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首都ベルティエから少し離れた場所にある、小さな街ハルマ。
そんな街の夜遅く、街道に二人の男が歩いていた。そのほかに歩いている者は見当たらない。昼こそは人通りも多いこの道だが、夜になるとこの有様だ。
その男達は、二人とも息が荒かった。というのも、一人の男が怪我をしているもう一人の男の肩をかつぎながら歩いていたからである。
「……ねぇ、グレン。少しは自分で歩けない?」
息を切らしながら、男はそう言う。
担がれている方の男――グレンは、荒い息を吐きながら、
「無理だ。思ったより、傷が深い」
「本当、君は私に迷惑ばかりかけるよねぇ」
苦笑を浮かべながらもう一人の男、バッカスは言う。
「宿屋になんか行ったら面倒なことになるのは目に見えてるし……。かと言って、野宿をするのにも無理がある。さぁて、どうしようか」
「……そういう事を考えるのは、お前の仕事だ」
「はいはい、分かってますよ」
疲れた表情を見せながら、バッカスは住宅街へと入って行く。
ほとんどの家の電機は消えていた。時刻は深夜零時過ぎだ。
と、立ち並ぶ住宅街で、一つだけ電気がついていた家があった。
バッカスはその家に近づいて行く。
「おい、お前――まさか」
「君に拒否権はないからね」
「なっ――! おい!」
グレンの言葉も聞かず、バッカスはその家のインターホンを鳴らした。
沈黙が続く。
なかなか、扉が開かない。
グレンは少し安堵したかのようにため息をつく。
「バッカス、諦めろ。きっと眠ってるんだ」
「電気ついてるのに?」
「消し忘れたんだろ」
「……」
他の家を探すか、と足を動かした矢先――扉が、ゆっくりと開いた。
「……どちら様、ですか?」
ぴょんと跳ねた髪の毛は寝癖だろうか。ピンクのパジャマに身を包み、寝むそうに目をこすりながらそう言ってきた彼女は――見た目からして、十代前半の少女だった。
バッカスはしばし驚きの表情を浮かべていたが、にっこりとした笑みを浮かべ、
「こんばんは。お家の人は、誰かいるかな?」
「お家の人は、私ですけど」
「いや、そうじゃなくて――お母さんとか、呼んできてくれない?」
少女は大きな欠伸をして、
「いません」
と、きっぱりそう言った。
グレンとバッカスは一瞬顔を見合わせる。予想外の返事だった。
「……何の用ですか」
迷惑そうな表情を浮かべ、少女は言う。
バッカスは慌てて、
「ええと――単刀直入に言うと、今日一日だけここに泊まらせてほしいんだけど」
「……は?」
少女は不思議そうに首を傾げる。それもそうだ、いきなり深夜に他人が訪ねてきて「泊まらせてほしい」なんて言われても困るだけだろう。
が、グレンを見て少女の表情に変化が見られた。
「……怪我してるんですか」
ぽつりと、そうつぶやく。
これはいけると思ったのだろうか。バッカスが早口でまくしたてる様に言う。
「うん、実はそうなんだよ。この馬鹿、怪我しちゃってさ。ちょっと色々あって、宿屋にも行けないんだ。ね、ダメかな? 明日には出て行くから」
子供なら簡単に扱えるだろうと思っているのだろうか、バッカスは軽い調子でそう言った。
少女は少し考えた後、ふぅとため息をつく。
「……いいですよ、別に」
「本当?」
「はい。ただ――もし、あなた達が私に何らかの危害を及ぼした場合、容赦はしませんから」
無表情のままバッカスを見つめ、冷たい声で少女はそう言った。
どこにでもある、普通の家だった。
玄関から家に入ると、まず目に入るのは二階へと上る階段。トイレやバスルームなどへの部屋へとつながる扉がある廊下を歩き、リビングへと入った。
テレビはついておらず、静かだった。部屋の明かりを点け、少女は台所へと向かう。
「何か食べますか?」
「え、良いの?」
グレンをソファに投げ捨て、椅子に座ってバッカスは言う。
「夜ご飯の残りぐらいならありますけど」
「じゃあ、お言葉に甘えていただいちゃおうかな」
「おい、バッカス――」
「うるさいなぁ。グレンだってお腹すいてるでしょ? 彼女がいいって言ってくれてるんだから、いいじゃない」
「……」
少女は鍋に火をかけ、リビングの隣にある和室へと足を踏み入れた。タンスを開き、何かを取り出して、グレンへと近づく。
「どこ怪我してるんですか」
救急箱を開けながら、無表情で少女は言う。
「い、いや、俺は――」
「右足と左腕だよ。止血はしてる」
「……」
少女はグレンの洋服の袖をたくしあげ、傷を見る。
かなり深い傷だった。確かに止血はしていたが、ただそれだけだ。
「これぐらいなら、手当てをすれば済みますね」
「これぐらい」って、結構深い傷だと思うんだけど、とグレンは苦笑した。
少女は慣れない手つきで、グレンの手当てをする。
「私は別に、手当てに慣れてるってわけじゃないですから――ちゃんと、病院に行った方が良いですよ」
――病院、ねぇ。
グレンは思わず苦笑する。
「行けたら、苦労はしないんだけどな」
少女は不思議そうに首を傾げる。
「……お金がないんですか?」
「それもあるが――まぁ、色々あって……」
「私達、犯罪者だから」
けろりとした表情で、バッカスはそう言った。
一瞬の沈黙の後、グレンが叫ぶ。
「バッカス! お、お前――!」
パニックになっているグレンとは裏腹に、バッカスは余裕の笑みを浮かべていた。
一方、少女も驚いている様子はなく、ただ無表情で「犯罪者……ですか」とつぶやく。
その少女を見て、つまらなさそうにバッカスが、
「あんまり驚いてないみたいだね。嘘だと思ってるの?」
「別に――あまり、興味がないだけです」
「……へぇ」
つまらなさそうにバッカスはそう言って、じろじろと少女を眺めた。
その視線に気づいた少女は、顔をしかめた。
「何ですか、じろじろ見て。ロリコンですか」
「人聞きが悪いなぁ。……ねぇ君さ、さっき両親がいないって言ってたけど、それってどうして?」
「……小さい頃に死んだんです」
「ふぅん。そりゃあ、大変だったね」
まるで感情のこもっていない声でバッカスは言う。
「じゃあさ、この家のローンとか電気代とか、そういうのは誰が払ってるの?」
「……お金持ちの知り合いに払ってもらってます」
バッカスが笑った。そんなうまい話がどこにある、とでも言いたげな表情をしていた。
手当が終わり、少女が立ちあがった。台所へと向かい、カレーを持ってきて机の上へと無造作に置く。
「寝床はそこのソファと――あと、二階に一部屋空きがあります。階段を上ってすぐのところです。明日になったら、さっさと家を出てってくださいね」
苛立ちのこもった声でそう言うと、少女はリビングを出て行った。
「機嫌悪いねぇ。八つ当たりする子は嫌いだよ」
「……お前が変なこと質問するから、あの子の機嫌が悪くなったんじゃないのか」
グレンの言葉には答えず、バッカスはカレーを食べ始めた。
「でもまぁ、あれだね」
「何が」
「偶然ってのも、あるもんだね」
楽しそうな笑みを浮かべてバッカスはそう言ったが、グレンにはその言葉の意味がまるで分からなかった。