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第18話:「玉虫色の証言」

濡れ縁に、ふと風が通った。


軒下に吊るされた風鈴が、涼しげに鳴る。ひとときの静寂が訪れたかに見えて、それはむしろ、騒がしさの予兆のように感じられた。


私は掌を茶碗に添えたまま、目の前の女の言葉を待っていた。


「……で、つまり、あんたが見たのは“誰かが落とした薬瓶”ってわけね?」


「そう。落とした、じゃなくて“落としたふりをした”かもしれないけど。そこまでの区別は、あたしの目じゃつかなかったわ」


私はゆっくりと息を吐く。——ここが、鍵だ。


三日前、奥書院の女中が服毒した件。表向きは“うっかり手にした漢方薬を間違えて服用した事故”ということで幕が引かれかけていた。


けれど、どうにも腑に落ちない。


薬瓶は棚から落ちた? 誰が片付けて? 本当に彼女が自ら服用したの?

そこにある些細なズレが、まるで爪先に刺さった棘のように、私の思考をずっと刺激していた。


「薬瓶の銘を、覚えてる?」


「たしか——銀冠花、って彫ってあった。ちょっと摩耗してたけど」


私はその名を聞いた瞬間、ようやく霧の奥に見え隠れしていた“あの感覚”を言葉にできた気がした。


銀冠花ぎんかんかは、俗に“眠り花”とも呼ばれる。鎮静作用があるとされるが、濃度を誤れば中毒症状を起こす。特に——“空腹時”には。


「……空腹時、ね」


思わず独り言のように口にした私に、女が首をかしげる。


「え?」


「いえ。おそらく、これは“事故”じゃないわ。というより、“事故に見せかけた、事故”かもしれない」


「どういうこと?」


私は唇を湿らせながら、頭の中の糸を織りあげていく。


銀冠花を“事故”として扱うには、あまりにも状況が整いすぎていた。

まず、彼女が空腹であったこと。

次に、落ちていた薬瓶が、彼女の体質に“最も相性が悪いもの”であったこと。

そして、何より——その瓶が、“見える場所”に落とされていたこと。


普通なら、薬棚の下に落ちた瓶など、気づかずに掃除の際に蹴飛ばされるか、猫に遊ばれるだけだろう。

けれど、彼女は“それを拾い、服用した”。なぜか。


そこには“前提となる情報”が植え付けられていたはずだ。


——「銀冠花は空腹時に服用すると、効きが早い」とでも。


「情報操作……か」


「そう。何者かが、彼女に“銀冠花は安全で有用な薬”と誤認させた。服用するように、巧みに誘導していたのよ」


女は絶句する。


「でも、そんなこと、どうやって……」


「たとえば、こう」


私は囁くように言った。


「“銀冠花の効果を人前で実演する”の。まるで何でもないように。たとえば、女中たちが見る前で、お茶の席でこっそり飲んで、“眠気が和らぐのよ”なんて言いながら」


「……まさか……」


「ええ、まさか、よ。でも、それをやった人物がいる。私が確かめた限り、あの夜“銀冠花を持っていた女”は一人だけ」


女の唇が青ざめる。


「それって……」


「——あの薬師見習いの、絵璃。あの子、薬棚の整理の時、確かに“余った銀冠花”を持っていった。理由は“観察用”だと言っていたけど、その後、彼女とあの女中が仲良くしていたのも事実。……偶然、じゃないわ」


風が、再び、吹き抜けた。


「あの子、自分の言葉がここまで影響するとは思ってなかったのね。……たぶん、ほんの悪戯か、無自覚な承認欲求だった。でも、他人の命は、言葉一つで簡単に揺らぐ」


女はしばらく黙っていたが、やがて膝に置いた掌を強く握りしめた。


「私、あの子の口から真実を聞きたい」


「……あなたの気持ちは、わかる。だけど、あの子に“犯意”はない。それを理解したうえで、問いただしてあげて」


私は茶碗を空にして立ち上がる。


その一歩一歩が、妙に重かった。


私たちは日々、何気ない言葉を交わす。けれど、その一つ一つが、誰かの生死を左右することだってあるのだ。


それを知ってもなお、私は言葉を紡がなければならない。

薬と同じように、言葉だって使い方を誤れば——毒になるのだから。

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