調理実習開始
一階、家庭科室。中には8つの長テーブルが並び、内7つにはこれから使われる食材が置かれている。
最前には先生の机、その後ろにはチョークの粉が飛ぶのを避けるため、黒板ではなくホワイトボードがあり、机の頭上には大きな鏡が配置されている。これは先生が調理の手順を見せる際に、手元をよく見せる為の考慮とされているが、現在は使われてないらしく、少々汚れている。机の右側、窓側に冷蔵庫。扉側には食器棚が並んでいた。
生徒は扉側の前から順に班毎になって座っていた。
朝香達七班は一番後ろの右側、窓側手前に朝香、その隣に明花、その前に夜月が座っている。
エプロンと三角巾をつけた家庭科の先生が話し始める。
「えー、今日の授業は予定していた通り調理実習です。すでに作る料理は作り方のプリントで分かると思うので、準備が整ったところから初めてください」
言葉が終わると同時に生徒達は立ち上がって準備を始めた。ある者はエプロンをつけ、ある者は手を洗う。
「さて……と」
エプロンをつけると、朝香は夜月の隣に座っていた生徒に声をかけた。
「稲荷、まずはなにから始める?」
朝香が声をかけた、七班の4人目。
彼女の名は、佐々木稲荷。彼女の家は商店街にある総菜屋の一人娘であり、家の手伝いをしていた故に料理が得意である。
それを知っている朝香は、稲荷に聞けば大丈夫だと思っていた。
案の定、その言葉を聞いた稲荷は、
「うん! えっとね、まずは食材を切って、鍋に水を入れて火をかけて、それから…」
すらすらと料理の手順を説明した。
「ん、分かったわ、さぁ皆、始めるわよ!」
仕切り出した朝香の声に、
「うん!」と稲荷、
「おー!」と明花が返事したが、
「……」
夜月は無言だった。
「どうしたのよ夜月」
「いえ、やはり不安で」
「もしかして、ムーンって料理ダメな人?」
「え? 夜月君って、あだ名ムーンなの?」
「そうだよ、私がつけたんだよ」
「月だから?」
「うん、月だから」
「へぇ〜、あぁでも大丈夫だよ。普通の手順通りにやれば失敗はしないから」
「そう、ですよね。よろしくお願いします。佐々木さん」
夜月は佐々木に向けてぺこりと頭を下げた。
「稲荷でいいよ。もしくは『コックさん』で」
「コックさん……ですか?」
頭を上げながら訊ねる。
「うん、明花がつけたボクのあだ名だよ」
「なんでも、料理人のコックと、稲荷からお稲荷さんの2つを合わせたものだそうよ」
「それは……少し分かり辛いですね」
「え〜、良いと思うけどな〜コックさん」
「いや、さすがにそれは分かりにく過ぎるわよ」
朝香はつっこんだ。
「だったら、稲荷って呼んでよ」
「で、では……稲荷……さん」
「はいはい」
「……どうぞ、よろしくお願いします」
夜月は再び頭を下げた。
「うん! それじゃあみんな、始めよー!」
調理実習のメニューは、全二品。
スパゲッティとサラダ。スパゲッティのソースは缶詰めの物を使用し、サラダのドレッシングを作るというものだった。
手順はホワイトボード、あるいは配布されたプリントに書いてある。
手順その1 鍋に水を入れて火にかけ、パスタを茹でるお湯を作る。
「まずはお湯ね」
「水は、これぐらいですか?」
夜月は水が八分目程入った鍋をコンロの上に置いた。
「うん。それぐらいだね」
「では、火に掛けます」
つまりを回し、コンロから火を出す。上に置いた鍋を熱し始めた。
「次は何ですか?」
「えっとね……」
手順その2 材料を切る。
「レタスとキュウリと、トマトに……マッシュルーム?」
「マッシュルームはパスタに使うやつだね。キュウリは斜め切り、トマトは8等分。マッシュルームは縦に適当によろしく」
