動けません」


少女は淡白な口調で言った。


男は「ちょっと、失礼」と一言断ってから、少女の体を強く押してみた。ぐいっと力を加えてみても、少女の体をぴくりともしなかった。溶け出した少女の両足がアスファルトにくっついて、すでに地面の一部になってしまっているようだった。外はこんなに暑いのに、少女の体は何故かひんやりと冷たくて不思議だった。


「……確かに、これでは動きませんね」


男は諦めて、少女の体から手を離した。一人ではどうすることも出来なさそうだった。携帯電話を使って、救急車やパトカーでも呼んだほうがいいかもしれなかった。


「植物人間って聞いたことありますか」


「え……まあ、はい」


突然少女が変わった質問をしてきたので、男は動揺した。躊躇いがちに頷いた。


「脳を損傷して、ベッドで寝たきりなった人のこと……ですよね」


「そうです。ひとえに人間と言っても、色々な人がいます。動物みたいに、たくさん種類があるんです。だから私のような人間が一人くらいいても、別におかしくはないんですよ」


「……普通の人間ではないのですか」


男は少女に訊ねた。


少女は少し間を開けてから、「アイスクリーム」と短く呟いた。男の問いに答えたというよりも、空へ向かって投げかけた言葉のように聞こえた。


アイスクリーム? 一体どういうことだろう、と男は頭を捻った。


「あ」


その時、少女の右腕がぼとりと地面に落下した。この暑さに晒され続けて、少女の体がいよいよ限界を迎えたみたいだった。熱々の鉄板みたいに熱を含んだアスファルトを少女の右腕が転がり、あっという間に溶けてなくなった。少女はなおも平静とした態度で空を眺め、それからゆっくり目を閉じた。


「助けを呼びます」


男はポケットから携帯電話を取り出した。


「いいんです。大丈夫」


少女が落ち着き払った様子で言った。何が大丈夫なのか、男には全くわからなかった。


「それより、水を持ってきてくれませんか。ここはとても暑いから」


少女の声はとてもか弱くなっていて、儚かった。まるで最後のお願いをしているみたいだった。通報するよりも、先に少女の要望を叶えてあげなければならない、と男は思った。携帯電話を仕舞い、「分かりました」と頷いて、慌てて近くのコンビニへ向かった。


コンビニへで二リットルのミネラルウォーターを購入し、ついでに冷湿布も袋に詰めた。焦るように息を切らしながらようやく少女の元へ戻って来たが――そこにはすでに少女の姿はどこにも見当たらなかった。代わりに、地面に乾きかけの小さな水溜りができていた。


男はがっかりして頭を垂れると、その場で低いうめき声を発した。


後味の悪い、微妙な心持ちが胸中に残った。少女の正体は何だったのか、結局最後まで分からなかった。ひんやりとして冷たかった少女の体、そしてアイスクリームとはどういう意味だったのか。


ふと、男は少女が溶けてしまったアスファルトの上に、クリームみたいな白い液体がべっとりと僅かに付着していることに気づいた。近づいてみると、それは確かに見覚えのある、どこにでも売られていそうなホイップ状のアイスクリームだった。


それとなく、一口手にとって舐めてみた。


「……しょっぱい」


アイスクリームは甘酸っぱいバニラの味がした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 読ませていただきました。日常のなかに不可思議な出来事が浸入してくるという短編ですね。私は、怖い結末を想像しましたが、真夏の夢みたいな、この終わり方が一番しっくりくるでしょうか。 [一言] …
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