5
不機嫌そうな顔をして、バッカスは自分の腕にかかった手錠を見る。
無駄に縦に長い細長い机と四つの椅子しかないこの部屋に、アシュリー達はいた。
正面に座っているバッカスに向かって、アルフは問う。
「お前は何者だ。どうしてここに来た」
「それならさっきも言ったでしょう、宝を盗みにここに来ました。名前はバッカスです」
手錠をちゃらちゃらと鳴らしながら、目的も名前も隠そうとするそぶりなど見せずにそう言った。
アシュリーはこの家にきたときのことを思い出す。確か、門の方でなにか鈍い音が聞こえたはずだ。あれはきっと、バッカスが門番を気絶させた時の音だったのだろう。
「……もう一人は」
静かな声でアシュリーはそう言った。
「は?」
「あの時にいたもう一人は、どこに行ったのよ」
バッカスはその問いに、面白そうに笑みを浮かべた。
「それがねぇ、私も知らないんだよ」
「嘘よ」
「嘘じゃない。正確に言えば――そうだね、私が単独行動をしてしまったということかな。グレンを置いて、私はここに来たってこと」
「待って。グレンって誰よ」
身を乗り出して、ミーシャはそう言った。
アシュリーはため息をつき、昨夜のことを二人に話した。その間、バッカスは無言で手錠を眺めていた。
「――なるほどな。つまり、お前達は脱獄者ということか」
彼らが脱獄者だとは一言も言ってなかったが、アルフは勝手に決めつけてそう言った。
あからさまにバッカスの表情が悪くなる。
「人聞き悪いなぁ。私は別に脱獄者じゃないんだけど」
「アシュリーの話を聞いた限り、そういう風に聞こえるが」
「違いますよ……。脱獄したのは確かだけど、それは私じゃないんです」
――バッカスではない?
アシュリーは首を傾げる。
「じゃあ、脱獄したのはあの――グレンって人のことなの?」
「そう。私はその手伝いをしただけ」
正直、アシュリーはかなり驚いた。彼女が知っている彼の性格からすれば、脱獄なんてことをするはずがないと思い込んでいたからである。
「でもまぁ、冤罪なんだけどね」
「冤罪だと?」
「そう。だから、私も彼の脱獄を手伝った。……別に、信じてくれなくても結構だけど」
「……じゃあ、あの怪我は……」
「脱獄した時にやられたものだよ。彼、意外とアホで馬鹿だから」
にこりともせずに、バッカスはそう言った。
しばらくの沈黙のあと、
「質問はこれで終わり? そろそろ、この手錠を外してほしいんだけど」
「それは無理だ。……お前はさっき、宝を盗みにきたと言ったな」
「もちろん。世に伝わっている宝珠の一つが、ここにあるんでしょ?」
宝珠。
見知らぬ単語に、アシュリーは首を傾げた。
「宝珠? 何それ」
「知らないのかい? かの有名なあの宝珠のことだよ」
そう言われても、知らないものは知らない。アシュリーはむっとした表情を浮かべた。
「知らなくて悪かったわね。説明してもらおうかしら」
「私が説明する必要もない。そいつらに聞けば――」
と、勢いよく扉が開き、バッカスの言葉は途切れた。
入って来たのは屋敷のメイドの一人だ。アルフ達が口を開くよりも前に、彼女が叫んだ。
「大変です! また侵入者が入ってきて――でも、誰も太刀打ちできなくて、それでそれが、その人が、その侵入者が、ご主人様のお部屋へ向かって――」
メイドの言葉が終わるよりも先に、アルフは動いた。剣を片手に、さっそうと部屋から出て行く。メイドとミーシャも、慌ててその後を追う。
その後ろ姿をアシュリーはただ眺めていた。
「……行かなくていいのかい?」
その言葉に、アシュリーはバッカスに冷たい目を向ける。
「どうせ、あなたの仲間が侵入してるんでしょう」
「おや? グレンのことはかなり信用してた様に見えたけど、そうでもないのかな」
「――さっき、あなたは言ったわね。『私の勘は当たっていた』と」
バッカスは困ったような笑みを浮かべる。
「言ったっけ、そんなこと」
「あの言葉の意味を教えてほしいんだけど」
「そのまんまの意味だよ。私の予想があたっていた。ただそれだけ」
「じゃあ、その予想ってのは何なのよ」
「君が魔法使いさんだってこと」
一瞬――ほんの一瞬の沈黙の後、アシュリーは低い声で言う。
「どういう意味よ。魔法を使える奴なんて、そこら辺にたくさんいるでしょう」
「まぁ、そうだね。でも、君じゃなきゃだめなんだ」
その意味深な言葉に、アシュリーは顔をしかめる。
「私はね、こう見えても情報屋なんだ」
「は?」
突然、バッカスが喋りだす。
「だからこの家のことも――もちろん、君のことも知っている。……でもね、そんな私にも分からないことがあるんだ」
「……」
「君のお兄さんは、一体どこにいるんだい?」
「知らないわ」
即答だった。
バッカスは苦笑を浮かべた。
「それは嘘だろう。少しぐらい――」
「知らないって、言ってるでしょう」
バッカスの顔から、笑みが消える。
アシュリーは彼から視線をそらし、
「……知らないわよ、何も」
と吐き出すようにそう言った。
「……私達はね、別に君達をどうこうする気はないんだ。それどころか、君の兄を助ける方法があるなら、それを手伝いたいくらいなんだよ」
「……どういう意味よ」
「私達には、君達が必要なんだ」
真剣な顔でそう言われ、アシュリーは思わず目を見開き、彼を見た。
そして一瞬の沈黙の後、自嘲じみた笑みを浮かべ、
「何よそれ。あなた達も、私達が必要なわけ?」
「あなた達『も』ってことは、以前に同じような事を言った奴がいるのかい」
「……いるわよ。あなた達よりも、もっとしつこい奴がね」
「それは――」
――と、乱暴に扉が開いた。二人の視線がそちらへ向く。
「……お前は、俺にどんだけ迷惑をかければ気がすむ」
荒い息でそう言ったのは、グレンだった。彼の右手にはサーベルと呼ばれる剣を持っていた。
ごくりと、アシュリーは唾をのみこむ。なぜなら、その剣の先には赤黒い血がついていたからだ。
ふと、彼の顔がアシュリーに向いた。はっとして、アシュリーは彼を睨みつける。
「やぁ、遅かったじゃないか」
「……お前、本当にその子をストーカーしてここに来たのか」
呆れた、という様子でバッカスを見て、ため息交じりにそう言う。
「何だい、その目は。確かにこの子をストーカーしてきたっていうのもあるけど――もっと他に、大切な意味がある。君だってそれを分かってるからここに来たんだろう」
「……」
グレンは不機嫌そうな顔つきで、ポケットから何かを取り出し、それを無造作にバッカスに投げた。彼は手錠がかかったままの手で、それをキャッチする。
「……エメラルド?」
緑に輝く小さな石を見て、アシュリーはつぶやく。
バッカスは石を眺めながら、
「違うよ。そんなどうでもいいものじゃない。……これはね、宝珠さ」
「だから、何なのよその宝珠って」
「その話は後だ。――さて、アシュリー。君に一つ、真剣な話をしたい」
「……何よ」
「先ほども言った通り、私達には君が必要だ。正確には、君達だけどね。それで、なんだけど――一つ、取引をしないか?」
笑みをうかべて、バッカスはそう言った。