3
うるさい二人がいなくなり、静寂に包まれたリビングで、少女――アシュリーはため息をついた。
「……私も、出かけないと」
今外にでたら、再びあの二人に会うかもしれない。そう思ったアシュリーは、十分ほど間をあけて、外へと出た。
夜とは打って変わって賑やかなこの街を、アシュリーは歩く。近所の人々に挨拶をしている彼女は、先ほどとは別人のような笑みを浮かべていた。
『連れて行ってくれないなら、勝手にストーカーするだけだけど』
先ほど、非常識でどうしようもない人間にそう言われたことを思い出す。
少し後ろを警戒しながらも、彼女は大通りを歩いた。少し遠くに、丘の上に建つ屋敷が見える。あれが目的地だ。
爽やかな春の風が、栗毛の髪の毛を揺らす。
アシュリーは歩きながら、先ほどの二人について考えていた。
――犯罪者だと言っていたけど、それは本当だったのかしら。でも、怪我はしてたし……ってことは、脱獄してきたってこと? そんなに悪い人には見えなかったけど、一体何をしたの?
そこまで考えて、はっとする。
――何を考えているんだか、私は。あの二人のことなんて、どうだっていいじゃない。今は、自分のことを考えないと。
丘を登り、屋敷の入り口の前へと立つ。インターフォンも鳴らさずに屋敷へと入ったが、門の前にいた見張りの者は何の素振りも見せなかった。扉を開いて、屋敷の中へと入る。正面には横に広い階段、左右に広がる長い廊下、天井にはシャンデリア、床にはレッドカーペット。そんなお洒落な屋敷に踏み入れた瞬間、アシュリーは足を止め、後ろへと振り返った。
「……?」
扉の外から、物音が聞こえたような気がしたのだ。物音というか、なんというか――鈍い音が。
――気のせい?
確かめようかと外へ出ようとした瞬間、
「アシュリー! 久しぶり!」
明るい声が聞こえてきて、アシュリーは再び振り返る。
階段の上にいる金髪のツインテールの少女は、屋敷お嬢様というよりも元気な女の子といった感じに見える。少女にアシュリーは笑いかけた。
「ミーシャ、久しぶり」
「久しぶりー! 最近来ないから、ちょっと心配してたんだよ」
「心配って……大げさだなぁ」
アシュリーは笑いながらそう言った。そして、階段を上ろうと足を進める。
「今日は、何しにきたの?」
「あぁ、ちょっと用があってね」
「どんな用?」
「あのね――」
「誰かお客様か?」
アシュリーの言葉を遮るかのようにそう言ったのは、男の声だった。
「アルフ」
「お兄様」
二人の声が重なった。
ミーシャと同じ綺麗な金色の髪の毛に、どこかの時代の王子の様に整った顔つき。ふっと、その表情が緩んだ。
「何だ、もう来てたのか」
「『もう』って……お兄様が呼んだの?」
「あぁ、そうだ」
階段を上り切り、アルフの目の前に立つ。
「ミーシャ」
「なに?」
「ちょっと、アシュリーと俺だけで話したいことがあるんだ。席を外しといてくれるか」
「分かった。じゃ、また後でね」
すんなりとアルフの言う事を聞くと、ミーシャは廊下を軽やかな足取りで歩いて行った。
妙だな、とアシュリーは思った。いつもならこんなにあっさりと言う事を聞いたりしないのに、と。
「立ち話もなんだから、俺の部屋で話をしよう」
アルフの言葉に頷き、アシュリーは彼の後を歩き始めた。
赤い絨毯が敷かれた横にも縦にも長く、天井が高い廊下を歩く。壁には有名そうな絵画がかざってあったり、窓辺には綺麗な花がかけてある花瓶が置いてあった。廊下を掃除していたメイドが、アシュリー達に頭を下げる。
「……ねぇ、アルフ」
「ん?」
ふと、思い立ったことをアシュリーは口に出した。
「ここ最近、脱獄事件とかなかった?」
「は? 脱獄事件?」
その様子では、知らないのであろう。そもそも、そんなもの起こってないのかもしれない。
「俺が知ってる限りでは、知らないな。……何でそんなこと聞くんだ?」
