第六話 ヴィクトル
本日六話目。
ヴィクトル視点。
王城の一室、その部屋には重い空気が流れる。
私も従者も微動だにせず、厄災の訪れを警戒していた。
「ヴィクトル様、もう夜も遅いですし、勇者殿とて、リディアーヌ様の元へ向かうのは明日でしょう」
「そ、そうだな」
私は緊張を解いた。まだ勇者には、リディアーヌが出奔したことは知られていないだろう。
ましてや婚約破棄など。
安堵の溜め息をついた所で、音もなく現れた人物に、私も従者もひっと小さく悲鳴をあげた。
現れたのは金髪碧眼の見目麗しい男だ。
私より二つ年下、19歳の勇者は均整の取れた長身の体躯に精悍で美しい顔立ち。
息を吐くだけで女を虜にする魔性の男だ。
白銀の鎧をつけて剣を下げている所をみるに、今まで魔物討伐をしていたのだろう。
今はその麗しい顔に怪訝な表情を浮かべ、立っている。
「ヴィクトル、リディアーヌが部屋にいないんだが、どこにいるのか知らないか?」
「お前、いきなりそれか? まずは部屋に無断で入ったことを謝れ。ドアの外でノックをしろ」
私は焦りながらも、冷静に常識を諭す。
それにしても、城に来てこの短時間でリディアーヌがいないことを見抜くとは。
(こいつ、またリディアーヌの部屋に忍び込んだな。
今は作戦決行中で会えないからって、寝顔を見ようとしたな。変態か!)
胸中で罵りつつも、頭は高速で動き、この場をどう収めるか思案する。
「精霊もいないようだ。どこかに行ったのか?
俺は聞いてないが」
「あー、ああ。実家に・・、いや、王家の別荘に行ったぞ。花が見頃だそうで、花見に」
実家に、と言った所で勇者は嫌な予感が走ったのか、眉間に皺を寄せたので、言い直した。
「どの別荘だ?」
「夏の離宮・・、いや、レノン湖の畔かな?」
「そうか」
勇者は言うや否や、魔法陣を床に発し、スッと消えた。
「ヴィクトル様〜! なにを言ってるんですか! 勇者殿、確認に行ったのではないですか⁉︎
どうするんですか!」
「どうするか・・」
夏の離宮は今は使っている者はいないし、レノン湖の畔の宮殿は確か陛下の叔母上がいるはずだが、あの勇者なら一つ一つ部屋に入ってでもリディアーヌの所在を確認しそうだ。
これは、時間の問題か。
「逃げるか」
「お供します」
主従ともに冗談を発した所で、再び勇者が現れた。
「どういう事だ?」
勇者の声とともに、部屋に冷気が撒き散らされた。
勇者は同じくらい冷たい顔をしている。
「は、早かったな、セルジュ」
「どういう事だと聞いているんだ。夏の離宮にもレノン湖の宮殿にもリディアーヌはいなかった」
どうやってこの短時間でリディアーヌの所在を確認できたのだろう。
この勇者、力の無駄遣いをしていないか。
「あー、それはな・・」
私は一度言葉を切って、言い直す。
「話すから人のいない場所に行こう。闇宵の森がいい」
闇宵の森は広大で鬱蒼とした森だ。人もあまり入らず、勇者が暴れてもあまり被害はないと言える。勇者にその事を伝える私以外には。
勇者は私が闇宵の森を指定したことで動揺した。
「なぜ、闇宵の森などに。リディアーヌになにかあったのか?」
勇者の動揺を物語るように部屋がパキパキと凍りついていく。
なぜこいつはリディアーヌの事になると、魔力の制御が出来なくなるのだろう。
今までさんざん魔物や魔族と死闘を繰り広げても、そんな事はなかったのに。
これが魔族に知られたら大変だ。
リディアーヌは勇者の弱点になる。
リディアーヌを盾に取られたらあっさり命を渡しそうだし、リディアーヌが魔族に害されたら、辺りが焦土となるほど暴れそうだ。
私は重い息を吐いた。
「話は闇宵の森に行ってからだ。ああ、こいつも連れて行ってくれ」
従者を指すと、従者は悲鳴をあげた。
「なぜ私まで!!」
「共をすると言っただろう。死なば諸共だ」
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闇宵の森は本当に真っ暗だった。
木々が生い茂り、月も星も隠してしまう森に男三人。
転移してすぐに私は勇者から少し距離を取った。
いつでも逃げれるようにだが、よく考えたら私の従者のジュールを連れてきたのは間違いだった。
一人で勇者と対峙したくなくて巻き込んだが、ジュールは魔法を使えない。
