第1話 死への覚醒
——右腕を見ると、あの怨霊幼女がしがみついていた。
「——ヒッ——」
反射的に身をそらすも、同時に腰が抜けてその場に尻もちをつく。
——さらに幼女も引っ張られて懐に倒れこんでくる。
結果、俺は仰向けに転び、胸の上に彼女を抱えていた。
お、怨霊と路上ハグ〜ぅぅ……。
わりと近所の住宅街。
さっきまで屋根の上にいたはずの怨霊幼女。
彼女は小さな身体をさらに縮め、蹲るようにじっとしている。
俺の身体は硬直し、凍りついたように動けず声も出せない。
怨霊だからなのか……彼女の体温はとても低い——いや、氷のように冷たかった……。
少しして彼女が顔を上げ、互いの目が合う。
し、至近距離すぎだろっぉぉぉ!!
思わず彼女の目から視線を少しズラす。
こ、怖すぎて直視できない……。
それでようやく気付く。
着ている服は……ボロボロのタンクトップにスカート……腕には痣のような紋様……。
本当は今すぐこの怨霊幼女を振り払い、ここから逃げ出したかった。
しかし……身体が言うことを効かない!
……
—— 1ヶ月ほど前 ——
死んでいる自分を見たのは、これが初めてだった……。
それにしても俺は何で死んだんだ?
記憶を遡ってみる……
「…………」
……がしかし、やはり死に至った原因や経緯がよく分からない。その辺りの事を何も憶えていないのだ。
確かにいくつか気になる点があったにはあったが……。
そんな時、ふとこの部屋の違和感に気がついた。
布団に横たわる俺の亡骸がぼんやりと青白く輝き、闇の中に浮かび上がって見えている。
いや、本当の違和感はそれではない。
布団の向こうの暗闇に何かが居る気配がしたのだ。
その闇のほうへ、じっと目を凝らす……。
無いはずの心臓がバクバクと高鳴る……。
そして、ついにその違和感の正体がゆっくりと姿を表した……。
「——!!!」
その時、『死後の世界など無いのかも』という己の考えが間違いだったと悟った。
なぜなら今そこにいるのは、恐ろしい霊気を放つ存在……。
黒ローブをまといフードを被った……髑髏頭……!
いかにも『死神デス』って風貌のモノだったからだ。
マ、マジの……死神か!?
ここ数日、コイツに付きまとわれてたって事!?
……ってことは……《《地獄行き》》ってことなのか!?
先程までは、自らの死に直面しても案外余裕な態度だったが……。やはり『地獄行き』かと思うと恐怖と不安で押しつぶされそうになる。
恐る恐る尋ねてみた。
「あ、あんた…死神…なのか?」
「……そうだ……」
たった一言だったが、地獄の底から響いて来たような声!!
マジかよ…。
全身に悪寒が走った——。
「お、俺を…地獄へ連れて行くのか?」
「……地獄……ではない……」
「え? そ、そうなの……?」
それを聞いて少しだけホッとしたのだが……。
信用していいのだろうか……?
「じゃ、じゃあ……まさか…天国…とか?」
「……天国……? 違う……!」
「へ? な……。じゃ、じゃあいったい何処に連れて行くつもりなんだ?」
「…………オマエは……」
死神が何か答えようとした時、勢いよく別の何かが部屋に転がり込んできた——
「ちょっと待ったんしぃーーーっ!!!」
うわっ! え?
——こ、子供っぽくて元気な声。
突然、疾風と共に現れたようなそいつは最初、小学生くらいの子供のようにも見えた。
しかし、よく見ると……頭には獣の耳が2つ……お尻にはシッポ……。
服装は……白い着物のような出で立ち。
はいぃ???
後ろ姿しか見えないが、ソレは異世界系作品などに出てくる『亜人種』とか『獣人』とか、そういう類いの生き物だった……。
ええぇーーっ!?!?
ちょ、ちょいちょいちょいっ——!
し、死神だけでも十分怪奇現象なのに……、あ、亜人って……、じゅ、獣人って……。
……
その獣人の子は今、俺を背にして死神に対峙している。
手には小型の武器——たぶん鎌のような刃物——を持っているようで、今にも死神に飛びかからんとしていた。
「チッ」
死神の舌打ちが聞こえた。
「こらぁ、死神ぃーー! いったい、この人に何したんじゃぁーーーっ!!!」
——何が何だか全く理解できないが、この亜人っ子は俺を守ろうとしてくれているのか?
「ちょっと外に行ってただけなのに……。千造……なんで!? なんで霊魂なんかになっちまってんだヨ!!」
……ぐぐっ……ギリギリギリ……
——亜人っ子が歯を食いしばってる?
か、かなり真剣だぞコレ!
——っていうか『千造』って……。
この子のほうは俺を知ってるってーのか……!?
『ちょっと外に行ってた』って……。
普段から一緒に居たってーのか……!?