「ん……まぁ、ちょっとね」
説明するのが面倒だった、というのが大きな理由である。それに、あの二人に会う事は今後一切ないのだから、話す必要もないだろう。
「そうか」と、あまり興味がなさそうにアルフはそう言う。
歩いていた足が一つの扉の前で止まった。廊下はまだ続いている。アシュリー達は、その部屋の中へと入った。
広い部屋だった。ホテルのスウィートルームにでもありそうな、そんな部屋。
アルフ達は部屋の中を素通りし、バルコニーへと出る。そこにあるお洒落な机と二つの椅子、その一つにアルフが座った。アシュリーも、もう一つの方へ座る。
机の上に既に用意されてあったティーセットで、紅茶を注いだ。それを一口飲み、アルフは小さくため息をつく。
「話ってのは、他でもない……お前の兄に関しての話なんだが」
どくん、とアシュリーの鼓動がはねる。
茶菓子として用意してあったケーキに手を伸ばしながら、アシュリーは悲しそうな笑みを浮かべた。
「その話なら、もう嫌というほどしたはずだけど。彼を救いだすなんてお伽噺、もう聞きあきたわ」
冷たい言葉だった。もう、何もかもを諦めているかのような、そんな声。
アルフは唾をごくりと飲み込んだ。
「今回は、お伽噺なんかじゃない。もっと、現実的な話だ」
「……」
そう言われても、信じられなかった。そっと、カップに口をつける。苦い。砂糖を入れる。
「俺達の父親は、城に仕えている」
そのことは既に彼女は知っている。溶けていく砂糖の塊を眺めながら、アシュリーは小さく頷いた。
「今まで、俺達――身内さえも、親父の仕事について詳しいことは知らなかったんだが――」
そうだろうとアシュリーは思う。
「裏で何してるか分からないあんな城の奴らが、そう簡単に内部のことを明かすわけがないものね」
「あぁ。……この前、親父が帰ってきた時に問い詰めて聞いたんだ。そしたら、今まで何度聞いても答えてくれなかった親父が――教えてくれた。親父は、城の軍隊の方で仕事をしているらしい」
溶けた砂糖をスプーンでかき混ぜていた手が止まった。
アシュリーの顔がゆっくりとあがり、大きな青い瞳でアルフをじっと見つめる。
「……軍隊の方で、仕事を?」
アルフは静かに頷いた。
「今まで? ……ずっと? 今でも? それが本当なら、あなた達のお父様は――」
「知っている、と」
言葉を遮り、アルフは言う。
「……その容姿の少年のことなら、知っていると言っていた。数年前いきなり隊に入ってきた、と」
「っ――」
一瞬の沈黙の後、アシュリーは身を乗り出して、先ほどよりも幾分大きな声で言う。
「それは、それは本当なのね? 本当に、あなたのお父様は城の軍に仕えていて――そこに、いるのね?」
「あいつが嘘さえついていなければ、本当だ」
「……会えるの?」
静かな声で、ぽつりと彼女はつぶやいた。
「私はまたロイドに――」
アルフの部屋の扉が勢いよく開いた音が耳に入ってきて、アシュリーの口が閉じる。
はっとしてアシュリー達は立ち上がった。入って来たのはミーシャだ。すぐさまバルコニーへと走ってくる。
しまった、と二人は顔を見合わせた。今の会話をミーシャに聞かれたのではないかと、不安を抱く。
しかし、ミーシャが発した言葉は二人が予想もしていない言葉だった。
「不法侵入者!」
一瞬、時が止まったかのように二人は言葉を発することができなかった。
「……ふ、不法侵入者?」
「そう! 屋敷に不法侵入した奴がいるのよ!」
一瞬の沈黙の後、アルフは事の重大さを理解したのかすぐさま走り出した。部屋に置いてあった剣を取り、廊下へと駆けだす。
アシュリーはぽかんとした表情でそこに突っ立っていた。が、ミーシャがアルフの後をついて走って行こうとした姿を見て、アシュリーははっとする。
「ちょ、ちょっと待って! 私も行く!」
走り出したミーシャの後姿を追って、彼女もまた走り出した。