私の後ろでぶるぶる震えるジュールは逃げる時、足手まといだ。
はあっと大きく息をつく。
ぱきっと、小枝を折る音が静かな森に響いた。
勇者が踏み込んだのだろう。
そんなにリディアーヌの居場所を知りたいか。ちょっと待て、今言い訳を考えているのだから。
魔法の光に浮かぶ勇者の顔は美しいが空恐ろしい。
「で、リディアーヌはどこに?」
「ああ、あー、オルガと一緒だ」
「オルガと?」
「ああ、女同士で親睦を深めている。男は参加させたくないから居場所は教えないそうだ」
信じていないのか勇者は眉間に皺を寄せると、指で宙に円を描いた。
光の円が宙に浮かび、円の中が鏡のようになる。
私達が魔道具を用いて、会話や転移の際の座標決めなどをするというのに、勇者は身一つでなんでも行う。
同じく魔法を使う者として格の違いは歴然だ。
「オルガに繋がらない」
勇者は焦ったような声を出した。
「精霊様がオルガの鏡を封じてるらしい。向こうから連絡してこない限り繋がらないし、場所の探索も出来ないと言っていた」
「大精霊もあの精霊の居場所を掴めないらしい。くそっ、どうなってるんだ!」
勇者が珍しく悪態をつく。
リディアーヌの前では決して見せないが、勇者は田舎の村の出だ、焦ったり怒ったりした時は口汚い言葉も出る。
リディアーヌの前では格好つけて、紳士ぶって。
勇者が考えている事をリディアーヌに教えてやったらドン引くだろう。
勇者はぎっ、と射殺しそうな目で私を睨んだ。切羽詰まった様子だ。私も身構える。
「ヴィクトル、リディアーヌの行き先に心当たりは?」
「いや、ないが。
いつものように街に出てそのままいなくなったから、街の奴らがリディアーヌを見かけてるかもな」
「そうか、分かった」
そのまま街に突撃しそうな勢いの勇者を、私は慌てて止める。
「待て待て、どこに行く気だ。まさか街に行くのか? 皆寝てるぞ」
「叩き起こす」
「一軒一軒起こして行く気か⁉︎ 馬鹿な真似はやめろ。
明日、リディアーヌが懇意にしている界隈に案内するからそれまで待て。
リディアーヌは誘拐されたのではないぞ!
自分で出て行ったんだ」
無言で睨みつける勇者をなんとか宥める。
「なあ、リディアーヌだってゆっくり考え事をしたい日もあるだろう。
少しそっとして置いてやろう。
落ち着いたら戻ってくる」
優しく語りかける言葉とは裏腹に、私の脳内はこれからの対応策で忙しかった。
(リディアーヌ、家出したんだよなー。しかも婚約破棄するって言ってるしな。
どうやったら勇者より先にリディアーヌを見つけられるか。
いっその事全くデタラメな目撃談でもでっち上げるか)
「ヴィクトル、あなたのその顔は信用ならない。
悪巧みしている時の顔だ」
半眼で見つめる勇者。
さすが幾多の戦いをともに切り抜けた友人。鋭い。
「なにを言ってるんだ、友に向かって」
「それにリディアーヌの考え事というのは・・・俺の態度についてか?
リディアーヌは何て言ってた?」
一変して縋る様な目。この男、本当に面倒くさいーーリディアーヌの件限定なのがまだ救いだ。
「あー、どうだろうな?」
私が言葉を濁すと、勇者は私の後ろに目をやった。
「ジュール! リディアーヌはなにか言っていたか?」
ジュールは目に見えて狼狽えた。
「え、いえ、私は別に、ええと」
しどろもどろのジュールに勇者の一喝が飛ぶ。
「ジュール! 正直に言ってくれ! 包み隠さず!」
「はいっ! リディアーヌ様は勇者殿との婚約を破棄なさるおつもりですっ!」
ビシッと敬礼する私の従者はアホだ。いくら勇者に怯えていてもこれはない。
今の発言は、火薬庫に火を投げ入れた様なものだ。
ドガっという大きな音がして、見れば勇者の後ろにあった大木がメキメキっと音を立てて倒れていく。
木が倒れる大きな音を聞きながら、私はじりじりと後ろに下がった。
手で促して、アホも下がらせる。
勇者は凍りついた様に動かない。
ずしゃっと音がして後ろを見れば、ジュールが転んでいた。
それが引き金になった様だ。
勇者の足元が凍り始める。それはどんどん広がり、木々を覆う。
「逃げろー!!」
私はジュールを追い立てて、必死にそこから逃げた。
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