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2 真実の扉

「それにしても、全く、当の本人が殺されちゃ、こっちも追いかけるのが難儀するわね」

 投げやりに呟いたキャスィアン・ダンフォードは、乱暴に自分の車をバックさせた。

 スポーツカータイプのダンフォードの愛車は、ぶっちゃけ後部座席の乗り心地は最悪だ。

「悪いわね、誰かを乗せることは考慮してなかったから」

 素っ気なく言われて、ハリー・ジョンストンとオウエン・ストウは顔を見合わせて目を丸くした。

「それにしても、全く……」

 言いながらダンフォードはきつく眉間を寄せると、ステアリングを握りながらフロントガラスの向こうに流れていくロンドンの街並みを睨み付けた。

「だいたい、イングランドでも屈指の麻薬王なら自分の身辺にもう少し気を配ったらいいじゃない」

 ぶちぶちと独白に近い文句の絶えないダンフォードに、オウエン・ストウは後部座席に腰を下ろしたまま、ヘッドレストに手をかけると身を乗り出して口を開いた。

「なんだ、おまえ、いつから悪党の味方になったんだ?」

 告げられて、ダンフォードはフンと鼻を鳴らしてからじろりと肩越しに横目で後部座席を睨み付けた。

「わたしが、いつ、悪党共の味方になんてなったって言ったのよ。オウエン」

 単語をひとつひとつ噛みしめるようにして言葉を放つと、ステアリングを握りしめた。

「最近、ロンドン警視庁のほうに出向していたんだけど、そこでいろいろ調べていたんだけど、いまひとつぴんとこないのよね」

 言いながら小首を傾げた。

「……と、言うと?」

「あの悪党、……――アーサー・ノリスは誰から恨みを買っていてもおかしくはないけど、それにしても大概、間抜けな殺され方だと思わない?」

「確かに」

「だいたい、リッツ・ロンドン程じゃないけど、それなりに厳重な警戒態勢のホテル――高級客室で殺されたっていうことは、殺人犯もそれなりの立ち居振る舞いをできる人間ということになる。しかも、それなりに頭の切れる……」

 アーサー・ノリスは確かに相当な悪党だ。

 そこには異論はない。

 オウエン・ストウとハリー・ジョンストンは、ダンフォード巡査部長のようにノリス殺害以前から彼を追いかけていたわけではない。さらに言えば、キャスィアン・ダンフォードがノリスを追いかけていたのは、彼がイングランドにおける麻薬の密売に大きく関与していたからだ。

「おそらく、ノリスの後釜を狙っていた連中の仕業だろうとは思うけれど、いったいどこのどいつかしら」

 狭い車中で自説を繰り広げる女性刑事に、オウエン・ストウは唐突に自分の車を放置してきたことに気がついた。

「ちょっと止めてくれ」

「はぁ?」

 ズボンのポケットの中の車のキーを確認してから、強引にダンフォードの車を止めさせると、ストウはアスファルトに足をおろした。

「ロンドン警視庁に行けばいいんだろう?」

「そうよ、ダンフォード巡査部長のオフィスって言えばわかるから」

「すぐに行く」

「了解」

 耳障りなエンジン音を上げて走り去っていくスポーツカーを見送って、今来たばかりの道をストウは歩いて戻りはじめた。現場付近に自分の車を置いてきて、そのままロンドン警視庁に行ったのでは、いつ取りに戻ってこれるかわからない。その間に交通課の制服警官に取り締まりをされそうだ。

 そうして歩きながら、オウエン・ストウは考えた。

 殺されたのはアーサー・ノリス。

 イングランド屈指の麻薬王。

 数々の状況証拠と、資金の流れが発覚しているにもかかわらず、身柄を拘束することができずにいたのは、ノリスがイングランドの政界とも強いつながりを持っていたからだとも噂されていた。

 たかが警察権力など、とても及ばない大物。

「コネがあれば、多少のおいたは大目に見てもらえるってか」

 くそったれ、とつぶやいたオウエン・ストウは早朝のロンドン市内を歩きながらなにげなく辺りを見回した。

 まだ人の流れは少ないが、出勤時間にもなれば街は目を覚まし人が市内へとあふれ出す。

「……ちっ」

 舌打ちを鳴らしたストウは、ポケットに両手を突っ込んだまま歩きだした。



  *

 それから自家用車に乗って、ロンドン警視庁へと向かった彼は狭い廊下を抜けて薄暗い資料庫へたどり着いた。

 どうやらキャスィアン・ダンフォードはそこで日がな一日仕事をしているらしい。

 棚と棚の間に置かれた古びたテーブルに何十冊ものファイルが積み上げられていた。IT化されつつある現代社会で、この古くささはいくら懐古主義的な色合いの強いイングランドにしてもやり過ぎだ、とストウは思った。

