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3 死者の踊り

 あくびをかみ殺したオウエン・ストウは、キャスィアン・ダンフォードから送られてきたファックスの用紙を眺めたままでうんざりと盛大なため息を吐き出した。

 イングランドを牛耳る麻薬王のことだから、その取引相手と言わず、人間関係の広さは自ずと想像できたが、それにしたところで、現実としてそれをまざまざと突きつけられれば、捜査をしなければならない刑事としては嫌気も差すというものだ。

「眠そうだな、オウエン」

「どうも」

 同僚の刑事に声をかけられて、ストウは短く応じながらぺらりと紙のめくる音をたてて、ステープラーで端を留められたファックスの束を繰った。

「そういえば、この間のホモ殺人の犯人、今は”治療中”だって?」

 揶揄する物言いに眉尻をつり上げたストウは、ややしてから顎に指先を当てると視線をファックスから上げた。

 この間のホモ殺人鬼――要するにジョン・スプリングのことだ。

 交際相手の心変わりが原因で、「彼」を惨殺した。結局、すぐに深い後悔の念に襲われて自首してきたから、殺害手段がやや狂気じみているところはともかく、それほど「悪い奴」ではないのかもしれない。

 オウエン・ストウはそう思った。

「心理学者には”偏見”は天敵だと言われましたよ」

「……あぁ、あの変わった心理学者の若い先生か」

 金髪のなよっとした。

 身長はそれなりだが、武闘派のたたき上げの刑事たちにしてみればお世辞にも体格が良いとは言いがたい。学者というだけあって、どこかお上品な印象を持つと言うところもやむを得ないだろうか。

 しかも、他人の心の中を覗き込むという、それこそデスクワークを主流としている。

「なよなよしてるかどうかはともかく、俺にはまだ評価しかねるが」

 ストウは、相手の言葉を受けてぽつりと呟いた。

 まだ、オウエン・ストウは、あの心理学者――アルフォンス・メイスフィールドという男のことをよく知らなさすぎた。

 肩をすくめて手元に視線を戻したストウに、彼の肩に腕をついてもたれかかっていた刑事は、ファックスを覗き込んでから眉をひそめた。

「そいつは?」

「今朝、オックスフォード・ストリートで殺されたノリスさんのお友達関係だそうだ」

「お友達、ねぇ」

 しかし錚々たる顔ぶれだ。

 悪党という悪党が名前を連ねている。

 もちろんそこに名前があるということは、現在の警察権力では強硬措置をとれない相手ということになっている。ちなみに、当然、警視庁ではもちろん傍観しているわけでもなく、躍起になって悪党共の尻尾を掴むために奮闘しているが、これがどうしてなかなかしぶとく正体を現さないときたものだ。

 アーサー・ノリスも例に漏れず、そういう人間のひとりだった。

 絵に描いたような悪党。

「とりあえず、アルファベット順に当たってみるか」

 もちろん、明らかな小物は考えるべくもない。

 優先順位を考え、高級客室などに出入りできるような連中から先に洗い出すのだ。そうして、捜査対象を徐々に狭めて行けばよい。

 死人は悪党だし、これ以上の死者が仮に出るとしても悪党だけだろう。

 被害者が麻薬王――アーサー・ノリスであったということで、一般庶民が被害に出会う可能性は格段に減った。そうした意味では、安堵感が大きかった。




  *

 ボブ・アディントンというのは、これまた悪徳弁護士で高額の報酬で、アーサー・ノリスのような悪人の弁護人を務めるうえに、市民相手にも法外な金額を要求する強欲だった。ついでを言えば、イギリス連邦でも優秀と名が通っていたから手に終えない。

 頭の良い悪党ほど迷惑な存在はいなかった。

「お邪魔します」

 形式的な挨拶をして、アディントンのオフィスを訪れると秘書を務める茶色(ブルネット)の女が慌ただしくオウエン・ストウを引き留めようとした。もっとも、それなりに長身で体格も良い体力の充実した刑事に一般人がかなうはずもない。

