8
「何だか、変なことになったねぇ」
部屋のベッドに体を預け、バッカスは笑顔でそう言う。
その様子を見て、グレンはため息をつく。
「笑いごとじゃないだろう。……あの少女――アシュリーとか言ったか? あいつはともかく、他の奴は無関係だ」
「そうなんだけどさ――あの母親が、何か言ってきそうで怖いんだよね」
バッカスの笑みが苦笑に変わる。その意見には、グレンも賛成だった。
ノックの音が響く。扉が開き、アシュリーが入ってきた。
バッカスが体を起こす。
「おやおや、そっちからやってきてくれるとは手間が省けたね。君の兄について、少し聞きたいと思っていたことなんだ」
「知っているくせに」
「え?」
「私の兄がどこにいるかなんて、あなたは既に知っているんでしょう。馬鹿らしい」
部屋のソファに腰をかけ、バッカスを睨んでアシュリーはそう言った。
「どうして、そう思うんだい?」
「さっき、あなたは『城に向かいたい』って言っていたわよね。それはどうしてかしら? ――兄がいるからでしょう」
アシュリーがそう詰め寄るが、バッカスは余裕の笑みを浮かべ、あっさりと彼女の言ったことを認めた。
「少し口が滑ったようだね。まぁ、確かに君の言うとおりだ。と言っても、確証はなかったんだけれど。まぁ、そこら辺はこっちの話だ、どうでもいいだろう」
「私の兄が城にいることを知っているなら、兄について聞くことは何もないはずよ」
「あるさ。どうして、君の兄は城にいるのか。いつ連れて行かれたのか。それはなぜ? 是非、答えてほしいものだね」
「……」
アシュリーは黙ったままバッカスを見つめた。口は開かない。
「俺達のことが、信じられないか」
大理石でできた机を挟み、アシュリーの正面のソファに座って、グレンは言う。
「信じられないに決まっているでしょう」
即答だった。
バッカスがにやりと楽しそうに笑う。
「過去に誰かに裏切られたりでもしたのかい? 君は随分と慎重だねぇ」
「バッカス。……そんなに嫌なら話さなくてもいいが、そのうち話すことになる。いや、だからって今話せってわけじゃないが――」
慌ててそう弁解するが、グレンの言い分にアシュリーは思わず苦笑した。優しい素振りを見せているが、彼もまた彼女の過去を知りたいのだ。
アシュリーは諦めたようにため息をつくと、
「いいわ。……話すわよ」
と、静かにそう言った。
その日の兄の雰囲気は、どこか変だったの。両親が死んでから、私が家の家事をやっていたんだけど……その、兄はあんまり手伝ってくれなくて。でもその日は、なんていうか――妙に優しいっていうか――とりあえず、違和感を感じたのよ。
いつも通り二人で朝食を食べていたら、突然兄がこう切り出したわ。
――軍に、行こうと思う。
どこか大人びた口調で、そう言っていた。
どうして、と私が問い詰めると、彼は笑った。……悲しい顔で。
――絶対、帰ってくるから。それまで、待ってて。
彼は笑いながらそう言った。
もちろん止めたわよ。止めないはずないじゃない。あんな城の……しかも、軍に行くなんて。でも、どうやったって彼は私の言うことを聞かなかった。
そして、彼はいなくなった。この街から。私の家から。……私の、隣から。
何年前かって――そんなの、覚えてないわよ。思い出したくもない。
食費? だから、それはこの前も言ったでしょう。金持ちのお友達に――この家に援助してもらってるの。
え? 私? 軍に誘われたことなんてないわよ。それどころか、兄がいなくなってから城の奴らの顔は見ていないわ。
短い話だったが、彼女にとっては辛い話なのだろう。疲れたように、ため息をついた。
「これで終わりよ。兄は軍に連れ去られた。……私が知っているのは、それだけ。役にたたなくて悪かったわね。それじゃ、私は部屋に戻るわ」
捲し立てるように早口にそう言うと、彼女は足早に部屋を出て行く。
扉が閉まる音が響いた。グレンが静かに立ち上がり、
「止めなくて良かったのか」
「彼女は今話したことしか本当に知らないのだろうし、止める必要なんかないと思うけど」
バッカスは再びベッドへ寝転がる。
「それとも、何? 君は彼女に何か言いたいことでもあったのかい?」
「いや……」
「『話してくれてありがとう』『辛かったね』とか、そういうことを言いたかったんじゃないのかい」
グレンが黙る。
「もしそう言いたかったのならば、君は馬鹿だね」
バッカスが冷たくそう言い放った。