「そこにあるファイルに触らないでね」

 何気なくファイルをめくろうとしていたストウとジョンストンに、ぴしゃりとダンフォードは言いつけた。

 おそらく、彼女にはどこになにがあるのかがよくわかっているのだろう。

 ほとんど倉庫に近い資料庫は埃っぽいが、キャスィアン・ダンフォードの表情を見る限り、そうした環境に特に異論はなさそうだ。

 仕事中毒(ワーカホリック)の彼女らしいと言えば、彼女らしい。

「よく、捜査チームの連中がきて、この辺にある資料をあちこちひっくりかえすもんだから、おかげでしょっちゅうどこに何が置いてあったのかわからなくなるのよ。いい加減にしてほしいわよね。場所と時間は有限なんだから」

 憮然とした彼女にジョンストンが首をすくめる。

 上昇志向が強い彼女だからこそ、中途半端に状況を引っかき回す同僚刑事の存在が我慢ならないらしい。

「それで、ノリスの”交友関係”についてだが」

 テーブルの上に置いてあるファイルの山を崩さないように注意しながら、ストウがテーブルの脇に置いてあるパイプ椅子に腰掛けると、ダンフォードの神経を逆なでしないように言葉を選びながら問いかけた。

 アーサー・ノリスの人間関係。

 殺されたのがその辺の若者たちではないから、交友関係などと言えるほど生やさしいものでもない。

「ちょっと待って……」

 テーブルの近くの棚のやけに隙間の多い段に納められたファイルを引き出してから、手早くコピーを取ってからストウの鼻先へと突きつけた。

「これがそのリスト。そう簡単に口を割るような連中じゃないから、尋問するなら充分気をつけたほうがいいわ。奴ら、ノリスと同じで違法ぎりぎりのところで生きているから、警察関係者(わたしたち)を煙に巻くのはお手のものよ」

 何ページにもわたる紙の束を指先でめくってから、ストウは内心うんざりした。顔に出さないのは男の矜持だ。

 仮に、うんざりした表情をそのまま顔に出せば、ダンフォードに弱みを握られる事態になるだろう。

「殺しをやるような奴に心当たりは?」

 数秒の沈黙の後に問いかけると、ダンフォードは灰色の天井に視線を上げてから胸の前で腕を組んだ。

「……そうね、いるにはいるけど、多すぎてこいつらの中からひとりを特定するのは厳しいわね」

 麻薬王には敵が多い。

 虐げられた下っ端の小売人から、仲卸の小悪党。さらに、アーサー・ノリスとつながりを持つ卸売りの海外マフィア。

「もしくは複数犯という可能性もある」

「なきにしもあらず、ね」

 ストウの指摘にダンフォードがホワイトボードの前に置かれた椅子に腰掛けた。

「最近じゃ、”アジア”に根城を持つとある売人とトラブルを起こしていたみたいだけど。まぁ、当然よね。互いに悪党同士なんだから、安く買いたたこうとすれば向こうの恨みも買うでしょうし、向こうも向こうで随分とふっかけてきたみたいだから」

 アジア、というやたらと大きな括りで言葉を濁した彼女に、ストウが身を乗り出して興味深そうに片目を細めた。

「どこのどいつだ」

「中東の……」

 そこでダンフォードは声をひそめた。

「アフガンよ」

 一九七〇年代から断続的な混乱状態に置かれており、情勢は複雑化し続けている世界屈指の紛争地帯だ。

 過激派のイスラム組織も多く、世界の警察を自負するアメリカ合衆国とかつての大国、ソビエト連邦もアフガニスタンに参戦したイスラム戦士(ムジャヒディン)には手を焼いた。

「……――そりゃまた厄介なもんが」

 ダンフォードからアフガニスタンと言われて、ストウは言葉を失った。

 結局、ソビエト連邦とアフガニスタンで行われた十年に及ぶ長い戦争の末に、ムジャヒディンたちは多すぎる犠牲を払いながら、大国の軍事勢力を押し返した。そして、その混乱は今も深くその地に根付いている。

 富める者と、貧しい者。

 富める国と、貧しい国。

 冷静に考えてみても、キリスト教徒の価値観で世界の全てを理解しようとすることのほうが利にかなっていないのだが、多くの場合、支配者というものは独りよがりで偏狭なものだ。

「一応それを持って行って、殺したくなるほど憎んでるかもしれない奴らは、わたしが洗い出して後であんたのところにファックスしてあげる」

「すまんな」

 ジョンストンと共に、キャスィアン・ダンフォードの仕事部屋を出たストウは、やれやれと手にしたファイルで顔を仰いだ。

「アーサー・ノリスがやばいところに手を出していたのは知っていたが、面倒なことになった」

 溜め息混じりにオウエン・ストウはぼやいて歩きだした。

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