「おっけ〜」
明花が包丁を持ち、材料を切り始める。
「レタスは手でちぎって良いのよね?」
「うん。OKだよ」
朝香がレタスを水でさっと洗い、水をきってからレタスを一口大にちぎる。
「終わったわ」
「こっちも完了だよ」
ほぼ同時に2人の作業は終わった。
「お湯が沸きました」
それと同時に、鍋のお湯が沸騰した。
「よ〜し、そろそろボクの出番だね」
手順その3 沸騰したお湯でパスタを茹でる。
「次は何を?」
「こっちはボクに任せて、夜月君はサラダの方をお願い」
稲荷はパスタの封を開け、袋から取り出す。
鍋に塩をひとつまみ入れ、パスタを鍋へ回しながら入れた。
「こちらはどうするんですか?」
野菜を扱っていた朝香と明花に夜月は訊ねる。
「野菜は切ったから、次の手順ね」
ここからホワイトボードにはサラダとスパゲッティで手順が別れている。
サラダ手順その1 器に野菜を盛り付ける。
「器ね。えっとどこに……」
「これですか?」
夜月はカチャ、と机の上にガラスの器を4つ置いた。
「え? それどこから?」
「向こうの開いていた棚から、皆さんも取っていたのでおそらくそうかと」
「じゃああってるわね。よし、盛り付けるわよ」
「は〜い」
朝香と明花がレタス、キュウリ、トマトと順に器に盛り付けた。
「これでよし、と。次は…」
サラダ手順その2 調味料を計って混ぜ、ドレッシングを作る。
「ドレッシングを作るのね」
「ここにある調味料と、教卓の上の調味料を計って混ぜ合わせるんだよね」
「ってことは、まずその調味料を取りに…」
「これで良いですか?」
「え?」
夜月が手にボウルとスプーン持っていた。ボウルの中身は、教卓の上にある調味料を混ぜた物だ。
「計って混ぜてあります」
「じゃあそこに塩と胡椒を入れて完成だよ」
「はい」
夜月はボウルに塩と胡椒を少々入れ、再びスプーンでかき混ぜる。
それを見た朝香は。
「……ねぇ、夜月」
「はい?」
「なんだか、手際良くない? 実は料理出来るんじゃないの?」
「いえ、ただ行動が早いだけですよ。説明が無ければ動けません」
「ふぅん……」
それにしても早い気がするけど……
「そういえば、稲荷さんは?」
「稲荷? さっきからそこに居るわよ?」
朝香が指差す先、稲荷はコンロの前に立ち、パスタを茹でる鍋を一点に見ていた。
「あれは……何を?」
「稲荷はね、凄い目が良いのよ。アレはタイミングを見定めててね、あの時に話しかけても返事は無いわ」
「では、この会話も聞こえていないと?」
「そうね、それだけ集中してるって事よ。でもそれが稲荷の凄い美味しい料理を作るのよ。アレはアレで、不思議だとは思わない?」
「はぁ……」
「……」
案の定、稲荷には2人の会話聞こえていなかった。稲荷の耳には、鍋の中で沸くお湯の音のみが響き、パスタの茹で加減を目と耳で見極めている。
そして、
「今だ!」
稲荷は火を止め、近くにあった布巾を両手に持って鍋を掴み、流しへ。
「誰か、ザルを!」
「おっけ〜だよコックさん!」
すでに準備していた明花が流しにザルをセットした。
「ありがとう明花!」
鍋を傾け、ザルへとパスタを出した。同時に流しから白い湯気が昇る。
「どうやら出来たようね、私達も終わらせるわよ」
「はい」
朝香と夜月もサラダの仕上げに入った。
こうして、料理が完成した。
これは、高校生の時の調理実習を元に書いたものです。まさか、ドレッシングを自分で作るとは思いませんでしたね。
調理実習、皆さんは何か思い出はありますか? もしありましたら、気兼ねなく一言お送りください。
それでは、