第二十五話
待ってみたが、勇者は帰ってこない。
そろそろ舞踏会が始まってしまう時間だ。
遅れるかもしれないと連絡してあるが、どうしようと思っていると、ヴィクトルが様子を見に来た。
ヴィクトルはシュザンヌから事の成り行きを聞くと一言。
「お前が悪い」
と半眼で言った。
「わたくしが悪いのは分かっているわ。
怒らせてしまったのはわたくしだもの。きちんと謝るわ」
「しかも分かっていない」
ヴィクトルは深々と息を吐いた。
「何が分かっていないの?」
「いや、いい。
それで、セルジュは帰ってきそうか?」
ヴィクトルは私を無視してシュザンヌに話しかける。
シュザンヌは首を振った。
「仕方ないな。リディ、私と行こう。
だがその前に、リディに何か羽織る物を」
「なぜ?」
「セルジュがどこかに行ってしまったのは、元はといえば、お前のこのドレスの所為だろう。
なぜよりによって今日の舞踏会にこのドレスを選んだのだ」
ヴィクトルは私を直視しないようにそっぽを向いて文句を言う。
王妃様や仕立て屋のマダムには大好評だったのに、このドレス、今の所、特に男性陣に不評だ。
「似合わないかしら?」
「似合う似合わないの問題ではない」
ヴィクトルはシュザンヌから受け取ったショールを私にぐるぐると巻いた。
ショールはドレスに合わせて作られた物で同じ刺繍が入っている。
「肌を出し過ぎだ。隠せ。
お前はいつもの袖のあるデザインの方がいい。胸元も空いてないやつ」
「何よ。たまにはいいじゃない」
ぐるぐるとただ巻かれたらミイラになってしまう。
外そうとしたらヴィクトルに止められた。
「あのな、お前が何も羽織らずにそのまま行ったらセルジュは怒るぞ。
広間を氷漬けにする気か」
「そんな事・・」
しないとは限らないのが勇者の怖いところだ。
色々考えた結果、ショールを羽織る事にした。
別に無闇やたらと肌を晒したい訳ではない。
ヒューを落とすチャンスが来た時に考えよう。
無造作に巻かれて変な形になったショールを一旦外してシュザンヌに巻いてもらい、ヴィクトルと共に部屋を出る。
もう舞踏会は始まってしまっただろう。
広間に近付くと、廊下で立ち話をしている人が幾人もいる。
その中で、廊下に立ち並ぶ彫像の一つを背に話しているのは、今夜の獲物ーーヒューと、もう一人はサミュエルかオズウェルのどちらか。
あの魔力の感じはオズウェルだ。
午餐会の時にサミュエルとオズウェルを見比べていたので、魔力を見ればリボンなどの目印がなくても分かる。
二人は私達に気付き、こちらを向いた。
「今晩は。ヒュー様、オズウェル様」
挨拶をすると、ヒューは驚いたような顔をした。
オズウェルは嫌そうに顔を歪めてから挨拶を返した。
ヒューの驚きの訳は分からないが、オズウェルは非常に分かりやすい。
嫌な女に会ったぜ、と顔が言っていた。
「お二人はなぜこちらに?」
聞くとヒューが困ったように眉根を寄せる。
「ええ、まあ。
ジェラルド殿下がサミュエルを連れているのですが、いつもつけているリボンやブローチを外して、見分けがつく方がいるかというちょっとした余興をしているのです」
「そうですか。面白い事をなさるのね。
それでオズウェル様は皆様があらかた予想をつけた頃に入場して、答えを示すという・・」
話しながらオズウェルを見て気付く。
オズウェルは緑が目印なのに、今は黄色をつけている。
「?」
間違ったかと思ってよく見るが、やっぱりオズウェルの魔力だ。
私にじっと見られる事が嫌なのか、左の上唇を少し上げて不満を示すのも、オズウェルの癖だと思う。
「あら、オズウェル様。
少々意地悪ですね。
あなたが黄色のブローチとリボンを付けて入場たら、広間にいるのはサミュエル様ではなくオズウェル様だと、皆様が思われてしまうわ」
オズウェルは驚いた顔をした。
慌てて自分の襟元のブローチを確かめる。
もしかして、自分が付けていた色を忘れていたのかもしれない。
先ほどヒューが驚いた顔をしたのは、私が彼をオズウェルと当てた所為か。
オズウェルはブローチを見て、自分が黄色を付けているのを確認すると、信じられないような顔で私を見た。
「なぜ俺がオズウェルだと分かったのですか?