「おい死神! ワシが外で鼠狩りしてる隙を狙うたぁ、この卑怯モンがーーっ!!」
「フフ……」
死神がニヤついたように見えた。
「くそ! まさか、あのネズミもお前の……?」
死神は何も答えない。だが、この展開に少し困っているようにも見えた。
また、亜人っ子と違って本気で構えている感じがしない。
「おい死神! どっちにしろ千造はまだ、地獄へも天国へも行く人じゃ無いんやどーーっ!! おとなしく立ち去らんかいっ!」
亜人っ子が激しく言い放った!
——し、しかし、この子……エッライしっかりしてるなぁ……。
死神相手に全く気後れしてない。
あ! コ、コレって今からここで闘いが始まっちゃう的な流れだよね!?
——って、おいおい! 君らの間には俺の死体が寝てるんですけど〜〜〜!
「……あ、あの〜……。と、とりあえず、ちょっと場所移動してもらえませんかぁ〜? ……お、お〜い……? って、全く聞いて無いし!」
……にしても死神に抵抗するって『あり』なのか?
だいたい俺ってもう死んでるんだし……霊魂なんだし……。
何やっても……もう……
手遅れなんじゃないのか……!?
□ 遡ってみた記憶 □
……俺は何で死んだんだ……?
……記憶を遡ってみる……
……最初は頭がぼんやりして、意識が朦朧としていた。
……その後、徐々に思考が回りはじめる。
どうやら俺は自宅アパートの部屋の片隅で宙に浮かんでいる状態のようだ。
部屋の電気は点いておらず、暗い。
でも、よく目を凝らすと、まるで暗視カメラの映像のように部屋の状況が見えて来た。
……四方の壁際には段ボール箱が積み重なり……物が多くてゴチャついた部屋……。
……その中心にはコタツと……布団……。
布団の上には……見慣れた顔のオッサンが横たわっている……。
——俺の肉体だ!
その時、意識が冴え渡り悟った……
俺は死に、霊魂になってしまったのだと!
……って事は……
霊魂である体を見回し、そこかしこを弄る。
「よっこらしょっと……」
畳の上に降り立ち足の感触も確かめてみた。
霊魂ボディーのくせに体や手足に感触がある……。
というか五感を含む全ての感覚が正常に機能しているようだ。
「あ、あー、あーー!」
声も出せる。
なぜか、部屋着兼寝巻きのジャージまで着てるし……。
生前と比べて違いがあるとすれば自由に浮遊移動ができる事だろうか。
身体も軽く、霊魂っぽく若干透けてもいる。
こ、これが……『死』……なのか?
以前からなんとなく想像していた『死後』や『霊魂』の状態とは少し違うこの状態に、少々戸惑っていた。
にしても……なんで死んだんだ?
死の瞬間や死に至る経緯について必死に記憶を辿ってみたが……何も思い出せない。
残っている最後の記憶は……いつものようにただ布団に入って眠りについた……という事だけ。
……いや待てよ……
——いつもと違う!
夜、仕事から帰ってきてスグに強烈な眠気に襲われ、とりあえず寝たんだった。
あの急激な眠気は突然死の前触れだったのか?
そもそも今って何日の何時?
そうか携帯!
携帯、携帯っと……。どこに置いたっけ……?
携帯を探しつつ、ふとある事を思い出した。
……実はここ数日、誰かに見られているような気配を何度か感じていたのだ……。
その度に周囲を見回したりしてみたのだが、結局誰も居なかった。
でも、実は知らぬ間に誰かの恨みを買ってしまい付け狙われ……最終的に殺された……とか?
そういえば帰宅途中に不思議な少女を見たんだった!
近所の屋根の上に佇んで、ぼうっと青白く光っていた幼い少女……。
その雰囲気は悲しげで寂しそうだった。
それで心配になってしまい、つい見入ってしまったんだよね。
でも、その視線に気づいたのか、不意に少女がこちらに顔を向けた。
それで目が合ってしまい、ビックリして慌てて目をそらしたのだ。
あれって実は……幽霊……?
……あの霊に祟られ呪い殺されたとか……?
……いや、まさか……ね……。
しかし、自分が死んだというのに……どうしてなのか不思議と強烈な驚きやショックなどが襲ってこない。
別に死にたいと思ってた訳でもないし、できれば長生きしたいと思ってたハズなのに……。
ただ、実際は『もう死んでる』って現状を心が受け入れてしまったようだ。
黒歴史が長く、結局何様にもなれなかった人生……。
とは言え、人として誠実に生きてきたつもりだ……。
『もし天国が存在するなら死後はそこに行けるんだろうな……』などと、生前からなんとなくそう思ってはいた。
一方で、実は天国や地獄の存在をあまり信じていない己もいる。
人が死んだら、肉体が滅び土に帰るように精神や魂も肉体と共にただ消えて無くなるだけで、死後の世界などは存在しない。
どちらかというと、その方が真理ではないかなどと感じていた。
しかし、その場合……かなり困る!
……い、いや……、己が今、霊魂としてココにこうして存在しているという事は、少なくとも霊や死後の世界は存在するって事か……!?
□ 記憶の回想 おわり □