第三話 リディアーヌ
本日三話目。
リディアーヌ視点。
いつもならもう帰っている時間。
夕方と言うにはまだ早いが少し街が忙しなくなってきた。
私はいつもなら見れない街の光景に、少しわくわくしながら街を歩く。
私の背中には大きな革のリュックサックがある。
先ほど購入したもので、旅にはもってこいの品らしい。
リュックサックの中には、ドライフルーツ、干し肉、旅用のマントが入っている。
あとは革で出来た水筒と小振りのナイフ。
あと必要なものは着替え、タオル・・。
しかし旅の間は宿に泊まれないこともあり野宿となると湯浴みは出来ない。
本によると、川で水浴びなどするらしい。
しかし私には魔法がある。
川の水を風船の様に持ってきて、火の魔法でちょうどいい熱さに熱するというのはどうだろう。
さらに土の壁で目隠し。完璧だ。
そんな事をつらつら考えていると、少し先の通りに見知った人物を見つけた。
背に流れる豊かな黒髪の目鼻立ちのはっきりした美女。その赤い服は彼女の定番。
勇者の仲間の魔法使いのオルガだ。
オルガはこちらに気付いた。私も手を振り近付く。
「オルガさん、ご機嫌よう。
どちらにお出掛けなの? こんなところで会うなんて奇遇ね」
私が声を掛けると、オルガはなんともいえない顔をして、がくっと首を落とした。
「あっさり見つけた」
「え?」
落ち込んだように大きく息を吐くオルガ。
なんだろう? なにか気に病む事でもあったのだろうか。
オルガは顔を上げると、半眼で私を睨んだ。
「あんたね、逃げてる自覚があるのかい?
知り合いにあったからってホイホイ挨拶してちゃ、すぐに捕まるでしょうに」
「え? 逃げる? なんの事?」
「あんた、こんな大きな証拠を持ってて言い逃れが出来ると思ってるのかい?」
オルガはくいっと顎で私の背中を示した。
そこにはリュックサック。
「え? あら。これはそのうちに使う為に購入したものです。
別に家出をするわけではないの」
「そうかい? お姫様には似合わない代物だけど」
オルガは疑わし気にリュックサックを見やる。
「お姫様はやめてね、オルガさん。ここではわたくしの事はリリーと・・・」
「随分中身が入っているようだけど、中はなんだい?」
「ええ? ナイフとマントと水筒と・・」
「思いっきり旅支度じゃないか!」
オルガは大きな声で突っ込む。
この人は喜怒哀楽が激しい。大きな声で笑い、大きな声で怒る。
私はオルガを道の端に誘導した。
ただでさえ派手な美女。しかも勇者の仲間として顔が知れているはず。
よく考えたら声をかけたのは失敗だった。
今から逃げてしまおうか。
「オルガさん、申し訳ありませんけど声を落としてください。
わたくし、城の方々には内緒でここにいるの。見つかったら面倒な事になるわ」
「言っておくけど、城の方々はあんたが抜け出してるのを知ってるよ」
「それはわたくしも承知してます。黙認してくださっているのでしょう。
だからって見つかっていいということにはならないわ」
「あのね・・」
オルガは疲れたように息を吐いた。
「あたしは城からの追手だよ。あんたを連れ戻す為に来たんだ」
「ええ!」
私はオルガをまじまじと見た。
今まで城から追手を出されたことなどない。
まさか城でなにかあったのだろうか。
「城でなにかあったの? わたくし、すぐに帰った方がいいかしら?」
「あー、そうだね。帰った方がいいだろうけど、確認していいかい?」
オルガはどこか投げやりな感じだ。どこか怒っているようにも見える。
「はい、どうぞ」
「あんた、家出したんじゃないのかい?」
「違います。いつものように城下の散策をしているのよ」
「いつものようにって言っちゃうところがあれだけど、じゃあこの荷物はなんだい?」
「これはいずれ使うものよ。セルジュ様と婚約を解消した後に少し旅をしようかと思って」
言ってしまってからしまったと思った。
まだ婚約解消の事はなにも決まっていない。
この破天荒な女性に知られたらどんな風に話が飛んでいくか分かったものではない。
しかし口止めする前にまくし立てられた。
「あ、そう。婚約は解消するんだ。ならなんで今旅に出ないの? 行くなら今でしょ」
「え、いえ、婚約を解消するにもいろいろ手続きがありますし、父や家族にも話をしなければなりませんし」
「あんたねえ、なにを言ってるんだい。婚約者が浮気をしてそれに怒って出てくんだろ!
今出て行きなさい! 今、すぐ!」
「そんな事。わたくしは別に怒っている訳ではありません」
オルガは口をへの字に曲げた。
「怒ってないのかい?」
「怒っていないわ。どうして怒るの?」
「自分の婚約者が浮気をしたんだろ。そこは怒って詰るか、家出して相手を焦らせるかだろう」
なぜ二択なのだろう?