俺達を見分けられる人間なんてあまりいないのに」
「そうでしょうか?」
私は首を傾げる。
サミュエルとオズウェルは結構性格が違うと思う。
だから表情も微妙に違う。
サミュエルは陰険で、オズウェルは直情型だという気がする。
「ヴィクトル様は見分けがつきます?」
ヴィクトルに話を振ると、ヴィクトルは首を振った。
「いや、私は、彼はサミュエル殿だと思った。
目印なしでは見分けがつかないな。目印が反対であったらそれを信じてしまう」
ヴィクトルは真正面から二人に敵意を向けられていないから分からないのかもしれない。
「ヴィクトル様もまだまだですね」
にっこり微笑んでヴィクトルに嫌味を投げると、ヴィクトルは『覚えていろ』とでも言いたそうな顔を見せた。
「リディアーヌ姫、あなたには俺とサミュエルはどう見えますか?」
オズウェルは真剣な顔をして私を見下ろす。
この城に来て初めて、私に対してそんな顔を見せた。
そういえば、オズウェルとサミュエルを見分けてそれぞれの良い所を褒めるといいと女神様に言われた。
しかし、二人の良い所なんて思い浮かばない。
浮かぶのは、嫌悪の顔、馬鹿にした顔。
褒める所がまったく浮かばない。
「どうと言われましても。
お二方とも凛々しく、素敵な殿方に見えますわ」
いつもの調子で当たり障りのない返事をすると、オズウェルは目に見えてがっかりした。
しまった。
オズウェルを落とす足掛かりを作るチャンスだったのに失敗した。
今度女神様に二人の良い所を聞いてみよう。
オズウェルは期待を裏切られたからか、不満そうでまた左の上唇を上げる。
その癖はやめた方がいいと思う。
「機嫌が悪かったり、不満な時に左の上唇を上げるのはオズウェル様の癖ですね」
指摘すると、オズウェルは目を見開いた。
「どうせ口元に力が入ってしまうのでしたら、そのまま口角を上げて笑ってしまったらいかがかしら?
あなたが笑顔になれば、相手の方も笑顔になってくださるかもしれませんよ」
私はオズウェルを見上げ、微笑んだ。
嫌味のようになってしまったが、今日も昨日も一昨日も敵意を向けられていたのだから、これぐらい言ってもいいだろう。
そんな軽い気持ちで言ったのに思いの外効果があった。
オズウェルは目を見開いたまま、わなわなと体を震わせる。
尋常ではない様子だ。
「ニーナと同じ事を・・」
ニーナ? 誰だろう。恋人?
もしかして、同じ事を言われて振られたとか?
次に何を言われるかと様子を見たが、オズウェルは何も言わずに私を見下ろすだけだ。
その目は少し潤んでいる。
泣くの!?
そんなに辛い記憶なの?