 軽く体を振っただけで、女の細い腕を振り切って、オウエン・ストウはボブ・アディントンの執務室の扉を開いた。

「……む」

 「ただいま、アディントンは接客中です」という女の言葉を流し聞きながら、ストウは執務室のソファに腰掛けているふたりの男に眉間を寄せた。

 ボブ・アディントンの顔は新聞やニュース番組――そして捜査資料の写真――などでしか見たことがなかったが、片やはストウも見知った相手だった。

「あら?」

 金色の、灰色のスーツの青年が無遠慮に扉を開いた男に声を上げる。

「今は接客中だから誰も通すなと言ったはずだが」

 五十代の男はいかめしい両目をつり上げてから、黒髪をかき回すと大股に立ち上がって、扉の向こう側――オウエン・ストウの長身の影に隠れるようになってしまった秘書のブルネットの女を非難する。

「申し訳ありません、刑事さんが勝手に……」

 もごもごと困った様子で口ごもった二十代の秘書は言い訳をして、床に視線を落とした。

「刑事だと?」

 一気にアディントンの顔が険しさを増した。

 もちろん、アディントンには違法行為ぎりぎりの綱渡りをしている自覚があるから顔色を変えたのだろう。ストウはそう思った。

「メイスフィールド博士?」

 とはいえ不審に思ったのは、訪問を受けたボブ・アディントンだけではなく、オウエン・ストウもそうだった。

「こんにちは、ストウ刑事」

 にこりと穏やかな笑顔を、金髪の青年心理学者はたたえて見せた。

「お知り合いかね? アガサ」

「えぇ、ロンドン警視庁とロンドン市警察に配属されているので、そちらで捜査協力もしています」

「なるほど」

 低い声でアディントンがうなり声を上げた。

 一方の上品な所作のアルフォンス・メイスフィールドは、相変わらず穏やかに受け答えをしている。もしや、メイスフィールドがアディントンを通じて、ノリスに情報提供をしていたのではないかとも勘ぐるが、アディントンの声がストウの思考を停止させた。

「なにを邪推しているのかは知らんが、アガサ……メイスフィールド博士は、ノリスとは無関係だぞ」

 アルフォンス・メイスフィールドを「アガサ」と呼んでから言い直した壮年の男は、それでも尚、神経質に眉をひそめたきりだ。

「弁護士の先生も、ノリスが殺されたことをご存じとは耳が早いことだ」

 皮肉な言葉を返したストウに、アディントンはちらりと肩越しにソファに腰を下ろしたメイスフィールドを眺めてから咳払いをして、一瞬だけ考え込んだ。

「申し訳ないが、アガサ。君と話をするのはまた後日になりそうだ」

 長くもなければそれほど短くもない沈黙を挟んで、ストウに背中を向けるようにして表情を隠したボブ・アディントンはことさらに穏やかな声色を心がけて青年心理学者にそう告げた。

「では、後日、日程のご連絡をお待ちしています。博士」

 人好きのする笑顔を浮かべて、メイスフィールドはアディントンを見つめてからストウに視線を移した。

 一応、状況というものを考えているらしい。

 それにしても、メイスフィールドのことをアディントンも。そして、ジョン・スプリングの事件の時に出会ったフェラーリの男も、「アガサ」と呼んでいた。これはいったいどういうことなのだろう。

 本名がアルフォンス・ベネット・アンディ・メイスフィールドならば、愛称はその名前にちなんだもののはずだ。もしくは、オウエン・ストウが知らないところで、青年を知る人々にとっての共通認識があるのかもしれない。

 どうでもいいことを一瞬考えてから、ストウはふと小首を傾げた。

「では、失礼します」

 ぺこりと礼儀正しく頭を下げた心理学者の青年に、アディントンは満足そうに頷いてから「奥さんによろしく」と付け加えた。

 いったいロンドン警視庁に詰める心理学者と、この悪徳弁護士の間にはいったいどんな関係があるというのだろう。

「ひとつだけ言っておくがな、彼の前で君が、わたしの仕事に関することを口にするのは許さんからな」

 許さないと言われても、メイスフィールドは警察関係者だし、いずれ知る事にもなろうが、どうやらアディントンにとってはそういう問題でもないようだ。

 右の人差し指をストウの胸に突きつけて、まるで恫喝でもするようにボブ・アディントンは言った。

 そういえば、と、ストウに背中を向けてメイスフィールドに言葉を投げかけた時の悪徳弁護士の声を思い出した。

 まるで猫なで声で、つきあっている愛人に話でもするかのようだったこと。

 先日のホモ殺人事件も手伝って、何とはなしに得体の知れない悪寒が背筋を走り抜けた。少なくとも、自分の人間関係の周りだけは同性愛者などというとんちきがいなければよい、とストウは思った。

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