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(その4)

 新たにバックを床に降ろし、コートを椅子の背に預けると、おもむろに座った。そこへ声の主が、ほうじ茶の香りする湯飲みと、温かいおしぼりを持ってきてくれた。


「ご注文がお決まりになったら、お声かけて下さい」

 と、言葉はどこまでも丁寧である。

 昨今、突っ立ってマニュアル通り喋る輩が多い中、女将の所作はスマーだった。


 席についた私はテーブル脇の品書きを取り、その冊子を開くと、せいろは肉になめこにとろろ、そして鴨。定番のたぬきときつねは元より並・上・かけの天ざると、選ぶのも一苦労。


「すみません……、天ざるの並に……あさりのかき揚げ、いいですか?」

 もはや腹も減って時間もなく、好きなものを注文した。


 それを待つ間、店の中を見まわすと、入り口の正面に神田明神の熊手、そして招き猫、行燈風の照明、六角形の壁掛け時計、あとは天井から吊るされた簾と、江戸の風情が総じて独特の雰囲気を醸しだしている。


 店は先客万来、それを捌く女将の存在で店は活気づく。

 そんな中、ふと声が聞こえた。

「娘がさあ、サンタはいつ来るのって……」


 入口付近の席に座る二人連れの男、見たところ中年のサラリーマン風である。

(晩婚なのかな……、やっぱり娘が愛おしいのか)

 私は人の幸せを妬む訳ではない。

 ただ幼子を思う親心に、自分の想いを馳せていた。


(親は子が出来ねば己の不幸を恨み、子が出来れば出来たで、必ず人生に苦しむ)

 それはいつか来た道……、そんな思いにフラッシュバックした。


 サラリーマンとして、親として、そして田舎から都会へ出て、生きてきた時間の全てを変えた瞬間があった。


 それは1995年1月17日午前5時46分、神戸は未憎悪の震災に襲われた。


 それはまるで時化に突っ込んだ船のようだった。しかし現実はもっと冷酷だった。いつまで続くのかと思う激震、歪んだ玄関戸を肩で押しあけ外へ出れば、明けゆく街に黒煙が立ちのぼる。神戸がこの有様なら東京は、と思ったが被害は淡路・兵庫の直下型だった。


 何もかもが壊され、そして時間が止まった。

 あの震災は、私の人生をも一変させた。 

(あの時、俺はキャラを変えてしまった……)

 その思いが私の心を攻めたてる。


 技術職で冷や飯を喰うより、派手な営業で出世してやる――と、家族を蔑ろにして血道を上げた。だが歳を追うごとに、他の生き方はなかったのかと自問する。


 いくら結果を出しても、人生は思う通りにはならない。ただキャラを変えてでも生き抜こうとしたのは、私の覚悟であり、それもまた私のキャラなのだろう。


(変わるも変わらぬも人生、それでも私はこのキャラで生きてきた……、

 そしてこれからも)


 私は蕎麦を待ちながら、誰にともなく、そんなことを念じていた。  


(了)


誰しも職は選べる……、だが人生は、自分の思う通りにはいかない。

でも、だからこそ面白いのかも、知れない。

船木千滉

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