まずいところを突いてしまったようだ。
困っていると、ヴィクトルが助け船を出してくれた。
「リディアーヌ様、そろそろ参りませんと」
「そうですね。ああ、でも一つだけ」
私は目を潤ませるオズウェルから視線を逸らし、横にいるヒューを見た。
オズウェルには、他の誰かに事情を聞いてから謝るなりなんなりしよう。
「ヒュー様はどなたかをエスコートしていらっしゃるのですか?」
「いいえ」
「そうですか。では後でお時間を取っていただけないかしら?」
意識して媚びるようにヒューを見上げると、ヒューは驚いた顔をした。
「話ですか?」
「ええ、大事なお話です。二人きりでお話をしたいわ。
お時間を取っていただけますか?」
せっかく気合を入れて、肌を多く露出するドレスを着たのだ。
今日を逃したらお色気作戦を決行する気力はもう沸かない。
なんとしてでも、今日ヒューを落とす。
気合を入れてヒューを見つめていると、ヴィクトルに腕を掴まれた。
「申し訳ない。失礼させていただく。
リディアーヌ様、行きますよ」
ヴィクトルは遠慮なくグイグイと引っ張り、ヒュー達から距離を取ったところで口を開いた。
「リディ、やっぱり何か企んでいるな。
今度は何をする気だ? またあの精霊様の企みか?」
「何の事?」
「とぼけるな。おかしいと思っていたんだ。
お前らしくないドレスを着て、化粧もいつもと全く違う。
何かを企んでいるのだろう」
なぜバレた。いやまあ、バレるか。
ヒューを誘うのに、少し露骨過ぎたかもしれない。
これを逃したらヒューを捕まえられないかもと焦ってしまった。
ヴィクトルは眉間に皺を寄せ、私を見下ろしている。
「らしくないドレスって、そんなにこのドレスは似合わないのかしら?」
「話を逸らすな。似合う似合わないではない。
なぜこのドレスを選んだかだ」
「このドレスは王妃様が仕立てて下さったドレスよ。
たまにはこういうデザインもどうかと言って下さったの」
「王妃様が・・」
ヴィクトルは顔をしかめ、それをほぐすように指で眉間を揉んだ。
「王妃様はその時に他になんと言っていた?」
「他に? ああ、このドレスでセルジュ様を悩殺しておしまいなさい、とか言っていたわね。
悩殺しないで怒らせてしまったわ」
「・・・・」
ヴィクトルは明後日を見て溜め息をついた。
「十分に悩殺したのだろうな」
ぼそりと呟くヴィクトル。
いえ、だから悩殺しないで怒られてしまったのよ。
「で? そのドレスをどうして今日着るのだ?」
「せっかく仕立てて下さったのだもの。
今日のような華やかな日に相応しいドレスだわ。
皆様いつもより気合を入れているでしょう。
わたくしもそうしているだけよ」
「そうか?」
疑わし気な目をするヴィクトル。
私はヴィクトルの目を見据えて、堂々と答えた。
「そうよ」
ヴィクトルは顎に手を当て少し考える。
「ではさっきのは?」
「聖女様のお仲間の方とお話をしたかっただけよ」
「どうして?
まさかセルジュが聖女様に気を移した、何て噂を信じているのではないよな。
昼間も言ったが、セルジュが愛しているのは・・」
ヴィクトルの口を手で塞ぐ。
どうしてそう恥ずかしい台詞を何度も言うのだ。
「わたくしが聖女様のお仲間の方と話をしたいのは、オルガさん達との交流があまり上手くいっていないと思ったからよ」
ヒューに近付く第二の理由を上げると、ヴィクトルは呆れた目をした。
「お前が交流してどうする」
「ヒュー様は無口だけれど、茶会でも話を聞いて下さっているし、あまり私情を挟まれる方ではないようだから、一度話をしてみたいのよ。
今の状態をどうお考えかお聞きしたいわ。
それからオズウェル様やサミュエル様にも話を聞いて、態度を改めていただけるようにお願いするわ」
ヴィクトルは一瞬考えた。しかし、すぐに首を振る。
「いや、いい。それは私がやるからお前は口を出すな」
「あなたはアンジェと二人きりの世界を作っていて役に立っていないではないの」
ヴィクトルはぐっと息を詰まらせた。
「反省している。
明日からはきちんとする」
「それなら、ヴィクトルはヴィクトルで皆様と話をしてみて。
わたくしはわたくしで、話をしてみるから」
「ヒュー殿と二人きりで話をする気か? どこで?」
「広間で込み入った話をする訳にはいかないし、逢引のようにどこかで待ち合わせをしようかしら」
冗談めかせて言ってみたら、ヴィクトルは嫌そうに顔を引きつらせた。
「大変な事になる予感がする。
絶対にやめてくれ。何もするな。余計に拗れる」
「話をしてみなければ分からないじゃない」
「そういう意味ではない。
いいから何もするな。
リディ、お前が何とかしようとする事はないのだ。
聖女様の一行との話し合いは私がする」
「でも」
わたくしだって役に立ちたいわ、と言おうとして口を噤む。
オルガは私と話をしてくれるが、他の勇者の仲間ーーレジスやエロワ、ドニとはあまり交流がない。
そんな私が、彼らと聖女一行の間に立つというのはおこがましいのかもしれない。
「分かったわ。
ヴィクトルに任せます。
わたくしは口を挟まないから安心して」
そう言うと、ヴィクトルは心底安堵したように深い息を吐いた。
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