私は首を傾げた。
「そんな事はしないわ。それにセルジュ様は浮気をしたのではなくて心変わりをしただけよ。
想い合っている方がいるなら、そちらと結婚した方が幸せでしょう?」
「あー、こりゃ駄目だ。セルジュの奴、憐れだわ」
オルガは疲れたように大きく息をついた。
顔を上げたオルガは呆れたような顔をしていた。
「あんた、どうしてセルジュと結婚しようと思ったんだい?」
「それは・・」
「大方、周りが望んだから、とかそういうことだろ?」
聞いておきながらオルガは自分で答えを出した。
「政略という面は確かにあります。
けれど、わたくしが結婚に了承したのは、あの方の想いに応えたいと思ったからです」
「それはなんで? 同情?」
「同情・・?」
確かに私の勇者に対する想いは恋情とは言えない。
だが大切な人だ。幸せになってほしいと思っている。
それは同情? もし同情だとしても、それではいけないのだろうか?
オルガは迷いをみせる私に、言い聞かせるように静かに言った。
「あんたはさ、答えを出さなきゃならないよ。
同情で結婚してもセルジュは満足しない。そんな関係は歪で危うい」
「どういう事ですか?」
私は分からずに首を傾げた。
「セルジュは心変わりなんてしてないよ。あれは芝居さ」
「芝居? なんの為に?」
「あんたの気持ちを知る為さ。嫉妬して欲しかったんだ。
それなのにあんたはすんなり受け入れて、婚約を解消するって言ってる。
これを知った時のセルジュの絶望は計り知れないね。
下手すりゃ森の一つも消えるだろう」
聞いていて、私は血の気が引くのを感じた。
芝居というのが本当で、私を試していたのだとしたら、これはまずい。
勇者は私が他の男性と話していたりすると、不機嫌になり冷気を発する。
婚約をするきっかけになった魔王討伐の時は大分暴走して、広間を氷漬けにした。
大体の時は穏やかな勇者だが、その反動か切れると恐ろしい。
無言の圧力が精神にじわじわっとくる。
「わたくし、すぐに城に帰らなければ」
帰って、勇者が来たら笑顔で迎えなければ。
その際に従姉妹との事を問い詰めればいいのだろうか? それとも知らないふり? 甘えてみせる?
どれが正解?
「待ちなよ」
慌てて動き出す私の腕をオルガが掴む。
この人も勇者が切れるとどうなるか、痛いほど分かっているだろうに、なにをのんきにしているのだろうか。
「帰ってどうする気だい?」
「ええと、こういう場合はどうすればいいのでしょう?
セルジュ様がわたくしの勘違いに気づかれなければいいのですけれど、他にはなにをすればいいの?」
オルガは掴んだ腕にぐっと力を入れ、睨んだ。
「あんたねえ、まだそんな三文芝居を続ける気かい?
セルジュの気持ちを弄ぶのもいい加減におしよ」
「弄ぶ・・」
私は絶句した。
弄ぶ? 私が? 勇者を?
ショックで動けない私にオルガは続ける。
「あんたがセルジュに気がないのなら、それでもいいんだ。
はっきり断ってやればいいんだよ。私はあんたを好きじゃありませんって。
それなのに婚約なんてするから、セルジュはあんたに変に執着するんだよ。
あいつは本気なんだよ。優しい振りは残酷だよ」
「残酷・・」
「きっぱりフってやればそのうち諦めるかもしれない」
「諦める・・?」
ショックから立ち直ってきた私はその言葉に首を傾げる。
「セルジュ様・・、諦めるかしら?」
自意識過剰な発言だが、今までの言動を鑑みるにそうは思えないような。
「まあ、もしかしたら付き纏った挙句に監禁とかしちゃうかもしれないけど」
「オルガさん! いくらなんでもセルジュ様に失礼よ!」
私は目を剥いて抗議した。
勇者は優しい人だ。そんな事はしない。
せいぜい四六時中側にいて、寝室に忍び込んで寝顔を見るくらいだ。
それぐらいと思っている時点で、私の常識が勇者に侵されている。
「信じているなら言ってみればいいさ。このままお互いに本音を言わずに過ごすよりずっといい」
「・・・」
そうなのだろうか?
勇者と婚約して半年。そろそろ周りが結婚に向けて動き出す時だ。
このまま結婚に動かなければ、いろいろな憶測を生むだろう。
けれど、まだ私の気持ちは勇者に向いていない。
勇者は私の気持ちが勇者に向くまで結婚しないと言っていたから悠長に構えていたけれど、そろそろ決断をしなければならないのだろうか?
お読みいただきありがとうございます。